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沈黙の迷宮 ― 王族失踪事件  作者: 智信
第二部

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第19話 敵意

「帰れ。これ以上お前たちに見せるものはない」

――沈黙の迷宮の意思

 迂回路を進んでいた。

 通路は狭く、天井が低い。

 カイが先行し、リアの明かりが後方から壁面を照らしている。

 ゼノとマルクが前衛、リアとノアが後衛。

 私はその間で手帳を開いていた。

 だが、気配が変わっていた。

 先ほどの罠とは質が異なっていた。

 あの罠は通路を塞ぎ、事件フロアへの道を閉ざした。

 追い出すための妨害だった。

 しかし今、通路全体に漂っているのは——敵意だ。


 リアが足を止めた。


「……変わった」


「何が」


「気配が。さっきまでは追い出そうとしていた。今は——拒んでいる。もっと強く。帰れ。これ以上お前たちに見せるものはない。そう伝えるように」


 追い出すのではなく、拒絶。

 通路の空気が重くなっている。

 前に進むたびに、圧力が増していく。

 カイが先から戻ってきた。


「まずいな。通路の構造が変わってる」


「どう変わってきている」


「分岐が増えてる。さっきなかった横道が二本。逆に、さっきあったはずの直進路が塞がれてる」


 ゼノが塞がれた壁に手を当てた。


「……この壁は、元からあったように見えるか」


「ああ。継ぎ目がない。最初からこういう構造だったみたいだ」


 通路の構造そのものが変化している。

 罠を仕掛けるだけではない。

 壁を動かし、道を変え、私たちを迷わせようとしている。


(……罠の次は、道そのものを変えてきた)


