ヒロヒロクエスト第3話 柔道娘、海を走る――江田島、オリーブの島でノムさんまで飛ぶ
ヒロヒロのオンボロバスは、呉で海自カレー騒動を巻き起こしたあと、次の目的地へ向かった。
江田島市である。
瀬戸内海に浮かぶ江田島は、穏やかな海と島の風景が美しい町だった。かつて旧海軍兵学校が置かれ、日本近代史と深く結びついた土地でありながら、今はオリーブや柑橘、海産物でも知られる、明るく風通しのいい島でもある。
オンボロバスの窓から海を眺めながら、のどかが珍しく真面目な顔をした。
「江田島いうたら、やっぱり旧海軍兵学校じゃね。ここは日本の近代史を語る上で外せん場所なんよ」
すると、みーちゃんこと越智美晴が身を乗り出した。
「分かります。兵学校って単なる軍事施設じゃなくて、明治以降の国家づくりや教育制度とも関係が深いんですよね」
のどかが嬉しそうに頷く。
「みーちゃん、話分かるじゃん」
「私、歴女ですから」
二人は、急に江田島の歴史談義へ入った。
のどかは被爆四世として、広島の平和と歴史への思いが強い。みーちゃんは歴女らしく、史跡や資料館の背景を丁寧に語れるタイプだった。
「戦争を美化するんじゃなくて、ちゃんと学ぶ場所として見たいんよ」
「そうですね。歴史は、事実を知ってから考えるものです」
その横で梨乃は、ぼんやり窓の外を見ながら言った。
「江田島って、島なん?」
「今さらそこから!?」
のどかの声がバスに響いた。
江田島でのイベントは、江田島オリーブフェスタ。
温暖な気候を生かしたオリーブ、レモン、海の幸を紹介する地域イベントで、ヒロヒロはその盛り上げ役として招かれていた。
会場には、オリーブオイルの試食、レモンを使った菓子、地元海産物の販売、オリーブパン、オリーブソフトなどが並んでいた。
ゆりえは食レポ担当として大活躍。
「オリーブオイルがすごく香り高いです! レモンの爽やかさと合って、海風みたいに軽い味ですね!」
梨乃はオリーブパンを食べ続けている。
「これ、何個まで食べてええん?」
のどかが即答。
「試食は食べ放題じゃないんよ」
沙羅は腕を組み、少し上品に言った。
「こういう瀬戸内の明るさ、いいですね。湘南とはまた違うけど、海辺の空気が洗練されてる感じがします」
澪はオリーブソフトを食べながら、ぼーっとしていた。
「……おいしい」
それだけなのに、なぜか周囲の客が買いに行く。
のどかは小声で言った。
「澪の食レポ、言葉少ないのに売れるんよね」
イベントは順調だった。
――その時までは。
会場スタッフが慌てて駆け込んできた。
「大変です! 明日の展示で使う巨大オリーブ王冠がなくなりました!」
巨大オリーブ王冠。
地元の高校生たちが作った、イベントのシンボル展示物だった。オリーブの枝を模した大きな王冠で、写真撮影スポットとしても人気になる予定だったという。
「軽トラックに積まれて、誰かが持ち出したみたいなんです!」
のどかの顔が変わった。
「盗難じゃね」
結月が即座に折りたたみ自転車を展開する。
「細い道なら私が追えます」
元女子競輪選手らしい素早さだった。
沙羅は後ろへ一歩下がる。
「私はここで状況を見守りますね」
のどかが睨む。
「つまり何もせんのじゃね」
「危険ですから」
梨乃はオリーブパンを手に持ったまま言った。
「うちも応援する」
「食べながら言うな!」
結月は先行して走った。
折りたたみ自転車とは思えない加速だった。鍛え上げた太腿がペダルを押し込み、島の細い道を滑るように進む。
のどかも走る。
「待ちんさい!」
柔道有段者ののどかは、足も速い。
ただの平和活動家ではない。いざという時は、身体ごと前に出るタイプだった。
澪は、ぼーっとしながら分岐点を指差した。
「こっちは通れないよ……多分」
「なんで分かるん?」
「さっき、軽トラの音が戻ってこなかった。道が詰まってるんじゃないかな」
半信半疑で見ると、本当にその先は工事で通行止めだった。
