小さな声が、商いになった日――伊吹真白、天秤棒で“三方良し”を届ける
新橋ヒロ室のミーティングスペースに、関係者が集まっていた。
遥室長、真帆、琴葉、真白、みのり、美月、綾乃、小春、そしてなぜか一番前の席に座っているノムさん。
スクリーンには、完成した新人営業マン研修用教材ビデオのタイトルが映し出されている。
『声を届ける商い――伊吹真白、天秤行商で学んだ三方良し』
真白は恥ずかしそうに膝の上で手を握っていた。
「私、自分の映像を見るの、やっぱり少し恥ずかしいです……」
琴葉が横で笑う。
「ええやないの。あんたがどれだけ変わったか、よう分かる教材になっとるはずや」
照明が落ち、映像が始まった。
画面に映るのは、加入当初の伊吹真白だった。
小柄で、儚げで、薄幸の美少女のような雰囲気。けれどその足腰は、伊吹おろしに鍛えられた本物で、跳躍力はヒロ室でも「カンガルージャンプ」と呼ばれるほどだった。
だが、映像の真白はうつむいている。
ナレーションは、人気キャスターとなった三好さつきの声だった。
伊吹真白には、力がありました。
けれど、その力を人前で使う勇気がありませんでした。
声が届かない。目を合わせられない。前に出られない。
秘密兵器は、秘密のまま眠っていたのです。
序盤、真白はイベント会場の片隅で、誰にも声をかけられず立っている。そこへ、西園寺綾乃演じる嫌味な先輩ヒロインが現れる。
綾乃はにこやかな笑みを浮かべたまま、針のような京言葉を落とす。
「真白はん、天秤棒担いで商いでっか? 何しに岐阜から出てきはったんか、よう分かりまへんなぁ」
真白は唇を噛む。
綾乃はさらに、戦隊ヒロイングッズの缶バッジや応援タオル、生活雑貨のたわしや歯ブラシ、ゴム紐を一瞥した。
「声も聞こえまへんし、商品も売れまへんし……秘密兵器やのうて、ただのお荷物どすなぁ」
視聴していた小春が小声で漏らす。
「綾乃さん、序盤から刺しすぎっす……」
綾乃本人は、申し訳なさそうに真白へ小さく頭を下げる。
「真白さん、ほんま堪忍しておくれやす。芝居とはいえ、胸が痛みますわ」
真白は照れ笑いした。
「大丈夫です。あの場面があるから、後が効くんですよね」
映像は続く。
傷ついた真白の前に現れるのが、美月だった。
美月はいつもの明るさで、真白の背中をぽんと叩く。
「真白、売れへん日もあるわ。けどな、声出さんかったら、売れる日も来えへんで。まず一回、腹から言うてみ」
真白は小さく頷く。
「でも……私の声、誰にも届かない気がします」
美月は笑った。
「最初から届く声なんてないねん。届かせようとするから、だんだん届くんや」
その言葉を胸に、真白は天秤棒を担ぐ。
琴葉から課された修行は、近江商人伝統の天秤行商だった。
売るものは、戦隊ヒロイングッズと生活雑貨。
華やかな缶バッジや応援タオルだけでなく、たわし、歯ブラシ、ゴム紐という、妙に生活感のある品まで並ぶ。
琴葉は厳しく言う。
「売るいうんは、押しつけやない。相手に届かせることや。自分の声も、商品の良さも、相手の役に立つ形で届けるんや」
真白は駅前に立つ。
「……いかがですか」
声は小さい。
通行人は誰も振り向かない。
「……戦隊ヒロイングッズ、あります」
また通り過ぎる。
画面の真白は、まるでマッチ売りの少女のようだった。
売っているのはマッチではなく、たわしとゴム紐だが、寂しさは本物だった。
さつきのナレーションが重なる。
断られることより怖いのは、声を出しても届かないこと。
けれど営業とは、届かない声を、届く言葉へ変えていく仕事でもあります。
転機は、船橋駅前で訪れる。
泣きそうな表情で天秤棒を担ぐ真白を、偶然見つけたのが館山みのりだった。
「真白さん……ここで販売しているんですか?」
真白は小さく答える。
「琴葉さんから、全部売れるまで帰ってきちゃ駄目って言われました」
みのりは、少し驚いた顔をしたあと、優しく微笑む。
