にかほ市、応援しすぎ問題――柚葉凱旋イベント、なぜか札幌妹が第二の主役になる
にかほ市イベントは、最初から様子がおかしかった。
日本海と鳥海山に抱かれた秋田県にかほ市。海は青く、山は大きく、町には世界に誇る電子部品メーカーの巨大工場を中心とした、静かだが芯の強いものづくりの空気が流れている。精密で、堅実で、しかし勝負どころでは妙に大胆。そんな土地柄が、今回のノースフロントイベントに全部出ていた。
会場に到着した阿部柚葉は、まず立ち止まった。
横断幕が多すぎる。
柚葉はにかほの誇り!
秋田美人、北を照らせ!
阿部家一同、全力応援!
尖った大胆さで世界へ!
ここまでは、まだ分かる。問題はその横だった。
打て!走れ!守れ!柚葉!
電子部品も柚葉も世界品質!
にかほ市民は阿部柚葉を全力で推す!
柚葉は顔を真っ赤にした。
「私、野球部じゃねぇんだけど……。打て走れ守れって、何を?」
その隣で玲香が完全に引いていた。
「これは……地元人気というより、包囲網ですね」
仙台の女王・佐々木玲香。地元ではローカルタレントとして場慣れしている彼女でさえ、にかほ市民の熱量には少し気圧されていた。仙台の洗練された歓声とは違う。こちらは、親戚、近所、工場、商店会、野球部、町内会が全部束になって押し寄せる“地元総力戦”である。
乙実はいつも以上に小さくなっていた。
「うぢだったら、こんな応援されたら腰抜かすのぉ……」
紗耶も優しく苦笑する。
「柚葉ちゃん、愛されてるねぇ。でも、これは逃げ場ないねぇ」
瑠璃だけは平常運転だった。
「これだけ熱量があるなら、進行は読みやすいです。問題は、拍手が長すぎて時間が押すことですね」
盛岡の柚希は冷静に会場を見渡した。
「地元の結束が強ぇべ。これは柚葉さんに花を持たせる日だべな」
しかし、肝心の柚葉本人は、花を持たされすぎて完全に困っていた。
「来ねくていいって言ってらのに……なんで毎回増えてるんだべ……」
阿部一族は総出。父、兄、親戚、近所の人々。さらに父や兄が勤める世界的電子部品メーカーの工場関係者、関連企業の人々、なぜか野球部応援団までいる。工場長クラスの幹部まで来ており、地元の偉い人たちも妙に本気だった。
るみねぇは舞台袖で苦笑した。
「こりゃ、完全ホームだっぺ。今日は柚葉が逃げても、町が逃がさねぇな」
イベントが始まった。
瑠璃が落ち着いた声で開会を告げる。
「本日は、ノースフロントにかほイベントへお越しいただき、ありがとうございます」
その時点で拍手。
「本日の地元代表、阿部柚葉さん――」
大歓声。
「柚葉ぁぁぁ!」
「にかほの星ぃぃ!」
「阿部家最高ぉぉ!」
「秋田の誇りだぁぁ!」
「野球部も応援してるぞぉぉ!」
柚葉はマイクを握ったまま固まりかけた。
「今日は……来てくださって、ありがとうございます」
それだけで拍手。
少し笑えば歓声。
目線を向ければ横断幕が揺れる。
完全にホーム。だが、ホームすぎて逆にやりにくい。
玲香は小声で言った。
「これは、私でもやりにくいです。全部、柚葉さんに吸い込まれる」
柚葉もそれを感じていた。
このままだと、ノースフロントイベントではなく「阿部柚葉凱旋祭り」になる。
そこで柚葉は、逃げるように玲香へマイクを振った。
「玲香さん、仙台代表としてお願いします」
玲香は一瞬驚いたが、すぐにプロの顔へ切り替わる。
「にかほの皆さん、本日は本当に熱い歓迎をありがとうございます。仙台でも、ここまでの一体感はなかなかありません。北日本の力を感じます」
さすがだった。拍手も起こる。
だが客席からすぐに、
「柚葉も出せー!」
と声が飛ぶ。
玲香は笑顔を崩さず小声で呟いた。
「地元補正、強すぎます」
次に柚希が話す。
「にかほの皆さんの応援を見ていると、地域に根づくことの大切さが分かるべ。北日本は、一つに見えて、それぞれの土地に違う力があるんです」
真面目で良い話だった。
拍手も来る。
しかし、柚葉の名前が出るたびに観客の熱量が跳ねる。
柚葉は小声で呻いた。
「もう、私の名前出さないで……」
そこで、彩芽が前に出た。
高城彩芽。札幌出身の北の突撃妹。天真爛漫で、単純で、元気だけは常に満タン。難しい空気は読めないが、明るい場所には異様に強い。
