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第十二話

「先生、先生、大丈夫ですか?」

 僕は、頷いたものの、しばらく立ち上がれなかった。

「まな、すまないが、一時間だけ横にならせてくれないか?」

「わかったわ。となりの客間に布団を敷くから、ちょっと待ってて」

 僕は、どうしたと言うのだ。

 こんなことは一度も経験したことがなかった。熱っぽくもないし、動悸がするわけでもない。なんとなくだが目と喉に少し違和感がある。この家の空気のせいか?

 まなは、となりの和室に布団を敷き、僕を横にしてくれた。

「まな、すまないが、ソファーのところにある、薄紫の水筒のようなものを持ってきてくれないか」

「これ?」

 僕は、シュリが置いていった携帯型プラーナ生成器を受け取った。

「ああ、ありがとう」

「清田さんに連絡しましょうか?」

「いや、彼は今忙しいから、それに休めば大丈夫だから」

「わかりました。私は、隣のリビングにいますから、すぐに声をかけてくだいね」

 彼女は、静かにふすまを閉めた。

 シュリが、この装置を置いていったのは、この家の空気の状態が良くないことに気づいていたと言うのか?僕は、彼の観察力の凄さを実感していた。

 プラーナ生成器のお陰で、部屋の空気が浄化され、僕は一時間横になっただけで、八時間眠ったほどの体力を回復していた。

 隣のリビングで、まなが電話で話している声が聞こえてきた。

「おばあちゃん、その後どう?」

「……」

「明日も帰ってこられそうもないわね」

「……」

「明日、私が、そっちに行こうか?」

「……」

「東京へは、出雲空港から飛行機を使ってもいいし」

「……」

「明日の朝、また連絡するね、じゃあね」

 電話が終わったので、まなに帰ることを告げようと思い、起き上がってリビングへ行った。そこには、さっきまで、ここで電話をしていたはずのまなの姿がなかった。台所を覗いてみたが、そこにもいない。明かりのついている場所を見ると、シャワーの音が聞こえてきた。

 僕は、タイミングを逃してしまったようだ。まなが、シャワーから出るまで、もう一度客間の布団に戻ることにした。

 どのくらい経ったのだろうか、少し横になるつもりが、すっかり眠ってしまったようだ。僕は、慌てて布団をめくってスマホの時計を確認した。

 二十三時を過ぎていた。リビングの明かりがふすまの隙間から客間にもれていた。まさか、まなはまだ起きているのか?

 ふすまをそっと開けた。

 そこには、テレビをつけたまま、ソファーで眠ってしまった彼女がいた。

 僕は、自分の布団を彼女にかけて、水を一杯飲もうと台所へ向かった。

「先生!」

 まなの声にびくっとして、振り向いた。

「ごめん、起こしてしまったね」

「いえ、すみません、私の方こそ、つい眠ってしまって」

「いやいや、悪いのは僕の方で」

「先生、体調はもう良くなりました?」

「ああ、ありがとう。もうすっかり良くなったよ。お水を一杯いただこうと思って」

「あっ、私が入れてきます」

 まなは、コップをとろうとして、僕の手に触れた。

 その時、また体に電気が走った。

 その瞬間、帰らなければという思いは引き潮のように遠のいていった。

 そうだ、僕は帰るために来たんじゃない。まなに、伝えるために来たんだ。

 そして、僕は勇気を振り絞った。

「まな……」

言葉が、うまく出てこない。

「僕は……その……」

「初めて会った時から、まなのことが好きだ」

「えっ」

 まなは、少し困った顔をして僕を見つめた。

「先生、でも、私と付き合ったら困るんじゃ……」

 そう言って、彼女は一歩下がった。

「どうして?」

「私はまだ大学生だし、先生のお役に立てることはあまりないし」

「役に立たないと、側にいられないのか?」

「……」

「まなは、僕のことをどう思っているんだ? 嫌いなのか?」

「嫌いだなんて……」

 僕は、まなの瞳をじっと見続けた。彼女は、少しうつ向いて小さな声で言った。

「好き……」

 彼女は、一瞬言葉を飲み込み、顔を赤くした。

「シンジュのことが好き。私も初めて会った時から……」

 彼女を抱き寄せて、そっと唇を交わした。

 僕は、ふと地球のルールを思い出した。こういう時は、相手の同意を得なければならない。

 彼女に聞こうと唇を離し、彼女の目を見た。

 次の瞬間、彼女の唇は、僕の口を塞いだ。

 僕たちは、そのまま客間の布団の上になだれ込んだ。

 なくしていたジグソーパズルのピースをはめるように、互いの存在を確かめ合った。


 第二議員会館205号室

「おはよう」

「おはようございます。今朝は、体調もよさそうですね」

 シュリは、ニヤリと笑って僕を見た。

「さっ、仕事仕事、仕事をしますよー」

 僕は執務室に入り、外国人の土地取得に関しての情報を集めた。この問題は、もう何年も前から起こっているが、他国との関係もあり制限できずにいた。特に、大きな土地をまとめて取得する場合や、外国人のコミュニティ形成ができてしまうことに関してのルール作りが遅れていた。

