熱湯か、戦隊か――秋田美人と富山湾マーメイド、昼バラへ沈む
阿部柚葉の写真集は、完成した瞬間から新橋ヒロ室をざわつかせた。
タイトルは、
『白嶺のヴィーナス――阿部柚葉、二十歳の透明衝撃』。
鳥海山麓の澄んだ空気、日本海の夕景、にかほ市の静かな町並み、そしてサイパンの強い光。色白で端正な顔立ち、手足の長いスタイル、普段は穏やかなのに勝負どころでは突然踏み込む“尖った大胆さ”。阿部柚葉という戦隊ヒロインの魅力が、きっちり一冊に収まっていた。
完成見本を抱えてヒロ室に現れたノムさんは、入口からもう騒がしかった。
「できたでぇ! ワシが付けたタイトルじゃ! 『白嶺のヴィーナス――阿部柚葉、二十歳の透明衝撃』! ええじゃろ、これ!」
遥室長は静岡茶を手に、表紙を見て頷いた。
「写真は本当にいいだよ。タイトルは……まあ、ノムさんらしいだよ」
「何言うとるんじゃ。タイトルも売り物なんよ。透明衝撃じゃぞ。透明なのに衝撃なんじゃ。矛盾があるから記憶に残るんじゃ」
「理屈が強引だよ」
そこへ月島小春がのぞき込み、目を輝かせた。
「すごい! 規格外の秋田美人、完全に全国仕様ですね!」
柚葉は少し照れながらも、完成した本を大事そうに抱えていた。
「ありがとうございます。にかほの人たちにも見てもらいたいです」
その一言に、ノムさんの目が光った。
「そうじゃ。見てもらわにゃいけん。写真集は作って終わりじゃない。売って、話題にして、覚えてもらって、ようやく勝ちなんじゃ」
遥室長は嫌な予感で湯呑みを置いた。
「ノムさん、その顔は危ないだよ」
「危ないんじゃない。攻めとるだけじゃ」
ちょうどその頃、もう一冊の写真集企画も動いていた。
戦隊ヒロイン兼グラビアアイドル。
“富山湾の爆乳マーメイド”こと、氷見ゆりえ。
十九歳。童顔で明るく、富山湾の海風みたいな透明感と華がある人気者である。彼女の二冊目の写真集も発売直前だった。
タイトルは、
『潮騒のマーメイド――氷見ゆりえ、十九歳のきらめき』。
ノムさんは机を叩いた。
「これじゃ! 柚葉ちゃんとゆりえちゃん、まとめて売る! 秋田美人と富山湾マーメイド。地方創生グラビアコンビじゃ!」
小春は腹を抱えた。
「地方創生グラビアコンビって、字面が強すぎます!」
遥室長は眉間を押さえる。
「で、どこで宣伝する気だよ」
ノムさんはニヤリと笑った。
「日曜昼の人気生放送バラエティー、ハイパージョッキーじゃ」
その名を聞いた瞬間、遥の顔が固まった。
ハイパージョッキー。
総合司会は、足立区が生んだ世界的映画監督にして毒舌お笑い芸人、誰もが知る大物――世界のキタノ。映画では海外からも高く評価され、テレビではキタノ軍団を引き連れて大暴れする、芸能界の怪物である。
番組の視聴率は高い。
人気もある。
しかし、お堅い層からの評判は最悪に近い。
下品すれすれ。
お色気あり。
リアクション芸あり。
生放送で何が起こるか分からない。
そして名物コーナーが、熱湯PRタイム。
ゲストが商品や写真集を宣伝するため、水着で熱湯風呂に挑み、入っていられた秒数だけPRできるという、昼の生放送とは思えない混沌の人気企画だった。
遥室長は即座に首を振った。
「絶対ダメだよ。戦隊ヒロインプロジェクトは健全な青少年育成が理念だよ。ハイパージョッキーは、その理念からだいぶ遠いだよ」
ノムさんは胸を張る。
「何言うとるんじゃ。ワシゃ世界のキタノとも昔からの付き合いなんじゃけぇ。大丈夫じゃ」
遥は真顔で言った。
「その“大丈夫”が一番危ないだよ。キタノさんがすごい人なのは分かるだよ。でも、あの番組は軍団が悪ノリするだよ。絶対するだよ」
「悪ノリ込みで数字取るんじゃ」
「それが問題だよ!」
そこへ波田顧問が通りかかった。
話を聞くなり、腕を組んで豪快に言った。
「ええじゃないか」
遥室長は振り返った。
「波田さんまで!?」
「若いもんは何でも経験だ。秋田美人と富山湾マーメイドだろ? 話題になるじゃねぇか」
ノムさんは勝ち誇った。
「ほら見い。顧問は分かっとる」
遥は深くため息をついた。
「……品位は守るだよ。戦隊ヒロインとして、最低限の線は守るだよ」
