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沈黙の迷宮 ― 王族失踪事件  作者: 智信
第三部

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第26話 記憶

「あいつだけが、俺を恐がらなかった」

――ダンジョンの主の吐露

 蒼白い光の前に座っていた。

 六人が半円を描くように並んでいる。

 冷たい床だった。

 しかし空気は重くも冷たくもなく、先ほどまでの圧力は消えていた。

 主の光が、静かに揺れている。

 しばらく、誰も口を開かなかった。

 主も黙っていた。

 光の明滅だけが、この空間に時間が流れていることを教えていた。


 やがて——吐き出すように、声が響いた。


「……あいつが来たのは、六年前だ」


 低い声だった。

 ぶつけるような口調。

 語りたいのか、語りたくないのか、自分でも分かっていないような響きだった。


「五人で来た。他の連中と同じだ。ダンジョンに入って、モンスターを倒して、罠を避けて、奥へ進む。そんな奴らは何度も見てきた。いつも同じだ。途中で引き返すか、死ぬか。誰一人、俺のところまでは来ない」


 主の光が、わずかに揺らいだ。


「だが——あいつは来た」


---


 私は手帳を開いていた。

 主の言葉を、一言も逃さず記録する。


「あいつのチームは強かった。前衛の二人が壁になって、斥候が道を切り開いて、薬師が傷を治す。息が合っていた。だが、それだけじゃ最深部には辿り着けない」


 主が言った。


「最深部への道は、通常の通路の先にはない。俺が隠している。誰にも来てほしくなかった。——来たって、どうせ俺を殺しに来るだけだ」


 ダンジョンの主を倒せば、ダンジョンは崩壊する。

 冒険者にとって主は討伐対象だ。

 主はそれを知っていた。

 ダンジョンのルール上、最深部への道を完全に消すことはできない。

 だから主は道を隠した。

 誰にも見つからないように、壁の奥に。


「だが、あの日——トラップが一つ、壊れた」


 主の声に、困惑が混じった。


「落とし穴のトラップだ。あいつらの戦闘の衝撃で機構が狂って、床が抜けた。落ちた先が——なぜか最深部に繋がっていた。俺が仕掛けた罠のはずなのに、俺の知らない道が開いた。ダンジョンが勝手に作ったとしか思えなかった」


 神がかり的な偶然。

 主が隠していた道とは別のルートで、ダンジョンそのものが最深部への道を生み出した。

 ダンジョンのルール——主への道は消せない——が、トラップの誤作動を通じて顕れたのだ。


「あいつだけが落ちた。仲間は上に残った。しかも落とし穴はすぐに塞がった。あいつ以外、落ちることができなかった」


 主の声が、一瞬だけ途切れた。


「……俺にもどうしてだか分からない。ただ、きっと俺の中の何かが——あいつと繋がりたかったんだろう」


---


 主の声が、少しだけ柔らかくなった。

 ほんの少し。


「最深部に人間が来たのは、初めてだった。俺は構えた。殺す気だった。——だが」


 光の明滅が、ゆっくりになった。


「あいつは剣を抜かなかった」


 沈黙が落ちた。

 蒼白い光が静かに揺れている。


「俺を見て——笑いやがった。『すごいな、こんなところに誰かいるのか』。そう言った。恐がらなかった。逃げなかった。剣に手もかけなかった」


 主が一度、言葉を切った。


「……前にも、俺の気配に近づいた奴はいた。最深部まで来なくても、途中で俺を感じ取る奴はいる。だが——全員、怯えた。俺の存在を感じた瞬間、どいつもこいつも同じ顔をした」


 主の声が震えていた。


「あいつだけが、俺を恐がらなかった」


 手帳に記録した。


『主の証言。シオンはトラップの誤作動で最深部に到達。主を恐れず、剣も抜かなかった。主にとってシオンは初めて対等に接した人間』


---


 主が続けた。


「あいつは俺に聞いた。『お前は何者だ』と。答えた。ダンジョンの主だと。このダンジョンのすべてを感じ取れる存在だと。あいつは驚いたが、それだけだった。次に言ったのは『じゃあ、このダンジョンのモンスターが強いのはお前のせいか』だった」


