代読係
東棟にある公爵の執務室。
窓からはリュシカの書類を読む声が朗々と響いていた。
毎日午後の3時間ほどを、代読係として勤めている。
書類関係を読み上げるだけでは時間が余るので、書類の整理から手紙の返信などの雑務も手伝っていた。
時折公爵の低く穏やかな声が割り込むが、それにも即座に対応する。
二人の声は音楽を奏でるようにリズミカルで纏まりがあった。
(代読中は雑談もなく淡々と仕事をこなされるのに……)
リュシカは現在、公爵のある行動に頭を悩ませていた。
仕事中の公爵は私語もなく、適切な距離感で接している……にも関わらず、仕事を終えたら毎日のように、リュシカがいる場所に姿を表すのだ。
書庫で本を抱えて振り返ればそこにいる。
街で買い物をしていると、いつの間にか後ろにいる。
何も言わず立っているだけの日もあった。
リュシカがいるところには、決まって公爵が姿を見せるものだから、必然と誰かに目撃される形になる。
それは公爵との距離感を保ちたいリュシカにとって、望まぬことであった。
案の定、公爵邸にはあらぬ噂が広がり始めていた。
公爵閣下に、はじめての春が来たのではないかーーと。
その噂のお相手が、まさかの自分だと知った時はその場で卒倒しそうになった。
勘弁してほしい。
早いところ公爵が本物の花嫁を選ぶか、魔眼を見つけてリュシカが代読係の任を解かれるかしなければ、噂は領地にまで届き、王都に住む子爵家にも迷惑がかかるだろう。
「一度家に帰って……」
二人に状況を説明した方がいいかもしれない。
「なぜだ」
「?」
公爵は仕事中の淡々とした声とは違う、不快感の籠る声でリュシカに訊ねた。
「子爵家に帰る必要があるのか?」
どうやら声に出ていたらしい。
リュシカを睨み付ける公爵の瞳は紫色になっていた。
「不備があれば言うようにと伝えたはずだが?」
「……」
『不備は公爵と私にありもしない噂が立っていることです』とは言えるはずもなく。
そもそも噂自体を公爵は知らないかもしれないのだ。
敢えて教える必要もないだろう。
「ええと、社交界で非難を浴びそうな噂が私に立ち始めてまして、迷惑をかける前に家族に伝えておこうかと」
「その噂とやらを消し炭にしてやろうか?」
「なんか怖いな。有り難いけど、どうなんだ? いや、やっぱり調べないでください。消し炭にしなくていいです。乙女には知られたくない噂もあるんですよ」
「む……。ならば手紙で済ませればいい」
「うーん……」
「エドワードにも子爵家をサポートするよう伝えておこう」
エドワードとは、王太子のファーストネームである。
「恐ろしい! 殿下やライリー様のお手を煩わせるわけにはいきません!」
「……」
リュシカが全力で遠慮すると、公爵はおもむろに手をかざし、指で宙を切った。
切り口が開くと、子爵家の屋敷が映し出された。
すると家の周りを、フードを被った怪しい男が徘徊しているではないか。
「なに、これ……」
「同時刻で繋げてある」
公爵の魔法で、現在の子爵家の様子が執務室に映り出された。
様子を窺っている男の胸には、見覚えのある紋章があった。
「魔捜? ってことはあいつかスナーフ!」
「魔捜はまだ君を疑っているようだ。戻らない方が賢明だろう」
「……」
未だリュシカを疑うスナーフに腹が立つと同時に、こんな状況を見て公爵もリュシカを疑ってやしないかと心配になった。
「ハッ!」
「? どうした」
もしかしたら公爵も魔捜のように、リュシカを疑っているのではないか?
代読係にして動向を注視していたのではないか。
(やたら会いに来るのも、私を疑って調べていたのだとしたら……!)
悔しいが、公爵の行動には合点がいった。
「何を考えている?」
公爵がリュシカの顔を覗き込んだ。
「なんだその悲しそうな顔は……」
リュシカは自身の頬に触れた。
(私、悲しんでるの?)
これまでの不可解な公爵の行動に説明が付きそうだというのに、公爵に疑われることにリュシカの心は悲しみで傷ついていた。
「ライリー様……」
「うん?」
「……」
スナーフにやり返した時のように、強くハッキリ『私は犯人じゃない』と、言い返せばいい。
それなのに、心は沈んで言葉がすぐには出てこなかった。
「何も咎めたり、笑ったりはしない。困ったことがあるなら、何でも話してくれと伝えているではないか」
「心配するな」と、公爵の声があまりにも優しく穏やかなので、リュシカは子供のように素直に不安を吐露することができた。
「私、ライリー様の魔眼を盗んでなんていません。犯人じゃありません。私のこと、疑っているんですか?」
「なに?」
「信じてください。私じゃありません」
「……ああ、君じゃない。君なわけがない」
公爵が間髪を入れずに断言する。
「リュシカは何も知らない。そうだろう?」
「はい。あの、私を疑っていたんじゃないんですか?」
リュシカの言葉に心外とでも言うように、片眉を上げて公爵が否定した。
「そんなわけないだろう」
「よかったぁー」
「君はおかしなことを考え付く天才だな」
安堵すると、自然と笑みが溢れた。
公爵の瞳が淡い桃色になって目尻が下がる。
(……今なら聞けそう)
魔眼泥棒の話が出た機会に、ずっと気になっていたことを訊ねてみた。
「ライリー様は魔眼の行方に心当たりはないのですか?」
公爵の瞳は青色が強くなり、遠くを見つめると、低い声で答えてくれた。
「ある……けど、見つからない」
それは『盗んだ者の目星は付いているが、どこに魔眼があるのかはわからない』、という意味だろうか。
「ライリー様は魔眼探しを諦めて公領に引き払ったと聞きました。でも、そうではなかったんですね」
「ああ。僕はずっと探している」
そう言うと、突然公爵の体から無数に伸びる青い線が浮かび上がった。
「!?」
髪の毛ほどに細い線はウネウネト脈打ちながら、何かを探すような仕草であらゆる物に触れていた。
線は探知機の役割を担っているようで、魔眼を盗まれた直後からずっとこのように捜索していたのだという。
今だけその線を、リュシカにも見えるようにしてくれたのだ。
「世界中のどこにいても、犯人があの魔眼を使えば僕にはわかる」
公爵の静かな怒りと、膨大な魔力量を前にリュシカは圧倒されて言葉を失った。
「必ず見つけ出す。当然犯人は報いを受けることになるだろう」
目の前にいるのは、紛れもない世界最強の魔法術師であった。
その瞳はリュシカと同じ、黒く怪しげに光っていた。




