今日もご安全に!――首藤凪、関サバと安全確認済シールで戦隊ヒロイン界を静かに制す
首藤凪は、戦隊ヒロインプロジェクトの中で、決して派手なヒロインではない。
登場しただけで客席が悲鳴を上げるような華やかさはない。
ステージで軽妙なトークを連発するタイプでもない。
敵陣に真っ先に飛び込み、必殺技で全部ひっくり返すような前線アタッカーでもない。
むしろ、初登場イベントで彼女が最初に言った言葉はこうだった。
「皆さま、非常口の位置をご確認ください」
観客は一瞬、固まった。
月島小春は袖で頭を抱えた。
「凪さん、開幕から避難訓練っすか!」
しかし、首藤凪というヒロインは、そこから始まる女だった。
大分県大分市佐賀関出身。
関サバ、関アジ、豊予海峡、精錬所、そして東洋一のお化け煙突。
凪は、それらを背負って戦隊ヒロインに加わった。
彼女が加入した理由は、実にまっすