温泉街のスペアメイク――那須塩原、湯けむり追跡戦
栃木県那須塩原市、塩原温泉郷。
渓谷沿いに旅館が並び、川音と湯けむりが町の空気に溶けている。古くから湯治場として親しまれ、四季折々の山の景色、温泉宿の灯り、昔ながらの土産物屋が並ぶ温泉街。派手ではないが、歩くだけで肩の力が抜けるような、栃木県北部を代表する名湯だった。
ここは、塩原結花の地元であり、彼女のフランチャイズである。
高原のそよ風のような爽やかな容姿。
現役女子プロボウラー。
そして戦隊ヒロイン。
温泉街のあちこちには、結花が出演するシャンプー広告のポスターが貼られていた。風に髪をなびかせ、清楚に微笑む“さわやか結花さん”。その本人が観光PRイベントに現れたのだから、温泉街は朝から軽く騒ぎになっていた。
「本物だ!」
「ポスターの人だ!」
「結花さん、写真いいですか?」
結花は広告イメージそのままに、優雅に微笑んだ。
「もちろんですわ。塩原の湯と景色を、どうぞ心ゆくまで楽しんでくださいませ」
観光客は大喜び。
好感度は朝の時点で天井を突き破っていた。
だが、この観光PRイベントは表向きである。
本当の目的は、観光客を装って塩原温泉街に入り込んだジェネラス・リンク工作員の監視だった。
参加メンバーは、塩原結花、山口唯奈とドリームトラクター蒼牙2000・改、すみれコーチ、南部沙羅、水無瀬澪、柏木理世、高城彩芽、金城伊織。
理世は温泉街の地図を広げ、淡々と作戦を説明した。
「敵は観光客に紛れています。一般客を巻き込まないことが最優先です。結花さんは表の広告塔として人の流れを作ってください。沙羅さんと伊織さんは観光客の誘導。唯奈さんは裏道封鎖。彩芽さんと澪さんは……」
そこで理世が一瞬止まった。
澪はすでに温泉まんじゅうを見ていた。
「……これ、おいしそう」
彩芽も隣で目を輝かせている。
「うまそうだべさ! これ、何個食べていいんだべ?」
伊織がすかさず突っ込んだ。
「澪ちゃんも彩芽もしっかりして。任務中ですよ」
澪は温泉まんじゅうを手に、近くの観光客に向かってぼんやり言った。
「……これ、おすすめです。たぶん、おいしい」
観光客が笑いながら買っていく。
土産物屋の店主は喜んだ。
「お姉ちゃん、宣伝うまいねぇ」
澪は頷く。
「……食べたいだけです」
伊織は額を押さえた。
「正直すぎます」
彩芽は完全に流されていた。
「澪さん、これ黒糖味もあるべさ!」
「……買おう」
「買うべ!」
「だから任務中ですって!」
一方、結花は静かに燃えていた。
自分の地元。
塩原温泉郷。
そこに、ジェネラス・リンクが勝手に入り込んだ。
爽やかな笑顔の奥で、怒りがゆっくり温度を上げていた。
「塩原で好き勝手はさせませんわ」
声は上品だった。
だが、目は笑っていなかった。
しばらくして、理世の視線が動く。
「三人組。動きが観光客ではありません」
すみれコーチも頷く。
「結花、見えてるか」
結花は観光客に笑顔で手を振りながら、わずかに視線を動かした。
「ええ。見えておりますわ」
次の瞬間、工作員たちが動いた。
人混みを抜け、温泉街の細い裏道へ逃げようとする。
結花の表情が変わった。
“さわやか結花さん”が、一瞬で戦闘モードへ切り替わる。
「……塩原で勝手な真似してんじゃねぇべ」
沙羅が小声で言う。
「結花さん、口調がかなり変わりましたね」
すみれコーチは笑った。
「地元で怒った結花は強いぞ」
唯奈の蒼牙2000・改が、温泉街の裏道へ回り込む。
「そっちは通さねぇっぺ!」
