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第十夜:黄金の雫

それから、数か月が過ぎた。


王都の酒造ギルドには、以前とは違う香りが漂うようになった。


焼いた木の香り。


麦の香り。


そして、樽の中でゆっくりと育つ酒の香り。


マルクは、毎日のように樽を見ていた。


最初の頃は、蓋を開けたくて仕方がなかった。


けれど今では違う。


樽の前に立ち、静かに耳を澄ます。


酒の色を見る。


香りを確かめる。


そして、待つ。


「焦るな」


隣でバレル親方が言う。


「酒ってのはな、造った人間より気が長えんだ」


「はい、親方」


マルクは笑った。


あの夜から。


二人の酒造りは少しずつ変わった。


古いものを捨てたわけではない。


受け継いできた技術に、新しい方法を加えた。


樽を焼く。


木を選ぶ。


時間を待つ。


そして、味を見る。


何度も失敗して。


何度もやり直して。


ようやく一本の酒が完成した。


その日の夕方。


マルクは一本のボトルを抱えて、『BAR・白の記憶』を訪れた。


「マスター」


「いらっしゃいませ」


カウンターの上へ、ボトルを置く。


世界樹の木を削り、丁寧に磨き上げた特製のボトルだった。


中には、深い琥珀色の酒が入っている。


蓮はボトルを手に取った。


光にかざす。


静かに揺れる黄金色。


「綺麗ですね」


「はい」


マルクの顔には、職人としての誇りがあった。


「俺たちの新しい酒です」


「お名前は?」


マルクは少し照れたように笑った。


「まだ決めてません」


「そうでしたか」


「親方が言うんです」


マルクは嬉しそうに続ける。


「名前は、飲んだ人が決めればいいって」


蓮は微笑んだ。


「素敵な考えですね」


「それと……」


マルクはボトルを押し出した。


「これは、白の記憶に置いてください」


「私に?」


「はい」


マルクは頭を下げた。


「俺たちが、最初に夢を見られた場所ですから」


蓮はしばらくボトルを見つめた。


「ありがとうございます」


マルクが帰ったあと。


蓮はボトルを棚へ置いた。


その隣には、いつもの酒瓶。


けれど、この一本だけは少し違って見えた。


夜。


カラン。


ドアベルが鳴る。


入ってきたのは、勇者とシルヴィアだった。


「マスター、こんばんは」


「いらっしゃいませ」


二人がカウンターへ座る。


「今夜は何かおすすめはある?」


シルヴィアが尋ねた。


蓮は少しだけ振り返る。


棚にある一本のボトル。


「ございます」


「新しい酒?」


「はい」


蓮はボトルを手に取った。


勇者が目を輝かせる。


「それ、マルクの酒?」


「ええ」


「じゃあ、それを」


「私も」


蓮は二つのグラスを用意した。


氷を入れる。


カラン。


黄金色の酒を、ゆっくりと注ぐ。


グラスの中で、琥珀色が揺れた。


「お待たせいたしました」


二人がグラスを手に取る。


シルヴィアが香りを確かめた。


「……森みたい」


勇者も一口。


「うん」


二人は顔を見合わせた。


「美味しい」


蓮は何も言わず、二人のグラスへ水を添えた。


カラン。


グラスが触れ合う。


「乾杯」


その音が、静かな夜へ溶けていく。


窓の外には、王都の灯り。


遠くでは、まだ争いが続いている。


政治も。


種族の違いも。


魔王との戦いも。


何一つ、なくなったわけではない。


それでも。


この小さなカウンターでは、二人が笑っている。


そのとき。


カラン。


また、ドアベルが鳴った。


勇者が振り返る。


「……誰だ?」


蓮も顔を上げる。


開いた扉の向こう。


月明かりの中に、黒いコートが見えた。


「久しいな、マスター」


低い声。


シルヴィアが目を見開く。


「……まさか」


勇者も腰を浮かせる。


「魔王……?」


黒いコートの男は、楽しそうに笑った。


「そう身構えるな」


そして、カウンターへ歩いてくる。


「今夜は戦いに来たのではない」


椅子に腰を下ろす。


「一杯、飲みに来ただけだ」


蓮は静かに微笑んだ。


「お待ちしておりました」


魔王の前にグラスを置く。


そして、棚からもう一本のボトルを取り出す。


「今夜は、こちらはいかがでしょう」


「ほう」


魔王がグラスを見る。


黄金色の酒。


「面白い」


蓮は酒を注ぐ。


琥珀色の雫が、グラスの中で静かに揺れる。


魔王はそれを一口飲んだ。


しばらく黙っている。


やがて。


「……悪くない」


シルヴィアが笑う。


「素直じゃないな」


「何だと?」


勇者が吹き出す。


店内に笑い声が広がった。


蓮はカウンターの内側で、静かにグラスを磨く。


世界は、まだ騒がしい。


明日になれば、また誰かが戦い。


誰かが悩み。


誰かが傷つく。


それでも夜になれば。


この扉は開く。


勇者も。


エルフも。


公爵も。


魔王も。


そして、まだ名もない誰かも。


ここでは、誰もがただの客になれる。


蓮は棚の奥に並ぶボトルを眺めた。


その中で一本だけ、黄金色の酒が静かに輝いている。


一人の見習い職人が抱いた、小さな夢から始まった酒。


それは今、異世界の酒造りを少しずつ変え始めている。


けれど。


蓮にとって、それは世界を変えるための酒ではない。


目の前の客に。


今夜を少しだけ穏やかに過ごしてもらうための、一杯。


それだけだった。


「マスター」


魔王が声をかける。


「次は、もう少し強いものを頼む」


「かしこまりました」


蓮は微笑んだ。


シェーカーを手に取る。


カシャ、カシャ、カシャ。


夜の静寂に、心地よい音が響き始めた。


『BAR・白の記憶』。


黄金の雫が生まれた夜も。


その先の夜も。


この店の灯りは、静かに灯り続けている。

『黒衣のバーテンダー ― 異世界の夜を満たす―』第二章「黄金の雫」編を、最後までお読みいただき本当にありがとうございました!


現代の樽熟成チャーリングの知識と、異世界の世界樹の魔力が融合し、世界を大きく変える極上のウイスキーが誕生しました。


バトルをしなくても、プロの技術とおもてなしの心があれば世界を救える。


そんなマスター蓮の格好良さを、第二章でも楽しんでいただけていれば幸いです!


今後も、彼らの優しい夜のつづきや、新しいカクテルを巡るお話をまたお届けできればと思います。


ぜひブックマークや評価で応援していただけると、今後の執筆の大きな励みになります!どうぞよろしくお願いいたします!

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