表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
沈黙の迷宮 ― 王族失踪事件  作者: 智信
第一部

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/32

第10話 暴走

「このフロアの罠は、まだ怒りを忘れていない」

――トラップ暴走の記録

 誰もが沈黙したまま、しばらくの時間が過ぎた。

 シオンは仲間に殺された。

 その結論が、この静寂のフロアに重く沈んでいた。

 やがてゼノが口を開いた。


「……シオンの遺体を詳しく調べる必要があるな。傷の状態を正確に確認したい。俺がシオンの遺体を持ち上げる。エイル、ノア、近づけ」


 ゼノがシオンの遺体に歩み寄った。

 片膝をつき、手を伸ばす。

 背中の傷をより正確に確認するため、遺体の肩に触れようとした。

 その手が、遺体に触れようとした、まさにその瞬間だった。


 フロアが震えた。


---


「全員退避!」


 カイが叫んだ。


 天井の落石装置が作動した。

 石が降ってくる。

 壁の矢射出穴から矢が飛び出す。

 床が陥没し、裂け目から炎が噴き上がる。

 すべてが、同時だった。

 あの静寂のフロアが、一瞬で地獄に変わった。

 音のなかった空間を、轟音が埋め尽くしている。

 石が砕ける音、矢が空を切る音、炎が吹き上がる音。

 静寂が嘘だったかのように、フロアが叫んでいた。


「エイル! こっちだ!」


 カイが私の腕を掴んだ。

 ノアの手も引き、フロアの端へ走る。

 壁際の窪み——トラップの射線から外れた死角だ。

 カイが瞬時に安全な位置を見抜いていた。

 斥候の目が、この混乱の中でも機能している。

 頭上を矢が飛んでいく。

 風を切る音が耳元を掠めた。

 壁に当たって砕ける乾いた音が、連続して響いた。

 振り返ると、先ほどまで立っていた場所の床が陥没し、裂け目から炎が噴き出している。

 あと一歩遅れていたら、私はあの中にいた。

 リアが両手を広げた。

 光の膜がチームを覆う。

 防壁だ。

 矢が防壁に弾かれ、火花が散った。

 石の破片が光の膜の上を滑り落ちる。


「……持たせます!」


 リアの声が震えていた。

 だが、防壁は崩れない。

 歯を食いしばり、両手を前に突き出したまま維持している。

 ゼノとマルクが防壁の外で石と矢を弾き続けている。

 二人の連携は乱れなかった。

 ゼノが盾で矢の雨を受け、マルクが落石を両手剣で叩く。

 だが攻撃が止まない。

 次から次へと、フロア全体のトラップが発動し続けている。

 壁の射出穴から矢が途切れなく飛び、天井からは石が落ち、床の裂け目から炎が吹き上がり、熱風がフロアを満たしていく。

 呼吸するたびに熱気が肺を焼いた。

 先ほど調べた四人の遺体の死因が、頭の中をよぎった。

 圧死。

 刺創死。

 焼死。

 落石と矢と炎——三人の死因と同じトラップが、今まさに発動している。


(……これが、あの時と同じ——)


 「黄昏の灯火」を殺したのは、これだ。この暴走だ。複数のトラップが同時に発動し、逃げ場を奪い、全員を巻き込んだ。四人の死因が全て違ったのは、それぞれ別のトラップに捕まったからだ。

