コネチカットの向こう側――一条知佳、負けて始まるヒロイン伝説
民放キー局が年に一度だけ総力を挙げて放送する国民的クイズ番組、『太平洋横断ジャンボクイズ』。
その番組は、ただのクイズ番組ではなかった。
数万人の挑戦者が国内ドーム球場に集まり、総合司会のベテランアナウンサー・福原功一が、明朗快活な声で叫ぶ。
「ニューヨークへ行きたいかーーー!」
スタンドを埋めた挑戦者たちが、地響きのように応える。
「おおおおおーーー!」
福原アナは、そこで少し悪い顔になる。
「罰ゲームは怖くないかぁーーー!」
「怖くなーーーい!」
「本当かなぁ? 後で泣くぞ!」
笑いと拍手。
これが毎年恒例の開幕だった。
最初は国内ドーム球場での○×クイズ。続いて成田空港でのジャンケン。グアム行き機内のペーパークイズ。グアムの○×どろんこクイズ。ハワイの団体戦綱引きクイズ。サンフランシスコのゲストクイズ。ラスベガスのギャンブルクイズ。ロッキー山脈の大声クイズ。フェニックス砂漠のバラマキクイズ。ニューオーリンズの双子神経衰弱クイズ。フロリダのマラソンクイズ。
知力。
体力。
時の運。
そのすべてを振り絞った末に、数万人から四人だけが残った。
準決勝の地は、ワシントンDC。
残ったのは、濃すぎる四人だった。
まず、国家公務員の社会人クイズ王、高槻誠司。落ち着いた大人の風格があり、挑戦者たちの兄貴分。だが時々、信じられない珍回答を出す愉快な男でもある。
次に、京都の名門私大クイズ研究会主将、森脇航平。爽やかなイケメンで、押しも読みも知識も隙がない。番組スタッフが「決勝に絶対欲しい」と思っていた王道の学生クイズ王。
三人目は、都の西北の色男、早乙女涼太。ここまで運だけで来たと本人も認めている。ただし芸能問題だけは異様に強い。
そして四人目が、東都の国立名門大学に通う学生クイズ女王、一条知佳。
知佳は笑顔がキュートで愛嬌がある。だが勝負になると容赦がない。通過席の相手を落とす時にも、必ず「ごめんなさい」と律儀に言う。しかも、その「ごめんなさい」の後には、たいてい誰かが落ちる。
準決勝は名物、通せんぼクイズ。
ルールは単純だが、残酷だった。早押しで三ポイント取れば通過席へ進める。そこでさらに一問正解すれば、ニューヨーク決勝進出。だが、他の挑戦者に正解されると阻止され、ポイントはゼロに戻される。
福原アナが説明する。
「三ポイントで通過席。しかし、そこで勝てなきゃゼロに逆戻り。天国まであと一問。地獄まで一瞬。これが通せんぼクイズです!」
序盤、高槻が通過席へ進む。
問題が読まれる。
「1787年の合衆国憲法制定会議で、人口に比例した代表制を主張した案を、提案した州名から何プランというでしょう?」
高槻が押すより一瞬早く、知佳のランプが点いた。
「ごめんなさい。ヴァージニア・プランです」
正解。
高槻は通過阻止、ゼロポイントへ。
福原アナが笑う。
「知佳さん、謝ってから落とすのやめなさい!」
知佳はにこにこしている。
「でも勝負ですから」
高槻は苦笑した。
「怖いね、この人」
次に知佳が三ポイントを取り、通過席へ。
「逆に、各州が平等に代表を持つべきだと主張した案を、提案した州名から何プランというでしょう?」
今度は航平が押した。
「ニュージャージー・プラン!」
正解。
知佳、阻止。
一瞬だけ頬を膨らませたが、すぐに笑った。
「航平くん、強いですね」
福原アナがすかさず言う。
「知佳さん、悔しい顔が一秒だけ出ましたね!」
「出てません」
「出ました!」
スタジオは笑いに包まれる。
すると、まさかの涼太が通過席へ上がる場面もあった。
問題。
「1980年代にアメリカで大ヒットした映画『フットルース』で主演を務めた俳優は誰でしょう?」
涼太が異常な速さで押した。
「ケヴィン・ベーコン!」
正解。
福原アナが叫ぶ。
「なんでそこだけ速いんだ!」
涼太は得意満面。
「芸能は任せてください!」
だが通過席ではすぐに知佳が立ちはだかる。
問題。
「アメリカ独立宣言の起草委員会、いわゆる五人委員会の一人で、のちに第3代大統領となった人物は誰でしょう?」
知佳。
「ごめんなさい。トーマス・ジェファーソンです」
正解。
涼太、撃沈。
「また知佳さん!」
福原アナは楽しそうに言う。
「涼太くん、決勝席の空気だけ吸って帰ってきました!」
その後も激戦は続いた。
高槻が通過席へ。阻止。
航平が通過席へ。阻止。
知佳が通過席へ。阻止。
涼太も一度だけ通過席へ。即阻止。
ワシントンの空気は、テレビ越しにも分かるほど張り詰めていた。
やがて、高槻誠司が社会人クイズ王の貫禄を見せる。
問題。
