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沈黙の迷宮 ― 王族失踪事件  作者: 智信
第一部

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第06話 痕跡

「まだ生活の跡がある。ここで寝起きし、笑い、翌日を信じていた」

――「黄昏の灯火」の活動拠点にて

 上層の奥に進むにつれ、通路が長くなった。

 分岐が増え、行き止まりも多い。

 地図がなければ確実に迷っている。

 「黄昏の灯火」の地図は正確で、カイが先行して地図通りのルートを確認し、チームを導いた。

 モンスターとの遭遇は続いていた。

 蜥蜴型、狼型。

 いずれも上層で見られる種類だ。

 チームは手際よく処理し、私は記録を取る。

 その繰り返しだった。

 しかし、体力は確実に消耗していた。

 足が重い。

 呼吸が浅くなっている。

 ダンジョンの空気は、地上のそれとは違う。

 冷たくて湿っていて、肺の奥にまとわりつくような重さがある。

 ノアが時折、私の顔色を確認していた。

 何も言わないが、視線でわかる。


「あとどのくらいだ」


 ゼノがカイに訊いた。


「この先、通路が開けてる。広い空間がある」


 地図を確認した。

 カイの言う広い空間は、地図にも記されている。

 印が付けてある——「黄昏の灯火」が上層の活動拠点として使っていた場所だ。


「拠点の跡があるかもしれません。地図に印があります」


「よし、そこまで行く。全員、もう少しだ」


 ゼノの声は平静だった。

 だが、マルクの足取りも僅かに重くなっている。

 全員が疲れている。

 入口からここまで、休憩を挟みながらもずっと歩き続けてきた。

 戦闘があり、罠があり、私を守りながら進み続けてきた。

 地図を見ると、上層の端に差しかかっていた。

 ここを抜ければ中層に入る。

 「黄昏の灯火」はこの先を何度も往復していた。

 このルートを歩いていたのだ。


---


 通路が突然、開けた。

 広い空間だった。

 天井が高く、壁に沿って石の台座が並んでいる。

 奥行きもある。

 これまでの通路とは明らかに違う。

 そして——人の痕跡があった。

 壁際に焚き火の跡。

 石を組んで作ったかまど。

 荷物を置くために敷かれた布。

 整理されているが、埃が薄く積もっていた。


「……拠点だ」


 カイが呟いた。

 先ほど確認した地図上の印と一致している。


 焚き火の灰は冷え切っていた。

 だが、灰の量から何度も火を起こしたことがわかる。

 壁の一角に、布で覆われた荷物がまとめてあった。

 カイが布を捲る。

 食器が五人分、調理器具、予備の食料、水袋。

 探索に持ち出さなかった物資がきちんと整理されていた。

 食料は干し肉と乾燥果実で、密封されているものはまだ使えそうだった。

 ここで寝起きし、食事を取り、翌日の探索に備えていた。

 ダンジョンの奥を目指しながら、毎日この場所に帰ってきていたのだろう。


(……まだ生活の跡がある。ここで寝起きし、笑い、翌日を信じていた)


 しかし、ある日から帰ってこなくなった。

 荷物は整理されたまま残されていた。

 戻ってくるつもりで、ここに置いていったのだ。


「エイル、記録を取れ」


 ゼノが言った。

 手帳を開いた。


『上層奥の広間にて「黄昏の灯火」の活動拠点を発見。焚き火の跡、食器五人分、食料、薬品などの物資が残されている。荷物は整理されており、日常的に使用されていた形跡がある。人の気配はない。埃の堆積から、少なくとも数週間は無人と推定される』


