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沈黙の迷宮 ― 王族失踪事件  作者: 智信
第三部

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第25話 最深部

「もう、誰も来なくていい」

――ダンジョンの主の叫び

 通路は長かった。

 幅は人一人分。

 天井は低い。

 壁は滑らかで、手で触れると冷たいが、不快ではなかった。

 上層や中層の荒々しい岩肌とは違う。

 人の手が入った石造りよりもさらに整っている。

 カイが先頭を歩いている。

 足音を殺し、壁に触れながら先を確認していく。

 続くゼノとマルクの間に私が入り、リアとノアが後方を守っている。

 地図の通りだった。

 通路は一本道で、緩やかに下り続けている。

 分岐もなければ罠もない。

 モンスターの気配も、ない。

 ダンジョンの中にいるとは思えない静けさだった。

 事件フロアの静寂とは異なる。

 あちらは何かが欠落した沈黙だった。

 ここには——空気そのものに意志が宿っている。

 通る者を拒まず、迎えている。


「……シオンは何度もこの道を通ったんだな」


 カイが前を向いたまま呟いた。

 珍しく軽口ではなかった。

 そうだろう。

 この滑らかな壁、この穏やかな空気。

 シオンはこの道を通って主に会いに行った。

 何度も。

 一人で。

 通路が緩やかに曲がった。

 下り勾配がさらに急になる。

 空気の温度が少しだけ上がった。


「リア、どうだ」


 ゼノが後ろに声をかけた。


「変わりません。温かいままです」


 リアの声は落ち着いていた。

 しかし次の言葉で、私の耳が引かれた。


「……でも、近づいている。主の気配が、強くなっています」


---


 やがて、通路が途切れた。

 目の前に、広い空間が開けていた。

 足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。

 通路の柔らかさとは異なる。

 重い。

 深い。

 体の芯に響くような圧力がある。

 息苦しいわけではない。

 しかし、ここがただの空間ではないことが、肌で分かった。

 天井が高かった。

 見上げても闇に溶けて境界が見えない。

 壁は遠く、リアの照明では端まで届かない。

 自然の洞窟のような広さだが、床は平坦で整えられていた。

 そして——光があった。

 空間の中央に、淡い光が漂っていた。

 蒼白い光だ。

 炎ではない。

 魔術の光とも違う。

 光そのものが呼吸しているように、ゆっくりと明滅を繰り返している。

 光の中心には、何もないように見えた。

 形がない。

 しかし確かに、そこに何かがいた。

 全員が足を止めた。


「……これが」


 ゼノが低く言った。


「最深部だ」


 マルクが両手剣の柄を握った。

 構えはしない。

 しかし手を離すこともしなかった。

 カイが通路の出口で止まり、壁に背をつけた。

 退路を確保する姿勢だ。

 しかしその目は中央の光に固定されている。

 ノアが全員の状態を見回していた。

 自分の役割を果たそうとしている。

 だが視線は、やはり光に引かれていた。


 リアが、一歩前に出た。


「……ここにいる」


 囁くような声だった。


「ダンジョンの主。この光が——主そのものです」


---


 全員が光を見つめていた。

 私は手帳を開いた。

 記録しなければならない。


『最深部に到達。広大な空間。中央に蒼白い光。リアの所見により、この光がダンジョンの主と推定。人語を解するかどうかは未確認』


 蒼白い光が、明滅を繰り返していた。

 生きているように。

 ゆっくりと。

 リアが目を閉じた。

 感情を読み取ろうとしている。

 しばらくして、目を開いた。


「……警戒しています。でも、攻撃の意思はない。まだ」


 ゼノが頷いた。


「話しかけてみる」


 一歩、前に出た。

 ゼノの声が広い空間に響いた。


「我々はギルドの調査チームだ。シオンの調査のために来た」


 反応がなかった。

 光は明滅を続けている。

 ゼノが続けた。


「シオンの遺体を見つけた。シオンを殺した者も分かった。我々は、その理由を知りたい」


 沈黙。

 光の明滅が、わずかに速くなった。


「あなたはシオンを知っていた。シオンがここに通っていたことも知っている。地図があった。あなたがシオンに教えた道だ」


 光が揺れた。

 空間全体が震えたように感じた。

 足元ではない。

 空気が震えている。

 壁が、天井が、床が——ダンジョンそのものが反応している。

