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沈黙の迷宮 ― 王族失踪事件  作者: 智信
第三部

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第29話 全容

「確定する証拠はない。だが、すべてが王宮を指し示している」

――調査士エイルの総括

 まず荷物を下ろした。

 鞄の中にはシオンの手記と川の石、四人分の遺品が入っている。

 マルクが鞄を壁際に置き、両手剣を隣に立てかけた。

 ゼノが盾を下ろし、拠点の周囲を一度だけ見回した。

 習慣だった。

 安全を確認する動作だが、今は形だけだ。

 主が道を開けてくれたことを、全員が分かっている。

 カイが石組みのかまどに薪をくべた。

 ノアが火打石を打ち、小さな火が灯った。

 炎が広がり、拠点が暖かい光に包まれた。

 リアが空間魔法で水と食材を取り出しノアに渡した。

 ノアはその水を鍋に注ぎ、干し肉と乾燥野菜の簡単な汁物を作り始めた。

 私は鞄からシオンの手記を取り出した。

 何度も読んだ手記だ。

 もう内容は頭に入っている。

 それでも手に取った。

 表紙の革は擦り切れていた。

 六年分の探索の重みだ。

 鍋からゆっくりと湯気が立つ。

 誰も口を開かなかったが、手は動いていた。

 温かい汁物が器に注がれた。

 シオンの手記を鞄にしまった。

 全員が受け取り、口をつけた。

 味は薄かった。

 だが温かさが、疲れ切った体に染みた。

 食事をしながらも、誰も話さなかった。

 焚き火の音と、汁物を啜る音だけが拠点に響いている。

 しかし少しだけ、張り詰めていたものが緩んだ。

 温かいものを口にするだけで、人の心は少しだけ落ち着く。

 食事を終えた。

 全員が器を脇に置き、焚き火を見つめた。


 ゼノが私を見た。


「……整理してくれ。全部」


 短い言葉だった。

 リーダーの指示ではなかった。

 この三日間で知ったことを、全員の頭の中で一つにしておきたい。

 そういう声だった。

 私は頷いた。

 調査士の仕事だ。

 断片を集め、並べ、繋ぎ合わせる。

 それが私の役割だった。

 自分の手帳を取り出した。


---


 手帳を開き、最初から辿った。


「調査依頼。冒険者チーム『黄昏の灯火』が沈黙の迷宮から二週間以上未帰還。リーダーのシオンは王位継承権第二十位。ギルド上層部の判断で調査任務が発令された」


 四日前のことだ。

 たった四日前。


「シオンの探索記録は堅実だった。六年間、このダンジョンに通い続けていた。最後の報告書は四週間前。そこから先の記録は存在しない」


 ページをめくった。


「まず、現場の事実から」


 全員の注目が集まる。


「中層奥のフロアで五つの遺体を発見した。騎士は天井崩落で圧死、斥候は多数の矢で刺創死、魔術師は発火式トラップで焼死、薬師はトラップの衝撃で壁に強打、撲死。四名はトラップによる死亡。しかしシオンだけが違った。背部左側に刃物による一突き。トラップによる損傷とは明確に異なる。人為的な攻撃」


 全員が黙って聞いていた。

 ゼノは腕を組んで目を閉じている。

 マルクは壁に背を預け、天井を見ていた。


「凶器は薬師の暗器と確定。肋骨を回避し心臓を一撃で貫通、即死。苦しまない殺し方だった。犯人は薬師」


 ノアが目を伏せた。

 治療師が、同じ技術で人を殺したという事実。

 何度聞いても、ノアにとっては重い。

 私も手帳を持つ手が強張っていた。

 この記録を書いた時のことを覚えている。

 手が震えないよう、意識して文字を刻んだ。


---


「次に、薬師の正体」


 ページをめくった。


「薬箱に暗器が隠されていた。薬師の手帳は任務記録だった。暗器、急所への正確な一撃、苦しまない殺し方——薬師は暗殺者と推測される。王宮の暗部の一員として、最初から監視任務でチームに入っていた」


