魔力酔い
サロンで令嬢10人衆の誤解を解いたあと、リュシカは普段着に着替えて午後の仕事へと向かった。
ところが途中で執事に呼び止められ、今日の代読は中止だと告げられた。
「閣下に何かあったのですか?」
「心配には及びません。閣下は仕事で王都へ向かわれました。お忙しい方なのでこのように予定外の外出は今後もあるかと」
「そうですか……」
(怪我を直してくれたお礼と、誤解したことを謝りたかったんだけどな……)
公爵の用事が捜査の進展であればいいなと、リュシカは思い直して部屋へと戻った。
その夜、公爵邸に膨大な魔力が渦巻いた。
翌朝、執事がリュシカの部屋を訪ねた。
「リュシカ様、本日の代読ですがーー」
「分かって……ます。中止ですよね」
公爵邸には昨夜から、全ての属性の魔力が縦横無尽に暴れまわり、ぶつかり合っては反発し合い、至るところで歪みが生じていた。
(こんな規格外の魔力はライリー様に他ならない)
「昨夜から閣下は研究室に籠られてーーリュシカ様? 顔色が悪いようですが大丈夫ですか?」
リュシカは昨夜から公爵の膨大な魔力に当てられて、魔力酔いを起こしていた。
執事に医者を呼ぼうかと提案されたが断った。
医者に診てもらったところで治るものではなかった。
「酷くなるようなら遠慮せず声をかけてください」
「ありがとうございます」
部屋で休んでいると伝え、扉を閉じる。
ズキズキと魔眼が傷み、手で押さえながらベッドへと倒れこむ。
このまま魔力酔いがひどくなるなら、魔力の濃い公爵邸から一度離れた方がよさそうだ。
(だけど魔眼がすごく反応してる……今術を使うのは危険だ)
公爵の魔力が充満する中で、リュシカが空間移動で魔力を使っても相殺され、最悪亜空間に閉じ込められる可能性もある。
公爵の研究がいつまで続くかわからない。
もしかしたら魔眼に関わることかもしれないので邪魔はしたくない。
そうなると自らの足でここから避難するしかないのだが、立ちくらみで歩くこともままならず、魔眼は痛みを増す一方だ。
公爵は研究室で、何かとてつもないことをしようとしていた。
12年前、公爵が14歳の時に守護壁で王国全域を覆った。
その時も多くの魔術師が魔力酔いを起こしたそうだが、リュシカは6歳と幼く覚えてはいない。
(痛いし吐きそうなのに眠い。あ……)
リュシカはふと既視感を覚えた。
12年前のことは覚えていないのに、数ヶ月前、子爵家の屋敷で今と似た状態に陥り、意識を失ったことがあった。
(そうだ。私、この感覚を覚えている。魔力に充てられて意識を失った。あれはーー)
コーデリアから呪術の依頼を受けて、4人目の男子学生を再起不能にした翌日。
その時はすぐに意識を取り戻したので、呪術の使いすぎによる魔貧血を起こしたのだと思った。
(違う。それだけじゃない)
なぜ記憶が朧気なのだろうか?
たしかにリュシカは、コーデリアに話して聞かせたはずだ。
『リュシカの花婿?』
『はい。私、借金を返すために金持ちと結婚しようと考えたんです。父が相手を探してくれて、婚約式の準備もして』
『待って。結婚するなんて初耳よ』
『いえ、しません。私の妄想でした』
『どういうこと?』
『婚約式のドレスを自分で用意したんですけど、いざ教会に行こうとしたら、私以外誰も準備をしてなくて。結婚なんて聞いてないぞと、皆が口を揃えて言うんですよ』
『それは……怖い話かしら?』
『いいえ。私が現実逃避で想像の花婿を作り上げたという話です』
『怖い話だわ……』
コーデリアは可笑しな話と受け取ってくれたし、家族からも借金のことで疲れていたのだと言われ、リュシカもそう思い込もうとした。
だが、公爵の魔力酔いで、似た経験をしたことがあると体が覚えている。
あれは婚約式が始まる数時間前。
守護壁を見上げて佇む彼の姿は、まるで最初からそこにいなかったかのように、記憶の中で歪んでいる。
彼は子爵家の庭で倒れていた。
それを私は確かにこの目で見たのだ。
けれど数分後に残されていたのは、石畳に乾きかけた血のみ。
あれは私が作り上げた夢だったのか、それとも現実に起きた出来事だったのか。
私の花婿は、私以外の人々の記憶から消えていたーー。




