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沈黙の迷宮 ― 王族失踪事件  作者: 智信
第一部

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第12話 撤退

 拠点までの道のりは、行きよりも長く感じた。

 ゼノが先頭、マルクが殿。

 カイが前方を警戒しながら、リアとノアと私を挟む隊形だった。

 行きと同じ構成だが、空気が違う。

 誰も口を開かなかった。

 通路にモンスターの気配はあった。

 だが近づいてこない。

 壁の向こうで何かが動いている気配だけが、時折聞こえてくる。

 行きはすぐに襲ってきたのに、今は距離を取っている。

 カイが小声で言った。


「……気味が悪いな。見てるだけで来ない」


 ゼノは答えなかった。

 足を止めず、先を見据えたまま歩いている。

 通路の構造は変わっていなかった。

 行きに確認した分岐も、壁の傷も、カイが印をつけた角もそのままだ。

 私は手帳を開き、行きの記録と照合しながら歩いた。

 構造に変化はない。

 変わったのは、ダンジョンの態度だけだ。

 あの暴走の音は、ここにまで届いていたのだろうか。

 モンスターたちは何かを察したのか。

 あのフロアで起きたことを、あるいはあのフロアの奥にいる何かの怒りを。

 リアの足が重たい。

 防壁の消耗がまだ残っているのだろう。

 ノアがリアの腕を支え、歩調を合わせている。

 リアは無言で受け入れていた。


---


 拠点に着いた。

 「黄昏の灯火」の焚き火の跡に、新しい薪をくべた。

 火が起きると、冷えた通路の空気が少しだけ和らいだ。

 マルクが携行食を配った。

 ゼノが水筒を渡す。

 しばらく、食事の音だけが拠点に響いた。

 ノアがリアの体調を確認し、それから全員の顔色を見た。

 軽い擦り傷や打撲はあるが、動けない者はいない。


「全員、問題なし。リアさんだけ魔力の消耗が大きいですが、一晩休めば回復します」


「……大丈夫です。明日には動けます」


 リアが壁にもたれたまま、小さく頷いた。

 焚き火の光が壁に影を落としている。

 かつて「黄昏の灯火」もこの場所で同じ光を見ていたはずだ。

 同じ焚き火の跡で、同じように食事をし、翌日の探索を語り合っていたのだろう。

 シオンも、騎士も、斥候も、魔術師も、薬師も。

 五人で火を囲み、笑い、翌日を信じていた。

 彼らはこの拠点から出発し、あの静寂のフロアに辿り着き——そして、帰ってこなかった。

 私たちは帰ってこられた。

 しかし、答えはまだ持ち帰れていない。


---


 食事が終わり、ゼノが口を開いた。


「情報を整理する。エイル」


 頷いた。

 手帳を開き、記録を読み上げた。


「確定した事実を三つにまとめます」


 全員が焚き火を見つめたまま、耳を傾けた。


「一つ。シオンの致命傷は背後からの一撃です。刃物による貫通傷。モンスターの攻撃ではない。背後から至近距離で刃物を突き立てた。シオンは仲間の誰かに殺されました」


 火が爆ぜた。

 小さな火の粉が舞い上がり、消えた。


「二つ。他の四人はすべてトラップの暴走で死亡しています。圧死、刺創死、焼死、撲死。四人の死因は、フロア内のトラップと一致しています」


「三つ。トラップの暴走は、ダンジョンの奥にいる何かの意思によるものです。リアの探知で、怒りの発生源が下層にあることが確認されています。その何かはおそらくシオンの死に反応して暴走を起こし、今もシオンの遺体に触れることを許しません」


