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第十一話

 初めての視察で、僕は緊張していたわけではないが、まなと新幹線での会話やふれあいを楽しみにしていたので、少し寝不足だった。

 だが――

 その期待は、乗車してすぐに打ち砕かれた。

 まなとは、別の車両だったのだ。

 なぜなんだ! 僕は絶望の淵に沈んでいた。

 せっかく一緒の視察に来たというのに、どうしてこんなチケットの取り方になるんだ?

 僕は、シュリの隣に座りながら、鼻息を荒くしていた。

 これでは、一緒に来た意味がないじゃないか。

 昨晩、僕は――まなと隣に座り、あれからどうしていたんだ? なんて話しながら、少しだけ距離を縮める、そんな都合のいい時間を妄想していたのに。

 それなのに……


 気付けば、新幹線は、岡山駅に到着した。

 岡山駅からは、貸し切りバスに乗り換え、瀬戸内海のアサリの漁場へ向かった。

 ……バスでも隣はまたシュリかよ。

「ん? 石山先生、どうかしました?」

「いや、何でもない」

 どうしてこいつは、こういう時に気が利かないんだ。

 ――まなさん、こちらへどうぞ、くらい……

 あー、もう、むさ苦しい。


 バスの中では、環境省の担当者から、現地の状況説明が簡単に行われていた。

「アサリの収穫量は、1983年をピークに、1990年代には、半減、現在は、ピーク時の3%まで落ち込んでいます。気候変動やクロダイなどの食害、干潟の消失などが言われているのですが、これといった対策がないままです。これから、実際にご覧いただきます」

 説明後に、バスが止まると、数人の人たちにバスが囲まれた。

 僕は、窓を少し開けて彼らの話を聞いていた。

「今日、環境省の方々が、こちらへ視察に来られるとお伺いして、私たちも来ました。私たちは、水生生物研究所の者です。この海域、いえ、瀬戸内海全体で、不可解なことが起こっているんです。もう30年前から少しずつ、海が変わってきているんです。これ以上は、海の生き物が耐えられないところにきているんです」

 誰一人、席を立って彼女たちに対応をする者がいなかった。

 僕は、まなもいるし、良いところを見せなければという思いもあって、席を立ちバスを降りた。

「あっ、石山さんですよね? 外国人問題を解決した石山さんなら、私たちの思いが理解できますよね? どうか、市民の声を真摯に受け止めて動いていただけませんか? 市民の不安の声は、リスク情報です。国会議員に極めて重要な能力は、リスク管理能力ではないのですか?」

 ブーメランだった。僕が、総理に直談判したときのあの言葉が、今度は市民から僕に向けられたのだ。

 シュリがバスから降りてきて、彼女に名刺を渡した。

「みなさんのお話をきちんと聞かせてもらうために、ちゃんとした場を設けます。日程調整しますので、こちらにお電話下さい。必ず、石山が対応いたしますので、ご安心下さい」

 そう言うと、彼女たちは、バスの周りから離れた。

 シュリ、そのセリフは、僕が言うはずだっただろ……

 僕は、彼女たちに一礼してバスに戻った。バスの中にいる人たちは、僕たちの行動には無反応だった。  まなと一瞬目があったがすぐに下を向いた。かっこいいところは見せられなかったか……

 その後バスは予定の場所に駐車し、現地の担当者や漁業組合長とともに視察を開始した。

 干潮時に現れた海の中の干潟には、親子で潮干狩りを楽しむ姿があちこちで見られた。

 一見、何の問題もなさそうに感じたが、漁業組合では、貝以外の魚なども激減して、漁師の生活はもう限界に来ていると言うのだ。

「若い人は、もうとっくにここを離れているが、今は70代でもここを離れていくんですよ。そうするとね、外国の人が家を買うんですよ。もう地域が分断してしまって、わしらからすると、あの島なんかは、外国ですわ」

「えっ、外国人問題は、かなり収束したと思っていましたが」

「ええ、若い労働者はほとんど国に帰られましたよ。でも、残っているのは、裕福な高齢の外国人ですわ。もう働かなくてもお金もある人達」

「帰化された人ですか?」

「いいや、帰化も永住権も無い人ですよ。何度も国と行き来できるほどのお金持ちですからな。島、一島購入しとるんですから、もう好き放題ですよ。その人が大勢の外国人を連れてこられるんで、このあたりのお店は、えらい迷惑を被っております」

 漁業組合長は、遠くの島を眺めてそう言った。

 僕は、まだ外国人問題が終わっていないことを思い知らされた。


 三時間の視察を終え、僕たちは帰路につくことになった。

「石山先生、私は、このまま実家に帰ってゴールデンウィークを過ごそうと思っていますので、ここで失礼させていただきます」

 まなは、そう言うと一礼した。僕は、すぐに別れるのが惜しくて、少しでも長く一緒にいられたらと思い声をかけた。

「まなさん、実家は、近くですか?」

「はい、ここから電車で十分です」

 ――十分。

 どうする? このまま、終わるのか。

「せっかくなので……」

 言ってから、一瞬だけ迷った。

「僕もご両親にご挨拶してもいいかな?」

 シュリが驚いた様子を見せた。僕は、その時はなんのことかさっぱり分からず平然としていたが、後から、ご両親に挨拶をするという行為は、結婚を決めている男女がする行為だと聞いて、恥ずかしくなった。

