第31話 沈黙の迷宮
焚き火が弱く燃えていた。
薪はもう少ししか残っていない。
四日目の朝。
ダンジョンの中に朝日は届かない。
だが身体が知っていた。
夜が明けたことを。
支度は無言で進んだ。
荷物をまとめ、装備を確認する。
四日間繰り返してきた手順だった。
最後にこの拠点を見回した。
シオンたちが使っていた場所。
初日に見つけた時には、まだ「黄昏の灯火」の生活の跡が残っていた。
今は私たちの痕跡が混ざっている。
ここに、あの五人が戻ることはもうない。
ゼノが全員を見回した。
「……帰るぞ」
短い一言だった。
誰も返事をしなかった。
ただ、全員が立ち上がった。
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帰路は静かだった。
往路の半分の時間もかからずに、入口まで戻れた。
道を覚えている。
迷う必要がない。
モンスターは距離を取っていた。
戦闘は一度もなかった。
カイが先頭を歩いた。
偵察の必要はほとんどなかったが、それでも先に行く。
斥候の足が、最後まで止まらなかった。
マルクが両手剣を背負ったまま、黙って続いた。
ゼノがその後ろを歩いた。
リアが時折、何かに耳を澄ませるように歩みを緩めていた。
しかし何も言わなかった。
ノアが私の隣を歩いた。
歩調を合わせてくれていた。
リアが足を止めた。
壁に手を当て、目を閉じた。
しばらくして、手を離した。
「……まだ、泣いている」
小さく呟いた。
壁の向こう——この奥のどこかに、主がいる。
初めてこのダンジョンに踏み込んだ時から、リアは感じ取っていた。
あの時はわからなかった。
何が泣いているのか。
今はわかる。
このダンジョン全体が——主が——泣いている。
友を失った悲しみは、何年経っても消えないのだろう。
出口が見えた。
白い光が通路の奥から差し込んでいた。
三日前、この入口から踏み込んだ。
暗闇の中に入った時、私はまだ信じていた。
真実を見つけ、ありのままに記録し、報告する——それが自分の仕事だと。
光の中に出た。
日差しが眩しかった。
三日間、ダンジョンの薄暗い光の中にいた。
目が慣れるまで、少し時間がかかった。
風が吹いた。
土と苔の匂いではない、草と陽の匂いがした。
振り返った。
ダンジョンの入口が、暗い口を開けていた。
あの奥に、主がいる。
たった一人で、友の眠りを守り続けている。
(……さよなら)
心の中で呟いた。
主には届かない。
届かなくていい。
ただ、私たちは知っている。
あの暗闇の奥に、誰かがいること。
友を守り続けている誰かがいること。
その秘密を、持ち出す。
そして、隠す。
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ギルドに戻ったのは、日が傾き始めた頃だった。
ゼノと二人で調査部門の窓口に帰還を報告した。
すぐに奥の部屋に通された。
「概要だけ聞いておこう」
主任が言った。
通達書を持ってきたあの人だ。
ゼノが答えた。
「ダンジョンの崩壊が進行しており、事件フロアへの到達は困難だった。現場の状況から、トラップの暴走による事故死と推定される。遺体の回収は不可能だ」
短く、淡々と。
嘘の概要だった。
ゼノの声に迷いはなかった。
主任の視線が私に向いた。
調査士としての確認を求めている。
頷いた。
間違いありません、と。
「……事故死か。残念だな」
主任が短く息を吐いた。
「了解した。明日、正式な報告書を持ってきてくれ」
調査部門を出た。
夕暮れの街は、何も変わっていなかった。
冒険者たちが行き交い、露店が並び、子供の声が聞こえる。
変わったのは、私たちだけだ。
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「今夜はうちの宿に来い」
ゼノが言った。
任務の後は全員で食事を取る。
「暁の帰還」の習慣らしかった。
「暁の帰還」が拠点にしている宿の食堂に、六人が集まった。
温かい食事が並んだ。
カイがエールを頼んだ。
ゼノも杯を手に取った。
いつもの打ち上げの風景なのだろう。
しかし、誰も笑わなかった。
任務の話は出なかった。
カイが天気の話をした。
ノアが料理の味を褒めた。
マルクは黙って食べていた。
リアはスープを静かに飲んでいた。
表面だけの会話が、穏やかに続いた。
食後、ゼノが杯を置いた。
「今回の任務はここまでだ。——全員、よくやった」
「暁の帰還」は、今回も全員生きて帰った。
しかし、誰もその言葉に笑わなかった。
「解散だ」
マルクが静かに頷いた。
カイがゆっくり椅子を引いて立ち上がった。
ノアが私を見て、小さく微笑んだ。
