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沈黙の迷宮 ― 王族失踪事件  作者: 智信
第二部

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第14話 警戒

 モンスターの視線を浴びながら進んだ。

 脇道や分岐の奥に個体がいる。

 こちらを見ている。

 襲ってはこない。

 通路の本道には出てこず、ただ暗がりからこちらを追っている。

 誰も口を開かなかった。

 足音だけが通路に響く。

 カイが先行し、手信号で安全を知らせる。

 ゼノとマルクが前衛を固め、私とノアが中央、リアが最後尾で探知を続けていた。


---


 通路の先に、甲殻獣がいた。

 三頭。

 通路の真ん中で低く身を沈めている。

 さっきまでの個体とは明らかに違った。

 唸り声が、通路の壁を震わせていた。

 カイが素早く戻ってきた。


「こいつら、来るぞ」


 ゼノが盾を構えた。


「マルク、前へ」


「了解」


 マルクが両手剣を抜いた。

 二頭が突進してきた。

 一頭目がマルクに向かい、二頭目がゼノに向かう。

 三頭目はまだ動かない。

 マルクが正面から受け止めた。

 甲殻が剣にぶつかり、硬い衝撃音が通路に響く。

 足元の石畳に亀裂が走った。

 前回の中層で戦った個体と同じ種のはずだが、体当たりの圧が違う。

 マルクが一歩押し込まれた。

 踏み直して押し返し、距離が開いた瞬間に両手剣を横薙ぎに振るった。

 甲殻に亀裂が走ったが、獣はまだ動いている。

 ゼノが二頭目を盾で受けた。

 盾越しに衝撃が伝わり、ゼノの腕が軋む音がした。

 だが足は動かない。

 獣が頭を振り上げ、二度目の突進に入ろうとした。

 ゼノが盾の縁で顎を打ち上げ、体勢が崩れた瞬間に甲殻の隙間——首と胴の境目を片手剣で突いた。

 三頭目が側面から回り込んできた。

 私とノアの方に向かっている。

 リアが詠唱し、獣の足元の石畳が一瞬光った。

 三頭目の動きが鈍る。

 だが止まらない。


「下がって!」


 ノアが私の腕を引いた。

 壁際に身を寄せる。

 三頭目が飛びかかろうとした瞬間、カイが天井近くの出っ張りから飛び降りた。

 いつの間に登っていたのか。

 甲殻獣の背に着地し、首の付け根にナイフを叩き込んだ。

 獣が悲鳴を上げ、前のめりに崩れた。

 マルクが両手剣を振り下ろした。

 一頭目の亀裂の入った甲殻を叩き割る。

 獣が痙攣し、動かなくなった。

 三頭。

 すべて倒した。

 だが、今までとは違っていた。


「……やっぱりな。ここから先は本気で来る」


 カイが額の汗を拭いた。


「さっきまでの連中とは違う。明確に俺たちを止めようとしてた」


 通路の奥を見た。

 手前の監視するだけの個体は姿を引き、この先には敵意を持った個体が配置されている。

 見張りと番犬が、役割を分けている。

 ノアがマルクの手を確認した。

 前回と同じ箇所に擦り傷がある。

 手早く軟膏を塗った。


「前回より力が強い気がします。同じ種のはずですが」


「ダンジョンが活性化してる。ここの連中は、何かに動かされてる」


 カイが言った。

 リアが感じ取っていた警戒が、モンスターの行動にまで及んでいる。

 あのフロアに近づくほど、影響は強くなる。

 手帳に記録した。


『中層奥にてモンスターの攻撃的行動を確認。監視のみの個体と、明確に妨害する個体が混在。事件フロアに近いほど攻撃的になる傾向。昨日は通常の縄張り防衛のみだった。一日で挙動が変化している』


