湾岸インテリジェンス・クライシス――知佳と理世、天王洲で火花散る
新橋のヒロ室ミーティングスペースに、珍しく知的な緊張感が漂っていた。
普段ならここでは、美月と彩香が、
「レモンティーやろ!」
「ミルクティーに決まっとる!」
と、心底どうでもいい戦争を繰り広げている。
あるいは小春が陽菜のおやつを隠し、陽菜が半泣きになり、美紀が「糖分の摂りすぎはよくないです」と真面目に止める。
だが、この日は違った。
議題は、都内湾岸エリア・天王洲アイル周辺で確認されたジェネラス・リンクの不審行動。
天王洲アイルは、運河沿いのボードウォーク、高層オフィス、劇場、ギャラリー、カフェが並ぶ、東京でも屈指のおしゃれ湾岸エリアである。昼は洗練されたビジネス街、夜は水辺の光が揺れる大人の街。そんな場所に、敵組織が何かを仕掛けている可能性があった。
任務参加予定は、知佳、理世、伊織、彩芽、小春、エミリー、沙羅、澪。
まず、アナライザーの一条知佳が立ち上がった。
「過去七件の出現地点、時刻、交通導線、SNS投稿、監視カメラの死角を重ねると、敵の狙いは物流妨害ではなく、運河沿いの退避ルート確保です」
大型モニターに、ヒートマップと時系列グラフが映る。
「特に十九時四十分から二十時十分の間、天王洲ふれあい橋周辺に動線が集中する確率が高いです。私はここを主警戒地点にすべきだと思います」
伊織は真剣に頷く。
「なるほど……完全には分からないけど、筋は通っています」
彩芽は菓子袋を開けながら言う。
「つまり橋に行けばいいってことっすか?」
知佳は優しく笑う。
「かなり大ざっぱだけど、今はそれでいいよ」
澪は資料を見ながら、すでに眠たそうだった。
「数字が多い……」
小春は澪の肩を揺らす。
「寝るな。まだ序盤だぞ」
エミリーは小声で言う。
「私も半分くらいしか分からないデス」
沙羅は腕を組み、高みの見物の顔。
「まあ、凡人には少々難しい会議ですわね」
小春が即座に突っ込む。
「沙羅も分かってない顔してるぞ」
その時、柏木理世が静かに口を開いた。
「私は、その分析には賛成できません」
室内の空気が変わる。
理世は孤高のシロガネーゼ。語学堪能、国際教養に強く、自分の理論に絶対の自信を持つ知性派ヒロインだった。
「敵が過去と同じ合理性で動くという前提が危険です。ジェネラス・リンクは意図的にパターンを崩してきます。統計モデルより、現場での攪乱行動を想定すべきです」
知佳は表情を変えずに返す。
「もちろん攪乱は考慮しています。その上で、今回の変数を入れても運河側へ逃げる可能性が最も高いんです」
「可能性が高い、では作戦は組めません」
「可能性を無視しても作戦は組めません」
火花が散った。
理世は言う。
「サンプル数が少ないですわ」
知佳は即答。
「だからベイズ更新で補正しています」
「敵の心理変化は数式化できません」
「完全にはできません。でも傾向は読めます」
「その“読める”という思い込みが危険です」
「その“読めない”という前提も、同じくらい危険です」
会議室が静まり返った。
普段のミーティングスペースではありえない単語が飛び交っている。
相関。
分散。
仮説検証。
攪乱。
退避導線。
リスク許容度。
彩芽が小春に囁く。
「今日の喧嘩、頭良すぎないっすか?」
小春も真顔で頷く。
「いつものレモンティー戦争が恋しい」
エミリーが二人の間に入り、控えめに言う。
「二人とも、ちょっと落ち着いた方がいいと思いマス」
小春も手を挙げる。
「はいはい、一回休憩。知性が濃すぎて空気が重い」
だが、知佳も理世も止まらない。
知佳は資料をめくる。
「理世さんの案だと、人員が三方向に分散しすぎます。主目標地点への対応が遅れる」