 手帳を閉じた。

 しばらく、焚き火の音だけが拠点を満たしていた。

 カイが膝を抱えたまま、天井を見上げた。


「……犯人が分かったとして、全員死んでるんだろ? 何の意味がある」


 全員がカイを見た。

 カイの表情には疲労があった。

 しかし、投げやりに言っているのではなかった。

 純粋な疑問だった。

 犯人が特定できたところで、裁くことも問い詰めることもできない。

 五人全員が、あのフロアで死んでいる。


「死因と状況を正確に報告するのが調査です」


 私は答えた。


「犯人が誰であれ、記録には書かなければならない。何が起きたのかを明らかにすること——それが、この調査の目的です」


 カイは天井を見上げたまま、しばらく黙っていた。

 薪の燃える音だけが、沈黙の中に残っていた。

 やがて、小さく息をついた。


「……まあ、そうだな。調査士殿がそう言うなら、そうなんだろ」


 軽口ではなかった。

 納得したのかどうかは分からない。

 ただ、否定はしなかった。

 マルクが焚き火を見つめたまま、低い声で言った。


「命令で人を殺したのか、自分の意思で殺したのか。それも、記録するのか」


 私はマルクを見た。

 その横顔は硬かった。

 焚き火の光が、深い影を刻んでいる。


「……それも、記録します」


 マルクは何も言わなかった。

 ただ一度だけ、小さく頷いた。


---


 ゼノが焚き火に薪を足した。


「明日、もう一度あのフロアに入る。対策を決める」


 全員の視線がゼノに集まった。


「エイル。暴走の条件を整理しろ」


「はい。遺体を目視で調べていた間は何も起きませんでした。フロアに入った時も、遺体の周囲を歩いた時も、沈黙したままでした。暴走が起きたのは、ゼノさんがシオンの遺体に触れようとした瞬間——その一点だけです」


 ゼノが頷いた。


「つまり、触れなければ暴走は起きない」


「確定はできませんが、現時点ではそう推測できます」


「よし。明日の方針はこうだ」


 ゼノが指を立てた。


「一つ。遺体には触れない。目視と計測だけで調査する。二つ。フロアに入る前にリアが防壁を展開する。暴走が起きた場合に備えて、最初から防壁の中で動く。三つ。撤退路を常に確保する。カイがフロアの入口で監視し、異変があれば即座に全員を退避させる」


 リアが静かに頷いた。


「防壁は維持できます。あの時のように全力で展開する必要はない。薄い膜をフロアに入る前から張っておく形なら、調査の間も含めて維持できます」


「それでいい。全力の防壁は最後の手段だ」


 カイが手を挙げた。


「俺は入口で監視か。中には入らないのか?」


「お前の目が必要だ。中の異変を最初に察知できるのはお前だ」


 カイは少し不満そうだったが、すぐに頷いた。


「了解。入口に張りついて、少しでもおかしかったら声を出す」


 ノアが言った。


「私はエイルさんと一緒にフロア内で動きます。前回と同じように、外傷の確認を補佐します」


「頼む。マルクは俺と一緒にフロア内で護衛だ。何かあったら、まずエイルとノアを入口から押し出す」


「分かった」


 マルクが短く答えた。

 役割が決まった。

 明日の動きが全員の中で共有された。

 ゼノが全員を見渡した。


「今日は休め。明日に備えろ」


---


 焚き火が小さくなっていく。

 マルクが壁際で目を閉じた。

 カイが丸くなって眠りに入った。

 ノアが毛布をリアにかけ、自分も横になった。

 ゼノは焚き火のそばに座ったまま、通路の奥を見ている。

 見張りを兼ねているのだろう。

 私は毛布にくるまりながら、手帳を膝の上に広げた。

 今日の記録を読み返す。

 静寂のフロア。

 五体の遺体。

 シオンの傷。

 トラップの暴走。

 仮説の構築。

 そして撤退。

 犯人はチームの中にいる。

 しかし、全員がすでに死んでいる。

 犯人も含めて。

 生きている人間に問い詰めることはできない。

 遺体と遺留品だけが、答えを持っている。

 明日、もう一度あのフロアに入る。

 今度は暴走に備えた上で、もっと詳しく調べる。

 遺体の傷。

 遺留品の詳細。

 凶器の特定。

 犯人は四人のうちの誰かだ。

 騎士、斥候、魔術師、薬師。

 その中の一人が、シオンの背後から刃物を突き刺した。


(……あの短い刃物が凶器なら、持ち主が分かれば犯人が分かる)


 残骸に紛れていた短い刃物。

 鞘なし、刃は薄く短い。

 戦闘用の武器ではない。

 あれが凶器だとすれば、その刃物が誰のものかを突き止めればいい。

 手帳を閉じた。

 焚き火の向こうで、ゼノがまだ座っている。

 その背中は、いつもと変わらなかった。

 チームの安全を背負い、判断を下し続ける背中だ。

 目を閉じた。

 明日に備えなければならない。

 答えは、まだあの静寂のフロアの中にある。

これにて第一部は終了です。

まずは、お付き合いいただいたこと、ありがとうございます。

第一部は遺体の発見から撤退までとなっていました。

明日からは第二部となります。

第二部での調査がどのようなものになるか……

引き続き、第二部もよろしくお願いします。

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