コテが鳴る夜――てっぱん坂井に集う女たちと、河内のスピーカー
大阪市此花区。
高架を走る私鉄電車は、どこか年季の入ったボロ車両が似合う。駅前には派手な再開発の匂いもあるが、一歩路地に入れば、古い商店、町工場、立ち飲み屋、惣菜屋、クリーニング店が肩を寄せ合うように並んでいる。近くには全国区の大型テーマパークへ向かう観光客も通るが、この街の本質はそこではない。
人情が濃い。
財布に優しい。
声が大きい。
知らん人にも話しかける。
まさに、DEEP大阪という言葉が妙にしっくり来る庶民の街だった。
その下町にある鉄板焼き屋が、**「てっぱん坂井」**である。
外観は古い。
暖簾も少し色あせている。
店内の壁にはボロ私鉄沿線らしい雑多なポスター、昔の商店街の写真、常連客の落書きめいたメッセージが並ぶ。
そして近年、そこに新しい要素が加わった。
看板娘・坂井まどかの戦隊ヒロイングッズである。
まどかのブロマイド。
イベント出演時の写真。
サイン入りポスター。
高田美雪と一緒に写った記念写真。
赤嶺美月とのプライベートツーショット。
ファンの間では、いつの間にか「聖地巡礼」の店として知られるようになった。近くの大型テーマパーク帰りの観光客が、わざわざスマホで地図を見ながら来ることもある。
だが、基本は地元常連の店だった。
「まどかちゃん、またテレビ出とったなぁ」
「垢ぬけたなぁ。昔はソースまみれで店走り回っとったのに」
「でも、ちょっと遠く行ってもうたみたいで寂しいなぁ」
常連たちはそう言いながら、結局まどかを嬉しそうに見ている。
まどか自身も変わった。
この街で鉄板焼きとともに育った庶民派の娘だったが、高田美雪に見出されて戦隊ヒロインになってからは、立ち姿に華が出た。髪型も少し洗練され、笑顔もステージ映えするようになった。
だが、コテを持つ手つきだけは昔のままだった。
きゅっ、と返す。
すっ、と押さえる。
鉄板の上で生地を滑らせる。
世界的イリュージョニスト・高田美雪がまどかを見出した理由は、そこだった。
「この子や」
美雪はある日、鉄板の前で真顔で言った。
まどかの母が首をかしげた。
「何がですのん?」
美雪は腕を組んだ。
「コテの使い方がええ」
その場にいた全員が、何を言っているのか分からなかった。
まどか本人も、今でも分かっていない。
そんな「てっぱん坂井」は、西日本在住の戦隊ヒロインたちのたまり場でもあった。
この夜も、暖簾が揺れた。
「まどかぁ~、お腹すいたぁ~」
赤嶺美月である。
大学の友人であるまどかの店に入る姿は、もはや客ではなく帰宅だった。
まどかの母が奥から顔を出す。
「美月ちゃん、お帰り」
「ただいまや!」
美月は堂々とカウンターに座った。
すでに店には、三好さつき、大西結月、伊吹真白、山田真央がいた。まどかは鉄板前でネギ焼きを焼いている。
「今日は豚玉? ネギ焼き? 焼きそば?」
まどかが聞くと、美月は即答した。
「全部」
「アホか。食べすぎや」
「戦隊ヒロインは体が資本や」
「都合ええ時だけそれ言うな」
鉄板の上でソースが焦げる香りが広がる。
店内は笑い声と鉄板の音で満ちていた。
だが、美月はその日、どこか不満げだった。
「なんかなぁ」
美月がコップの水をぐいっと飲む。
「彩香の動きがおかしいねん」
結月の肩がぴくりと動いた。
さつきは何も言わず、箸で焼きそばをつついた。
まどかはコテを持ったまま、目だけで結月を見た。
真白は静かにお茶を飲んだ。
美月は続ける。
「彩香だけちゃうで。麻衣も、あかりも、美咲も、迫田ツインズもや。なんか最近、妙に忙しそうやねん。連絡しても返事遅いし、会うても言葉濁すし」
結月は無言だった。
事情を知っているからである。
NST。
西日本特別諜報班。
岡本玲奈と西川彩香を中心に、兵庫県で隠密活動を行う特殊チーム。美月はまだ詳しいことを知らされていない。
理由は明快だった。
河内のスピーカーだから。
美月に知られる。
美月が喋る。
大学で広がる。
商店街で広がる。
SNSで匂わせる。
近畿一円に広がる。
玲奈と彩香からは、結月にも厳命が下っていた。
「美月には絶対に言うな」
