第05話 さらに奥へ
奥へ進むにつれ、通路が少しずつ変わっていた。
壁の苔が増え、天井から落ちる水滴の頻度が上がっている。
空気も重くなってきた。
地図と照合しながら進む。
上層の中盤に差しかかっていた。
モンスターとの遭遇も増えていた。
蜥蜴型が単体で現れることが何度かあり、そのたびにマルクかゼノが片づけた。
もはや手慣れたものだった。
通路が急に広くなった。
天井が高くなり、左右の壁が離れる。
それまでの狭い通路とは明らかに違う空間だった。
数人が横に並べるだけの幅がある。
カイが拳を上げた。
停止の合図。
振り返り、指を五本立てた。
「五頭。狼型。通路の奥に固まってる」
小声だった。
表情から軽さが消えている。
ゼノが前に出た。
通路の奥を見据え、即座に指示を出す。
「マルク、正面を押さえろ。俺が右から回る。カイ、左の死角を取れ。リア、後方に伏兵がいないか確認。ノア、エイルと下がれ」
全員が動いた。
声を出さず、それぞれの位置に散る。
ノアが私の腕を引き、壁際に寄せた。
「ここにいてください。動かないで」
頷いた。
手帳は開けない。
今はただ、見ていることしかできない。
壁に背をつけた。
心臓が早くなっている。
蜥蜴型二体とは違う。
五頭の群れ。
報告書で読んだことがある。
群れで行動するモンスターは、単体のものより遥かに危険だと。
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狼型のモンスター。
蜥蜴型より一回り大きいそれが五頭。
低い姿勢で地面に張り付き、薄暗い光の中で目だけが光っている。
こちらに気づいている。
先頭の一頭が唸り声を上げた。
低く、通路に反響する。
それに呼応するように、残りの四頭も身体を起こした。
五つの影が、じわりと間合いを詰めてくる。
マルクが踏み込んだ。
両手剣を構えたまま、通路の中央に立つ。
広い背中が視界を塞いだ。
狼が二頭、同時に飛びかかった。
マルクが両手剣を横薙ぎに振る。
一頭が弾き飛ばされ、壁にぶつかった。
もう一頭が身を低くして避け、すぐに飛びかかった。
マルクが剣の腹で受け止め、そのまま蹴り上げた。
右からゼノが回り込んだ。
三頭目が横合いから飛び出してきたのを、盾で受け止める。
重い衝撃。
足が滑ったが、体勢を崩さない。
盾で押し返し、隙が生まれたところを片手剣が狼の首を捉えた。
四頭目がマルクの背後を狙った。
死角からの突進。
だがカイがそこにいた。
左から素早く滑り込み、小剣が狼の脇腹を走る。
悲鳴。
狼が地面に転がった。
最後の一頭が後退し始めた。
逃げようとしている。
リアの手が動いた。
指先から光が走り、狼の足元で弾けた。
動きが止まる。
マルクが詰め、両手剣を振り下ろした。
壁際で最初の一頭が起き上がろうとしていた。
ゼノが歩み寄り、片手剣で仕留めた。
蹴り上げられた一頭も、カイが止めを刺した。
静かになった。
五頭の狼型モンスターが通路に横たわっている。
戦闘が始まってから、息をつく暇もなかった。
「……全部か?」
ゼノがリアに確認した。
「……周囲に気配はありません。伏兵もなし」
「よし」
ゼノが深く息を吐いた。
額に薄く汗が浮いている。
余裕がなかったわけではない。
だが、戦えない私を守りながらの五頭同時は、軽い相手ではなかったはずだ。
マルクが両手剣の血を壁で拭った。
無言で刃を確認し、背に戻す。
「さすがに五頭は手応えがあるな。蜥蜴とは格が違う」
カイが小剣を鞘に収めながら言った。
ノアが前衛のほうへ歩いていった。
マルクの左腕を取り、袖を捲る。
浅い擦り傷が一筋走っていた。
「マルクさん、少し切れてますね」
「問題ない」
「問題なくても処置はします」
ノアが腰の薬袋から軟膏を取り出し、手早く傷に塗った。
マルクは黙って任せていた。
私は手帳を開いた。
『狼型モンスター。五頭。通路の広い区画に群れで出現。蜥蜴型より大型で、連携した攻撃を行う。チームの対応は迅速。被害は軽微な擦り傷のみ』
