サロン
公爵の助言通り、スペンシア家に手紙を送ると、父からすぐに返事がきた。
手紙は公爵の厚意で魔法鳥を使わせてもらった。
子爵家をマークしていたのは、やはり魔捜だった。
一度でも帰っていたなら、また捕まっていたかもしれない。
そう思うと公爵に止められて良かったと思う。
父の手紙にも、犯人が捕まるまではバークレー領にいた方が安全だと書かれていた。
公爵との噂は公邸内だけで留まっているようで、王都で知る者はなく、もし広まったとしても子爵家への影響は考えなくていいとまで言われた。
公爵は宣言通り王太子にも手紙を送ったらしく、それは噂の件とは別で、王子自らが魔捜に圧力をかけてくださり、翌日には監視はなくなったそうだ。
更には、そんな心配事の全てが吹っ飛ぶ朗報が、手紙と共に舞い込んできた。
「ほんとに!?」
信じられない一文に何度も手紙を読み返した。
そこには父と兄の給金が上がり、臨時収入もあって借金返済の目処が立ったと書かれていた。
「ようやく貧乏暮らしから解放される!?」
喜びで踊りたくもなるというもの。
授業料の返済はまだのこってはいるが、これで直近の心配事は解消されたと胸を撫で下ろした。
そんな喜びに浸っていた矢先、新たな問題が舞い込んできた。
ついにリュシカは、令嬢10人衆から呼び出されたのであった。
庭園にあるサロンルームはガラスで出来ていて、外からも中の様子が見え、解放感があった。
招待を受けて急ぎデイドレスに着替えたが、準備不足は否めない。
華やかな装いのサロンの中で、一際地味な黒いドレスは浮いていた。
(時間があれば生花で着飾ることも出来たけど)
宝石なんて持ち合わせていないし、香水も買ったことがない。
夜会に参加する時はいつも自分で育てた生花で着飾ったのだ。
それでも、令嬢達の笑いのネタになるのは何度もパーティーで経験して知っていた。
後ろ楯も財産もない闇の魔術師は、非難の対象にしても構わないという認識なのだ。
案の定、招待客のリュシカがサロンに入ってきても、誰からも声はかからず、こちらから挨拶をしても返事はない。
椅子にかけてからも誰にも相手にされず、時間だけが過ぎていく。
そんな惨めな姿を楽しむことが、彼女達の目的なのだろう。
サロンには絶対的な身分差による上下関係が存在した。
(ガラス越しに見る守護壁もきれいだなー)
そんなことにも慣れっこのリュシカは、ぼんやりと空を見上げて時間が過ぎるのをただ待つことにしていた。
(ライリー様のせいで感覚がバグってたけど、本来の階級差はこれくらいが当たり前なのよね)
ある日の夜会で、壁の花となっていたリュシカに、声をかけてくれたのがコーデリアだった。
彼女は恍惚の表情を浮かべてリュシカの手を取った。
『あなたの瞳はまるで夜明け前の星のよう……あなたを私のものにしてもいいかしら』
まるでプロポーズのような誘いを思い出し、思わず笑ってしまった。
出会った頃はまだ学生だったので、コーデリアとはしばらく友人として会っていた。
コーデリアは子爵家が借金まみれだと知ると、協力したいと申し出てくれた。
しかしリュシカは彼女から無償で何かを貰うことを強く拒んだ。
それはリュシカもコーデリアが好きで、身分差はあっても心は対等でありたいと願ったから。
そんな小さな矜持を、コーデリアはいつだって尊重してくれた。
卒業後は厚待遇で侍女の一人として迎え入れてくれたし、学費が払えないと知ると呪術のバイトを紹介してくれた。
(あんな形で離れてしまって、心配してるだろうな……。無性にコーデリア様に会いたくなった)
この紅茶を飲み終えたなら席を立とう。
そして、コーデリアに手紙を書くのだ。
ところが、リュシカがティーカップを置くと、一人の令嬢から声をかけられた。
「リュシカさん、でしたっけ? こちらにはどういった理由で滞在されているのかしら?」
リーダー格の侯爵令嬢である。
彼女は扇子を広げて下座のリュシカを冷めた目で見下ろした。
(ようやく始まったか)
知らないはずはないのに、敢えてリュシカに説明させることで身の程を弁えさせたいのだろう。
「公爵閣下の代読係として雇われております」
「わたくし達は陛下から代読係の任を託されて来たのをご存じかしら」
「はい。ですが私と皆さんのお役目は同じではないかと」
てきぱきと大きな声で答える。
「ええ。あなたはただの代読係に過ぎないわ」
「全くもってその通りでございます」
この手の令嬢達の対応に慣れているリュシカは、とにかく彼女達の気分を逆撫でしないよう、相手が求める言葉だけを口にしていく。
「でもおかしいわね。リュシカさんはお仕事以外でも公爵閣下に付きまとっているそうじゃない」
「?」
「未婚の令嬢が殿方を追いかけ回すのははしたない行為だわ」
「……誤解されぬよう、今後は行動にも気を付けます」
言い返したかったが、反論したところで事態が好転するとも思えなかったので堪えることを選択した。
リュシカが従順で反応が薄いことから、興を削がれた令嬢達。
次の鬱憤晴らしは公爵家の使用人へと移った。
「女主人がいないというのも問題ね」
「こうも使用人の質が違うのかと驚きましたわ」
カップの置き方がずれているとか、お菓子の好みが合わないとか、テーブルクロスのセンスが悪いとか、庭園の花を摘んでこいなど、何かにつけては当たり散らして要求を突きつけている。
(日頃から我が物顔のような態度で過ごしているんでしょうね)
「あなた達、公爵閣下にサロンの開催は伝えたの?」
怯えながら「はい」と返事をするメイド。
「だったら何故公爵閣下はいらっしゃらないのかしら?」
「わ、わかりません……」
「わからないじゃなくてどうにかしなさいよ!」
腹いせに他家の使用人をいじめるとは、そっちの方が『はしたない』のではないか。
あまりにも目に余るので、魔術で少し脅してやろうかと、テーブルの下で両手を擦り合わせた。
「私達は今日も見えない壁に弾かれたのよ!」
「ブッ!?」
衝撃の話にリュシカは吹き出してしまった。
(ま、まさかライリー様、令嬢に防壁を施した!?)
