第21話 決断
「主の悲しみが、ダンジョンを蝕んでいく」
――魔術師リアの報告
全員が事件フロアの中にいた。
リアの言葉が、まだ空気の中に残っている。
主は悲しんでいる。
何かを守ろうとしている。
私は手帳を開いた。
これまでの記録を最初から読み返す。
「……整理します」
全員がこちらを見た。
「確定した事実を並べます」
手帳のページを繰った。
「一つ。シオンの死因は暗殺。犯人は薬師。凶器は薬箱に隠されていた暗器。背後から一撃で心臓を貫いている。人体の構造を知り尽くした者の攻撃」
ここまでは全員が共有している事実だ。
「二つ。他の四人の死因はトラップの暴走。騎士は圧死、斥候は刺創死、魔術師は焼死、薬師は撲死。犯人である薬師自身も暴走に巻き込まれて死んでいます」
「三つ。トラップの暴走は主の意思によるもの。主はこのダンジョンに現存し、トラップの発動、通路の構造変化、モンスターの配置、フロアの修復を行っている」
「四つ。主はシオンの死に対して強い感情を示している。怒り、敵意、悲しみ。そしてこのフロアを守ろうとしている。遺体と遺留品には触れず、暴走の痕跡だけを消している」
手帳を膝の上に置いた。
「以上が確定した事実です。ここから先は推察になります」
---
ゼノが口を開いた。
「薬師は——誰かの命令で動いていたのか」
核心を突く問いだった。
ゼノは合流した日から、この任務の政治的な匂いを嗅ぎ取っていた。
その嗅覚が、今、犯人の背後を問うている。
私は答えた。
「証拠はまだありません。しかし、気になることがあります」
「何だ」
「薬師がシオンを殺し、その後にトラップが暴走しています。暗殺と暴走の間にどれだけの時間があったかは分かりませんが——薬師も暴走で死んでいる。……偶然でしょうか」
全員が黙った。
「暗殺の手際を見てください。人体の急所を正確に突く一撃。苦しまない殺し方。薬箱に暗器を常時携行していた。素人の犯行ではない。訓練された技術です」
マルクの表情が強張った。
訓練された技術。
命令で動く者。
マルクにとって、それは他人事ではない。
「もう一つ。暴走のトラップパターンに差異があります」
ゼノが眉を上げた。
「差異?」
「私たちがシオンの遺体に触れようとした時の暴走では、落石、矢、発火の三種類のトラップが発動しました。しかし、あの日——シオンが殺された日の暴走では、それに加えて衝撃のトラップも発動している。薬師を壁に叩きつけて殺したのは、この四種類目です」
「……つまり?」
「あの日の暴走の方が激しかった。四種類すべてのトラップが、無差別に一斉発動している。どのトラップがどこに当たるかも関係なく——制御された攻撃ではなく、本能的な爆発だったと考えられます。主はシオンの死に反応して、我を忘れた」
手帳に記録した。
『推察:薬師は訓練された暗殺技術を持つ。個人の判断ではなく何者かの命令で動いていた可能性がある。暴走のトラップパターンの差異(四種類 vs 三種類)から、シオン殺害時の暴走は制御された攻撃ではなく本能的な爆発と推定。主はシオンの死に対して衝動的に反応した』
---
沈黙が落ちた。
最初に声を上げたのはカイだった。
「犯人は分かった。死因も確定した。報告としては十分じゃないのか」
カイの声に軽さはなかった。
拠点で焚き火を囲んだ夜、「何の意味がある」と問うた時と同じ目をしていた。
「俺たちの任務はシオンの調査だ。犯人は薬師、死因は暗殺、他の四人はトラップの暴走。——これ以上、何を調べる」
ノアが静かに頷いた。
「……私も、カイの意見に近いです。これ以上奥に進めば、全員が危険にさらされます。主の反応は段階的に強くなっている。次は威嚇では済まないかもしれない」
二人の懸念は正当だった。
私にもそれは分かっている。
主の反応は確かにエスカレートしている。
罠の妨害から通路変化、モンスター配置、威嚇、痕跡の消去。
次の段階は——確実に殺しにくるかもしれない。
マルクは黙っていた。
壁にもたれ、腕を組んでいる。
視線は床に落ちたままだった。
