嫌がらせ
「……なぜ」
リュシカは用意された部屋の前で立ち尽くしていた。
公爵家の屋敷は、バークレー領の北に位置し、敷地は広大で厳重に警備された門から玄関まで馬車を使う。
途中には手入れの行き届いた庭園に、湖やあずまやがあり、何台も馬車が乗り入れられる玄関ポーチが設けられていた。
中央棟には応接室や食堂の他に、ギャラリーや大理石で造られたダンスホールがあるのだが、公爵が社交を好まないこともあり、一度も使われたことはないという。
東棟には公爵の私室や執務室があり、西棟にはゲストルームが設けられていた。
リュシカも当然のように西棟に滞在するものと思っていたが、用意された部屋は公爵の居住区である東棟で、彼の私室と同階であった。
部屋に案内されて呆然と立ち尽くすリュシカに、執事が経緯を説明してくれた。
執事曰く、他の令嬢と同様に西棟に部屋の準備をしていたところ、公爵が姿を現すやリュシカの部屋だけ東棟に移すよう命じたとか。
食堂で、部屋はどうたらうんたらと聞かれた時だろう。
確かに東棟の方が執務室から近いので、移動が楽ではある。
だが他にも令嬢が滞在しているのに、リュシカだけ待遇が違うと別の意味で問題だった。
更に用意されたのは、子爵家の自室よりも数倍は広く、天蓋付きのベッドに浴室まで付いた豪華仕様である。
「……なぜ」
公爵がここまで礼を尽くす理由はなんだろうと疑問が浮かぶ。
それは執事や使用人達も同じで、きらびやかな部屋の前で共に考えを巡らせた。
執事からは過去に面識があるのではと聞かれたが、魔術学校や公式行事で遠くから見かけたことがあるだけだと答えた。
挨拶すら交わしたことはない。
結局、隻眼となった公爵が、色恋沙汰とは無縁の魔術師である代読係を気に入ったのだろうと結論付けた。
しかし特別扱いを受けるリュシカを、滞在中の令嬢達が黙って受け入れるわけがなかった。
「これは……嫌がらせかな?」
公爵家で過ごして3日。
朝に着替えようと衣装棚を開けると、洋服から異臭が漂った。
見ると棚の角に、身に覚えのない香水のビンが置かれている。
「くっっさ!」
持ち上げると蓋をしているにも関わらず、香水からは葉の根っこのような土臭さがした。
その匂いが服に移ってしまったようだ。
他に何かされてはいないかと部屋の中を確認する。
アクセサリーケースも触られた形跡があった。
しかしこちらは特に被害はなさそうだ。
普段から長い黒髪は無造作に流しており、作業用の紙留めくらいしか入っていない名ばかりのアクセサリーケース。
悪戯の仕様がなかったのだろう。
それよりも、先程から待てども部屋に食事が運ばれてくる気配がない。
今朝、担当メイドへ食事は部屋でするとたしかに伝えたはず。
「これも嫌がらせかな~。困ったな」
公爵と魔術談義で盛り上がった翌日から、リュシカは食堂に一度も行っていない。
何故ならあの日、リュシカは明らかに調子に乗っていた。
後からやり過ぎたと猛省したのだ。
翌日から、公爵に教えを請うのはやめて、執務室でも私語を慎み、代読係の仕事に徹した。
社交界での身の丈に合わない付き合いや振る舞いは、他からの攻撃や排除の対象となる。
ましてや自分は闇の魔術師で、それだけで差別の対象となるのにこれ以上嫌われるようなことは避けたい。
現在公爵家には、国王が送った高位貴族の花嫁候補が10名も滞在中である。
このようなかわいい嫌がらせで済んでいる内なら、まだ一人でも対処の仕様がある。
代読係も魔眼が見つかればお役御免となるのだから、公爵とは適切な距離を保ちつつ、美味しいご飯と厚待遇と高給を満喫しながら、慎ましく過ごそうと心に誓った。
「だけど食事が運ばれて来ないんじゃ話は変わる」
三度の飯が好きなのもあるが、代読中にお腹を鳴らすわけにもいかない。
「お昼からライリー様が食堂に来るわけもないし、行くか」
仕方ないと言わんばかりの言い訳をしながら、また出来立てのコース料理が食べられるとあって、足取りは弾んでいた。
ところが、食堂へ着くと先客がいた。
目の前には初日とは真逆の、賑やかで華やかな光景が広がっている。
リュシカの黒く質素な装いとは違い、色とりどりの装いで食事をする令嬢達。
椅子は全て埋まり、令嬢が一堂に会して食事を取っていた。
「……ごきげんよう」
挨拶をするが令嬢達はこちらに見向きもせず会話を続けている。
当然そこに、リュシカが座る席はなかった。
静かで居心地のよかった空間は、料理の香りも打ち消すほどの香水の匂いで充満し、高い声で賑やかな会話が溢れていた。
(ハァ……別のメイドに言って部屋に持ってきてもらおう)
食事を諦めて踵を返すと、背後からクスクスという笑い声が耳につく。
「なんだか臭くありません?」
「土の匂いかしら」
明らかにリュシカのことを指していた。
背中に投げられた言葉を無視して、リュシカは堂々とした足取りで食堂を後にした。
廊下に出ると、誰もいないことを確認して、思い切り息を吸い込んだ。
「こっっわ!」
