第18話 罠
「この罠は暴走ではない。意思を持って発動させられた」
――沈黙の迷宮 中層通路にて
事件フロアを離れた。
カイが先行し、周辺フロアへの経路を確認している。
ゼノとマルクが前衛、リアとノアが後衛。
私はその間で手帳を開いたまま歩いていた。
通路は静かだった。
静寂のフロアを離れると、ダンジョンの通常の空気が戻ってくる。
遠くでモンスターの気配がするが、カイが避けられる経路を選んでいる。
しばらく歩いた後、カイが足を止め、振り返った。
「一つ聞いていいか」
「何ですか」
「薬師が犯人なら、なぜ毒殺しなかった? 薬師なら一番得意な手だろ」
当然の疑問だった。
薬師は毒も扱える。
食事や水に混ぜれば、もっと静かに殺せたはずだ。
なぜわざわざ暗器を使い、背後から刺すという危険な手段を選んだのか。
全員が足を止めた。
ゼノが答えた。
「王族には毒耐性がある」
カイが眉を上げた。
「毒耐性?」
「王位継承権を持つ者は、幼少期から毒慣らしを受ける。少量の毒を段階的に摂取させて、耐性を得させる。暗殺対策だ。養育過程に組み込まれている」
王族の暗殺対策。
毒慣らし。
聞いたことはあった。
王位継承権を持つ者に施される処置だ。
ゼノが続けた。
「暗殺者なら当然知っている。どの毒にどれだけの耐性があるかは分からない。確実に殺せる保証がない。だから暗器を使った」
毒では確実に殺せない可能性がある。
薬師が暗器を選んだのは、確実性を取った判断だったということだ。
カイが低く唸った。
「……なるほどな。毒が使えないから、刃を選んだ、と」
ゼノの表情が苦かった。
王族に毒慣らしが施されていることは、暗殺者にとって常識だ。
調べるまでもない。
(……毒では殺せない。だから暗器で、一撃で)
ノアが指摘した「苦しまない殺し方」が頭をよぎった。
毒耐性がある相手に毒を使えば、死に至らないか、あるいは長時間苦しませることになる。
暗器による即死の一撃は、確実性だけでなく——苦痛を避ける手段でもあった。
手帳に記録した。
『暗器使用の理由:王位継承権保持者は幼少期から毒慣らしを受けており、毒耐性がある。暗部はこれを把握している。毒では確実に殺せないため、暗器による一撃を選択したと推定される』
---
周辺フロアの調査を手早く済ませていった。
カイが先行し、安全を確認したフロアに全員で踏み込む。
事件フロアに隣接する三つのフロアを順に確認した。
モンスターの痕跡、トラップの配置、通路の構造。
いずれも通常のダンジョンの範囲内だった。
事件に関わる証拠は見つからない。
三つ目のフロアを調べ終えた後、カイが言った。
「周辺は異常なし。証拠になりそうなものもない。事件はあのフロアだけで完結してる……ってことかな」
ゼノが頷いた。
「証拠はなかった。事件フロアに戻るぞ。シオンの遺体を回収する」
全員が踵を返した。
事件フロアへ戻る通路に入る。
カイが先行した。
数歩進んだところで、足を止めた。
「——待て」
カイの声が変わっていた。
偵察時の、張り詰めた声だ。
全員が止まった。
「罠がある。通路の床面、三歩先。来た時にはなかった」
来た時にはなかった罠。
通路の構造は変わっていない。
しかし罠だけが、新たに仕掛けられている。
カイがしゃがみ込み、罠の機構を確認した。
「圧力式だ。踏めば壁面から矢が出る。……解除できる」
カイが慎重に機構を解除した。
金属の軋む音がして、罠が沈黙した。
立ち上がり、先を見た。
「もう一つある。五歩先。同じ型だ」
二つ目の罠も解除した。
さらに進む。
三つ目。
四つ目。
通路に沿って、等間隔に罠が仕掛けられていた。
来た時には何もなかった通路だ。
調査の間に、罠が増えている。
「カイ。これは元からあった罠か」
ゼノが問うた。
カイが首を振った。
「違う。ダンジョンの通常の罠じゃない。間隔が均等すぎる。通常の罠は不規則に配置される。これは——意図的に並べられてる」
