第24話 地図
「主がただ一人に教えた道。信頼の証だった」
――シオンの外套に残された地図
薬師の記録を読み終えた後、私はフロアを見渡した。
犯人は分かった。
暗殺者だったことも分かった。
命じた者がいることも分かった。
しかし動機が分からない。
動機を知るには、主の元に行く必要がある。
主は最深部にいる。
最深部への道は、どの地図にも描かれていない。
「……シオンの遺品を、もう一度調べませんか」
全員の視線が私に向いた。
「薬師が暗殺者だったなら、そしてその暗殺対象がシオンだったなら——シオンも何か隠しているものがあるかもしれない」
ゼノが頷いた。
「カイ」
名前を呼ぶだけで、カイは動いた。
入口を離れ、シオンの遺体のそばに膝をついた。
斥候の目が遺品を一つ一つ確認していく。
私も近づき、シオンの装備を改めて観察した。
剣は腰の鞘に収まったまま。
抜く暇もなかったのだろう。
革鎧は使い込まれているが手入れが行き届いている。
腰のベルトに荷袋と水筒。
足元に落ちた手袋が片方。
外套は脱いでいた。
治療を受ける前に脱いだのだろう。
遺体の下からはみ出るようにして、床に広がっていた。
冒険者としての装備に不自然な点はなかった。
カイの視線が止まった。
「……おい」
低い声だった。
その視線の先には、遺体の下からはみ出ている外套があった。
「この外套の仕立て、おかしいぞ」
カイの声が鋭くなっていた。
仕事中の目だ。
「何がだ」
ゼノが近づいた。
「ここだけ布が厚い。——何か入ってる」
斥候としての経験が、こういう細部を見逃さない。
「ゼノ、どうする」
私が聞いた。
シオンの遺品に触れることになる。
あの暴走が頭をよぎった。
ゼノは少しだけ思案した。
そして、フロアの空気に向かって声を発した。
「シオンを貶めるつもりはない。外套に触れることを許してくれ」
主に向かって語りかけている。
返事はない。
しかしフロアは静けさを保ったままだった。
リアが呟いた。
「……怒りは感じない」
ゼノがカイに頷いた。
カイの指が裏地の縫い目を探っていく。
端の方で、糸の処理が他と異なる箇所を見つけた。
縫い直してある。
後から何かを入れて、閉じたのだ。
「出せるか」
「ああ。糸を切る」
カイが短剣の先で糸を丁寧に解いた。
裏地の隙間から、薄い紙が出てきた。
きれいに折り畳まれた一枚の紙だった。
カイが慎重に広げた。
「……地図だ」
---
全員がその地図を覗き込んだ。
一目で分かった。
通常の探索地図ではない。
ギルドから受け取った調査記録には、先のチームが残した探索地図が含まれていた。
あの地図には、ダンジョンの構造が浅層から中層まで記されていた。
しかし最深部への道は描かれていなかった。
シオンの地図は違った。
紙質も筆跡も異なる。
チームの探索記録ではない。
シオンが個人的に描いたものだ。
そしてこの地図には——その先が記されている。
事件フロアの近く。
壁面の一箇所に、小さな印がつけられている。
そこから細い線が伸び、下へ、さらに下へと続いている。
通常の通路とは異なるルートだった。
地図の下部に、広い空間が示されている。
その空間の中央に、円が一つ。
何も書かれていない円だが、これが目的地であることは明白だった。
最深部だ。
手帳に記録した。
『シオンの外套の裏地から地図を発見。通常の探索地図にない道が描かれている。事件フロア付近から始まる隠し通路。最深部へ至るルート。シオンだけが持っていた——シオンだけが知っていた道と推定』
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ノアが地図を覗き込み、声を漏らした。
「……丁寧に描かれている。間違えないようにと、正確に描いたのでしょう」
地図の余白に、短いメモが添えられていた。
シオンの筆跡だ。
先のチームの手記で見た文字と一致する。
『お前にだけ教える。この道を通れば、いつでも会える』
私は息を呑んだ。
これはシオンが書いたメモではない。
シオンに宛てた言葉だ。
主の言葉を、シオンが書き留めたのだ。
「お前にだけ教える」。
主はシオンを信頼していた。
そしてシオンも、その言葉を大切に記していた。
「……主がシオンに教えた道」
私は繰り返した。
主がただ一人に教えた道。
信頼の証だった。
シオンだけが主の元に通うことができた。
そしてシオンは、その道を地図に記し、外套の裏地に隠していた。
他の誰にも知られないように。
薬師はこの地図の存在を知らなかっただろう。
六年間監視を続けていた暗殺者でさえ気づかなかった。
知っていれば、記録に何か書いたはずだ。
シオンの仲間でさえ知らなかった道。
シオンと主だけの秘密だった。
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リアが地図に手を伸ばした。
指先が紙の上を滑る。
目を閉じ、何かを感じ取ろうとしている。
「……この道には、きっと敵意はない」
リアが目を開いた。
「ダンジョンのどこにいても、主の警戒を感じていました。でも、この地図は——温かいです」
主がシオンのために用意した道だから、害意がない。
安全な道。
シオンが何度も通った道。
シオンと主を繋いでいた道だ。
主の怒りも、警戒も、痕跡の消去も——すべてはシオンに関わるものだった。
この道だけは、その感情の外にある。
ゼノがリアを見た。
「温かいということは——トラップもモンスターもないのか」
「たぶん。この地図に描かれた道だけは、主が守っている。シオンのために」
ゼノが地図を手に取り、じっと見つめた。
しばらく考え込んでいた。
やがて全員を見渡した。
「この道を使えば、最深部に行ける」
全員が頷いた。
しかし、カイが口を開いた。
「……安全なのは確かなのか。シオンのための道だったとしても、今は俺たちが通る。主がそれを許すかどうかは別の話だ」
正当な懸念だった。
もっともだ。
主はこの道をシオンのために用意した。
シオン以外の人間が踏み込めば、暴走する可能性もある。
リアが静かに言った。
「主は——迷っている」
全員がリアを見た。
「怒りでもない。悲しみでもない。今は、迷っている。私たちがここにいることを、拒むべきか、受け入れるべきか」
迷っている。
判断がつかないのだ。
シオンのために用意した道に、シオン以外の者が踏み込もうとしている。
それを拒むことも、許すことも、主はまだ決められていない。
しかし裏を返せば、今この瞬間は攻撃してこないということでもある。
迷いがある限り、私たちには猶予がある。
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ゼノが決断した。
「行く。ただし、リアが危険だと言ったら即座に引き返す。全員、リアの判断に従え」
異論は出なかった。
カイも黙って頷いた。
マルクが両手剣の柄に手をかけた。
何も言わない。
だが壁から背を離し、いつでも動ける姿勢をとっている。
ノアが全員の状態を確認した。
「全員、問題ありません」
短く報告した。
地図を照合した。
隠し通路の入口は、事件フロアの東側の壁面にあるはずだ。
カイが壁に近づき、手で触れ始めた。
表面を滑るように探っていく。
しばらくして、カイの手が止まった。
「……ここだ。壁の一部が他と違う。微かに窪んでいる」
カイが窪みに指を当て、押し込んだ。
低い音がした。
壁が振動する。
石が擦れる音とともに、壁の一部が奥へずれ、人一人が通れるほどの隙間が現れた。
暗い通路が、下へ向かって伸びていた。
リアの照明が通路を照らした。
狭い。
二人が並んで歩くことはできない。
しかし一人ずつなら問題ない。
壁面は滑らかで、トラップの痕跡は見当たらない。
天井も低いが、かがまずに歩ける程度の高さはあった。
空気が違った。
ダンジョンの他のフロアとは異なる、柔らかな空気が通路の奥から流れてきている。
「……リア」
ゼノが問いかけた。
「大丈夫です。この先も温かい。主の害意はありません」
カイが先行した。
続いてゼノとマルク。
リアと私。
ノアが最後尾を務めた。
通路は緩やかに下っていた。
足音が壁に反響する。
六人分の足音だけが、静寂の中に響いている。
この先に何が待っているのか。
主は私たちを受け入れるのか、拒むのか。
下へ。
主の元へ。
シオンだけが知っていた道を、私たちは辿り始めた。




