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沈黙の迷宮 ― 王族失踪事件  作者: 智信
第二部

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第15話 裏切り

「チームの中に、刺客がいた」

――調査士エイルの推察

 遺体の前で、ゼノが足を止めた。

 五体の遺体。

 前回と同じ配置だ。

 崩れた石の下に埋もれた騎士。

 壁際に倒れた斥候。

 杖の残骸のそばに横たわる魔術師。

 散乱した治療道具のそばの薬師。

 そして少し離れた場所に、シオン。

 ゼノが一歩前に出た。

 盾を下ろし、静寂のフロアに向かって声を上げた。


「我々はこの遺体を乱暴には扱わない。王位継承権を持つ者として、丁重に調べさせてもらう」


 声がフロアに反響し、消えた。

 誰に向けた言葉なのか。

 前回、シオンの遺体に触れようとした瞬間にトラップが暴走した。

 あの怒りを起こした何かに対して、ゼノは宣言している。

 我々は敵ではない。

 調べるだけだ。

 全員が姿勢を正した。

 ゼノが下がり、マルクと並んで遺体から少し離れた位置についた。

 フロアの四方を警戒する。

 リアの防壁が薄く全体を覆っている。

 何かが起きた時の備えだ。

 カイはフロアの入口にいる。

 私とノアが、シオンの遺体に近づいた。


---


 遺体には触れない。

 目視と計測だけだ。

 前回は概要を掴むだけだった。

 五体の遺体を確認し、シオンの致命傷が背後からの刃物によるものだと判明した。

 背後から、至近距離で、急所を一突き。

 仲間の距離からの攻撃。

 今回はその先を調べる。

 傷の詳細。

 凶器の特定。

 犯人の絞り込み。

 手帳を開いた。

 シオンの遺体の前にしゃがんだ。

 ノアが反対側に回る。

 二人で遺体を挟むように位置を取った。

 まず、致命傷を改めて観察した。

 背部左側。

 肋骨の間を通過し、心臓に達している。

 前回確認した事実だ。

 だが今回は、傷の角度をより正確に読み取る必要がある。

 ノアが身を乗り出し、傷口を注視した。

 遺体には触れずに、手を翳して距離と角度を測っている。


「……傷の進入角度が、やや下から上です」


「下から上?」


「はい。背後から刺しているのは間違いありませんが、刃が下から上に向かって入っています。犯人の手の位置が、傷口より低かったということです」


 下から上。

 つまり犯人はシオンより背が低いか、しゃがんだ姿勢など低い体勢から刺したことになる。

 手帳に記録した。


『致命傷の進入角度:やや下から上。犯人はシオンより低い位置から攻撃したと推定。シオンの身長を考慮すると、犯人は背が低いか、低い姿勢(しゃがむ、膝をつく等)から攻撃した可能性がある』


---


 次に、傷の精度を調べた。

 ノアが長い時間、傷口を見つめていた。

 やがて顔を上げた時、その表情が変わっていた。


「エイルさん」


「何か分かりましたか」


「この傷……正確すぎます」


 ノアの声が低くなった。


「肋骨の間を通っています。肋骨に刃が当たった形跡がない。骨を避けて、肋骨の隙間を一直線に心臓まで貫いている」


 肋骨を避けている。

 骨に当たらずに、隙間を通して心臓に到達している。

 それがどれほど難しいことか、私にも分かった。


「偶然では?」


「偶然では無理です。肋骨の間隔は狭い。背後から一突きで、骨に一切触れずに心臓まで——」


 ノアが言葉を切った。

 治療師として、人体の構造を知り尽くした者の沈黙だった。


「……人体の構造を正確に把握していなければ、できない攻撃です。肋骨の位置、心臓までの距離、刃を通す角度。すべてを理解した上での一撃です」


 手帳に記録した。

 手が止まりそうになったが、意識して動かした。


『致命傷の精度:極めて高い。肋骨に接触した形跡なし。骨の隙間を通過し心臓に直達。ノアの所見:人体の構造を正確に把握した者による攻撃。偶然の一致ではあり得ない精度』


