第10話 ――聖獣窮奇、逃走の果てに痛みの王へ跪く
森の奥は、湿った土の匂いと濃い影が支配していた。
ドロルは窮奇を従えて歩き出したばかりだった。
白い翼を持つ虎――窮奇は、痛みを止めてもらった直後で、まだ身体を震わせている。
だが、その目には怒りとプライドが残っていた。
「……ドロル様……どこへ向かう」
窮奇が低く唸るように言った。
「森の奥だよ。お前が従魔になったんだから、まずは使い道を考えないとな」
窮奇はその言葉に、わずかに眉をひそめた。
「使い道……? 聖獣たる我を……使うだと……?」
ドロルは肩をすくめた。
「従魔なんだから当然だろ」
窮奇は歯を食いしばり、怒りを抑えきれない様子だった。
「……貴様……我を侮辱しているのか……?」
「侮辱? お前が勝手に従属したんだろ」
窮奇は唸り声を上げた。
「痛みが治った今なら……貴様など……!」
その瞬間、窮奇は翼を広げた。
木々の間から空へ向かって跳び上がる。
「キラーベアを倒せるんだってな」
ドロルの声が、静かに森に響いた。
窮奇は空中で一瞬だけ動きを止めた。
「……倒せる。倒すとも」
(だがな、貴様とはコレまでだ。俺は自由だ!俺が喰うために倒すのだ!)
「倒して持って来いよ」
窮奇は返事をしなかった。
そのまま逃げるように空へ舞い上がった。
ドロルは静かに呟いた。
「逃げる気か。
じゃあ――膵臓癌。そして体性痛、内臓痛、神経障害性疼痛、十倍」
空中で窮奇が痙攣した。
「ガッ……アガガガガガ!!」
翼が乱れ、バランスを失い――
ドサッ!
窮奇は地面に落ちた。
森にはドロルと窮奇しかいない。
静寂が戻り、風の音だけが響く。
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◆ 逃走失敗、痛みにのたうつ聖獣
窮奇は地面に倒れたまま、必死に翼を動かそうとした。
痛みで震えながらも、逃げるために翼を広げようとする。
「……く、くそ……! 逃げ……逃げないと……!」
翼をバサバサと動かすが、痛みで身体が痙攣し、
地面に爪を立てて必死に後ずさる。
「グルルルル……ッ……!」
窮奇は涙を流しながら、ドロルから距離を取ろうとした。
その姿は、かつての森の王者ではなく、
ただの“痛みに怯える獣”だった。
ドロルはゆっくりと歩み寄った。
「どうだ?」
窮奇は地面に倒れ、
胸を押さえ、
口を押さえ、
身体を震わせていた。
ドロルは淡々と説明を始めた。
「膵臓癌はな。腹腔神経叢を圧迫して、
背中から腹にかけて激痛が走る。
体性痛は骨や筋肉に広がる痛み。
内臓痛は鈍く重い痛みが続く。
神経障害性疼痛は電気が走るような痛みだ」
窮奇は涙を流しながら地面を叩いた。
「た、助けてくれ……ください……お願いします……!」
ドロルは首を傾げた。
「逃げられないよ」
窮奇は震えながら、
恨めしそうにドロルを睨んだ。
「くっ……貴様……!」
ドロルは肩をすくめた。
「口先だけの従魔契約じゃダメかぁ。
何かあるんだろ? 契約的なモノが」
窮奇は息を荒げながら震えた。
「……け、契約……?」
「俺に100%権限がある契約だ。
できるんだろ? 聖獣だもんな」
窮奇は涙を流しながら頷いた。
「あ……ああああ……!」
「さあ、契約しようか」
窮奇は震える声で言った。
「痛みを……な、治してください……
け、契約魔法が……唱えられません……」
ドロルはため息をついた。
「はいよ」
指を鳴らすと、窮奇の身体を蝕んでいた痛みがすっと消えた。
窮奇は荒い息を吐きながら、地面に崩れ落ちた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
ドロルは冷たく言った。
「はやくやれよ」
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◆ 聖獣の契約魔法、発動
窮奇は震える身体を起こし、ゆっくりと立ち上がった。
その姿は、かつての森の王者ではなく、
ただの“痛みに屈した獣”だった。
「……始める……」
窮奇の身体から、淡い光が立ち上がった。
それは聖獣特有の魔力――神聖で、どこか温かい光。
光は一本の線となり、
ドロルの胸へと伸びていく。
「……これが……従魔契約……」
窮奇が呟くと、光はさらに強く輝いた。
ドロルの頭の中に、契約の内容が流れ込んでくる。
――主はドロル。
――従魔は窮奇。
――主の命令は絶対。
――従魔は拒否権なし。
――主に義務なし。
――従魔は主のために命を使う。
――主が望むなら、従魔は死すら受け入れる。
ドロルはゆっくりと頷いた。
「いい契約だな。
俺には何の義務もない。
お前は全部従う。
完璧だ」
窮奇は震えながら頭を下げた。
「……ドロル様……」
「契約を……受け入れてください……」
ドロルは手を伸ばし、光の線に触れた。
瞬間――
柔らかい光が二人を包んだ。
森の風が止まり、
鳥の声も消え、
世界が静寂に包まれた。
光がゆっくりと消えると、
窮奇は地面に伏していた。
「……ドロル様……」
「ご命令を……」
その声は、かつての威圧的な咆哮ではなく、
完全に主へ従う従魔の声だった。
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◆ 聖獣、完全服従
ドロルは窮奇を見下ろし、
ゆっくりと口を開いた。
「それじゃ――キラーベアを狩って持って来い」
窮奇は翼を広げた。
「……分かりました」
その声には、
怒りも誇りもなかった。
ただ、
主の命令に従うという絶対の意志だけがあった。
窮奇は森の奥へ飛び立った。
ドロルは、不敵に笑った。
「……聖獣だろうが、痛みには勝てないんだよ」
森の風が吹き抜ける。
痛みを操る者は、
ついに聖獣すら従えた。




