食堂
公爵家の食事は一言で表すなら最高であった。
食堂には長テーブルが置かれ、10脚の椅子が用意されていた。
がらんとしている食堂で、一人贅沢に当主席の隣である上座に座ってみる。
給仕に好みを聞かれたが、お任せすることにした。
すると突然の申し出にもかかわらず、コース料理でもてなしてくれたので驚きだ。
提供された料理はどれも豪華でおいしく、盛り付けまで完璧で大変満足のいく食事だった。
(これは大当たり! 食堂は誰も使わないっていうし、毎日来よ~っと!)
マナは清んで居心地がいいし、使用人はみな親切でマナーが行き届いている。
至福の時を堪能したリュシカ。
メイン料理を食べ終えようとした時、突然使用人達がざわりと声にならない動きで騒ぎ出した。
「?」
なんだろうかと、水ポットを持ったまま固まっている使用人の視線の先を辿った。
食堂の入り口には、利用しないと聞いたはずのウィストン公爵が立っていた。
「か、かっふぁ!?」
眉間に深い溝を作った公爵は、むせて咳き込むリュシカの隣に……座った。
「ゴホッす、すみません、今避けます」
(せめて真ん中に座っておけよ私!)
上座から席を移さねばと、皿を動かすが「そのままでいい」とぶっきらぼうな声でストップがかかる。
そうなると当主席に座った公爵と、隣合わせになってしまうのだが……。
「……」
「……」
案の定、なんともいえない沈黙が二人の間に流れた。
腕を組んで椅子にもたれる雇い主との食事は、圧迫感があり大変居心地が悪い。
そうこうしている間に、公爵の前にも料理が運ばれた。
公爵からナイフとフォークの音が優雅に鳴った。
リュシカも恐る恐る手を動かして、細かく刻んだお肉を口に運ぶ。
味はしなかった。
「部屋へは案内されたか?」
「……」
「君の口はお飾りか?」
ごくん、と刻んだお肉を飲み込む。
「……話してもいいんですか?」
「なに?」
「失礼かと思って」
「無視する方が失礼だろう」
(たしかに。それはそう)
しかし執事からは公爵に極力話しかけないよう忠告されていた。
加えて公爵は人付き合いを好まないと聞いていたので、食事中に会話を楽しむ姿を想像出来ない。
料理を運ぶ給仕も目を丸くしているので、客人ならば誰にでも話しかけているわけではないようだ。
(声か? そうか声が気に入ったって言ってたもんな)
フェチ人に対する耐性はコーデリアで出来ていたリュシカは、ありのままを受け入れて答えることにした。
「今西棟に部屋の準備をしてもらってます」
質問に答えたというのに、公爵は何も言わなかった。
それどころか一点を見つめる無言の圧力の後、突然立ち上がった。
怯えるリュシカと料理を放って、そのまま食堂から出て行ってしまう。
残されたリュシカは、自分が何かやらかしたのではと恐怖に震えた。
公爵は人嫌いと噂されるだけあって、近寄りがたい空気を纏っている。
いいや、それよりも気になることが目の前にある。
「ご飯を残すなよぉ……!」
まさか全部残す気だろうか?
リュシカは空間移動で父と兄に届けようかと本気で料理とにらめっこした。
「リュシカ様。デザートは如何なさいますか?」
「デザート!」
勿論食べますとお願いして、晩餐の〆を楽しみに待った。
「!?」
そこへ、公爵が再び食堂に舞い戻った。
公爵の再登場に食堂は一瞬にして緊張感で張り詰められた。
居住いを正したリュシカの横を通り、席に座り直すと食事を再開した。
(……なに。トイレだったのかな?)
何のために席を立ったのか知らないが、料理を家族に届けることが叶わずガックリと肩を落とした。
「すみません。頼んだデザートだけどキャンセルします」
デザートを諦めるのは悔しいが、明日も食べられると自分に言い聞かせた。
今は公爵の食事を邪魔しないよう、早めに席を立つことを優先するべきだろう。
「何故キャンセルする」
横でリュシカと給士とのやり取りを聞いていた公爵が、口を挟んだ。
「頼んだならここで食べればいい」
不穏な空気に、ゴクリ……と水が音を立てて喉を通っていった。
給士も一礼して厨房に逃げていく始末。
「不備があるのなら直接僕に言うんだ」
これもまた、聞いていた話と違った。
要望は執事か担当メイドに言えと念を押されている。
今度は下手なことを答えるのは避けて、作り笑顔とお辞儀だけに留めた。
いつの間にかテーブルにはデザートが置かれ、公爵の無言の圧力は有無を言わさず食べろと言っている。
デザートはアイスとケーキにフルーツと、一つのお皿に数種類が楽しめる贅沢なプレート仕様になっていた。
「……君は僕ではなく料理ばかり見ているな」
公爵の声も耳に届かず、見た目の美しさに食欲がそそられて口に運んだ。
「ーーっ!」
悶絶するほどの美味しさに、これまでの気遣いや緊張が全て吹き飛んだ。
(ふわぁぁぁぁ! エークセレンット!)