「シュリ、この件、えっと、誰だっけ? 木山君だっけ、金曜日にまとめさせてみて」

「あっ、木村君ね。まなさん以外覚えようともしていないだろう? この前、大臣の名前も出てこなかったじゃないか」

「ド忘れだよ」

「まなさん以外もちゃんと見てくれよ」

 そう言われて、僕はシュリに手でハートマークを作って見せた。

 シュリは嫌そうな顔をして、左手を2回振り、ハートマークを払いのけるように打ち消した。


 ゴールデンウィークが終わると、岡山で会った水生生物研究所の女性から「会いたい」と連絡が入った。シュリは、日程を調整して、十日後に会うことになった。


 議員会館に訪ねてきたのは、あの時、僕にリスク情報だと言った女性とその上司だった。彼女たちは論文を提示し、農薬が水質を汚染し、化学肥料が、海域の富栄養化を引き起こしていることを説明した。そして、彼女たちは、予防原則主義を導入することを強く訴えたのだ。

「ヨーロッパでは、予防原則主義をとっているんです。予防原則というのは、人の健康や環境に対して重大かつ不可逆的な損害を与える恐れがある場合、科学的な因果関係が完全に証明されていなくても、事前の対策を講じるべきとする考え方です。日本も、予防原則主義をとるべきです」

「予防原則主義ですか……」

「あとで、後悔しても遅いんですよ。最初っから慎重であるべきです。外国人問題に取り組んだ、石山さんでしたら、わかっていただけますよね」

  『最初っから慎重であるべき』確かにそうだ。僕もその言葉に納得していた。

 そして、何といっても、彼女の目は、他の人の目とは違う感じがした。目の向こうに何ら陰りも感じない、まっすぐな目だった。

「わかりました。環境省で話をしてみましょう」

「農水省にもお願いしたいのですが……」

「わかりました。農水省にも話してみます」

「ありがとうございます」

 水生生物研究所の方々が帰られた後、シュリは、会議室を片づけながら、僕に言った。

「石山先生、ちょっと安請け合いし過ぎではないですか? 簡単にできるとは思えませんが」

「でも、このまま何もしなければ、あの農薬で、世界中の羽のある虫がいなくなって、人は、食べ物を得られなくなるんだぞ。川も海も汚染されて、貝や魚も食べられなくなる。ここで生きられるのは、宇宙人の僕たちだけだ。そんな地球になってしまったら、僕たちだってどうしたらいいんだよ?」

「それは、そうですけど。何かアイディアはあるのですか?」

「ない」

「は? 考えて下さい。私にばかり頼らないでくださいね」

「シュリー、そんなこと言わないで、一緒に考えよう」

「この件は、そうですね、まなさんに協力してもらいましょうか?」

「うん、うん、それがいい。僕も一緒にやるよ」

「いえ、石山先生は、もうずっと環境省に行ったきりのスケジュールですから、こちらで対応させていただきます」

 せっかくまなと仕事ができると思ったのに、シュリのやつめ、僕の気持ちを知りながら、その対応は、意地悪じゃないか!


 僕は、政務官の仕事のために、議員会館を留守にすることが多くなっていた。毎週金曜日には、インターンとして、まなが来てくれるのに、いつも会えない状況だった。そういう思いも重なって、どうにか会えるように、僕は、夜中にまなの家を訪ねることにしていた。これには、週刊誌などから逃れるためでもあるが、もう一つ、夜中でなければならない理由があったからだ。

 それは、食事の問題だった。若い二人がデートをすれば、おしゃれなカフェやレストランで食事をするのが当たり前だが、宇宙人の僕は、食事をすることができない。それを誤魔化すためには、夜中しかなかったのだ。

 僕は、その日の夜にまなの家に行きたいときは、まなの電話にワンコールする。大丈夫だったら、まなもワンコールする。そんなルールを決めて、週に一度は会えるようにした。

 まなの家は、僕の家から徒歩三分のところにあった。

 僕は、一度家に戻り、家の電気をつけたまま、帽子やマスクで顔を隠して彼女の家に行った。

 僕たちは、深夜遅くまで、政治のこと、ジャーナリズムのことなどを話すことが多くなっていた。彼女は、僕の政策を興味深くいつも頷きながら聞いてくれていた。それがとても心地よく、僕はつい自分ばかりが長く話していた。


 


毎日更新予定

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