 カイが壁から背を離し、膝を抱えた。

 シオンの遺品を最初に見つけたのはカイだった。

 あの時からずっと、カイの目はシオンの遺品に向けられていた。


 六年。

 その間、薬師はシオンの傷を癒し、命を繋ぎ、チームの一員として戦い続けた。

 シオンの報告書には、薬師を「チームの生命線」と評した記述があった。

 信頼していたのだ。

 命を預けていた。

 そして最後に——命令で、仲間を殺した。

 マルクが拳を握りしめていた。

 目を閉じ、何も言わなかった。


---


「そして——シオンの出自」


 声が少しだけ重くなった。


「シオンの出自は先王の不義の子。王位継承権第二十位。王家のスキャンダルだった」


 マルクが目を閉じた。


「シオン自身は王座を拒んでいた。しかしチーム内に『王宮の目』がいたため、仲間には秘密を話せなかった」


 手記の言葉が蘇る。

 『俺は王座なんかいらない。ただ、自分の足で立ちたかった』。


「秘密を打ち明けたのは、主にだけだった」


 リアが小さく頷いた。

 最深部で主の声を聞いた時のことを思い出しているのだろう。

 人間ではない存在が、人間の秘密を守り続けていた。

 シオンにとって主は、唯一何も隠さずにいられる相手だったのだ。

 ノアが静かに言った。


「……だからあの手記は、自分自身に書いていたんですね。誰にも話せないことを」


 その通りだった。

 手記はシオンにとっての唯一の吐露だったのだ。


---


「殺害の状況」


 呼吸を整えた。


「主の証言。薬師が治療の直後にシオンを背後から刺殺。主はそれをダンジョン全体で感知し、暴走した。フロアの全員を殺害。主は暴走時の記憶がない」


 声が掠れた。

 自分でも気づかなかった。


 あの静寂のフロア。

 音のない空間。

 モンスターも生まれない場所。

 あれはダンジョンが沈黙していたのではなかった。

 主が、友の眠りを守っていたのだ。

 最初にあのフロアに踏み込んだ時、私たちは異常な静けさに警戒した。

 二度目に踏み込んだ時は、トラップの暴走に襲われた。

 三度目は——主が私たちを受け入れた。

 すべてが繋がっていた。


---


 手帳を閉じた。

 記録はここまでだ。


「最後に——なぜ暗殺が命じられたのか」


 ここからは推察だ。

 手帳に書かれた事実ではない。

 しかし、状況証拠のすべてが同じ方向を指し示している。


「シオンが先王の不義の子であるという事実。この情報が王宮の外に漏れれば、王家の権威が揺らぐ。シオン自身が王座を求めていなくても、血の存在そのものが脅威だった」


 ゼノが腕を組んだまま、焚き火を見つめていた。


「薬師は王宮の暗部の一員として監視任務に就いていた。最初からチームに配置されていた。しかしある時点で——不義の話が王宮の外に漏れる兆しがあったか、政情の変化で漏れる前に消すという判断か——王宮は排除を決めた。監視任務が、暗殺任務に切り替わった」


 薬師の手帳の記述。

 『指示が来た』。

 あの一行が、すべてだった。


「王宮が、命じた。シオンの顔すら知らない誰かが、一人の冒険者の死を決めた」


 カイが低く呟いた。


「……あいつは、ただ冒険者をやりたかっただけだろうが」


 誰も答えなかった。

 答える必要がなかった。

 カイの声は怒りではなかった。

 行き場のない悔しさに聞こえた。

 王座を拒んだ。

 冒険者として生きたかっただけだった。

 監視されていても構わなかった。

 それでも——殺された。


---


 拠点に沈黙が落ちた。

 焚き火の炎が、ゆらりと揺れた。


「……確定する証拠はない」


 私は言った。


「主の証言。薬師の記録。現場の状況証拠。すべてが王宮を指し示している。しかし——直接的な証拠は、どこにもない。王宮が命じたという文書も、証人もいない」


 ……確定する証拠はない。

 だが、すべてが王宮を指し示している……

 それが、この事件の全容だった。

 シオンは先王の不義の子だった。

 王座を拒み、冒険者として生きた。

 ダンジョンの主と友になった。

 しかし王宮は、その血の存在を許さなかった。

 暗部の薬師が、六年間仲間として戦った男を——命令で殺した。

 主は暴走し、フロアの全員を殺した。

 そしてたった一人で友の遺体を守り続けていた。

 私たちがあのフロアに踏み込むまで、ずっと。

 それが、すべてだった。

 誰のために。

 何のために。

 答えは、出ない。


 手帳を見下ろした。

 三日間の記録がすべて書かれている。

 現場の観察。

 遺体の所見。

 証拠の分析。

 証言の記録。

 一つ一つは断片だった。

 しかし繋ぎ合わせれば、すべてが王宮を指し示していた。


 焚き火の炎が、また揺れた。

 拠点の空気が重い。

 長い沈黙の後、ゼノが焚き火を見つめたまま、ようやく口を開いた。


「……報告書の話をする」

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