第09話 違和感
「致命傷は背後から。これは仲間の距離だ」
――調査士エイルの所見
違和感の正体を突き止めなければならない。
手帳を開き直した。
記録した事実を読み返す。
五体の遺体。
複数のトラップが同時に発動した痕跡。
モンスターの不在。
短い刃物。
シオンの手記。
事実は並んでいる。
だが、繋がらない。
何かを見落としている。
「ゼノ、遺体をもう少し詳しく調べさせてください」
「触れるな。目視だけだ」
ゼノの判断は即座だった。
このフロアの異常を考えれば、当然の指示だ。
頷いた。
まず、四人の遺体をもう一度確認する。
騎士、斥候、魔術師、薬師。
先ほどは身元の照合が目的だった。
今度は、外傷を一人ずつ詳しく記録していく。
「ノア、一緒に見てもらえますか。外傷の見解が欲しい」
「わかりました」
ノアが頷き、私の隣に並んだ。
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騎士の遺体。
天井の崩落に巻き込まれていた。
重い石材が鎧ごと身体を押し潰している。
右手の片手剣は握ったままだ。
最後まで武器を手放さなかった。
ノアが遺体の周囲をゆっくりと歩き、角度を変えて観察した。
「死因は石材による圧死です。鎧が潰れているので、ほぼ即死であったと思います」
カイが天井を見上げ、崩落跡と遺体の位置を見比べた。
「落石装置の真下だな。これが作動して落ちてきたんだろう」
逃げる間もなかったのか、あるいは誰かを庇おうとしたのか。
シオンの手記に書かれていた言葉を思い出した。
騎士は盾を新調した日のことが書かれていた。
シオンの幼馴染。
常に前に立つ者。
その最期が、天井に押し潰されるものだったのか。
斥候の遺体。
壁際に倒れていた。
壁の矢射出穴の直線上に位置している。
身体に複数の穴が空いていた。
「死因は多数の矢による全身の刺創です。複数の方向から受けている。避けようとした形跡がありますが……」
カイが壁の穴を確認した。
射出穴は左右両方の壁に広範囲に開いている。
「両方から同時にこのレベルの面攻撃では、どうしようもないな」
斥候は罠の専門家だったはずだ。
シオンの報告書にも「罠を見落としたことがない」と記されていた。
その斥候が、罠で死んでいる。
避けられなかったのではなく、避ける余裕がなかったのだ。
魔術師。
床が陥没した場所の近くで倒れていた。
焼け焦げた跡が周囲に広がっている。
杖を構えた姿勢のまま横たわっていた。
「防壁を張ろうとした痕跡がありますね。死因は焼死です」
カイが床の陥没を覗き込んだ。
「床に仕掛けがある。発火式のトラップだ。これが吹き上がったんだろう」
魔術師の防壁をもってしても間に合わないほどの速度で、トラップが発動したということだ。
薬師。
壁際に倒れていた。
周囲に治療道具が広く散乱している。
腰の薬袋は開いたままで、手が薬袋のほうに伸びている。
「死因は強打による撲死です。背中側に強い衝撃を受けた痕跡がある。壁に叩きつけられたのでしょう」
カイが薬師の遺体と壁の間を見た。
「壁にひびが入ってる。相当な勢いでぶつかったんだな。トラップの衝撃で弾き飛ばされたか」
弾き飛ばされた衝撃で薬袋の中身が飛び散った。
治療道具が広く散乱していた理由がわかった。
ノアが薬師の遺体の周囲に散乱する治療道具をもう一度見つめた。
その目には、先ほどと同じ敬意があった。
最期の瞬間まで、薬師は治療者であろうとしたのだ。
四人の外傷を並べた。
圧死、刺創死、焼死、撲死。
すべて、このフロアのトラップが発動した結果と一致する。
手帳に記録した。
『騎士——天井崩落による圧死。斥候——多数の矢による刺創死。魔術師——発火式トラップによる焼死。薬師——トラップの衝撃で壁に強打、撲死。四名とも、フロア内のトラップによる死亡と推定される。各遺体の位置はトラップの配置と一致しており、複数のトラップが同時に発動した際に巻き込まれたものと見られる』