記録を書きながら、自分の手が微かに震えていることに気づいた。
蜥蜴型二体の時とは違う。
五頭の圧力。
唸り声が通路に反響し、血と獣の匂いが充満した。
あの短い間、自分が何もできないという事実が、体の奥に冷たく残っていた。
手帳の字が僅かに乱れている。
書き直しはしない。
これも記録だ。
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カイが先行して通路の先を確認しに行った。
私は狼の死骸を避けながら、通路の奥へ足を踏み出した。
血の匂いが鼻を突く。
死骸の近くを通る時、獣の体温がまだ残っているのを感じた。
地図に目を落とした。
この先の通路には罠の印が密集している。
「黄昏の灯火」が丁寧に記録した区画だ。
カイが戻ってきた。
「この先、罠が多い。地図に赤い印が密集してる」
カイの報告に、ゼノが頷いた。
「カイ、先行しろ。全員、足元に注意。慎重に行く」
カイが先に進んだ。
私はその後を、地図と照合しながら歩いた。
通路の幅が狭くなり、天井が低くなる。
足元の石畳が不揃いになった。
地図に目を落としていた。
次の罠の位置を確認しようとした、その時——。
「動くな!」
腕を強く引かれた。
身体が横に引っ張られ、壁にぶつかった。
カイだった。
私の右腕を掴んだまま、足元を指さしている。
「圧力板。あと一歩だった」
見ると、石畳の一枚が他より僅かに色が違う。
地図の罠の印と一致する位置だった。
地図を見ていたのに、足元を見ていなかった。
「足元はよく見てくれよ調査士殿」
カイの声には軽さがあった。
だが目は笑っていない。
壁の穴を確認した。
暗い穴が二つ、通路の側面に開いている。
矢が出る機構だ。
その先の天井にも亀裂が走っている。
落石の装置もある。
「……すみません」
「謝るより注意してくれよ。次は間に合わないかもしれないからな」
カイの忠告は的確だった。
ここは書庫ではない。
一つの不注意が命取りになる。
手帳を閉じた。
地図を見ながら歩くのはやめた。
地図は立ち止まった時に確認する。
歩いている時は、足元を見る。
当たり前のことだ。
冒険者なら誰でも知っていることを、私は身をもって学んだ。
カイが圧力板の前後を確認し、安全な迂回路を示した。
全員が慎重に通過する。
その先にも罠が続いた。
壁の穴から飛び出す矢の機構、床の陥没、天井の落石装置。
カイが一つ一つ確認し、リアが探知で見えない罠の気配を探る。
「ここ、地図にない罠があります。壁の中に仕掛けが見える」
リアが壁に手を当てたまま言った。
カイが壁を調べ、仕掛けの位置を特定した。
リアが魔術で機構の一部を無力化する。
光が壁の中を走り、かちりと音がした。
「解除しました。通れます」
地図にない罠。
「黄昏の灯火」が記録していなかったのか、それとも彼らが去った後に新しく生まれた罠か。
立ち止まり、足元を確認してから手帳を開いた。
さっきの失敗を繰り返すつもりはない。
『地図に記載のない罠を一つ確認。壁の内部に仕掛けられた機構。リアの探知で発見、魔術で無力化。ダンジョンの罠は固定ではなく、時間経過で変化する可能性がある』
罠の密集区画を抜けると、通路が再び広がった。
全員の足が自然に緩んだ。
緊張が解ける。
「まあ、序の口だな」
カイが両腕を伸ばしながら言った。
「序の口で済んでいるうちはいい」
ゼノが応じた。
そして全員を見渡す。
「ここまでは普通のダンジョンだったな」
短い言葉だった。
だが、その口調には続きがあった。
ここまでは——つまり、この先はまだわからない。
地図を確認した。
上層はまだ続いている。
その先に中層があり、さらにその奥がある。
(……まだ普通のうちに、記録を取れるだけ取っておかなければ)
正常な状態を知らなければ、異常は見つけられない。
ここまで積み上げた記録が、この先の基準になる。
手帳を閉じて、再びダンジョンの奥へと歩き始めた。