あまりの美味しさに肩の力がすっかり抜けて、至福の顔を晒す。
「フ……」
隣から軽快な吐息が聞こえてリュシカは固まった。
しまりのない顔を見られて恥ずかしいと思うのと同時に、公爵が笑ったことに驚いた。
(笑った? 今笑ったよね?)
顔を向けると、公爵は力が抜けたような柔らかい笑みを溢していた。
「!」
リュシカに見られたと気づいた瞬間、表情がぴたりと固まる。
ゆっくりと口元に手を当て、何事もなかったかのように視線を逸らした。
金の髪に透けた耳は赤くなっていた。
(これは……!)
公爵の瞳は先程まで柔らかい新緑のような緑色だったのに対し、今は麦畑のような金色に変わっている。
(お、おもしろ~!)
公爵の表情や瞳が変化する様に楽しみを見いだしたリュシカ。
他にはどんな表情や色が隠れているのか、全てコンプリートしたくてウズウズした。
「ゴホン。僕の片目になってくれる君に礼を尽くすのは当然のことだ」
「?」
「ここで過ごす間は、君に快適に過ごしてもらわないと困る。要望は極力聞き入れるので遠慮せずに言うんだ」
「あー、なるほど。わかりました」
不備があれば言えとはそういうことかと納得する。
人嫌いと聞いていたが、親切だし不器用なだけの気がしてきた。
「お気遣いありがとうございます。私の方こそ不備があればなんでも仰ってくださいね!」
「当たり前だ。私は君の雇い主だぞ?」
「……ですね」
親近感が沸いて調子に乗ったリュシカは、公爵に釘を刺されて遠い目をした。
「あ」
「?」
「さっそくありました、不備。日帰りだと思っていたので何も持ってきてないです」
着替えが必要なので一度家に戻りたい旨を伝え、部屋に空間移動の印を付けても構わないかと訊ねた。
人様の家に勝手に印をつけるのはスペンシア家のルールに反するからだ。
「そうだな。僕からもスペンシア子爵に挨拶しておこう」
「えー、そこまでしていただかなくてもいいですよぉ」
「そうか? では手紙で済ませよう」
そう言うと公爵は、おもむろに右手を浮かせて宙を切った。
指の動きで卓上の空間が突如として裂ける。
空間は縦の楕円形に割れ、その先には見慣れた子爵家の玄関が広がっていた。
「!?」
次に公爵は左手から鳥を錬成すると、空間の中に飛ばす。
裂け目は鳥を吸い込むと、何事もなかったかのように閉じられた。
「スペンシア子爵に滞在の準備と採用の知らせを送っておいた」
「今のどうやったんですか!?」
リュシカは興奮してテーブルに手をつき、椅子から立ち上がった。
「術式じゃなかったから魔法!? 魔法は術者なしの物だけでも移動可能なんですか!? いや聞いたことないし。それに物というかあれは何。魔力で造られた鳥!? 鳥を手紙代わりにーーああ、だから私の侍女解任から閣下の仕事斡旋の連絡まで特急便だったんですね! そもそも移動魔法や空間魔術は術者が一度訪れた場所にしか行けません。その場に印を残して術式に埋め込み発動するのがセオリーで、だから私、公領の近くの街に移動してから馬車で来たんです。あんな指でちゃちゃっと発動なんてできませんよ普通は! 閣下! どうやったんですか!?」
「…………」
「…………」
公爵の瞳は七色から氷のような冷たい青になり、眉を寄せてひそめた。
「………………スミマセン」
ゆっくりと着席する。
やってしまった。
特大のやらかしをしてしまった。
執事にあれほど話しかけるなと言われていたのに。
公爵が親切そうだったから。
いいや、そうだとしても初対面の雇い主に、膨大な質問を早口でぶちかましていいわけがなかった。
せっかく手にした厚待遇の仕事を、自ら終焉へと引き寄せた己の魔術愛を呪った。
「君をーー」
「ひぃ! 閣下すみません!」
「名前で呼んでもいいだろうか」
「どうか解雇だけはーー、……ん?」
「名前で呼んでもいいかと訊ねた」
(名前で呼んでも……?)