---


 凶器についても分析した。

 傷口の幅と深さから、凶器の形状を推定する。

 ノアが慎重に傷口を観察し、私がその所見を記録していった。


「刃の幅は指二本分ほど。薄い。両刃です。剣ではなく、もっと短い刃物です」


 両刃で薄い刃物。

 前回、残骸に紛れて発見した短い刃物の特徴と一致する。

 鞘なし、刃は薄く短い。

 戦闘用の武器ではないと記録したあの刃物だ。


「長さは?」


「傷の深さから推測すると、刃渡りは手の長さほどです」


 刃渡りが手の長さほど。

 あの短い刃物と一致する。

 手帳に記録した。


『凶器の推定:両刃、薄刃、刃渡りは手の長さほど。前回現場で発見した短い刃物の特徴と一致する可能性が高い。戦闘用の武器ではなく、特殊な用途の刃物と推定される』


 記録しながら、ノアを見た。

 ノアの視線がシオンの傷口に向いたまま動かない。


「ノア?」


「……すみません。少し、考えていました」


 ノアが静かに首を振った。


「この傷をつけた人は、人を殺すためにこの技術を持っていたのか。それとも——人を救うための知識が、こういう使い方もできるということなのか」


 治療師の問いだった。

 人体を知ることは、人を治すことにも、人を殺すことにも使える。

 ノアはそのことを、自分の知識と照らし合わせていた。

 私は答えられなかった。

 今の段階では、どちらとも判断できない。


---


 シオンの調査を終え、他の四体の遺体も改めて確認した。


 騎士。

 崩落した天井の石材が鎧ごと身体を押し潰している。

 即死だろう。


 斥候。

 壁際に倒れ、複数の矢が突き刺さっている。

 壁の機構から射出されたものだ。


 魔術師。

 焼け焦げた痕跡に囲まれている。

 発火トラップの直撃を受けている。

 三人の死因はすべてトラップだ。

 前回と同じ結論だった。


 薬師。

 壁際に倒れている。

 周囲に治療道具が散乱したままだ。

 トラップの衝撃で壁に叩きつけられた撲死。


 四人の遺体には、シオンのような刃物の傷はなかった。

 全員がトラップの暴走による死亡だ。

 シオンだけが、人の手で殺されている。

 ノアが四体を見て回り、私のそばに戻ってきた。


「四人の傷は、すべてトラップと一致しています。人為的な攻撃の痕跡はシオンさんだけです」


 手帳に記録した。


『他四名の遺体を再確認。死因はいずれもトラップの暴走(圧死、刺創死、焼死、撲死)。人為的な攻撃の痕跡なし。人の手で殺されたのはシオンのみ』


---


 調査の間、フロアは沈黙を保っていた。

 トラップの暴走はない。

 ゼノの宣言が効いたのか、あるいは何かが様子を見ているのか。

 リアの防壁は薄く展開されたままだ。

 リアが私に目配せした。

 異常なし、という合図だった。

 調査結果を整理した。

 全員がフロアの中央に集まった。

 手帳を開き、読み上げた。


「シオンの致命傷について、詳細が判明しました」


 全員が聞いている。


「一つ。凶器は両刃の薄い短刃。戦闘用の武器ではありません。二つ。攻撃は背後から、やや下の角度で行われています。犯人はシオンより低い位置にいました。三つ。傷の精度が極めて高い。肋骨に一切触れずに心臓まで到達しています。ノアの所見では、人体の構造を正確に把握した者でなければ不可能な攻撃です」


 沈黙が落ちた。

 マルクの顔が強張っていた。

 焚き火の時とは違う。

 あの時は「命令で殺したのか」と問いかけた。

 今は、その答えの輪郭が見え始めている。


「……命令で人を殺した……か」


 マルクが低く呟いた。

 誰にも向けていない。

 自分自身に向けた言葉だった。

 ゼノが口を開いた。


「犯人は、チームの中にいた。これは確定だ」


 ……チームの中に、刺客がいた……


 五人のうちの一人が、仲間であるシオンの背後に立ち、急所を正確に突いた。

 信頼の距離から、殺意を持って。

 カイがフロアの入口から声を上げた。


「異常なし。外も静かだ」


 外も、中も、静かだった。

 あの何かは暴走を起こさなかった。

 ゼノの宣言を聞いていたのかもしれない。

 あるいは、私たちの調査を見守っていたのか。

 手帳に記録した。


『調査結果まとめ:シオンの殺害者はチーム内部の人物と確定。人体の構造に精通し、短い特殊な刃物を所持し、シオンの背後に自然に立てる立場にいた者。チーム五名のうち、該当する人物を特定する必要がある』


 五人の中で、背後から、この精度で、人体の急所を突ける者。

 騎士。

 斥候。

 魔術師。

 薬師。

 四人のうちの誰かだ。


(……人体の構造を知り尽くした者)


 ノアの言葉が頭から離れなかった。

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