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沈黙の迷宮 ― 王族失踪事件  作者: 智信
第三部

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第22話 手がかり

「ダンジョンが記録を拒んでいる。主が、守ろうとしている」

――調査士エイルの手帳より

 決断が下った直後から、全員が動き始めた。

 ゼノが指示を出す。


「事件フロアをもう一度調べる。さっき見落としたものがあるかもしれない。カイ、入口の警戒を頼む。リア、フロア全体の気配を見ていてくれ」


 カイが入口に戻り、通路の状態を監視する位置についた。

 リアがフロアの中央で目を閉じる。

 ゼノとマルクがフロアの壁際を、ノアと私が遺体周辺を受け持つことになった。

 手帳を開き、直前の記録と照合を始めた。


 ——違和感は、すぐに見つかった。


 記録した痕跡のうち、いくつかがさらに消えていた。

 壁面の亀裂。

 先ほどは一箇所だけ残っていた。

 今は——ない。

 最後の一本だった亀裂が、完全に塞がっていた。

 指を這わせた。

 滑らかだった。

 亀裂の痕跡すら感じられない。

 焼け焦げた跡。

 中心部だけはまだ残っていたはずだ。

 確認した。

 薄くなっている。

 黒い焦げ跡の輪郭がぼやけ、床面と区別がつきにくくなっていた。

 天井の崩落穴。

 もう穴とは呼べなかった。

 わずかな窪みが残るだけで、天井はほぼ平坦に戻っている。


「……消えていく」


 呟いた。

 手帳の記録と現場を照合するたびに、差異が広がっていた。

 記録が正しいのか、目の前の現場が正しいのか。

 答えは分かっている。

 現場が変わっているのだ。


(……ダンジョンが記録を拒んでいる。主が、守ろうとしている……)


 壁面の矢も残り一本になっていた。

 最初に確認した時は三本だった。

 二本は壁に吸い込まれるように消えていた。

 残った一本に手を伸ばした。

 指が触れた瞬間、矢が微かに振動した。

 壁が矢を引き込もうとしている。

 私は慌てて手を離した。

 矢はまだそこにあった。

 しかし次に来た時には消えているだろう。


 手帳に記録した。


『痕跡の消失がさらに進行。直前の記録と比較——壁面亀裂:1箇所→0。焼け跡:中心部の輪郭もぼやけて消えかけている。天井崩落穴:ほぼ平坦に修復。壁面の矢:3本→1本(壁が矢を引き込もうとしている動きを確認)。修復の速度が上がっている。このまま進行すれば、暴走の痕跡は完全に消える』


---


 ゼノとマルクがフロアの壁面を調べ終えて戻ってきた。


「壁は全面が修復されている。罠の機構も元に戻りかけていた」


 ゼノが言った。

 マルクが続ける。


「射出機構の穴が三つあったはずだが、一つしか残っていない。あとの二つは壁面と一体化していた」


 痕跡が消えていく速度は、先ほど確認した時より明らかに速い。

 主は修復を急いでいる。

 私たちが来たことで、かえって修復を加速させたのかもしれない。


 リアがフロアの中央で目を開いた。


「……主の気配が、さっきより近い。このフロアに、意識を集中させている」


「俺たちを見ているのか」


 ゼノが聞いた。


「見ている——というより、感じている。このフロアで何が起きているか、すべて把握しています」


 主はこのフロアを注視している。

 私たちの動きを感じ取りながら、同時に痕跡を消し続けている。

 見られている。

 その感覚が、首筋を撫でるように纏わりついていた。


---


 しかし、変わっていないものがある。

 五体の遺体だ。

 崩れた石の下の騎士。

 壁際の斥候。

 杖の残骸のそばの魔術師。

 散乱した治療道具のそばの薬師。

 少し離れた場所に、シオン。

 遺体も遺留品も、寸分違わぬ配置のまま残っている。

 フロアのすべてが修復されていく中で、遺体だけが取り残されている。


(……主は遺体を消せるはずだ。フロアの構造を自在に変えられる。壁の中に取り込むことも、床の下に沈めることもできる。なのに、しない)