 手帳に記録した。

 通路の変化パターン。

 元の構造との差異。

 しかし記録している間にも、通路は変わり続けているかもしれない。

 記録が意味をなさなくなる恐怖が、背筋を掠めた。


---


 カイが新たに現れた分岐を確認しに行った。

 戻ってきた時、表情が険しかった。


「右の横道は行き止まり。左は——モンスターがいる。三体。こっちを向いてる」


 ゼノが判断した。


「直進路が塞がれたなら、左を抜けるしかない。マルク、前に出ろ」


「了解」


 マルクが両手剣を抜いた。

 ゼノが盾を構え、並ぶ。

 左の横道に踏み込んだ。

 迂回路より幅がある。

 天井も高い。

 ダンジョンが構造を変えた時にできた通路だろう。

 奥にモンスターがいた。

 大型の蜥蜴だった。

 体長は人の背丈ほど。

 鱗が暗い緑色に光っている。

 二体が通路の手前に並び、もう一体がその背後に控えていた。

 その二体が一斉にこちらへ向かってきた。

 床を蹴る爪の音が通路に反響する。

 重い。

 速い。

 先頭の一体がマルクに飛びかかった。

 マルクが両手剣を水平に構え、突進を受け止める。

 蜥蜴の顎が剣に噛みつき、そのまま押してくる。

 蜥蜴の体重が剣を通じて腕に伝わっていた。

 マルクが歯を食いしばり、踏み込んだ。

 一歩。

 もう一歩。

 力で押し返す。

 蜥蜴の顎が剣から外れた瞬間、斬り上げた。

 蜥蜴の腹に刃が食い込み、悲鳴を上げて後退した。

 マルクが追った。

 今度は振り下ろす。

 頭蓋を断つ一撃。

 蜥蜴が崩れ落ちた。

 二体目がゼノに向かった。

 ゼノが盾を正面に構える。

 蜥蜴が体当たりしてきた。

 盾越しに衝撃が走り、ゼノの足が滑った。

 盾の縁が壁に当たる。

 ゼノが体勢を崩しかけた——その隙を蜥蜴は逃さなかった。

 顎が開き、盾の上からゼノの肩口に迫る。

 カイが側面から飛び出した。

 短剣が蜥蜴の首筋を抉る。

 深い。

 蜥蜴が身を捩り、苦悶の声を上げた。

 尾が壁を叩く。

 石片が飛び散った。

 カイは既に跳び退いている。

 ゼノが体勢を立て直し、盾を叩きつけた。

 蜥蜴が仰け反る。

 カイが二撃目を入れた。

 蜥蜴が倒れた。

 三体目が背後から飛び出してきた。

 マルクが一体目を仕留め、振り返った直後だった。

 距離がない。

 マルクが咄嗟に剣を横薙ぎにする。

 蜥蜴の頭部に刃が叩きつけられ、鈍い音がした。

 蜥蜴の突進が止まる。

 だが倒れない。

 頭を振り、再び口を開いた。

 マルクが半歩退き、両手で柄を握り直した。

 渾身の一撃を振り下ろす。

 蜥蜴の頭蓋が割れ、動きが止まった。


「——終わりか」


 マルクが荒い息をつきながら剣を下ろした。

 額から汗が顎に伝っている。

 腕が微かに震えていた。

 三体の屍を越えて、通路を進む。

 蜥蜴の血が床に広がり、足元が滑った。

 ノアが私の腕を掴み、支えてくれた。

 だが、その先にもモンスターがいた。

 今度は二体。

 同じ種の蜥蜴だ。

 まるで待ち構えていたかのように、通路の曲がり角に陣取っている。


「……配置されてる」


 カイが低く言った。


「ランダムじゃない。通路の要所に、わざと置かれてる」


 モンスターの配置まで操っている。

 罠を仕掛け、通路を変え、モンスターを配置する。

 すべてが一つの意思で動いている。

 ゼノが無言で盾を構えた。

 マルクが剣を握り直す。

 二度目の戦闘。

 マルクが正面から斬りかかり、ゼノが盾で一体を押さえ、カイが死角を突く。

 しかし蜥蜴の一体が尾を振り、マルクの右腕を打った。

 尾の鱗が皮膚を裂き、浅い傷だが血が滲んだ。

 マルクは剣を離さなかった。

 痛みを無視して振り下ろし、蜥蜴を仕留めた。

 ノアが即座に処置した。


「浅い。止血だけで大丈夫」


 マルクが頷いた。

 汗を拭い、剣の血を壁に擦りつけて落とした。


---


 さらに進んだ。

 通路が開けた場所に出た。

 カイが足を止めた。


「また分岐だ。三方向。……さっき通った時は一本道だったはずだが」


 リアが目を閉じ、各方向の気配を探った。


「左は……行き止まり。気配が詰まっている。真ん中は遠くにモンスター。右は——」


 リアが目を開けた。


「右に、事件フロアの気配がある。微かだけど」


「距離は」


「近い。この先、二つか三つ通路を抜ければ」


 ゼノが右を選んだ。

 全員が続く。

 通路を一つ抜けた。

 モンスターはいなかった。

 代わりに、壁面にトラップの痕跡があった。

 矢射出機構。

 矢は壁と床に突き刺さっている。

 私たちが通る前に、すでに発動していた。

 カイが機構を調べた。


「発動済みだ。俺たちが通る前に撃ち尽くしてる。……威嚇か?」


 威嚇。

 殺すためではなく、怯えさせるために。

 来るな、と告げるために。

 さらに一つ通路を抜けた。

 今度は天井から砂が落ちていた。

 崩落寸前まで揺らされた痕跡。

 だが、実際には崩れていない。

 止めている。


(……帰れ、と言っている)


 罠の妨害。

 通路の変化。

 モンスターの配置。

 そして威嚇。

 段階的にエスカレートしている。

 しかし、どの段階でも私たちを殺しにきてはいない。

 前回の暴走を見た。

 あの何かが本気を出せば、一瞬で全滅させられる。

 殺せるのに、殺さない。

 ただ、拒んでいる。


 手帳に記録した。


『事件フロアへの帰還中、ダンジョン全体の敵意が激化。通路構造の変化(壁の生成・消失)、モンスターの意図的配置、トラップの威嚇的発動を確認。罠の妨害→通路変化→モンスター配置→威嚇と、段階的にエスカレートしている。すべてが一つの意思による制御と推定。目的は殺害ではなく排除——事件フロアに近づけさせないこと』


---


 最後の通路を抜けた。

 見覚えのある壁が見えた。

 事件フロアの入口だ。


「着いた」


 カイの声に安堵はなかった。

 全員が入口の前で足を止めた。

 事件フロアへの通路は開いている。

 ここまで散々妨害しておいて、最後の入口だけは塞がれていない。


「……罠は見当たらない」


 カイが呟いた。

 妨害し、拒み、威嚇し——それでも来たのなら、もう止めないということか。

 あるいは、入口の先で待ち構えているのか。


「リア。中の気配は」


 ゼノが問うた。

 リアが入口に手をかざし、目を閉じた。

 長い沈黙。

 全員がリアを見ていた。

 目を開いた時、その目に困惑があった。


「……遺体はあります。五体とも。でも——」


 リアが言葉を探していた。


「空気が、違う。前に来た時とは、フロア全体の気配が変わっている」


 前に来た時——鑑定を終え、周辺調査に出る前のことだ。

 あの時の事件フロアは静寂に満ちていた。

 怒りの残滓はあったが、それ以外は沈黙していた。

 今は違うとリアは言っている。


「どう変わった」


「……敵意が、濃い。フロアの中に満ちている」


 全員の視線が入口の奥に向いた。

 暗い。

 リアの明かりが届かない深さだ。

 ゼノが盾を構え直した。


「入るぞ。隊形を維持しろ。カイ、先行。リア、防壁を準備。ノア、いつでも治療できるように」


 全員が頷いた。

 事件フロアに、踏み込んだ。


 ——空気が、違った。

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