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沈黙の迷宮 ― 王族失踪事件  作者: 智信
第三部

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第24話 地図

「主がただ一人に教えた道。信頼の証だった」

――シオンの外套に残された地図

 薬師の記録を読み終えた後、私はフロアを見渡した。

 犯人は分かった。

 暗殺者だったことも分かった。

 命じた者がいることも分かった。

 しかし動機が分からない。

 動機を知るには、主の元に行く必要がある。

 主は最深部にいる。

 最深部への道は、どの地図にも描かれていない。


「……シオンの遺品を、もう一度調べませんか」


 全員の視線が私に向いた。


「薬師が暗殺者だったなら、そしてその暗殺対象がシオンだったなら——シオンも何か隠しているものがあるかもしれない」


 ゼノが頷いた。


「カイ」


 名前を呼ぶだけで、カイは動いた。

 入口を離れ、シオンの遺体のそばに膝をついた。

 斥候の目が遺品を一つ一つ確認していく。

 私も近づき、シオンの装備を改めて観察した。

 剣は腰の鞘に収まったまま。

 抜く暇もなかったのだろう。

 革鎧は使い込まれているが手入れが行き届いている。

 腰のベルトに荷袋と水筒。

 足元に落ちた手袋が片方。

 外套は脱いでいた。

 治療を受ける前に脱いだのだろう。

 遺体の下からはみ出るようにして、床に広がっていた。

 冒険者としての装備に不自然な点はなかった。


 カイの視線が止まった。


「……おい」


 低い声だった。

 その視線の先には、遺体の下からはみ出ている外套があった。


「この外套の仕立て、おかしいぞ」


 カイの声が鋭くなっていた。

 仕事中の目だ。


「何がだ」


 ゼノが近づいた。


「ここだけ布が厚い。——何か入ってる」


 斥候としての経験が、こういう細部を見逃さない。


「ゼノ、どうする」


 私が聞いた。

 シオンの遺品に触れることになる。

 あの暴走が頭をよぎった。

 ゼノは少しだけ思案した。

 そして、フロアの空気に向かって声を発した。


「シオンを貶めるつもりはない。外套に触れることを許してくれ」


 主に向かって語りかけている。

 返事はない。

 しかしフロアは静けさを保ったままだった。

 リアが呟いた。


「……怒りは感じない」


 ゼノがカイに頷いた。

 カイの指が裏地の縫い目を探っていく。

 端の方で、糸の処理が他と異なる箇所を見つけた。

 縫い直してある。

 後から何かを入れて、閉じたのだ。


「出せるか」


「ああ。糸を切る」


 カイが短剣の先で糸を丁寧に解いた。

 裏地の隙間から、薄い紙が出てきた。

 きれいに折り畳まれた一枚の紙だった。

 カイが慎重に広げた。


「……地図だ」


---


 全員がその地図を覗き込んだ。

 一目で分かった。

 通常の探索地図ではない。

 ギルドから受け取った調査記録には、先のチームが残した探索地図が含まれていた。

 あの地図には、ダンジョンの構造が浅層から中層まで記されていた。

 しかし最深部への道は描かれていなかった。

 シオンの地図は違った。

 紙質も筆跡も異なる。

 チームの探索記録ではない。

 シオンが個人的に描いたものだ。

 そしてこの地図には——その先が記されている。


 事件フロアの近く。

 壁面の一箇所に、小さな印がつけられている。

 そこから細い線が伸び、下へ、さらに下へと続いている。

 通常の通路とは異なるルートだった。

 地図の下部に、広い空間が示されている。

 その空間の中央に、円が一つ。

 何も書かれていない円だが、これが目的地であることは明白だった。


 最深部だ。


 手帳に記録した。


『シオンの外套の裏地から地図を発見。通常の探索地図にない道が描かれている。事件フロア付近から始まる隠し通路。最深部へ至るルート。シオンだけが持っていた——シオンだけが知っていた道と推定』


