第30話 報告書
「真実を知った者もまた、消されるのか」
――調査士の敗北
「……報告書の話をする」
ゼノの声は低かった。
焚き火を見つめたまま、誰の顔も見ていなかった。
「俺たちは真実を知った。シオンが先王の不義の子であること。王宮が暗殺を命じたこと。主が暴走して全員を殺したこと。——すべてだ」
誰も口を開かなかった。
「この真実を、そのまま報告書に書いたらどうなる」
ゼノの問いかけは、問いかけではなかった。
答えを知っている者の声だった。
「王宮は、自分たちの暗殺が報告されることを許さない。報告書がギルドに上がれば、上層部の誰かの目に留まる。王宮の耳に届く。——そうなれば、真実を知った俺たちが、次の標的になる」
……真実を知った者もまた、消されるのか……
焚き火が爆ぜた。
小さな火の粉が暗い天井に散って消えた。
「ゼノさんは、以前にも政治的な案件に巻き込まれたことがあると聞いています」
私は言った。
事前調査で読んだ記録の注記が蘇っていた。
「ああ。一度、真実をそのまま報告した。正しいことをしたつもりだった」
ゼノが目を閉じた。
「結果、チームが半年間の活動停止処分を受けた。俺個人には政治的な圧力がかかった。ギルド内部で孤立しかけた」
ゼノが焚き火に目を落とした。
「あの時は、まだ政治的な面倒事で済んだ。相手は貴族の一人だった。だが今回は——王宮だ。王宮が暗殺を命じた事案だ。面倒事では済まない」
焚き火の光が、ゼノの横顔を照らしていた。
この男は知っている。
真実を報告することの代償を。
正しいことをした者が、正しいままでいられるとは限らないということを。
「ギルドの上層部にも王宮と繋がっている人間がいる。報告書が一人の目に留まるだけでいい。俺たちがどこまで知っているかが伝われば、それだけで十分だ。シオンと同じことが起きる」
誰も反論しなかった。
反論できる者がいなかった。
ゼノが目を上げた。
「報告書を書け、エイル。俺が言う通りに」
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沈黙が落ちた。
マルクが壁にもたれたまま、ゆっくりと口を開いた。
「……これも命令か、ゼノ」
低い声だった。
あの焚き火を囲んだ夜、マルクは「命令で人を殺したのか」と問うた。
薬師が犯人と分かった時、「命令で人を殺した……か」と自分に重ねた。
薬師の記録を読み上げた時も、同じ言葉を繰り返した。
四度目だった。
しかし今回は、他の誰かではなく、自分たちに向けられた問いだった。
「命令じゃない」
ゼノが答えた。
マルクの目を真っ直ぐに見て。
「俺たちの判断だ」
マルクは長い間、黙っていた。
焚き火の光が、その横顔に影を刻んでいた。
やがて、小さく頷いた。
「……分かった。俺も、そう決める」
命令ではなく、自分の意志で。
マルクが初めて、そう選んだ瞬間だった。
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カイが膝を抱えたまま、低く呟いた。
「……冗談じゃねえよ」
いつもの軽口ではなかった。
声に力がなかった。
しかし、反対はしなかった。
カイの目が一瞬だけシオンの手記が入った鞄に向いた。
先に見る者として、先に見たものを報告できない。
その苦さを、噛みしめている顔だった。
ノアが何も言わず、私の隣に座った。
言葉はなかった。
ただそこにいた。
治療師が傍にいるだけで、少しだけ呼吸が楽になった。
リアが小さく言った。
「……あの主も、秘密を守り続けている」
短い一言だった。
しかし、それがすべてだった。
主はシオンの秘密を知っている。
暗殺の真実を知っている。
しかし誰にも語らない。
あの最深部で、たった一人で、友の眠りと真実を守り続けている。
私たちも、同じことをするのだ。
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手帳を開いた。
報告書用の用紙ではない。
普段使っている手帳のページだ。
拠点に報告書の正式な用紙はない。
ギルドに戻ってから清書する。
今はまず、下書きだ。
ペンを持った。
指先が震えていた。