 光が、ほんの僅かに明るくなった。


「俺は——頼んだ。このダンジョンを使ってくれと。冒険者が来ないと、ダンジョンは成長しすぎて周りに害を出す。かといって、来る奴はみんな俺を殺しに来るか、途中で死ぬかだ。適度に探索してくれる奴が必要だった」


 リアが、小さく息を呑んだ。


「あいつは笑った。『俺もちょうど訓練場を探してたんだ。都合がいい』。それだけだった。取引でも契約でもない。ただ、互いに都合がよかった。それだけで——あいつは約束してくれた」


 それが始まりだったのだ。

 シオンは主のダンジョンを訓練場として使い始めた。

 定期的に探索し、モンスターを間引き、ダンジョンの成長を抑制する。

 主にとってもシオンにとっても、利のある関係だった。

 ゼノが腕を組んだまま聞いていた。

 ダンジョンの主が冒険者に利用を頼む。

 前例のない話だが、理屈は通っている。

 放置されたダンジョンが周辺に害を及ぼす事例は、ギルドの記録にもある。


「最初はそれだけの関係だった。あいつは探索のたびに、モンスターを倒して、罠を通り抜けて、帰っていく。俺はそれを見ていた。毎回、同じだ。だが——あいつは必ず、最深部に寄った」


 主の声が、静かになった。


「仲間を置いて、一人で来た。道は俺が教えた。あいつだけに。他の誰にも知られないように」


 地図に添えられていたメモが蘇った。

 『お前にだけ教える。この道を通れば、いつでも会える』。

 主がシオンに言った言葉。

 シオンはそれを書き留め、外套の裏地に隠していた。


「来るたびに話をした。あいつは自分の仲間のことを話した。騎士のこと、斥候のこと、魔術師のこと、薬師のこと。楽しそうに話しやがった。俺には仲間なんかいない。だが、あいつの話を聞いていると——悪くないと思った」


 主の声が揺れた。


「あの手記に書いてあったろう——『俺は王座なんかいらない。ただ、自分の足で立ちたかった』。あれはあいつの本心だ」


 光が、僅かに陰った。


「あいつは——仲間にも言えないことを、俺に話した。重い秘密だと。仲間には話せなかった。チームの中にも王宮の目があるだろうからな、と」


 人間ではない存在だからこそ、シオンは信じた。

 王宮の手が届かない場所。

 人の世界の権力が及ばない相手。

 シオンにとって主は、唯一安心して本当のことを話せる存在だったのだ。

 全員が息を詰めて聞いていた。


「だが俺には話した。人間じゃない俺になら、秘密は漏れない。——あいつはそう言って笑った」


 ノアが俯いていた。

 「王宮の目」——それが薬師を指しているのだと、この場の全員が理解していた。

 しかし主はそれ以上は語らなかった。

 シオンの秘密の中身には触れず、想いだけを語った。


---


 手帳に記録した。


『主の証言(続)。シオンには重い秘密があり、主にだけ打ち明けた。チーム内に「王宮の目」がいたため仲間には話せなかった。手記の「王座なんかいらない」は本心と主が証言。秘密の詳細は未開示』


 主の光が、弱くなっていた。

 明滅が遅くなり、蒼白い色が薄れている。

 語ることで力を使っているのか。

 それとも——思い出すことが、苦しいのか。

 マルクが壁のない暗闇を見つめていた。

 腕を組み、黙っている。

 薬師の記録を聞いた時と同じ姿勢だった。

 命令で人を殺した者のことを、また考えているのだろうか。


「あいつが来るのが楽しみだった。誰かが話しかけてくれるのは、あいつが初めてだったからな。冒険者は山ほど見た。だが俺と話す奴はいなかった。俺を恐がらない奴もいなかった」


 光が震えた。


「あいつだけだった。あいつだけが——」


 声が、途切れた。

 蒼白い光が、一瞬だけ激しく明滅した。

 そして——暗くなった。

 消えたのではない。

 光は残っている。

 しかし先ほどまでの穏やかさが消え、冷たい色に変わっていた。


「……あの日の話をする」


 主の声が変わっていた。

 思い出を語っていた声ではない。

 低く、硬く、感情を押し殺した声だった。

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