のどかは目を丸くした。
「澪、今日も地味に役立つじゃん」
澪は首を傾げる。
「そう?」
追跡の末、のどかと結月は軽トラックを発見した。
相手は数人組。
イベント備品を勝手に持ち出し、冗談半分で写真を撮ろうとしていたらしい。だが返す気配はない。
「それ、子どもらが作った大事な展示物じゃ。返しんさい」
のどかの声が低くなる。
相手の一人が笑った。
「ちょっと借りただけじゃろ」
その瞬間、のどかの目が鋭くなった。
「借りたいうんは、返す意思がある人間の言葉じゃ」
一人が近づいてきた。
次の瞬間――
のどかの大外刈りが決まった。
見事な一本。
相手はきれいに地面へ転がる。
「うわっ!」
続いて二人目。
のどかは相手の腕を取り、体を沈め、一気に投げた。
背負い投げ。
勢いよく地面へ転がる。
三人目が逃げようとしたところへ、結月が自転車で進路を塞ぐ。
「そっちは通れません」
さらに澪が反対側でぼーっと立っていた。
「こっちも、たぶん無理」
実際、そこは袋小路だった。
そして――
「待たんかぁぁぁ!」
後方から謎の叫び声。
ノムさんだった。
まさにゃんの車から飛び出し、年齢を感じさせない勢いで突っ込んでくる。
のどかが驚く。
「先輩!?」
ノムさんは腕を振り上げた。
「撮影所時代を思い出したわ!」
かつて俳優として撮影所に出入りしていたノムさんは、殺陣も経験していた。動きは大げさだが、妙にキレがある。相手の腕を払って、足を引っかけ、芝居がかった動きで一人を転ばせる。
「ほれ、こうじゃ!」
さらに身を翻し、もう一人を壁際へ追い込む。
完全に時代劇の立ち回りだった。
沙羅は目を輝かせた。
「ノムさん、カッコイイ!!」
梨乃もパンを持ったまま叫ぶ。
「ノムさん、すごい! 映画みたい!」
ただし、二人とも見ているだけだった。
のどかはさらに一人を体落としで制圧し、最後の一人の襟を掴んで低く言った。
「江田島でふざけたことしよったら、島の人に失礼じゃろ」
相手は完全に戦意を失った。
巨大オリーブ王冠は無事奪還された。
会場へ戻ると、スタッフと高校生たちは大喜びだった。
「ありがとうございます!」
「壊れてない!」
のどかは息を整えながら笑った。
「これがヒロヒロじゃ」
沙羅はまだノムさんを見ている。
「ノムさん、本当にカッコ良かったです」
ゆりえも頷いた。
「社長、カッコ良かったです。びっくりしました」
ノムさんは得意げに胸を張った。
「ワシも若い頃は撮影所で鍛えたけぇのう。殺陣もやったことあるんじゃ。武術の心得くらいあるわい」
その瞬間、ノムさんの顔が歪んだ。
「……腰が」
さらに膝を押さえる。
「膝も」
肩を回そうとして止まる。
「肩も痛い」
結月がすぐに駆け寄った。現役スポーツインストラクターらしく、状態を見る。
「無理に動きすぎです。急に全力で立ち回ったら、そりゃ痛めます」
のどかは呆れて笑った。
「年甲斐もなく無理するからじゃ」
梨乃が真顔で言った。
「ノムさん、もう一回やったら治るん?」
「治るか!」
全員が笑った。
澪はオリーブソフトを見つめながら言う。
「でも、今日はみんな役に立ったね」
沙羅がさらりと言う。
「私は応援しました」
のどかが即座に返す。
「何もしてないじゃろ」
沙羅は涼しい顔。
「精神的支援です」
江田島のクエストは、のどかの勇ましい柔道技と、結月の機動力、澪の地味な観察、そしてノムさんの年甲斐もない殺陣で解決した。
帰りのオンボロバスの中。
ノムさんは湿布を貼られ、後部座席でうめいていた。
「痛い……」
梨乃がのんびり言う。
「でもカッコ良かったよ」
ノムさんは少しだけ笑った。
「じゃろ?」
のどかは窓の外の瀬戸内海を見ながら、呆れたように言った。
「ほんま、ヒロヒロは何が起きるか分からんね」
オンボロバスは、また次の目的地へ向かう。
ただし、ノムさんだけはしばらく動けなかった。




