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沈黙の迷宮 ― 王族失踪事件  作者: 智信
第一部

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第07話 静寂

「音がない。モンスターもいない。このフロアだけが、死んでいる」

――静寂のフロアにて

 翌朝、目を覚ました時、焚き火は小さく燃えていた。

 最後の見張りだったゼノが、静かに火の番をしていた。

 全員が起き上がり、準備を始める。

 リアが空間魔法から食料と水を取り出し、ノアが簡単な朝食を用意した。

 温かい汁物を腹に入れると、少しだけ身体が軽くなった。

 焚き火の灰を始末し、拠点を出発した。


 拠点から奥の通路に入った。

 地図の書き込みが増えている。

 「黄昏の灯火」が何度も通った区間だ。

 通路の壁に小さな印が刻まれていた。

 分岐点の目印だろう。

 彼らがこの先で活動していた証拠が、至るところに残っていた。

 しばらく進むと、通路の雰囲気が変わった。

 分岐が減り、一本道が長くなっている。

 そして、通路の構造そのものが変わった。

 壁の材質が違う。

 上層の粗い石積みから、滑らかな岩盤に変わっている。

 天井が高くなり、通路の幅も広がった。

 空気が一段冷たくなった。

 足元を見ると、石畳の継ぎ目がほとんどない。

 中層だ。


「構造が変わった。ここから先は注意しろ」


 ゼノが全員に声をかけた。

 カイが先行する。

 通路の角を一つ曲がるたびに、手信号で安全を知らせた。

 しばらくは何事もなく進んだ。


 最初の遭遇は、通路が少し広くなった場所だった。

 モンスターが現れた。

 上層で見た種類とは違う。

 甲殻で覆われた四足の獣。

 上層の蜥蜴型や狼型より一回り大きい。

 低い唸り声が通路に反響した。

 マルクが前に出た。

 両手剣を構え、獣の突進を正面から受け止める。

 甲殻が剣にぶつかり、硬い衝撃音が鳴った。

 上層のモンスターとはまるで違う手応えだ。

 足が滑ったが、踏みとどまる。

 ゼノが側面に回った。

 盾で獣の顔を押さえ、体勢を崩す。

 甲殻の隙間——首と胴の境目が露わになった。

 片手剣を突き入れる。

 獣が悲鳴を上げ、崩れ落ちた。


「硬いな。上の連中とは造りが違う」


 マルクが両手剣の刃を確認した。

 甲殻を受け止めた箇所に小さな傷がついていた。

 ノアが前衛の二人に近づき、怪我がないか確認した。

 マルクの手首に赤い擦り傷が一筋走っている。

 衝撃を受け止めた際にできたものだ。

 ノアが軟膏を塗り、布で巻いた。

 手帳に記録した。


『中層第一遭遇。甲殻獣型、一体。上層の種より大型で装甲が厚い。急所は甲殻の隙間。正面からの斬撃は通りにくい。チームの対応に問題なし』


 その後も数回、モンスターとの遭遇があった。

 甲殻獣が二体同時に現れた時は連携が必要だった。

 カイが石を投げて一体の注意を引き、通路の脇に誘導する。

 その間にマルクとゼノがもう一体を仕留め、合流してカイが引きつけていた一体を挟み撃ちにした。

 リアが魔術で獣の動きを一瞬止め、マルクの一撃が甲殻の隙間を貫いた。

 戦闘の後、ノアがマルクの手の擦り傷に改めて軟膏を塗り、リアが先の通路を探知する。

 休む間もなく、次の区画へ進んだ。

 罠も上層より巧妙になっていた。

 圧力板だけでなく、壁の特定の石に触れると発動する仕掛けや、通路全体が傾く機構。

 カイが一つ一つ見破り、リアの探知で確認して進む。

 地図に記された罠の位置は正確だったが、地図にない罠も増えていた。

 中層は上層より難度が高い。

 だが、ダンジョンとしては正常だった。

 モンスターがいて、罠があり、通路がある。

 深くなるにつれ難度が上がる。

 それは自然な変化だ。

 地図と照合しながら進む。

 「黄昏の灯火」の書き込みは中層でさらに詳細になっていた。

 モンスターの出現頻度、罠の種類、安全な休息場所。

 彼らの蓄積が、この地図には詰まっている。

 彼らはここで何を見つけ、何を感じたのだろう。

 地図の書き込みには、数字と記号だけでは伝わらない経験が滲んでいた。


 中層は長かった。

 上層よりも通路が入り組んでおり、分岐は少ないが一本道が延々と続く。

 何度かモンスターと遭遇し、罠を避け、地図と照合しながら進んだ。

 拠点を出てからかなりの時間が経っている。


---


 中層をさらに奥に進んだ時だった。

 カイが拳を上げた。

 停止の合図。

 全員が足を止める。

 カイが戻ってきた。

 いつもの軽さがない。


「この先、広い空間がある。だが……妙だ」


「何が妙だ」


「静かすぎる。ここまで来る間ずっとモンスターの気配があったのに、この先だけ何もない」