 遺体を調べ直す。

 ゼノが宣言した時と同じように、目視だけで。

 触れない。


 騎士の遺体から始めた。

 崩落した天井の石に押し潰されている。

 損傷の位置と程度を確認した。

 記録と一致する。

 変化なし。

 装備を見た。

 剣と砕けた盾の破片。

 剣は手から離れ、少し先の床に転がっている。

 盾の破片が体の周りに散らばっていた。

 所持品はポーチが一つ。

 中身は判別できない。


 斥候の遺体。

 壁際に倒れている。

 壁面から射出された矢による刺創。

 変化なし。

 装備は短剣が二本。

 一本は鞘に、もう一本は床に落ちている。


 魔術師の遺体。

 発火トラップの焼死。

 杖が折れ、破片が散乱している。

 ローブの残骸が焼け焦げている。

 所持品に特筆すべきものは見当たらない。


 三人の遺体と遺留品に、新たな発見はなかった。

 死因も損傷の位置も、すべてがトラップの暴走と合致する。

 三人は——巻き込まれただけだ。


---


 薬師の遺体に取りかかった。

 壁に叩きつけられた撲死。

 衝撃のトラップ——四種類目のトラップが薬師を壁まで吹き飛ばしている。

 背中から壁にぶつかった姿勢のまま崩れ落ちている。

 壁面は修復されていたが、遺体の損傷がその衝撃の激しさを物語っていた。

 薬箱は遺体の近くに散乱していた。

 暗器を発見した、あの箱だ。

 暗器は今もそこにある。

 薬瓶も、包帯も、同じ位置にある。


 ——しかし。


 目を凝らした。

 これまでとは違う角度から、薬師の遺体を観察していた。

 薬師の上着の内側。

 左の胸元。

 布が不自然に膨らんでいる。


「ノア」


 小さく呼んだ。

 ノアが隣に来た。


「薬師の上着の左胸、内側です。布の下に何か入っているように見えます」


 ノアが目を細めた。

 しばらく観察していた。


「……見える。布の膨らみ。形から推測すると——小さな冊子か、折り畳んだ紙」


 遺体には触れない。

 それが暗黙のルールだった。

 主の暴走を招く可能性がある。

 ——それでも。


「ゼノ」


 私はリーダーの名を呼んだ。

 ゼノが近づいてきた。


「薬師の上着の内側に、何かがあります。小さな冊子のようなものです」


 ゼノの目が鋭くなった。


「……取り出す必要があるか」


「はい。犯人の所持品です。動機に繋がる手がかりかもしれません」


 ゼノが沈黙した。

 遺体に触れれば主が暴走する可能性がある。

 前回の暴走では、フロア全体のトラップが一斉発動した。


「リア、主の状態は」


「……緊張している。でも——怒りではない。不安に近い」


 ゼノが判断した。


「リア、防壁を全員に。マルク、前に出ろ。カイ、退路を確保しておけ」


 全員が位置についた。

 リアの防壁が薄い光の膜となって全員を覆う。

 マルクが剣を抜き、ゼノが盾を構えた。

 カイが入口で通路を確認している。

 ノアがゆっくりと薬師の遺体に手を伸ばした。

 治療師の手が、薬師の亡骸に触れる。

 上着の内側に指を差し入れ、小さな冊子を引き出した。


 フロアが、震えた。


 一瞬だった。

 床が揺れ、壁が軋み、天井から砂が落ちた。

 リアの防壁が光を強くした。

 ——しかし、それだけだった。

 トラップは発動しなかった。

 暴走は起きなかった。

 震えは数秒で収まり、フロアは再び静寂に包まれた。


「……止まった」


 リアが呟いた。


「怒りじゃない。……戸惑っている」


 主が戸惑っている。

 何に対して。

 遺体に触れたことに対してか。

 それとも——取り出されたものに対してか。

 私は息をついた。

 防壁の内側で、全員が安堵の気配を漏らしていた。

 ノアが冊子を私に手渡した。

 小さな手帳だった。

 革表紙の、掌に収まるほどの大きさ。

 開いた。

 文字が並んでいた。


 ——異質な文体だった。


 最初のページから読み始めた。

 日付が記されている。

 内容は日々の記録のようだった。

 しかし言葉の選び方が、普通の日記とは違う。


 手帳を閉じ、全員を見た。


「薬師の手帳です。詳しく読み解く必要があります」


 ゼノが頷いた。


「ここで読むか」


「はい。この場で」


 手帳を開き直した。

 薬師が何を書き残していたのか。

 シオンを殺した者の言葉が、この手帳の中にある。

累計PVが500PVを突破しました。

知名度が全くない私の作品に出会っていただき、そして読んでいただき、誠にありがとうございます。

本日より第三部がはじまりました。

これからもどうぞよろしくお願い致します。

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