 記録を書きながら、広間の隅々を見回した。

 石の台座の一つには布が敷いてあり、寝床にしていた形跡がある。

 別の台座には木箱が置かれていた。

 木箱の中には、薬品の瓶が種類ごとに整理して収められていた。

 五人がどこに寝て、どこで食事を取り、どこに荷物を置いていたか。

 生活の痕跡が、静かにここに残っていた。

 ノアが木箱から薬品の瓶を一つ手に取った。


「解毒剤と鎮痛剤。調合がしっかりしている。……良い薬師だったんですね」


 その声には、同業者としての敬意が滲んでいた。

 マルクが広間の隅に目を向けていた。

 壁に刻まれた印。

 ナイフでつけたものだろう。

 数を数えるように、規則的に並んでいた。

 探索の日数を記録していたのかもしれない。


---


 ゼノが広間を一通り確認し、全員を集めた。


「今日はここまでだ。この拠点で野営をする」


 異論はなかった。

 入口からここまでで丸一日。

 「黄昏の灯火」も、同じ判断をしたのだろう。

 カイが広間の出入口を確認しに行った。

 マルクが入口付近に立ち、周囲を警戒する。

 リアが探知で広間の安全を確認した。


「……周囲にモンスターの気配はありません。この広間は安全です」


 ノアが私の隣に来た。


「エイルさん、座ってください。まずは水を飲んで一息つきましょう」


 言われるまでもなく、足が限界だった。

 石の台座に腰を下ろすと、全身の力が抜けた。

 ノアが水筒を渡してくれた。

 一口飲むと、喉が思った以上に渇いていたことに気づいた。


「初日でこれですから、明日以降はもっときつくなります。今夜はしっかり休んでくださいね」


 ノアが穏やかに言った。

 初日。

 そうだ、これでまだ一日目だ。

 カイが戻ってきた。


「出入口は二つ。来た道と、奥に続く通路。奥の通路はここから先、地図の書き込みが増えてる。中層への入口が近い」


 ゼノが頷いた。


「明日はそこからだ。今夜は交代で見張りを立てる。マルク、カイ、俺の三人で回す」


「了解」


「おっけー」


 マルクとカイが短く応じた。

 ゼノが続けた。


「ノア、リア、飯の準備を頼む。カイ、火を起こせ」


 焚き火を起こす準備が始まった。

 「黄昏の灯火」が残したかまどをそのまま使う。

 リアが空間魔法で管理していた物資から燃料と食料、水を取り出した。

 カイが火を点け、ノアがかまどに鍋をかけて乾燥した野菜と干し肉を煮始めた。

 小さな炎が広間を照らした。

 壁の発光とは違う、暖かい光だ。

 ダンジョンに入ってから初めて、暖かさを感じた。

 しばらくして、鍋から温かい湯気が立ち上った。

 ダンジョンの冷えた空気の中で、その匂いだけが生活の温度を持っていた。


 火を囲んで、六人が椀を手に座った。

 一口すすると、身体の奥から力が戻ってくるのを感じた。

 味は素朴で塩っ気が強かったが、疲れた身体には温かさとその塩っ気がとてもありがたかった。

 炎が揺れるたびに、広間の影が動く。

 積まれた荷物や壁の傷跡が、焚き火の光に照らされて浮かび上がった。

 五人分の荷物。

 壁に刻まれた日数の印。

 敷かれたままの布。

 ここにいた人たちは、明日も探索に行くつもりだった。

 翌日を信じていた。


「……「黄昏の灯火」の奴らは、きっちりしてたんだな」


 カイが椀を傾けながら言った。


「六年間同じダンジョンに通い続けたチームです。拠点の維持も物資の管理も、習慣になっていたのでしょう」


「報告書もきっちり出す。拠点もきっちり整える。それでも帰ってこなかった」


 カイの声から軽さが消えていた。

 リアが壁に手を当てたまま、小さく言った。


「……この場所に、悪意の痕跡はありません。ここにいた人たちは、穏やかに過ごしていた」


 探知で読み取れるものは、脅威や敵意だけではないのだろう。

 場所に染みついた気配のようなものを、リアは感じ取っている。

 ゼノが焚き火を見つめたまま言った。


「明日、さらに奥に進む。『黄昏の灯火』が最後に向かった方向を辿る」


 全員が頷いた。

 やがて、交代で眠ることになった。

 マルクが最初の見張りに立ち、残りの五人が横になる。

 石の台座は硬いが、布を敷けば眠れないことはない。

 目を閉じた。

 身体は疲れ切っているのに、すぐには眠れなかった。

 焚き火の音が聞こえる。

 小さな炎が時折爆ぜる音。

 それ以外は、静かだった。


(……彼らも、こうして眠ったのだろうか)


 同じ広間で、同じ焚き火のそばで。

 五人が身を寄せ合い、翌日の探索を信じて眠りについた。

 それが何十回と繰り返されて、ある日突然、途切れた。

 拠点の先に、ダンジョンはさらに続いている。

 この広間を出れば、中層だ。

 焚き火の光が、まぶたの裏で揺れていた。

 明日、彼らの足跡を辿る。

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