第11話 仮説
しばらくして、フロアの中の轟音が止んだ。
矢が壁に刺さる音が消え、石が落ちる音が途絶え、炎が鎮まった。
静寂が戻ってきた。
あの暴走が嘘だったかのように、フロアは再び沈黙している。
しかし、誰も動かなかった。
静寂が戻ったからといって、安全だとは限らない。
「……止まったか」
ゼノが低く呟いた。
フロアの入口を見据えたまま、盾を下ろさない。
「カイ、中を確認できるか」
「やってみる」
カイが壁に沿って入口に近づいた。
身を低くし、フロアの中を覗き込む。
しばらくの沈黙の後、振り返った。
「……止まってる。トラップは全部沈黙してる。壁に矢が刺さったまま、石も散乱してる」
ゼノが頷いた。
だが、フロアに戻る指示は出さなかった。
リアはまだ壁にもたれたまま顔色が悪い。
ノアがリアのそばに座り、様子を見ている。
「今は入らない。まず、情報を整理する」
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私は手帳を開いた。
記録を最初から読み返し、事実だけを抜き出した。
「整理します。確認した事実を順に並べます」
全員が私を見た。
「静寂のフロアで五体の遺体を発見。『黄昏の灯火』の全員です。四人の死因はそれぞれ異なります。騎士は落石による圧死、斥候は矢による刺創死、魔術師は発火式トラップによる焼死、薬師はトラップの衝撃で壁に撲死。四人とも、フロア内のトラップによる死亡です」
手帳のページを繰った。
「しかしシオンだけが違います。シオンの遺体にはトラップによる損傷が一切ない。致命傷は背中の左側、刃物による一突き。深い貫通傷です。モンスターの爪や牙ではなく、刃物です。背後から、至近距離で。シオンの背後に立ち、この距離から刃物を突き立てたもの、それは——仲間だけです」
沈黙が落ちた。
改めて言葉にすると、その重さが通路の空気を変えた。
「現場の遺留品として、残骸に紛れて短い刃物が一本。鞘なし、刃は薄く短い。戦闘用の武器ではありません。シオンの手記も発見しています。王位継承権を本人が認知していたことが記されていました」
一つ呼吸を整えた。
「そして先ほどのトラップの暴走です。シオンの遺体に触れようとした瞬間、フロア全体のトラップが一斉に発動しました。目視で調べていた間は何も起きなかった。落石、矢、発火——発動したトラップは、四人のうち三人の死因と同じパターンです」
手帳を閉じた。
これが、私たちが持っているすべてだ。
しばらく、誰も口を開かなかった。
事実を並べてみると、わかっていることよりも、わからないことの方がはるかに多い。
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最初に口を開いたのは、カイだった。
「トラップの発動が妙だ」
壁にもたれたまま、腕を組んでいる。
「通常のトラップなら、特定の動作に反応して一つが発動する。圧力板を踏めば矢が飛ぶ、石に触れれば天井が落ちる。一対一だ。だがさっきのは違う。フロア全体が同時に動いた。しかも遺体に触れようとしただけで。あれは暴発じゃない。通常の発動でもない」
「トラップを操っている何かがいる、ということか」
ゼノが確認するように言った。
「少なくとも、俺にはそう見える。普通のダンジョンの機構じゃ、ああはならない」
カイの分析は、私が手帳に記録した推察と一致していた。
斥候として数多くのダンジョンを歩いてきたカイが言うのだ。
あのトラップの挙動は、通常ではあり得ない。
ノアが静かに口を開いた。
「一つ、気になっていることがあります」
全員がノアを見た。
「薬師の遺体を調べた時、腰の薬袋が開いたままでした。弾き飛ばされた衝撃で中身が散乱したのは確認しましたが——薬袋が開いていたということは、トラップが発動する前から薬袋を使っていたということです」
カイが眉を上げた。
「薬袋が開いてた、か。確かに、探索中に開けっぱなしにはしないよな」