 まなは、そんな僕のセリフを気にしなかったのか、普通に返事を返してくれた。

「もちろん、いいですよ。何もない、ごく普通の家ですけど」

 僕たち三人は、彼女と一緒に電車に乗った。

 岡山の街は、東京のような大都会ではないが、開けた平野が気持ちよかった。


 彼女の家は、静かな住宅地にある一軒家だった。

「えっ? 鍵が閉まってる……」

 彼女は、慌ててスマホと取り出して電話をした。

「お母さん今どこ?」

「……」

「えっ、おばあちゃんが倒れたの?」

「……」

「どうしよう、家の前にいるけど鍵が閉まっていて」

「……」

「あっ、わかった。何かあったらまた連絡してね」

 まなは、玄関の横の傘立てを持ちあげて、鍵を手に持った。

「石山先生、すみません、お昼に祖母が倒れて、両親が島根に行ったそうなんです。だれもいないのですが、よかったらどうぞ上がって下さい」

「おばあちゃん、大丈夫なのか?」

「まだ、わからないそうです」

「それは、心配だな」

「何かあったら、連絡が入るから大丈夫です。この時間に私が慌てても仕方ないので。あっ、どうぞ上がって下さい」

 まなの実家は、まだ建てられてさほど時間が経っていないのだろう……新しい家特有の、わずかに鼻に残る匂いがした。リビングは、テーブルの上に、テレビのリモコンがあるだけで、きれいに片づけられていた。

 彼女は、冷蔵庫を開けて

「えっと、アイスコーヒーか、オレンジジュース、どちらがいいですか?」

 と聞いてきた。

 僕は、シュリと目を合わせて『どうする?』という顔をした。

「では、お水で」僕は、そう答えた。

「えっ、お水ですか? 清田さんは?」

「私もお水で」

「えっ、お二人ともお水で?」

「はい」僕とシュリは同時に返事をした。

 シュリは、カバンの中から水筒のような装置を出してきた。そして、小声で僕に言った。

「これは、携帯型プラーナ生成器だ。もしも体調が悪くなったら、これを使うんだ。スイッチは、ここ。48時間は作動する」

「えっ、これを僕に渡すって、どういうこと?」

「私は、お水を飲んだら、仕事ができたということで帰るよ」

「えっ、僕は?」

「二人で、しっかり話をするんだぞ」

 僕は、そんなことを想定していなかったので、焦って心臓がバクバクし始めた。

「お待たせしました。本当に、お水でいいんですか?」

「はい」また同時に返事をしてしまった。

 シュリは、お水を飲み終えたら、鳴ってもいないスマホを取り出して急に話し始めた。

「えっ、そんな急に言われましても。こちらも立て込んでおりますので、すぐというわけには……」

 彼は、僕の目を一瞬見た。

「えっ、今すぐ! わかりました。では、戻りましたら、すぐに打ち合わせに合流します」

 演技なのは分かっているが、よくもまあ、次々とセリフが出たものだと感心した。

「すみません、急な仕事が入りましたので、私はこれで失礼させていただきます。石山先生は、まだ、ゆっくりしてください。それでは、まなさん、石山先生をよろしくお願いします」

 シュリは、まなに見えないように、僕に向かってウインクをして出て行った。

 それにしても『まなさん、石山先生をよろしくお願いします』ってどういうことだよ。

「秘書のお仕事はやっぱり忙しいのですね。私には難しいかしら」

「いやいや、暇暇、大したことないよ」

「そうなんですか?」

「まなは、政治に興味があるのかい?」

「大学で法学を学んでいるので、法律とか、政治とかに興味があって、そっち方面の就職を考えてはいるんですけどね」

「何に悩んでいるんだ?」

「私に合っているかどうか、自分でもよくわからなくなっていて」

「そうか……」

 僕は、水を一口飲んだ。

「僕たちが初めて出会った夜のこと、覚えているかい?」

「はい、もちろんです。あの時、出会っていなければ、今私はここにいなかった」

「あの時の君の歌声が、僕を引き寄せた。選挙で落選して、もう立ち上がれないほど落ち込んでいた僕の心を癒してくれたんだ。もう一度頑張ろうと思わせてくれた。本当は、まだ歌いたいんじゃないのか?」

「先生、あの時オーディションに落ちたんですよ。私の歌は認められなかったんです」

「それでも歌いたいと魂は思っているんじゃないのか?」

「魂が?」

「歌をやめなくていいんだよ」

「歌をやめなくていい?」

「続けられる道は、いくらでもある。僕も、政治家になれなかった一年間、他のことをしていたけど、政治家の道は、常に考えて準備していたんだ。まなも歌の道の扉を開いたまま、進むんだよ」

「扉を開いたまま……そうね、先生の言う通りだわ。私、歌をやめなければならないと思い込んでいたわ」

「扉さえ開けておけば、いつでもその道に行ける」

「先生ありがとう」

 彼女は、そういうとシュリのコップを片づけるために手を伸ばしたが、足元がぐらついて、テーブルを大きく揺らし、僕のコップの水をこぼしてしまった。僕は、とっさに立ち上がったが、めまいを起こして、その場に倒れこんでしまった。



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