意図的に。
来た時にはなかった罠が、帰り道に並んでいる。
リアが小さく声を上げた。
「気配が変わっています。……この通路全体に、何かの意思が——」
その瞬間、通路の奥でトラップが発動した。
矢が壁面から射出された。
同時に、床面が陥没する。
天井から砂埃が落ちてくる。
シオンの遺体に触れようとした時に起きた暴走——前回の暴走が頭をよぎった。
あの時と同じか——
(……違う)
違った。
前回の暴走は爆発的だった。
複数のトラップが一斉に発動し、フロア全体が暴れた。
あれは怒りだった。
シオンの遺体に触れようとした瞬間の、衝動的な激怒。
今回は違う。
罠の発動は段階的だった。
通路の奥から順に、一つずつ。
まるで追い立てるように。
こちらの位置を把握し、退路を塞ぎながら、事件フロアへの道を閉ざしている。
暴走ではない。
制御されている。
(……この罠は暴走ではない。意思を持って発動させられた)
「全員、壁際に! カイ、安全な位置を!」
ゼノの指示が飛んだ。
カイが壁の窪みを見つけ、全員を誘導する。
矢が頭上を掠めた。
ゼノが盾を構え、マルクがその背後で通路の奥を睨んだ。
リアが防壁を展開した。
薄い光の膜が全員を覆う。
矢が防壁に弾かれて床に落ちた。
「リア、どのくらい保つ」
「この規模なら……しばらくは。でもゼノ、これは——」
リアの目が見開かれていた。
「暴走じゃない。罠を一つずつ、選んで発動させている。こんなことができるのは——」
リアが言葉を切った。
その先は言わなかった。
だが、全員が同じことを感じていた。
ダンジョンのトラップを意図的に操っている何かがいる。
前回の暴走は怒りの爆発だった。
しかし今回は、冷静な意思で罠を制御している。
シオンの遺体を回収すると、ゼノが告げた直後だ。
(……遺体を渡すまいとしている)
罠の発動が止まった。
唐突に。
始まった時と同じように。
通路が静まり返った。
矢の突き刺さった壁面と、陥没した床面だけが残っている。
カイが窪みから顔を出し、通路の先を確認した。
「……止まった。だが、通路は通れない。床が抜けてる。事件フロアへのルートは塞がれた」
ゼノが壁に片手をつき、状況を見渡した。
「迂回路はあるか」
「探す。少し時間をくれ」
カイが通路の脇道に消えていった。
ノアが全員の状態を確認した。
負傷者はいない。
リアの防壁が間に合った。
マルクが崩れた通路を見つめていた。
「……こいつは、俺たちを殺そうとしたのか?」
ゼノが首を振った。
「殺す気なら、もっと効率的にやる。前回の暴走を見ただろう。あれが本気だ」
マルクが黙った。
ゼノの言う通りだった。
本気で殺すなら、あの時のように一斉に発動させればいい。
今回は通路を塞ぎ、事件フロアへの道を閉ざしただけだ。
(……殺すためではなく、追い出すため)
手帳に記録した。
『周辺フロア調査後、事件フロアへの帰還中にトラップ発動。前回の暴走(一斉発動・爆発的)とは異なり、段階的・制御的に発動。通路に新たな罠が均等間隔で追加されていた。意図的な操作と判断。目的は殺害ではなく、事件フロアへの帰還の妨害と推定。遺体回収宣言の直後であり、シオンの遺体を渡すまいとする意思が働いている可能性がある』
カイが戻ってきた。
「迂回路を見つけた。遠回りになるが、事件フロアに戻れる」
ゼノが全員を見渡した。
「行くぞ。ただし警戒を最大に上げろ。次はもっと本気で来るかもしれない」
全員が頷いた。
迂回路に入った。
通路は狭く、暗い。
カイが先行し、リアの明かりが後方から通路を照らしている。
リアが私の隣を歩きながら、小さく呟いた。
「……何かが私たちを追い出そうとしている」
追い出す。
殺すのではなく、遠ざける。
シオンの遺体から、私たちを。
あの何かは——今もこのダンジョンにいて、私たちの動きを見ている。