「は、はい?」
「リュシカ」
七色の瞳を真っ直ぐと向けて名前を呼ばれる。
リュシカは自分の顔が真っ赤に染まっていくのがわかった。
「待っ、さっきのは了承の『はい!』ではなく疑問の『はい?』です!」
唐突な名前呼びの提案に、訳がわからないというのに、公爵は更に無理難題を投げつけた。
「僕のことも閣下ではなく名前で呼ぶように」
突拍子もない命令で、逆に冷静さを取り戻すことができた。
(まず今の会話のどこに互いの呼び名を確認するきっかけがあったのか……)
「全くもってわからない……」
「僕の名前はライリー」
「知ってます」
「では名前を」
「それとこれとは話が別です。尊いお方を名前で呼ぶなんて私には出来ません」
「何故だ。名前で呼んでほしいのに」
「んん!」
先程から思っていたが、公爵の言葉遣いが所々可愛い。
8つも年上の大人の男性で不機嫌面なのに、一人称は僕だし、棘の中にも可愛さがあってたまらない。
人嫌いと聞いてこのギャップは萌え以外の何物でもなかった。
「いいですか。貴族間での敬称を付けない名前呼びは、社交界で親愛の証とみなされます」
「君は僕の代読係だから親しい関係だな」
「たぶん、違うと思います」
「……そうなのか?」
否定されて落ち込む公爵。
無垢なのか無知なのか女性関係に疎すぎて距離感がおかしいだけなのか、わからないが名前呼びをされてはリュシカにとって不利でしかない。
あちらが世界最強の魔法術師なのに対し、こちらは平凡な闇の魔術師。
あちらが王弟で公爵位なのに対し、こちらは貧乏子爵家の娘。
どう考えても名前で呼べば不敬に当たり、多方面から嫉妬と謂われのない非難が飛んでくるのは目に見えていた。
本人同士が良くても周囲が許さないのだと追加説明をする。
それでも公爵は納得しなかった。
眉間にシワを深く刻み、顎に手を添えて考えこんでいる。
「……ライリーと名前で呼んでくれたなら」
「まだ諦めてなかった」
「さっきの質問に全て答えてやろう」
「っおぁぁぁぁぁあ!?」
リュシカの前に究極の選択が置かれた。
食卓に頭を抱えて臥せる。
世界最強の魔法術師から直々に学ぶ機会など、普通に生活していたなら一生来ないだろう。
特に公爵は人嫌いとあって、教壇に立つことも弟子を取ることもこれまでに一度もなかった。
それが、まさか、名前を呼ぶだけで享受できるとはなんたる幸運。
魔術師にこの提案を跳ね返せる者がいるのなら教えてほしい。
「……二人きりの時だけもいいですか?」
「よかろう」
観念したリュシカを、腕組みをした公爵が満足気に見下ろした。
「リュシカ」
「……はい」
「リュシカ」
「はい? あ、もしかして呼ばれ待ち? 自分のことも呼べと?」
「うん」
「はいはい……ッイリー様」
「ハッキリと」
「ライリー様!」
自棄になって叫んだが、名前を呼ばれた公爵は、瞳を淡い赤色にして嬉しそうにはにかんだ。
その無邪気な姿を見ると、本人が喜んでいるのだから名前くらい呼んであげてもいいじゃないかという気持ちになった。
「ライリー様は魔法師でもありますけど先程は詠唱なしで術を発動させましたよね」
「切り替えが早いな。確かに僕はーー」
***
そんな公爵とリュシカが、食堂に会しているのを知らない執事。
彼は部屋の準備を終えると、待てどもリュシカが姿を表さないことを心配していた。
食堂まで迎えに来てみれば、驚愕の光景を目の当たりにして言葉を失った。
「それって体内のマナの動きとしてどういった回路を使ってらっしゃるんですか?」
「魔術の発動は主に魔眼の魔力を体内で錬成し、詠唱や陣によって定着させる。錬成する際に体内で同じように陣を組み立てて発動すれば可能だ」
「それは絶対簡単じゃないやつです」
なぜか食堂には公爵がおり、リュシカと立ったまま身振り手振りで何かを熱心にやり取りしている。
「リュシカもやってみるか?」
「出来るんですか!?」
「たぶん。コツさえ掴めば」
「やりたいです! ライリー様、教えてください!」
いつの間にか名前で呼びあっているしで、一体この短時間に何が起こったというのか。
「ギュッとウネウネさせてぐわーん…………シュッ! という感じだ」
「……まさかの感覚派。ライリー様、出来れば魔流の動きなど位置や加減などと共に詳しく正確に言葉で教えていただけますと幸いです」
「わかった。魔眼から体内錬成までは同じだ。その後に体内でめぐる魔流をウネウネと結び合わせてお腹の下辺りでぐわーと構成して少し感覚を開けたのちにショッと出す感じーー」
「惜しいっ! もう少し詳しくお願いします!」
「中々にむずかしいな……」
「お二人とも。応接室に移動されてはどうでしょう?」
それでも執事は平静を装って、貴族らしからぬ行動を取る二人に移動を促した。
「そうだな。リュシカ行こう」
「はーい。あ、ライリー様って人に教えるの初めてでしょう」
「……回答は避ける」
並んで歩く二人の後ろ姿を、万感の想いで見守る。
「リュシカ様には失礼のないよう、礼を尽くすように。それから滞在中の令嬢方の反応にも目を光らせておきなさい」
担当メイドにそう伝え、執事は応接室の扉をそっと閉めた。