 リアが声を上げた。


「ゼノさん——」


 しかし、リアの警告より先に——声が響いた。


---


「——帰れ」


 低い声だった。

 声だとは分かるが、人のものとは思えない響きがある。

 しかも、どこから聞こえているのか分からない。

 空間全体から響いている。

 ダンジョンそのものが声を発していた。


「帰れ。お前たちに用はない」


 蒼白い光が激しく明滅した。

 空気の圧力が増した。

 息が重くなる。

 マルクが盾の代わりに体を前に出した。

 ノアがリアの隣に寄った。

 カイの手が短剣の柄にかかっている。

 ゼノは動かなかった。


「シオンのことを聞きたい」


「聞くな。知らなくていい。お前たちには関係ない」


 声に怒りが混じり始めていた。

 光の明滅がさらに速くなる。

 空間が軋んでいるように感じた。

 天井から微かに砂が落ちてくる。


「——もう、誰も来なくていい」


 その声は、怒りではなかった。

 悲鳴だった。

 リアが顔を歪めた。

 両手で頭を抱えるようにして、膝を折った。


「リア!」


 ノアが駆け寄った。


「……大丈夫。大丈夫です。ただ——」


 リアが顔を上げた。

 目が潤んでいた。


「この人は、泣いている」


 泣いている。

 主は泣いていた。

 怒りの裏側で。

 拒絶の裏側で。

 シオンを失った悲しみが、ダンジョン全体に溢れている。

 リアが初めてこのダンジョンに足を踏み入れた時に言った言葉を思い出した。

 「泣いている」——静寂のフロアで感じた残留感情。

 それはここから——最深部から、ダンジョン全体に染み出していたのだ。


---


 空気が震えていた。

 天井の闇の奥から微かな軋みが聞こえ、足元に細かな石片が落ちてくる。

 主は泣いている。

 しかしその悲しみがダンジョンを揺らし、私たちを押し潰しかねない。


「撤退するか」


 ゼノが振り返った。

 しかし、私を見ていた。

 判断を委ねている。

 調査を続けるかどうか。

 ここで引き返せば安全だ。

 しかし真実には辿り着けない。


「……一つだけ、聞かせてください」


 私はゼノではなく、蒼白い光に向かって声を発した。


「帰れと言った!」


 空気が撃つように圧縮された。

 全員がよろめいた。

 リアが声にならない悲鳴を上げた。

 しかし、私は立っていた。

 立ち続けた。


「あなたはシオンの遺体を守っていた。痕跡を消し、通路を変え、罠を仕掛けてまで、私たちを遠ざけようとした」


 声が出なかった。

 喉が詰まるような圧力。

 しかし言葉を紡いだ。


「それは——シオンを大切に想っていたからでしょう」


 光の明滅が、止まった。

 圧力が、止まった。

 沈黙が落ちた。


 蒼白い光が、静かに揺れていた。

 弱々しく。

 脈を打つように。


「……お前に、何が分かる」


 声が変わっていた。

 怒りが消えたわけではない。

 しかし、悲鳴の後に残った、かすれた声だった。


「分かりません。だから聞いているんです」


 私は一歩、前に出た。

 鞄から手帳を取り出し、蒼白い光に向けて掲げた。


「私たちはここまで辿り着いた。薬師の記録を見つけた。シオンの地図を見つけた。暗殺の痕跡も、すべて調べた。あなたは知っているはずだ——シオンに何が起きたのか」


 主は答えなかった。

 しかし攻撃もしてこなかった。


「私たちには分からないことがある。シオンが何者で、なぜ殺されなければならなかったのか。分からないまま帰ることはできない」


 沈黙が続いた。

 光が揺れている。

 弱く。

 しかし、消えてはいない。

 リアが立ち上がった。

 ノアに支えられながら。

 私の隣に並んだ。


「……私には、あなたの悲しみが、少し……分かります」


 リアの声は小さかった。

 しかし、静寂の中でははっきりと響いた。


「ずっと一人だった。シオンだけが来てくれた。それを失った。——私も、ずっと一人だったから」


 光が、ほんの僅かに——膨らんだ。


---


 長い沈黙が流れた。

 誰も動かなかった。

 ゼノもマルクもカイもノアも、息を殺して主の反応を待っていた。

 蒼白い光が、ゆっくりと明滅を再開した。

 先ほどより穏やかだった。

 荒い呼吸が静まっていくように。

 やがて、声が聞こえた。


「……座れ」


 低い声だった。

 しかし、先ほどの拒絶とは違う。


「座れ。話してやる」


 ゼノが私を見た。

 私が頷いた。

 六人が、蒼白い光の前に座った。

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