「アメリカ合衆国憲法制定会議で議長を務め、のちに初代大統領となった人物は誰でしょう?」
高槻。
「ジョージ・ワシントン」
正解。
高槻、決勝進出。
福原アナが声を張る。
「高槻誠司、社会人クイズ王の意地! ニューヨーク進出です!」
高槻は残る三人を見て、静かに頭を下げた。
「先に行きます」
そこからは、残り一枠をめぐる学生三人の死闘となった。
「アメリカ合衆国憲法の最初の十か条の修正条項を、一般に何と呼ぶでしょう?」
「権利章典!」
福原アナが煽る。
「森脇航平、通過席! あと一問でニューヨーク!」
知佳が指先を軽く動かす。
涼太も構える。
だが涼太の構えは、どこか軽い。
福原アナが読む。
「アメリカ独立戦争を終結させ、イギリスがアメリカの独立を承認した1783年の条約は何でしょう?」
知佳が押す。
「パリ条約!」
阻止。
航平、ゼロへ。
航平は笑った。
「やっぱり来ると思った」
知佳も笑う。
「ごめんなさい」
涼太が横から言う。
「その“ごめんなさい”怖いんだよなぁ」
客席が笑う。
今度は知佳が三ポイントを積み、通過席へ座る。
問題。
「アメリカ合衆国憲法で、大統領選挙に用いられる間接選挙制度において、各州に割り当てられる代表者を何というでしょう?」
航平。
「選挙人!」
阻止。
知佳は目を閉じて、ほんの少しだけ悔しそうにした。
福原アナが叫ぶ。
「知佳、また阻止された! 航平、譲らない!」
そしてついに、航平が再び通過席へ。
会場が静まる。
問題が読まれる。
「1787年のアメリカ合衆国憲法制定会議で、大きな州と小さな州の代表権をめぐる対立を調整するため、上院では各州同数、下院では人口比例とする二院制を導入した妥協案を、提案した州の名から何というでしょう?」
知佳の目が変わった。
航平の指が動いた。
涼太も、少し遅れて押す気配を見せた。
ランプが点いた。
航平だった。
「コネチカット妥協!」
正解。
決着。
福原アナが絶叫する。
「決まったぁぁぁ! 森脇航平、ニューヨーク進出!」
知佳は一瞬だけ、確かに悔しそうな顔をした。
だが、すぐに航平へ笑顔を向けた。
「航平くんに押し負けたのなら仕方ないです。強かったです。決勝、勝ってください」
航平は言葉に詰まり、深く頭を下げた。
「ありがとう」
涼太は横で小さく手を上げる。
「俺も押してたんですけど」
福原アナが即座に言う。
「君はだいぶ遅かったよ」
緊張の余韻を壊すような笑いが起こった。
そして敗者には、恒例の罰ゲームが待っていた。
知佳と涼太は、星条旗カラーの妙に派手なマントを羽織らされ、背中に大きな布を貼られる。
そこには太い文字で、
東京直行
と書かれていた。
福原アナがマイクを向ける。
「どうだ知佳、懲りたか?」
知佳は即答した。
「懲りるわけないでしょう。強くなって、また来年来ます!」
福原アナは嬉しそうに笑った。
「知佳ならそう言うと思った! 気をつけて帰ってねー!」
涼太は横で、
「俺もまた来ます!」
と言ったが、福原アナは冷たく返す。
「君はまず、運以外を鍛えなさい」
二人は“敗者専用バス”に乗せられ、空港へ向かう。知佳は悔しそうで、でもどこか清々しかった。涼太は最後まで手を振っていた。
その放送を、東大阪市の自宅で家族と一緒に見ていた大学生がいた。
赤嶺美月である。
テレビの前で、美月は珍しく黙っていた。
「この子、凄いな……」
母の春菜が横で言う。
「負けたのに、きれいに笑ってたねぇ」
美月は画面を見つめたまま頷いた。
「うちと同じ年やん。あんな悔しい場面で相手褒められるんか……。ほんま強いわ」
この時の美月は、まさか数カ月後、この“コネチカット妥協で散ったクイズ女王”と同じ戦隊ヒロインとして肩を並べることになるとは、夢にも思っていなかった。
放送後、知佳の人生は少し変わった。
大学で声をかけられる。本屋で振り返られる。喫茶店で「コネチカットの人ですよね」と言われる。
出たがりの知佳にとって、それは正直うれしかった。
だが、満たされなかった。
授業も楽しい。取材も楽しい。テレビ出演も楽しい。
けれど、ワシントンのあのヒリヒリした緊張感が忘れられない。
高槻。
航平。
涼太。
そして自分。
四人全員が本気で、同じ場所を目指していた。
あの空気を、もう一度味わいたい。
そんな時、知佳は戦隊ヒロインプロジェクトの募集要項を見つける。
地域振興。
健全な青少年育成。
治安維持。
全国から集まる仲間たち。
知佳は応募用紙を見つめ、ふっと笑った。
「これかもしれない」
ワシントンで終わったはずの勝負は、まだ終わっていなかった。
コネチカット妥協の向こう側に、彼女の新しい戦いが待っていた。