「では、私も一緒に売ります」
みのりは通行人に向かって、落ち着いた声で呼びかけた。
「この子、岐阜から来たいい子なんです。皆さん、少しだけ見ていってください。応援してあげてください」
人が足を止める。
みのりは真白へ言う。
「真白さんは、物流の現場を知っています。商品がどう役に立つか、自分の言葉で話せばいいんです」
真白は、震えながら一歩前へ出た。
「このゴム紐は……荷物をまとめる時に使えます。トラックの現場でも、固定することは大事です。たわしは、水回りに使いやすいです。派手ではないけど……役に立ちます」
通行人の一人が言う。
「じゃあ、そのゴム紐ください」
真白の顔が、ぱっと変わる。
「ありがとうございます」
その様子を、電信柱の陰から琴葉が見守っていた。
厳しく突き放した師匠の顔に、少しだけ涙が浮かぶ。
「真白……声、届いたやんか」
ここでヒロ室の視聴席が静かになった。
美月も、珍しく茶化さなかった。
みのりは穏やかに画面を見つめ、琴葉は少し目を潤ませている。
真白は恥ずかしそうに俯いたが、その横顔は誇らしげでもあった。
映像の後半、真白は少しずつ変わっていく。
「寄ってってちょうだゃあ。見るだけでもええんやて。使えるもんばっかやで」
美濃弁まじりの口上が、駅前に響く。
缶バッジは思い出に。
応援タオルはイベントにも日常にも。
たわしは台所に。
歯ブラシは持ち歩きに。
ゴム紐は荷物の整理に。
商品を押しつけるのではなく、相手の生活を見て、役に立つ場面を伝える。
真白は、商いの意味を少しずつ掴んでいく。
そして終盤。
かつて真白に嫌味を言った綾乃が、再び現れる。
成長した真白は、もう俯いていない。
天秤棒を担ぎ、客の顔を見て、自分の声で売っている。
綾乃は、その姿を静かに見つめる。
「真白はん」
真白が振り向く。
綾乃は、今度は優しい声で言った。
「ええ声にならはりましたなぁ。その天秤棒、今の真白はんには、よう似合うてますえ」
真白は驚いた顔をする。
綾乃は少しだけ頭を下げる。
「うち、少し見くびっておりましたわ。商いは、人を前へ出すんどすなぁ」
真白の目に、涙がにじむ。
「ありがとうございます」
さつきのナレーションが、静かに締める。
商いとは、物を売ることだけではありません。
相手を見ること。
相手に届く言葉を探すこと。
その人の役に立つものを、きちんと届けること。
売り手良し、買い手良し、世間良し。
小さな声も、相手を思えば、いつか誰かに届くのです。
映像が終わった。
ヒロ室のミーティングスペースに、しばらく静けさが残った。
遥室長が、ゆっくり息を吐く。
「これは……いい教材になっただよ」
真帆も頷く。
「新人営業研修にも、ヒロイン育成にも使えます。完成度は高いです」
琴葉は真白を見た。
「真白、あんたの声、ほんまに届くようになったな」
真白は小さく笑う。
「師匠と、みのりさんと、美月さんのおかげです」
美月はそこでようやく明るく言った。
「うちはええ先輩役やったやろ?」
小春がすかさず返す。
「出たがりなのに、今回はちゃんと良い役でしたね」
「なんやその言い方!」
綾乃は真白に向き直り、改めて頭を下げた。
「真白さん、嫌味な役とはいえ、きついこと言うて堪忍しておくれやす」
真白は微笑んだ。
「大丈夫です。最後に認めてもらえて、嬉しかったです」
その横でノムさんが腕を組んでいた。
「やっぱり劇場版もいけるな」
全員が一斉に言った。
「教材です」
それでも、誰もが心の中では少し思っていた。
低予算の研修用ビデオにしては、妙に泣ける。
営業教材にしては、妙に胸に残る。
そして、伊吹真白というヒロインの成長を、一番まっすぐ映している。
声の小さな秘密兵器は、天秤棒を担いで、自分の言葉を手に入れた。
その物語は、きっと新人営業マンだけでなく、人前に立つのが怖い誰かにも届くはずだった。