リアが席を立つ前に、一言だけ言った。
「……忘れない」
何を、とは聞かなかった。
全員が知っている。
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翌朝、ギルドでゼノと合流した。
調査部門で正式な報告用紙を受け取った。
内容が内容だ。
窓口脇の記入台で書くわけにはいかない。
調査士の権限で会議室を一つ借りた。
扉を閉めた。
ゼノが向かいの椅子に座った。
手帳を開いた。
下書きのページを見る。
あの夜に書いた嘘が並んでいる。
正式な用紙に書き写していった。
調査の概要、調査結果、所見、結論。
書き慣れた書式が、嘘を整えていく。
要所でゼノに確認を取りながら、一字一句、あの夜に書いた通りに。
報告書を主任に提出した。
「昨日の報告通りだな。——問題ない」
事務的な声だった。
王位継承権第二十位の冒険者の死は、それだけのことだった。
主任が書類に受領印を押した。
乾いた音が、窓のない部屋に響いた。
それだけだった。
四日間の調査が、一枚の報告書になり、印を押されて、棚に収まった。
真実はあの報告書の中にはない。
棚の奥で眠るのは、嘘だけだ。
ゼノが背を向け、調査部門を出た。
廊下で、足を止めた。
「……すまなかった、エイル」
振り返らずに言った。
「お前の仕事は、事実をありのままに記録することだ。それを俺が壊した」
答えなかった。
答える言葉がなかった。
ゼノがゆっくり歩き出した。
その背中が角を曲がって消えた。
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自宅に戻って、一人になった。
鞄から手帳を取り出した。
使い込まれた革表紙を撫でた。
引退した父がくれた、たった一つの手帳。
開いた。
前半には父の字が並んでいる。
几帳面で、小さくて、読みやすい字。
後半は私の字で埋まっていた。
そして、今回の調査……
現場の観察。
遺体の所見。
証拠の分析。
証言の記録。
推察。
結論。
最後のページに、嘘の報告書の下書き。
同じ手帳の中に、真実と嘘が並んでいた。
これを公にすることはできない。
しかし、消すこともできない。
(……記録は真実であるべきだ)
父の声が聞こえた気がした。
報告書には嘘を書いた。
しかし、記録は残した。
誰にも読まれることのない記録。
公にされることのない真実。
それでも——ここにある。
窓の外で、街の音が聞こえていた。
馬車の轍が石畳を鳴らしている。
商人の声。
遠くで犬が吠えている。
日常が、そこにあった。
この街の誰も知らない。
王位継承権第二十位の冒険者が、なぜ死んだのかを。
手帳を閉じた。
鞄の中から、もう一つ取り出した。
小さな川の石。
丸く、滑らかに磨かれている。
シオンが横たわっていた場所に残されていた石だ。
机の引き出しに、父の手帳とシオンの石を置いた。
そして……封印するように引き出しを戻し、鍵をかけた。
真実と一緒に。
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日常が戻ってきた。
ギルド調査部門の一室。
窓のない部屋に、紙とインクの匂いが淀んでいる。
報告書の束が、机の上に積まれていた。
あの調査から何日か経った。
沈黙の迷宮の件は、もう誰も話題にしない。
机の上には真新しい手帳がある。
同じ革表紙の、まだ何も書かれていないもの。
一件目を開いた。
(……また、これか)
討伐数の記載に矛盾がある。
赤字で注記を入れた。
「討伐数と出現数に不整合あり。報告者に確認の上、修正を要する」
事実と異なる記録を通すわけにはいかない。
——自分が嘘の報告書を出した人間が、他人の報告書の矛盾を指摘している。
その滑稽さを、毎朝噛みしめる。
シオンは帰ってこない。
主は今もあのダンジョンで、たった一人の友の眠りを守り続けている。
真実を知っているのは、私たちと——あの主だけだ。
それでも、今日もこの机に向かう。
事実を読み、矛盾を探し、記録を残す。
それが私の仕事だ。
——「冒険者は、あきらめなかった」
——「だから、真実に辿り着いた」
——「しかし、真実は闇に葬られた」
——「それでも——知った者がいる」
これにて第三部、そして本編は終了となります。
エイルの物語もこれにて終演、ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
……っが、実はまだあと1話あります。
よろしければ、ぜひそこまでお付き合いいただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いします。