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そして——シオンの遺体に向き合った。
他の四人からやや離れた位置。
うつ伏せに倒れている。
手元に剣が落ちていたが、握ってはいなかった。
目視で全身を確認した。
圧迫の痕跡はない。
矢も刺さっていない。
火傷もない。
打撲の形跡もない。
これだけのトラップが同時に発動したフロアで、シオンだけがトラップのダメージを一切受けていなかった。
背中が見えた。
防具の上から、背中の左側に小さな穴が一つ開いていた。
(……何だ、これは)
目を凝らした。
穴は一つだけだ。
矢の穴とは違う。
もっと小さく、もっと正確な位置に開いている。
トラップの痕跡ではない。
落石でも、矢でも、焼け焦げでもない。
鋭利な刃物で、一突き。
背中の左側を深く貫いている。
「ノア」
声をかけた。
ノアが近づき、私の視線を追った。
シオンの背中の穴に目が止まる。
ノアの表情が変わった。
穏やかさが消え、専門家の目になっていた。
「……見せて」
ノアがしゃがみ込み、シオンの背中を注視した。
穴の位置、角度、大きさ。
触れずに、目だけで読み取っている。
長い沈黙が落ちた。
やがてノアが立ち上がった。
その顔は青白かった。
「エイルさん。これはトラップの傷じゃありません」
「……わかっています」
「刃物による一突き。背中の左側を深く貫いています。トラップでこの傷はつきません」
ノアの声は低く、抑えられていた。
だが、震えてはいなかった。
治療師としての冷静さが、感情を押し留めている。
全員が黙った。
ノアの言葉が、静寂のフロアに沈んでいった。
ゼノが前に出た。
シオンの背中の穴を確認し、それから私を見た。
「エイル。他の四人の傷と比較しろ」
「すでに確認しました。四人の死因はすべてトラップと一致します。落石、矢、発火、衝撃。しかしシオンの傷だけが異質です。背後からの一突き。トラップではできない傷です」
手帳に記録した。
手が震えないよう、意識して文字を刻んだ。
『シオンの遺体に、他の四名とは異なる外傷を確認。背部左側に刃物による一突き。深い貫通傷。トラップによる損傷とは明確に異なる。人為的な攻撃と推定される。なお、シオンの遺体は他の四名からやや離れた位置にある』
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記録を書き終えて、手帳から目を上げた。
違和感の正体が、ようやく形を持ち始めていた。
四人の死因はトラップだ。
複数のトラップが同時に発動し、全員を巻き込んだ。
それは先ほど確認した事実と一致する。
しかし、シオンだけが違う。
シオンの致命傷は、背後からの一突き。
トラップでもモンスターでもなく、刃物による一撃。
二つの事実を並べた。
四人はトラップで死んだ。
シオンは刃物で殺された。
同じフロアで、同じ時間帯に、異なる死因。
(……背後から)
背後。
それはつまり、シオンの後ろに立てる位置にいた者だ。
背後から。
至近距離からの、正確な一突き。
モンスターの攻撃ではこうはならない。
爪や牙ではなく、刃物だ。
しかも背後から、急所を狙って一撃。
これは無差別な攻撃ではない。
シオンの背後に立ち、この距離から刃物を突き立てた者——それは、仲間しかいない。
カイが小さく息を呑んだ。
同じことに気づいたのだろう。
斥候の目が、私と同じ結論に辿り着いていた。
ゼノの顔は動かなかった。
だが、目が鋭くなっていた。
何かを考え込んでいる。
マルクが両手剣の柄を握り直した。
無意識の動作だった。
リアは壁に手を当てたまま、目を伏せていた。
ノアは無言で立っていた。
先ほどの鑑定の後から、ずっと表情が硬い。
誰も、口にしなかった。
だが全員が同じことを考えていた。
静寂のフロアの沈黙が、これまで以上に重くのしかかっていた。
(……致命傷は背後から。これは、仲間の距離だ)