こうして、柚葉とゆりえのハイパージョッキー出演が決まった。
ところが、当の二人は予想以上に前向きだった。
柚葉は完成した写真集を見つめながら言った。
「出るなら、ちゃんと宣伝したいです。にかほの人たちも応援してくれているので」
ゆりえも明るく拳を握る。
「私も二冊目だもん。富山湾のマーメイド、やる時はやるよ!」
遥は二人を見て、さらに頭を抱えた。
「二人とも真面目なのが、逆に困るだよ」
そして、柚葉の特訓が始まった。
居候先の小野寺家では、ある日から風呂の温度が明らかに上がった。
叔母が浴室の温度計を見て首をかしげる。
「柚葉ちゃん、最近お風呂の温度高いんだけど、どうしたの?」
柚葉は涼しい顔で答えた。
「熱湯PRタイムの練習です」
「何の練習?」
叔母は一瞬、聞き間違いかと思った。
そこへ従妹の彩音がやって来る。戦隊ヒロイン加入が内定している少女で、柚葉を“ゆず姉”と慕っている。
「ゆず姉、戦隊ヒロインのお風呂って熱いの?」
柚葉は軽く答えた。
「そうだよ」
叔母が慌てた。
「違う違う違う! 彩音ちゃん、違うから! 戦隊ヒロインのお風呂が熱いんじゃなくて、柚葉ちゃんが変な番組に出る準備してるだけだから!」
彩音は真剣な顔で頷いた。
「私も戦隊ヒロインになったら、熱いお風呂に耐える練習するんだね」
「だから違うって!」
小野寺家に、非常によろしくない誤解が生まれた。
柚葉はその後も真面目だった。
入浴時間を測る。
湯温を記録する。
肩まで入るべきか、腰までで粘るべきか考える。
呼吸の整え方まで研究する。
やがて、柚葉はゆりえに胸を張って報告した。
「44℃までなら、30秒我慢できるようになったよ」
ゆりえは目を見開いた。
「44℃で30秒……!」
なぜか、グラビアアイドルとしての闘志に火がついた。
「私も練習する!」
富山でも風呂特訓が始まった。
「今日は43℃いけた!」
「もう少しで熱湯PR仕様!」
ゆりえは明るく真面目に、完全におかしな方向へ努力を始めた。
ヒロ室で二人が練習報告を始めると、遥室長はもう言葉を失った。
柚葉が真顔で言う。
「入る直前に息を整えると、少し耐えやすいです」
ゆりえも真剣に頷く。
「肩まで行くとインパクトはあるけど、最初から無理すると秒数が伸びないよね」
柚葉は考え込む。
「宣伝時間を稼ぐなら、最初は腰までで粘って、途中で肩まで行くのがいいかもしれません」
遥は両手で顔を覆った。
「二人とも、努力の方向性が変だよ」
真帆が横で呟く。
「戦隊ヒロインって何なんですかね……」
ノムさんは大喜びだった。
「ええ根性しとる! これがプロじゃ! 数字取れるでぇ!」
波田顧問も笑う。
「若いうちは体を張るのも経験だ」
遥は力なく返した。
「健全な青少年育成……どこへ行っただよ……」
それでも準備は進んだ。
写真集の告知文。
当日の衣装。
PRコメント。
秒数ごとの宣伝内容。
十秒ならタイトル。
二十秒なら発売日と価格。
三十秒ならサイン会告知まで言える。
四十秒なら地元PRも入れられる。
小春はそれを見て笑った。
「秒単位で宣伝設計してるの、無駄にプロですね!」
柚葉は真剣だった。
「にかほも入れたいです」
ゆりえも負けていない。
「私は富山湾も入れたい!」
遥は呆れながらも、少しだけ感心していた。
「二人とも、変な番組に出るのに、目的はちゃんとしてるだよ」
本番前夜。
柚葉は自分の写真集を手に取った。
鳥海山。
日本海。
にかほの街。
サイパンの光。
今しかない自分。
「ちゃんと宣伝します」
ゆりえも写真集を抱えて笑う。
「私も。二冊目、たくさんの人に見てほしい」
ノムさんは上機嫌だった。
「相手は世界のキタノじゃ。軍団も暴れる。盛り上がるでぇ!」
遥室長は静岡茶を両手で持ち、遠い目をした。
「……戦隊ヒロインって、何だっただよ」
ノムさんは笑った。
「売れたら正義じゃ!」
「それも違うだよ」
しかし、もう止まらない。
阿部柚葉と氷見ゆりえ。
秋田美人と富山湾マーメイド。
二人は熱湯対策を済ませ、写真集を抱え、日曜昼の怪物番組へ向かう準備を整えた。
生放送本番は、まだ始まっていない。
だが、新橋ヒロ室の空気はすでに十分熱かった。