近づいては次々と弾かれていく令嬢の姿を想像して、思わず笑ってしまった。
「あなた……今わたくし達を笑ったの?」
「あ」
まずい、と思った時には遅かった。
令嬢は扇子を下ろし、椅子から勢い良く立ち上がると、真っ赤な顔でリュシカの方にやって来た。
「も、申し訳ございません」
「顔を上げなさい」
リュシカが恐る恐る顔を上げると、令嬢は閉じた扇子を振り上げた。
「子爵家ごときが!」
パシン!
振り上げた扇子は見事リュシカの頬に命中した。
メイド達は息を飲み、サロンの空気が凍り付く。
じんじんと痛む頬を擦る。
令嬢が立ち上がった時に、魔術を使えば空間移動も動きを止めることも出来たが、敢えてしなかった。
わざと攻撃を受け止めたのは、これで令嬢達の気が済めば安いものだと思ったからだ。
それなのに、ここで更に事態を悪化させる人物が登場した。
「こ、公爵閣下!?」
(え!?)
リュシカも驚いて顔を上げる。
公爵が庭園に続くサロンの扉から七色の瞳でこちらを見下ろしていた。
「なんてこと! みなさん、公爵閣下がいらっしゃいました……わ……」
その冷たい視線と沈黙に、令嬢達が歓喜から覚めていくのがわかった。
皆が公爵の視線の先であるリュシカを振り返った。
そして、彼女の頬が誤魔化すことも出来ないほど真っ赤に晴れ上がっているのを見て、全員が顔を青ざめた。
まさか本当に公爵が現れるとは思っていなかったのだろう。
令嬢達はまずいところを見られたと俯いている。
「お誘いしても一度もいらっしゃらなかったのに……」
「やはりあの子を……」
暴力や虐めを謝るどころか、色恋の心配ばかりする令嬢達。
公爵の空気が張りつめていくのを、唯一顔を上げていたリュシカだけが気づいていた。
誰一人声を出せず、沈黙が長く感じる。
公爵は一度目を閉じて、再び開けた時には七色の魔眼が金色に輝いていた。
そして右手をゆっくり上げると、人差し指をこちらへとむけた。
(ライリー様それはまずいってーー!)
リュシカは咄嗟に手をかざし、令嬢達を守ろうと魔力を錬成した。
闇の魔術師には攻撃魔法や防御魔法は存在しない。
あるのは相手の魔法を破壊して無力化するのみ。
果たしてリュシカに公爵の魔法を分解することは出来るのかーー?
(いや、やるしかない!)
腹を括る。敵うはずもないのに。
身構えるリュシカだったが、公爵は一度人差し指を指揮者のように、軽くツイッと動かしただけだった。
手の動きと共に視線を流しただけで、そのまま踵を返す。
そうして公爵は、何事もなかったかのように立ち去っていった。
リュシカのズキズキと脈打っていた頬は、嘘みたいに痛みが消えていた。
(もしかして……怪我を治して?)
公爵が光魔法で癒してくれたのだと知る。
公爵が攻撃魔法を繰り出し、令嬢達を害すかもと、少しでも疑った自分がひどく情けなく、申し訳なかった。
「フゥー……」
サロンの中は先程までの騒ぎが嘘のように静かになっていた。
「……」
後で公爵にお礼と謝罪をしよう。
(その前にこの人達をなんとかしよう)
リュシカはこれを好機と見て勢いよく立ち上がった。
「みなさんご覧になりましたでしょう!」
そうして仰々しく叫んだのである。
全員が一斉に顔を上げてリュシカを見た。
「閣下は私に見向きもしませんでしたね!? みなさんのことも咎めずに立ち去りました!」
公爵の癒し魔法は、令嬢達には見えていないのだ。
だから彼女達にはリュシカが頬をぶたれても興味なく立ち去ったように見えただろう。
令嬢達の顔から活気が甦る。
リュシカの言葉に目を輝かせて耳を傾けていた。
「これで閣下と私が雇用の関係でしかないと、わかりましたね!?」
力強く訊ねるリュシカに、令嬢達が「はい!」と元気良く返事をしたのであった。