彩香に至っては、播州弁で釘を刺した。
「美月に漏れたら終いや。あのアホツインテール、悪気なく全部しゃべるで」
その通りだった。
結月は口を閉ざすしかない。
美月は不満を募らせる。
「玲奈さんも冷たいしなぁ。まあ、玲奈さんは昔からか?」
全員が静かに頷いた。
そこだけは満場一致だった。
真白も一度NSTに呼ばれたことがある。
だが詳しいことまでは知らされていない。
だから、触れない。
「何か事情があるのかもしれませんね」
真白はそれだけ言った。
さつきは、関西人らしく空気を読んでいた。
「忙しいんちゃう? 彩香さんら、真面目やし」
まどかも頷く。
「そうそう。みんな、それぞれあるんやろ」
この二人は異変を感じている。
だが、首を突っ込まない。
聞いてはいけないことは聞かない。
それもまた、西日本の生存術である。
一方、真央は完全に別世界だった。
鉄板の上のネギ焼きに集中している。
「見てみやぁ! 今からひっくり返すでよ!」
誰も見ていない。
真央は一人でコテを構えた。
「いくで……せーのっ」
ネギ焼きが宙を舞い、綺麗に返った。
「おおっ! 成功!」
やはり誰も見ていない。
真央は少し寂しそうに言った。
「今の誰か見とったがや?」
真白だけが優しく言う。
「見ていました。上手でした」
「真白、めっちゃええ子だがね。」
美月はまだ疑っている。
「でもなぁ、絶対なんかあるねん。彩香なんて、私が『最近何してん?』って聞いたら、『別に』って言うたんやで。あの彩香がやで? 普段なら『あんたには関係あらへん』くらい言うやろ」
さつきが苦笑する。
「それはそれで酷いなぁ」
「せやろ? それに麻衣も妙に落ち着いとるし、あかりも動きが硬いし、美咲も上品に誤魔化すし、迫田ツインズなんて片方が喋ったらもう片方が止めるねん。絶対おかしいやん」
結月は心の中で叫んでいた。
全部当たっている。
だが言えない。
美月はさらに続けた。
「私だけ仲間外れなんちゃうか?」
一瞬、店内が静かになった。
まどかが、すっと豚玉を美月の前に置いた。
「はい、サービス」
美月の目が輝く。
「うおおおお! 豚玉!」
空気が戻った。
結月は心底ほっとした。
さつきも小さく息を吐いた。
真白も静かに胸を撫で下ろした。
真央はネギ焼きを食べながら言った。
「おいしいなぁ」
「真央、今の話聞いてた?」
美月が聞くと、真央は首をかしげた。
「何の話?」
「もうええわ」
まどかの母が奥から笑った。
「美月ちゃん、難しいこと考えんと食べ。あんたは食べてる時が一番ええ顔してるわ」
「おばちゃん、それ褒めてる?」
「めっちゃ褒めてる」
美月は納得したような、していないような顔で豚玉を頬張った。
店の外では、古い私鉄電車が高架をきしませながら通り過ぎる。
車両の音が下町の夜に溶けていく。
「てっぱん坂井」は今日もにぎやかだった。
ファンにとっては聖地。
地元常連にとってはいつもの店。
戦隊ヒロインにとっては、肩の力を抜ける場所。
だが、その鉄板の上では、ソースと一緒に小さな秘密も焦げていた。
閉店後、まどかは鉄板を磨きながら、ふと高田美雪からのメッセージを見た。
『最近どうや?』
まどかは返信した。
『元気です。でも、今でも何で私が戦隊ヒロインになれたんか分かりません』
すぐに返事が来た。
『コテや』
まどかは鉄板を見た。
「やっぱり分からんわ」
その頃、美月は帰り際にもぼやいていた。
「やっぱり彩香ら、なんか隠してる気がするねん」
結月は笑顔でごまかした。
「気のせいやろ」
人生で一番下手な嘘だった。
美月はじっと結月を見る。
「……結月もなんか知ってる顔してるな」
結月の背中に冷や汗が流れた。
その時、まどかの母が包みを差し出した。
「美月ちゃん、持って帰り。焼きそば余ったから」
「おばちゃん大好き!」
美月は秒で疑いを忘れた。
結月は今度こそ心の底から思った。
助かった。
こうして、NSTの秘密は今夜も守られた。
ただし、河内のスピーカー赤嶺美月が本気で気づくまで、残り時間はそう長くないのかもしれない。
そしてその時、「てっぱん坂井」の鉄板は、また盛大に鳴ることになる。