(……記録は真実であるべきだ)
父の言葉が胸を突いた。
引退した父がくれたもの。
使い込まれた革表紙の手帳と、一つの信条。
書記官時代、上官に言われて報告書を「修正」した。
都合の悪い部分を省いた。
数行を削っただけだ。
それだけで報告書は滑らかになった。
誰も困らなかった。
——誰も困らなかった。
あの日、私は誓った。
二度としない、と。
今、私はまた同じことをしようとしている。
いや、違う。
あの時より遥かにひどい。
あの時は数行を省いただけだ。
今は——真実のすべてを消し、嘘を書く。
ペンが止まった。
「……エイル」
ゼノの声が聞こえた。
命じる声ではなかった。
「書けるか」
問いかけだった。
書けるか。
書く覚悟があるか。
ノアが隣にいた。
何も言わず、ただ傍にいた。
カイが膝を抱えていた。
マルクが目を閉じていた。
リアが両手を胸の前で組んでいた。
全員が、ここにいた。
「……書きます」
声が掠れた。
ペンを持ち直した。
震えは止まらなかった。
しかし文字は書ける。
書記官の訓練は、手の震えの中でも正確な文字を刻む技術を教えてくれた。
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書いた。
『調査報告書(下書き)。調査対象:冒険者シオン(銀ランク)および「黄昏の灯火」全五名。調査結果:沈黙の迷宮中層において探索チームの痕跡を確認。ダンジョンの崩壊が進行しており、事件フロアへの到達は極めて困難。遺体の回収は不可能と判断。現場の状況から、トラップの大規模な暴走による事故死と推定される。調査継続は危険と判断し、撤収。全員死亡と推定する』
ペンを置いた。
書いた文字を見下ろした。
一文一文が、真実と正反対だった。
ダンジョンの崩壊が進行しており——嘘だ。
主が道を開けてくれた。
事件フロアへの到達は極めて困難——嘘だ。
最深部まで行った。
遺体の回収は不可能——嘘だ。
シオンの遺体を最深部に運んだ。
トラップの大規模な暴走による事故死——嘘だ。
シオンは仲間に暗殺された。
すべてが嘘だった。
一行も、真実がなかった。
四日間の調査で知った真実を、すべて隠した。
あの時削った数行より、遥かに重い嘘だった。
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手帳をゼノに差し出した。
ゼノが受け取り、下書きのページを読んだ。
一言も修正しなかった。
手帳を返しながら、黙って頷いた。
「……いい。これでいく」
マルクが目を閉じたまま、小さく息を吐いた。
カイは鞄に目を向けたまま、何も言わなかった。
ノアが私の肩に軽く手を置いた。
一瞬だけだった。
リアが焚き火の炎を見つめていた。
誰も、報告書の内容について何も言わなかった。
言う必要がなかったのだ。
全員が、何が書かれているかを知っている。
そして何が書かれていないかも。
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手帳を、報告書のページから前に戻した。
四日間の調査で書き続けた、自分の記録が並んでいる。
現場の観察。
遺体の所見。
証拠の分析。
証言の記録。
推察。
——真実の、すべて。
同じ手帳の中に、嘘と真実が同居していた。
報告書のページには嘘を書いた。
しかしそれ以前のページには、真実がすべて残っている。
手帳を閉じた。
閉じる時、父の字が一瞬だけ見えた。
最初のページに残っている、几帳面で読みやすい字。
(……父さん)
父の教えを守れなかった。
記録は真実であるべきだ。
——その信条を、自分の手で破った。
しかし手帳には真実が残っている。
報告書には嘘を書いた。
けれど、記録は消していない。
これは言い訳だろうか。
それとも、最後の矜持だろうか。
手帳を鞄の奥にしまった。
焚き火が弱くなっていた。
薪が燃え尽きかけている。
誰も薪を足さなかった。
暗くなっていく拠点の中で、六人が黙って座っていた。
明日、このダンジョンを出る。
ギルドに戻り、嘘の報告書を提出する。
真実を知っているのは、私たちと——あの主だけだ。