---


 ノアが地図を覗き込み、声を漏らした。


「……丁寧に描かれている。間違えないようにと、正確に描いたのでしょう」


 地図の余白に、短いメモが添えられていた。

 シオンの筆跡だ。

 先のチームの手記で見た文字と一致する。


『お前にだけ教える。この道を通れば、いつでも会える』


 私は息を呑んだ。

 これはシオンが書いたメモではない。

 シオンに宛てた言葉だ。

 主の言葉を、シオンが書き留めたのだ。

 「お前にだけ教える」。

 主はシオンを信頼していた。

 そしてシオンも、その言葉を大切に記していた。


「……主がシオンに教えた道」


 私は繰り返した。


 主がただ一人に教えた道。

 信頼の証だった。

 シオンだけが主の元に通うことができた。

 そしてシオンは、その道を地図に記し、外套の裏地に隠していた。

 他の誰にも知られないように。


 薬師はこの地図の存在を知らなかっただろう。

 六年間監視を続けていた暗殺者でさえ気づかなかった。

 知っていれば、記録に何か書いたはずだ。

 シオンの仲間でさえ知らなかった道。

 シオンと主だけの秘密だった。


---


 リアが地図に手を伸ばした。

 指先が紙の上を滑る。

 目を閉じ、何かを感じ取ろうとしている。


「……この道には、きっと敵意はない」


 リアが目を開いた。


「ダンジョンのどこにいても、主の警戒を感じていました。でも、この地図は——温かいです」


 主がシオンのために用意した道だから、害意がない。

 安全な道。

 シオンが何度も通った道。

 シオンと主を繋いでいた道だ。

 主の怒りも、警戒も、痕跡の消去も——すべてはシオンに関わるものだった。

 この道だけは、その感情の外にある。


 ゼノがリアを見た。


「温かいということは——トラップもモンスターもないのか」


「たぶん。この地図に描かれた道だけは、主が守っている。シオンのために」


 ゼノが地図を手に取り、じっと見つめた。

 しばらく考え込んでいた。

 やがて全員を見渡した。


「この道を使えば、最深部に行ける」


 全員が頷いた。

 しかし、カイが口を開いた。


「……安全なのは確かなのか。シオンのための道だったとしても、今は俺たちが通る。主がそれを許すかどうかは別の話だ」


 正当な懸念だった。

 もっともだ。

 主はこの道をシオンのために用意した。

 シオン以外の人間が踏み込めば、暴走する可能性もある。


 リアが静かに言った。


「主は——迷っている」


 全員がリアを見た。


「怒りでもない。悲しみでもない。今は、迷っている。私たちがここにいることを、拒むべきか、受け入れるべきか」


 迷っている。

 判断がつかないのだ。

 シオンのために用意した道に、シオン以外の者が踏み込もうとしている。

 それを拒むことも、許すことも、主はまだ決められていない。

 しかし裏を返せば、今この瞬間は攻撃してこないということでもある。

 迷いがある限り、私たちには猶予がある。


---


 ゼノが決断した。


「行く。ただし、リアが危険だと言ったら即座に引き返す。全員、リアの判断に従え」


 異論は出なかった。

 カイも黙って頷いた。

 マルクが両手剣の柄に手をかけた。

 何も言わない。

 だが壁から背を離し、いつでも動ける姿勢をとっている。

 ノアが全員の状態を確認した。


「全員、問題ありません」


 短く報告した。


 地図を照合した。

 隠し通路の入口は、事件フロアの東側の壁面にあるはずだ。

 カイが壁に近づき、手で触れ始めた。

 表面を滑るように探っていく。

 しばらくして、カイの手が止まった。


「……ここだ。壁の一部が他と違う。微かに窪んでいる」


 カイが窪みに指を当て、押し込んだ。

 低い音がした。

 壁が振動する。

 石が擦れる音とともに、壁の一部が奥へずれ、人一人が通れるほどの隙間が現れた。


 暗い通路が、下へ向かって伸びていた。

 リアの照明が通路を照らした。

 狭い。

 二人が並んで歩くことはできない。

 しかし一人ずつなら問題ない。

 壁面は滑らかで、トラップの痕跡は見当たらない。

 天井も低いが、かがまずに歩ける程度の高さはあった。

 空気が違った。

 ダンジョンの他のフロアとは異なる、柔らかな空気が通路の奥から流れてきている。


「……リア」


 ゼノが問いかけた。


「大丈夫です。この先も温かい。主の害意はありません」


 カイが先行した。

 続いてゼノとマルク。

 リアと私。

 ノアが最後尾を務めた。

 通路は緩やかに下っていた。

 足音が壁に反響する。

 六人分の足音だけが、静寂の中に響いている。

 この先に何が待っているのか。

 主は私たちを受け入れるのか、拒むのか。

 下へ。

 主の元へ。

 シオンだけが知っていた道を、私たちは辿り始めた。

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