「はい。中身がこぼれないよう、使う時だけ開けるのが基本です。開いていたということは、実際に使おうとしていた」
「……治療の最中だった?」
ゼノが言った。
「はい。薬師は誰かを治療しようとしていた。あるいは治療の途中だった。その最中にトラップが暴走して、巻き込まれたのだと思います」
治療の最中。
薬師は戦闘態勢ではなく、誰かの手当てをしていた。
トラップの暴走が来ることを予期していなかった。
(……誰を治療していたのか)
その疑問が浮かんだが、今の情報では答えが出ない。
手帳に記録した。
『薬師は治療行為の最中にトラップの暴走に巻き込まれた可能性が高い。薬袋が開いた状態であったことが根拠。治療対象は不明』
リアが壁に手を当てたまま、目を閉じていた。
やがて、ゆっくりと目を開いた。
「……怒りの方向がわかりました」
「方向?」
「下からです。このフロアの下——もっと深い場所から来ています。怒りの発生源は、このフロアにいるのではない。ダンジョンのもっと奥にいる何かが、ここまで力を及ぼしている」
下から。
トラップを操っている何かは、もっと深い場所にいる。
離れた場所からフロアの機構を動かしている。
「黄昏の灯火」の地図を思い出した。あの地図には中層までしか記されていなかった。その先——下層に何があるのか。地図に描かれていない場所に、何かがいる。
手帳に記録した。
『リアの探知により、怒りの発生源はこのフロアの下層と判明。トラップを操作している存在は、離れた場所からフロアに影響を及ぼしていると推定』
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全員の報告が出揃った。
ゼノが壁から背を離し、立ち上がった。
「整理する」
ゼノの声は低く、静かだった。
「シオンは仲間の誰かに殺された。背後からの一突きだ。他の四人とは違い、トラップではなく人の手で殺されている。その直後、このフロアのトラップが一斉に暴走した。暴走に巻き込まれて、犯人を含む四人全員が死んだ」
ゼノが一度、言葉を切った。
「トラップの暴走は、ダンジョンの深い場所にいる何かの意思によるものだ。そいつはシオンの死に反応して暴走を起こした。そして今もシオンの遺体に触れることを許さない」
仮説だ。
だが、これまでに確認した事実と矛盾しない。
私が手帳に記録してきた全ての事実と、整合する。
シオンだけがトラップの損傷を受けていなかった理由も説明できる。
シオンは暴走の前に、すでに死んでいたのだ。
四人がそれぞれ別のトラップで死んだ理由も説明できる。
暴走の中で逃げようとして、それぞれが別のトラップに捕まった。
犯人も逃げられなかった。
自分が引き起こしたわけではない暴走に巻き込まれて、死んだ。
シオンを殺した者も、あの四体の中にいる。
犯人は自分の行為の直後に、自分の命も失ったということだ。
「だが、わからないことが二つある」
ゼノが指を立てた。
「一つ。誰がシオンを殺したのか。犯人の特定ができていない」
二本目の指が立った。
「二つ。なぜシオンを殺したのか。動機が不明だ」
カイが天井を見上げたまま言った。
「……短い刃物が現場に落ちてた。あれが凶器かもしれないが、誰のものかはまだわからないな」
ゼノが全員を見渡した。
「拠点まで戻るぞ。今日はここまでだ。戻ってから、もう一度あのフロアにどう入るか考える」
全員が立ち上がった。
私はフロアの入口に目を向けた。
静寂が戻ったフロアの中に、五体の遺体がある。
シオンと、シオンを殺した誰かと、暴走に巻き込まれた三人。
答えはまだ、あの沈黙のフロアの中だ。
手帳を胸元にしまった。
誰が殺したのか。
なぜ殺したのか。
もう一度、あのフロアに戻らなければならない。
だが無策では戻れない。
同じ暴走に巻き込まれれば、今度こそ「黄昏の灯火」と同じ結末を迎える。
ゼノが先頭に立った。
拠点に向かって歩き出す。