観光地にトラクター型支援車両という、明らかに場違いな絵面。
だが効果は抜群だった。
敵の一人が驚いて足を止める。
もう一方の細道へ逃げようとした敵の前には、温泉まんじゅうを手にした澪と彩芽が立っていた。
彩芽がまんじゅうを頬張りながら叫ぶ。
「こっちは通さねぇべさ!」
澪もぼんやり言う。
「……まんじゅう、落とさないでね」
伊織が横から言う。
「締まりませんね。でも、塞げています」
沙羅は観光客を優雅に下がらせながら、敵の進路を狭める。
「皆さん、こちらへ。危ないので少し距離を取ってください」
伊織も別の横道へ立つ。
「そこは通れません。おとなしく止まりなさい」
残った敵は、二手に分かれようとした。
結花は路面を見た。
坂道。
石畳。
湯けむりで湿った足元。
旅館の入口前にある小さな段差。
観光客が避けたことで生まれた細い動線。
彼女の目には、それがボウリングのレーンに見えていた。
「少々、湿ったレーンですわね。けんど、読めねぇほどじゃございませんの」
制圧球を構える。
低い助走。
静かな踏み込み。
美しいリリース。
一投目。
球は石畳を低く走り、わずかに曲がった。
敵の足元へ滑り込み、逃げる一人を転倒させる。
残る二人は左右へ散る。
沙羅が一人の進路を潰し、伊織がもう一人を追い込む。
結花は微笑んだ。
「残りピン、二本ですわね。きちんとスペアを拾いませんと」
二投目。
今度は回転が鋭かった。
湯けむりの中を走った球は、まず一人の足元を崩し、壁際で跳ねるように角度を変え、もう一人の逃げ道を潰した。
スペアメイク。
工作員たちは制圧された。
任務完了。
温泉街は一瞬、静まり返った。
一部始終を見ていた観光客は、言葉が出なかった。
シャンプー広告の中で爽やかに微笑んでいた女性が、目の前で敵を鮮やかに制圧したのである。
やがて、誰かが拍手した。
次に、別の誰かが叫んだ。
「結花さん、すごい!」
拍手は一気に広がった。
「さわやか結花さん、強すぎる!」
「ポスターより本物の方がかっこいい!」
「那須塩原の誇りだ!」
結花は髪を整え、先ほどまでの鋭さを一瞬で消した。
そして、広告そのままの爽やかな笑顔で一礼する。
「皆さま、お騒がせいたしました。どうぞ、塩原の温泉で心も体も癒やしていってくださいませ」
完全に“さわやか結花さん”だった。
彩芽は温泉まんじゅうを手に目を輝かせた。
「結花さん、めっちゃ強ぇべさ!」
澪は頷く。
「……まんじゅうも、おいしい」
伊織が突っ込む。
「まんじゅうは今関係ありません」
唯奈が蒼牙から笑う。
「結花、北関東ライン、今日も決まったっぺ!」
すみれコーチは腕を組んで満足そうだった。
「結花は地元だと一段強いな。唯奈との連携も良くなってる」
理世もタブレットに記録を入れる。
「観光客の動線管理、敵の誘導、結花さんの制圧。おおむね想定通りです」
沙羅が髪を払う。
「私も優雅に働きました」
理世は淡々と言った。
「今回は働いていました」
「今回は、は余計です」
こうして、塩原温泉郷の湯けむり追跡戦は無事に終わった。
その日以降、地元での結花人気はさらに高まった。
美しい。
爽やか。
上品。
それでいて、強い。
観光客は、温泉街に貼られたシャンプー広告の前でこう語るようになる。
「あの人、ただ爽やかなだけじゃないんだよ。温泉街で工作員をボウリングみたいに倒したんだ」
塩原結花。
那須塩原が生んだ、異色のプロボウラー兼戦隊ヒロイン。
“さわやか結花さん”は、地元で圧倒的な人気を固めていくことになる。