吐き出す息と共に叫ぶ。
「誰のせいで土臭くなったと思ってるのよ」
初日のやり過ぎが令嬢達にも知られているようだ。
香水は警告に過ぎないだろう。
やはり公爵と仕事以外での接触を避けるべき、という考えが正しかったと確信する。
「リュシカ様!」
部屋へ戻ろうとするリュシカに、担当メイドが食堂から追いかけてきた。
そしてリュシカに頭を下げて謝罪した。
「私が確認を怠ったばかりに、申し訳ございません」
メイドの話では、リュシカの要望通り途中までは昼食を準備していたという。
そこに伯爵令嬢の侍女がやって来て、リュシカも食堂に誘ったから部屋に運ぶ必要はないと言われたそうだ。
「なるほどねー。そしたらもう一度部屋へ運び直してくれる? あと匂い消しも一緒にお願い。私すっごい臭いでしょ」
令嬢達には笑われたが、たしかにリュシカの服からは根っこのような土臭さが漂っていた。
「でしたら庭園でお食事をなさるのはどうでしょう。匂いは花の香りで中和されますし、天気もよく今なら四阿を一人占めできます」
「そっか。全員食堂にいるもんね。それじゃあお願いしようかな」
令嬢10人衆が食堂にいる間、リュシカはゆっくりと庭園を眺めながら、一人優雅に食事を取る……はずだった。
「ゴフッ!」
口に入れていたサンドイッチを吐き出しそうになる。
リュシカが昼食を取っている四阿に、突如として現れたのは、陽光に光り輝く公爵だった。
「か、かっふぁ?」
驚くリュシカを気にも止めず、長めのカーディガンを羽織ったラフな格好で、椅子を引いて当然のように座った。
(また……座った)
リュシカは丸テーブルに広げられた食事を引き寄せながら、「今避けますので」と立ち上がろうとしたが、止められた。
「そのままでいい」
公爵はリュシカに座るよう進め、あまつさえ自分もここで食事を取ると言い出した。
メイドが料理を2人分用意し、並べはじめるのを虚無の目で見る。
「食堂が混んでいた」
態度にも現れていたようだ。
公爵が四阿に来た理由を呟く。
「椅子がなかった」
「それは……」
(そうなんですけど、皆さん公爵に会えるかもと期待して食堂に来てるのであなたが諦めてこっちに来たら元も子もないんですよー)
心の中で突っ込んで令嬢達に少しの同情を送った。
そこから公爵は黙って食事をはじめたので、リュシカも口を閉じて食事をすることにした。
前にコーデリアがリュシカを褒めたように、外にいると公爵の七色の魔眼はより一層輝いて美しく見えた。
抜き取られた右目には紺に金糸の眼帯が付けられ、白金の髪で半分覆われている。
(それにしても……、ライリー様は自分の魔眼を探さないのかな)
バークレー領に来てから公爵は、一度も外へ出ていないし捜索を命じている気配もない。
噂で欲の薄い人だと聞いたことはあるが、それにしても体の一部が、魔法魔術師にとって命の次に大事な魔眼を失って、行方を気にしないことなんてあるのだろうか。
「何を見ている?」
考え事をしながら空を眺めていると、食事を終えた公爵が紅茶に口を運びながら訊ねた。
「守護壁が今日もきれいだなーと」
「夜になるともっときれいになるぞ」
「暗いのに?」
昼は明るいので守護壁の花模様が拝めるが、夜は暗くて星空しか見えないはずだ。
公爵は意味深に微笑むだけで、質問には答えてくれなかった。
「食べ終えたならこのまま執務室に行こう」
「あー、すみません。私は後から行きます」
誘いを断ると、公爵はカップをソーサーに置いていぶかしんだ顔を向けた。
「ちょっと諸事情がありまして、私今すごーく臭いんですよ。私が臭いんじゃなくて服ですよ? 服が根っこみたいに土臭いんです」
「土臭い……」
「ええ。今は外だからそこまで気にならないけど、執務室だとライリー様が大変なことになりますよ」
だから外で臭いを霧散し、庭園で花の香りを染み込ませてから伺うと丁寧に伝えた。
公爵は顎に手を添えて、深刻な表情で話を聞いていた。
「そうか……香りまで考えていなかった」
「……ん?」
「魔力循環の効力だけで香水としては失敗作だったな」
「んん?」
「世界樹の葉を使って香水にしてみたんだが、いまいちだったようだ」
「閣下の仕業!?」
衝撃の事実に思わず突っ込むと、公爵から冷たい視線を向けられた。
「リュシカ」
「あ、いやその、すみません。頂いたものを仕業だなんて失礼を言って良くないですね」
「ライリーだ」
「え?」
「閣下ではなく、ライリーだろう?」
「……ライリー様の仕業だったのですね~! このこの~!」
リュシカが言い直すと、公爵は満足そうに頷いた。
(何をしたいのかわからない……!)
人嫌いの癖に食事は一緒に取るし、突然香水は送りつけてくるしで、公爵の行動には謎が深まるばかりで悶々とするリュシカ。
その隣では公爵が、魔法を使ってリュシカの周りに花をポコポコと咲かせていた。
一方の食堂へ続くバルコニー。
そんな二人の旗から見たら仲睦まじい姿を、歯噛みして睨み付ける令嬢10人衆の姿があった。