 ゼノがリアに目を向けた。

 リアが目を閉じ、壁に手を当てた。

 探知だ。

 長い沈黙だった。

 通常なら数秒で結果が出る。

 だがリアは目を閉じたまま、じっと壁に手を当て続けていた。

 やがて、リアが目を開けた。

 その表情が、これまでと違っていた。


「……モンスターの気配がありません。このフロアだけ」


「いないのか?」


「……いません。それと」


 リアが言葉を切った。

 壁に当てた手が、微かに震えていた。


「このフロア、泣いています」


 誰も口を開かなかった。

 フロアが泣く。

 リアの探知は場の気配を読み取る。

 脅威や敵意だけでなく、残留する感情のようなものも。

 昨夜、拠点では「穏やかに過ごしていた」と言った。

 だが今、リアの口から出たのは「泣いています」だった。

 全員がリアを見た。

 リアは壁から手を離さず、表情を強張らせていた。

 何かを感じ取っている。

 それが何なのかは、本人にもうまく言葉にできないようだった。

 ゼノが私に訊いた。


「地図に何か情報はないか?」


 地図を広げた。

 このフロアの記載はある。

 通路の配置、広間の形状、モンスターの出現位置。

 「黄昏の灯火」がいつも通り記録した情報だ。

 だが、カイとリアの報告とは一致しない。

 地図にはモンスターの出現位置が書かれている。

 記録された時点では正常なフロアだったのだ。


「……地図には情報がありますが、今の状態と一致しません。記録された時点では、ここも通常のフロアだったようです」


 ゼノが前方の暗がりを見据えた。


「……入るぞ。全員、警戒を解くな」


 低く、静かな声だった。

 フロアに踏み込んだ。


---


 空気が変わった。

 一歩踏み入れた瞬間にわかった。

 音がない。

 ダンジョン特有の環境音——壁を伝う水滴の音、遠くの通路から響く微かな反響、空気の流れる音。

 それらがすべて消えていた。

 自分の足音だけが響く。

 六人分の足音が、静寂の中でやけに大きく聞こえた。

 モンスターの気配はない。

 罠の兆候もない。

 ただ、静かだった。

 ダンジョンが機能していない。

 何かが、この場所を止めている。


(……何が起きた)


 これまでのフロアとはまったく違う。

 上層も中層も、ダンジョンとして正常に機能していた。

 モンスターがいて、罠があり、空気が流れていた。

 それが自然な状態だ。

 しかしこのフロアには、それがない。

 音がない。

 モンスターもいない。

 このフロアだけが、死んでいる。

 手帳を開いた。


『中層奥のフロアに到達。環境音が消失。モンスターの気配なし。ダンジョン特有の生態系が機能していない。リアの探知によれば、このフロアには強い残留感情がある。上層・中層の通常フロアとは明確に異なる異常領域』


 記録を書く手が、微かに緊張していた。

 フロアは広かった。

 天井が高く、壁が遠い。

 暗がりの中に柱が何本も立っている。

 壁の発光は薄く、視界はぎりぎりだった。

 カイが先行し、ゼノとマルクが続く。

 ノアが私の隣を歩き、リアが最後尾で探知を続けていた。

 誰も口を開かない。

 必要な指示以外の言葉が出てこない。

 静寂が、声を呑み込んでいるようだった。

 ノアが小声で言った。


「……空気が重い。身体のことじゃなくて、場所そのものが」


 私も感じていた。

 ダンジョンの空気の重さとは違う。

 もっと深い、もっと根源的な何かが、このフロア全体を覆っている。

 奥へ進んだ。

 足元の石畳が変わった。

 一部が欠けている。

 壁に亀裂が走り、焼け焦げた跡がある。

 天井の一部が崩落していた。

 何かが起きた場所だ。

 複数の罠が発動したか、あるいはそれ以上の何かが。

 カイが足を止めた。

 前方の暗がりをじっと見つめている。

 振り返った時、その顔から表情が消えていた。

 いつもの軽さも、斥候としての鋭さも、何もない。

 ただ、事実だけを伝えようとする顔だった。


「……ゼノ。奥に、あった」


 全員が足を止めた。

 暗がりの奥に、何かが横たわっていた。

 一つではない。

 近づくにつれ、それが人の形だとわかった。

 五つの影が、静寂の中に横たわっていた。

 誰も動かなかった。

 動けなかった。

 報告書で読んだ名前が、頭の中を駆け巡った。

 シオン。

 騎士。

 斥候。

 魔術師。

 薬師。

 五人のチーム。

 六年間このダンジョンを歩き続けた冒険者たち。

 彼らは、ここにいた。


「……『黄昏の灯火』だ」


 ゼノが低く言った。


「全員が、ここにいる」

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