理世は冷静に反論する。
「知佳さんの案だと、主警戒地点に寄せすぎます。陽動を受けた場合、後方が空きます」
「陽動の確率は低いです」
「敵がこちらの分析を読んでいたら?」
「読まれる前提なら、作戦は無限に分岐します」
「だから現場判断を重視すべきです」
「だからデータで初期配置を決めるべきです」
ついに声が大きくなった。
遥室長と真帆が入ってくる。
遥は額に手を当てた。
「珍しく高レベルな喧嘩してるだら」
真帆は資料を見て、淡々と言う。
「普段の十倍は有意義です」
小春が小声で呟く。
「普段どんだけ低いんだよ」
遥は二人を見た。
「知佳、理世。どちらも正しいだら」
二人は黙る。
「知佳の分析は精度が高い。今回の初期配置には使うべきだら。ただし理世の言う通り、敵がパターンを崩す可能性もある」
理世が少しだけ顔を上げる。
遥は続けた。
「今回は知佳の分析結果をベースにする。理世はその上で、陽動や攪乱に対応できるよう作戦を再構築して」
理世の表情が硬くなる。
「……承知しました」
遥室長の指示は絶対だった。
だが、納得していないことは誰の目にも明らかだった。
知佳は軽く頭を下げる。
「お願いします」
理世は短く返す。
「任務ですから」
その一言に、二人の距離がまだ遠いことがはっきり出ていた。
任務当日。
天王洲アイルの夜景は美しかった。運河に反射するビルの灯り、カフェのテラス、行き交う人々。だが、その水辺の裏にジェネラス・リンクの影が動く。
知佳の予測通り、敵は二十時前に運河側へ移動した。
「予測地点に反応あり」
澪が静かに告げる。
理世は即座に指示を出す。
「小春さん、エミリーさんは東側を封鎖。伊織さんは彩芽さんを連れて橋側へ。沙羅さん、後方警戒」
作戦は見事だった。
知佳の分析が敵の本命ルートを捉え、理世の再構築した配置が陽動にも対応した。彩芽は少し迷いながらも伊織の指示で動き、エミリーは冷静に通路を塞ぎ、小春は軽口を叩きながらも観客誘導を完璧にこなす。沙羅は「当然ですわ」と言いながら後方の敵を止め、澪は一切無駄のない動きで逃走経路を断った。
任務は成功。
被害なし。敵の工作員も確保。
終了後、知佳は理世に歩み寄った。
「ありがとうございました。理世さんの再配置がなければ、陽動側で抜かれていました」
理世は少し視線をそらす。
「知佳さんの分析がなければ、本命地点を外していました」
一瞬、和解かと思われた。
しかし理世はすぐに付け加えた。
「ただし、今回だけですわ」
知佳も笑顔で返す。
「次も当てます」
「負けません」
二人は静かに火花を散らす。
小春が小声で言う。
「仲悪いのに会話のレベルだけ高い」
彩芽はお菓子を食べながら言った。
「結局、二人ともすごいってことっすよね?」
伊織が頷く。
「それが一番正確かもしれません」
沙羅は涼しい顔で言う。
「まあ、私ほどではありませんけど」
澪は眠たそうに一言。
「帰りたい」
エミリーが笑う。
「いつものヒロ室に戻りマシタね」
知佳と理世の雪解けは、まだ遠い。
だが互いが本物であることだけは、確かに認め始めていた。
そしてヒロ室ミーティングスペースには、再びいつもの低レベルな争いが戻る。
小春が言った。
「で、打ち上げはレモンティーとミルクティーどっち?」
彩芽が手を挙げる。
「お菓子も追加で」
知佳と理世は同時に言った。
「今その話ですか?」
珍しく声が揃った。
小春はにやりと笑う。
「ほら、仲いいじゃん」
二人は同時に否定した。
「よくありません」
「よくありませんわ」
その日、ヒロ室は久々に安心した。
難しい議論より、この程度のやり取りの方が、やっぱりヒロ室らしかった。