 その後も二度、モンスターとの戦闘があった。

 いずれも通路を塞ぐように陣取り、こちらを通すまいとする個体だった。

 ゼノとマルクが前衛で捌き、リアが魔術で動きを止め、カイが側面から仕留める。

 連携に乱れはなかったが、戦闘を重ねるたびに消耗が確実に積み重なっていく。

 ノアが戦闘の合間に前衛の傷を手当てし、全員の体調を確認していた。


---


 さらに進むと、通路の構造が前回と違っていた。

 カイが足を止めた。


「おい。ここの壁、前回と違うぞ」


 壁に手を当てて、指先でなぞる。


「ここに古い傷があったんだ。剣で削った跡。前回通った時に目印にしてたんだが——消えてる。壁が修復されてる」


 私も手帳を開いて確認した。

 前回の記録に、この地点の壁の傷を記載している。

 間違いない。


「私の記録にもあります。前回は確かにここに傷がありました」


「ダンジョンの壁が自分で治るのか?」


 カイがリアを見た。


「……普通は、ここまで早くはない。一日で傷が消えるのは……意図的です。何かが、消そうとしている」


 消そうとしている。

 「黄昏の灯火」がここにいた痕跡を。

 さらに進むにつれ、同じ箇所が増えた。

 壁に刻まれた目印、戦闘でついた傷跡、罠を解除した痕跡。

 「黄昏の灯火」がこの通路を何度も往復した証拠が、一つずつ消えていた。

 カイが前回つけた印は、古い傷より早く薄れていた。

 新しいものほど修復が速い。

 手帳に記録した。


『中層の通路で壁の修復を複数箇所確認。「黄昏の灯火」の探索痕はほぼ消失。調査チームの痕跡も薄れ始めている。新しいものほど修復が速い。リアの所見:意図的な行為。通常の修復速度ではない』


(……シオンの痕跡を消しているのか。事件そのものを、なかったことにしたいのか)


 今の段階では判断できない。

 だが、このダンジョンの奥にいる何かが、あのチームがここにいた証拠を消し去ろうとしていることだけは確かだった。


---


 壁の修復だけではなかった。

 前回はなかった場所に、罠が仕掛けられていた。

 カイが通路の床をじっと見つめ、手を上げた。


「止まれ。……圧力板だ。前回はなかった」


 全員が足を止めた。

 カイが床の石畳を指差す。

 一枚だけ、わずかに周囲より高い。


「前回通った時、ここには何もなかった。確実に覚えてる。俺が安全を確認した場所だ」


「新しく仕掛けられた、ということか」


 ゼノが訊いた。


「ああ。一日で罠が増えてる。自然にできるもんじゃない」


 カイが慎重に圧力板を避け、チームを安全な経路に導いた。

 だがその先にも、前回はなかった罠が見つかった。

 壁の石の一つが不自然に浮いている。

 触れれば発動する仕掛けだ。

 リアが探知で確認した。


「……矢の機構です。壁の中に矢が装填されています」


 前回通った時には何もなかった壁に、矢が仕込まれている。

 カイが構造を読み取り、発動させずに通過する経路を指示した。

 手帳に記録した。


『前回確認済みの安全な経路上に新たな罠が出現。圧力板式、接触式。いずれも前回は存在しなかった。ダンジョンの変化は自然ではなく、意図的に調査チームの進路を妨害していると推定』


 モンスターの攻撃。

 壁の修復。

 新たな罠。

 すべてが一つの意思を指している。

 あの何かが、私たちをあのフロアに近づけまいとしている。


---


 事件フロアに近づくにつれ、空気がさらに重くなった。

 通路の壁が微かに振動している。

 耳に届かないほど低い音——振動というよりは、圧力に近い。

 前回は感じなかったものだ。


「リア」


 ゼノが振り返った。


「……昨日と同じ方向からです。下から来ています。でも——」


 リアが眉をひそめた。


「昨日と、質が違います。昨日は怒りでした。今は……見定めている。私たちが何をしに来たのか、確かめようとしている」


 見定めている。

 あの何かが、私たちの目的を測っている。

 ゼノが足を止め、全員を見た。


「昨日決めた通りにやる。前回の二の舞は踏まない」


 短く、全員に確認した。

 六人の目が揃った。

 事件フロアの手前まで来た。

 前回と同じ、あの境界線。

 通路の先に、静寂が広がっている。

 音が消え、空気が止まる。


「リア、防壁を」


「はい」


 リアの手から薄い光が広がった。

 チーム全体を覆う膜のような防壁が展開される。

 全力ではない。

 薄く、広く、長時間維持するための防壁だ。

 カイがフロアの入口で立ち止まった。


「俺はここだ。何かあったら声を出す」


 ゼノが頷いた。

 五人が、静寂のフロアに踏み込んだ。

 空気が止まっていた。

 環境音がない。

 足音だけが反響する。

 前回と同じ沈黙だ。

 中層の通路では壁が修復され、罠が増え、モンスターが襲ってきた。

 ダンジョンが変化していた。

 しかしこのフロアだけは違う。

 奥に、五体の遺体が横たわっている。

 位置は変わっていなかった。

 壁の亀裂も、天井の崩落跡も、焼け焦げた痕跡も、そのままだ。

 前回の暴走で新たにできた損傷もそのまま残っている。

 通路の痕跡は修復されているのに、このフロアだけは何一つ修復されていない。

 あの何かは、このフロアには手を触れていない。

 消すべき痕跡が最も多いはずの場所に、何もしていない。

 あれだけの暴走があったとは思えないほど、静寂が戻っていた。

 傷跡だけを残して、音だけが消えている。

 この場所だけが、時間から取り残されている。

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