柚葉は苦し紛れに言った。
「彩芽、北海道代表として何か言って」
彩芽の顔がぱっと輝いた。
「はいだべさ!」
ステージ前方へ一歩。
「北海道から来た高城彩芽だべさ! にかほの皆さん、なまら元気だべさ!」
会場が一瞬だけ静まり――すぐにどっと笑った。
「元気いいなぁ!」
「だべさ、かわいいぞ!」
「北海道も頑張れぇ!」
「彩芽ちゃーん!」
彩芽は嬉しそうに笑った。
「にかほ、なまら最高だべさ! 柚葉さん、こんなに応援されててすごいべさ! 私も、いつか札幌でこんなふうに応援されるヒロインになりたいべさ!」
この一言が刺さった。
にかほ市民は、真っ直ぐな若者に弱い。地元のために頑張る人間を応援する気質がある。柚葉を応援する気持ちが、そのまま柚葉が前に出した後輩へ流れた。
「彩芽ちゃん、けっぱれ!」
「札幌でも頑張れ!」
「にかほから応援してるぞ!」
「だべさー!」
彩芽は完全にハートを掴んだ。
「なまら嬉しいべさ! 私、もっとけっぱるっしょ!」
観客はさらに沸いた。
舞台袖でるみねぇが笑った。
「単細胞だけど、ああいう場には強ぇんだっぺ。応援されたら伸びるタイプだな」
玲香も複雑そうに見ていた。
「計算ではなく、真っ直ぐさで取るタイプですね」
柚希は静かに頷いた。
「北日本には、そういう子も必要だべ」
イベント後半、彩芽とにかほ市民の相性はさらに良くなっていった。
子どもたちが「だべさー!」と真似する。
彩芽が「なまら上手いべさ!」と返す。
おじさんたちが「けっぱれー!」と叫ぶ。
彩芽が「けっぱるべさ!」と拳を上げる。
なぜか野球部応援団が「彩芽コール」を始める。
「彩芽! 彩芽! 彩芽!」
柚葉は横で苦笑した。
「私のホームなのに、彩芽が第二の主役になってる……」
だが、不思議と嫌な気はしなかった。
彩芽がにかほ市民に受け入れられているのは、柚葉にとっても嬉しいことだった。自分だけでなく、ノースフロントの仲間も地元に受け入れてもらえた。それは、地元に帰ってきたヒロインとして、誇らしいことでもあった。
終盤、柚葉は改めてマイクを取った。
「今日は、にかほの皆さんにノースフロントを見てもらえて、本当に嬉しいです。私だけじゃなくて、玲香さんも、柚希さんも、乙実さんも、紗耶さんも、瑠璃さんも、彩芽も、みんな北日本の仲間です」
客席から拍手。
柚葉は少し照れながら続けた。
「だから……私だけじゃなくて、みんなも応援してけれ」
会場が応えた。
「ノースフロント頑張れぇ!」
「彩芽ちゃんもけっぱれぇ!」
「柚葉ぁ、また帰ってこいよぉ!」
「阿部家最高ぉ!」
最後だけ少し違ったが、勢いは十分だった。
イベントは大成功だった。
予定していた進行表はかなり崩れた。
阿部一族の熱量は強すぎた。
工場関係者の応援幕は多すぎた。
野球部の幕は完全に用途不明だった。
柚葉は照れすぎた。
彩芽は前に出すぎた。
だが、結果として最高だった。
今回の最大の収穫は、彩芽だった。
彼女は、地元に応援されるということの意味を知った。
声援は欲しがるだけではもらえない。
積み重ねた信頼が、人を動かす。
柚葉がにかほで積み重ねてきたものが、今日の熱狂を作っていた。
帰り際、彩芽は柚葉に言った。
「柚葉さん、私、いつか札幌でもこんなふうに応援されるようになるべさ」
柚葉は優しく笑った。
「すぐには無理だよ。でも、彩芽ならできると思う」
「ほんとだべか?」
「うん。今日、にかほの人たちも彩芽のこと好きになったし」
彩芽はぱあっと笑った。
「なまら嬉しいべさ!」
新橋の準備室では、真帆が進捗表を更新した。
にかほイベント:大成功
柚葉地元人気:過剰なほど確認
彩芽評価:急上昇
玲香・柚希連携:現状維持
応援幕:用途不明のもの多数
阿部一族:制御不能
胡蝶蘭:極めて良好
まさにゃんは胡蝶蘭に報告した。
「ノースちゃん、今日は彩芽ちゃんが咲いたで」
茉莉花が横で笑った。
「阿部一族の方が満開すぎたい」
ノースフロントは、まだ未完成。
だが、にかほの熱は確かに次の芽を育てた。
柚葉の地元愛。
にかほ市民の熱狂。
そして彩芽の真っ直ぐな元気。
この三つが噛み合った時、未熟な札幌妹は、ほんの少しだけ次の段階へ進んだのである。