薬師が命令で動いていたなら、その動機を知りたいのか、知りたくないのか。
マルクの表情からは読み取れなかった。
リアが言った。
「……主が、こんなに必死に隠そうとしている」
視線がリアに集まった。
「痕跡を消して、通路を変えて、モンスターを使って追い出そうとした。それでも私たちが来たら、今度はフロアそのものを修復し始めた。……それだけのことをしなければならない理由がある」
リアの声は静かだったが、揺るがなかった。
「隠そうとしているものがある。知られたくない何かが。それを知らずに帰ったら——何も分からないまま終わる」
私は手帳を見つめた。
「……動機が分からなければ、報告書が書けません」
五つの視線が私に向いた。
「薬師が犯人だという事実は確定しています。しかし、なぜシオンを殺したのか。命令なのか。だとしたら誰の命令なのか。それが分からなければ、この調査は不完全です」
カイが天井を見上げた。
しばらく黙っていた。
やがて小さく息をついた。
「……調査士殿がそう言うなら、そうなんだろうな」
前にも聞いた言葉だった。
あの夜の焚き火のそばで、カイは同じことを言った。
否定はしない。
ただ、納得しきれないまま受け入れる。
---
その時だった。
足元が揺れた。
小さな振動だった。
最初はフロアの中だけかと思った。
だがすぐに、揺れが壁を伝い、通路にまで広がっていくのが分かった。
床が軋んでいる。
天井から砂が落ちてきた。
壁に細い亀裂が走る。
「——崩壊が始まってる」
カイが立ち上がり、フロアの入口に走った。
通路の壁に手を当て、振動を確かめる。
振り返る。
「事件フロアじゃない。通路の方だ。壁が崩れ始めてる」
リアが目を閉じた。
「……主の感情が、ダンジョンに影響している。悲しみが——ダンジョンを蝕んでいる」
主の悲しみが、ダンジョンを蝕んでいく。
意図的な攻撃ではない。
主の感情がダンジョンそのものを侵食している。
怒りの暴走とは違う。
もっと深い場所から、ゆっくりと崩していく。
リアの防壁が薄く全員を覆った。
天井からの落石を弾く。
小さな石片が防壁の表面で砕け、床に散った。
崩壊が広がれば、帰り道が塞がれる。
カイが入口から叫んだ。
「崩れたのは一部だ。まだ通路は大丈夫だ」
ゼノが立ち上がった。
全員を見渡した。
「二つの選択肢がある」
全員の目がゼノに向いた。
「一つ。今すぐ撤退する。帰り道が塞がれる前にダンジョンを出る。報告書は今の情報で書く」
カイとノアの選択だ。
安全を優先する判断。
「二つ。このまま調査を続ける。動機を突き止める。ただし、危険と判断したら即座に撤退する」
リアと私の主張だ。
真実を追う判断。
ゼノが全員の顔を見た。
カイ。
ノア。
マルク。
リア。
私。
一人ずつ、目を合わせた。
長い沈黙があった。
振動は止まっていたが、壁の向こうで、また何かが崩れる音がした。
ゼノが口を開いた。
「……行く」
ゼノの声は静かだった。
「ただし、俺が撤退と言ったら全員即座に従え。異論は認めない。ノア、全員の体調はどうだ」
カイが頷いた。
不満はあるだろう。
だがゼノが決めたなら従う。
それがこのチームだ。
ノアも小さく頷いた。
ノアが全員の状態を確認した。
「全員、動けます。マルクの腕の傷も問題ありません」
マルクが壁から背を離した。
両手剣の柄に手をかける。
「行くぞ」
短く言った。
命令ではない。
自分の意思で立ち上がっている。
私は手帳を閉じ、鞄にしまった。
動機を知る。
誰がシオンを殺させたのか。
主が何を隠そうとしているのか。
この事件の全容を、記録する。
答えは、このダンジョンのどこかにある。
これにて第二部は終了です。
第一部に引き続き、第二部までお付き合いいただき、誠にありがとうございます。
第二部では犯人の特定(Who done it)までとなります。
明日からの第三部では、動機の解明(Why done it)の物語となっていきます。
なので、ぜひぜひ引き続き、第三部もよろしくお願いします。