 あの時も今も、同じことが起きている。


 床の炎が一際大きく吹き上がった。

 熱風が顔を焼く。

 カイが私とノアを壁際に押し込み、自分の身体で覆った。


「頭を下げてろ!」


 天井から大きな石材が落ちてきた。

 マルクが踏み込み、両手剣の腹で受け止めた。

 足元の石畳が砕ける。

 腕の筋が浮き上がり、歯を食いしばる音が聞こえた。


「ゼノ! 長くは持たないぞ!」


「わかっている!」


 ゼノがフロアの出入口を確認した。

 来た道は——まだ塞がれていない。


「撤退する! リア、防壁を維持しろ! カイ、エイルとノアを連れて先に行け! マルク、俺と殿だ!」


 カイが私の腕を引いた。

 走った。

 足元が揺れている。

 壁から矢が飛んでくる。

 リアの防壁が矢を弾き、カイが炎の裂け目を避けてルートを選んだ。

 走りながらも足元と壁を確認している。

 斥候が全力で道を切り拓いていた。

 ノアが私の手を握っていた。

 走りながらも、私の足がもつれないよう支えている。

 出口が見えた。

 カイが先に飛び出し、通路の安全を確認してから私とノアを押し出した。

 フロアの境界を越えた瞬間、矢は追ってこなくなった。

 炎が遠ざかる。

 通路の空気が、フロアの中とはまるで違った。

 振り返った。

 マルクとゼノがフロアの中で石を弾きながら後退していた。

 リアが防壁を維持したまま、三人が出口に向かってくる。

 リアの顔が歪んでいた。

 防壁を保つ腕が小刻みに震えている。

 リアが最初にフロアから飛び出してきた。

 ゼノが続き、最後にマルクが出た。

 全員の脱出を確認して、リアは防壁を解いた。

 その瞬間、リアの膝が折れた。

 限界だったのだ。

 マルクが咄嗟に腕を掴み、支えた。

 フロアの中では、まだトラップが発動し続けていた。

 矢が壁に刺さり、石が落ち、炎が噴き上がっている。

 誰もいないフロアで、罠だけが暴れ続けている。

 止まる気配がなかった。


---


 全員が通路に倒れ込んだ。

 荒い呼吸が通路に反響した。

 マルクが壁にもたれ、額の汗を拭った。

 ゼノが盾を降ろし、深く息を吐いた。

 カイが座り込み、天井を見上げている。

 リアは壁にもたれたまま、顔が青白い。

 防壁の維持に相当な魔力を消耗したのだろう。

 ノアが即座に動いた。

 マルクの腕を確認し、ゼノの手を見る。


「マルクさん、右腕に擦り傷。ゼノさん、左手に軽い打撲。リアさんは……」


「……大丈夫です。魔力を使いすぎただけ」


 ノアがリアに水筒を渡した。

 それから全員の顔色を確認し、重傷者がいないことを確かめて、小さく息をついた。

 私は壁に背をつけたまま座り込んでいた。

 膝が震えている。

 心臓がまだ早い。

 手のひらが汗で濡れていた。

 頬にまだ熱気の名残を感じる。

 通路の石畳の冷たさだけが、少しだけ体温を下げてくれた。

 あの暴走の中にいたのは、ほんの数分だったはずだ。

 だが、その数分の間に見たものが頭から離れなかった。

 落石。

 矢。

 炎。

 あの中に取り残されていたら——「黄昏の灯火」と同じ結末を迎えていた。

 そうならなかったのは、カイが暴走の兆候にいち早く気づき、安全な位置を見抜いて私たちを導き続けてくれたからだ。

 紙一重だった。

 深呼吸を何度か繰り返した。

 手帳を開いた。

 手が震えていた。

 今度は抑えられなかった。

 震える字のまま、記録した。


『シオンの遺体に触れようとした瞬間、フロア全体のトラップが一斉に暴走。落石、矢、発火、床の陥没が同時に発動。遺体を目視で調べていた間は何も起きなかった。発動したトラップは「黄昏の灯火」四名のうち三名の死因と同じパターン。チーム全員で撤退。負傷は軽微』


 記録を書きながら、考えていた。

 遺体を見ているだけでは、何も起きなかった。

 このフロアに踏み込んでからここまで、静寂は保たれていた。

 遺体の周囲を歩き、目視で調べ、記録を取った。

 その間、トラップは沈黙していた。

 しかし、シオンの遺体に触れようとした瞬間、すべてが暴走した。

 これは偶然ではない。

 単なる誤作動でもない。

 先ほどまで疑念だったものが、確信に変わった。

 複数のトラップが同時に発動することは、ダンジョンの通常の機構では起こり得ない。

 これには明確な意思がある。

 シオンの遺体に触れることを、許さない何かが。


(……このフロアの罠は、まだ怒りを忘れていない)


 「黄昏の灯火」を殺した暴走と、今自分たちが体験した暴走。同じ力が動いている。あの時の怒りが、まだここに残っている。時が経っても消えない、激しい怒りだ。

 ゼノがゆっくりと立ち上がった。

 通路の奥——まだトラップが暴れているフロアを見据えた。


「……あのフロアには、何かがいる。シオンの遺体を守っている」


 守っている。

 ゼノもそう感じたのだ。

 あの暴走は敵意ではない。

 シオンの遺体に触れられることへの、激しい拒絶だ。

 リアが通路の壁に手を当てたまま、小さく言った。


「……怒っている。このダンジョンの奥にいる何かが」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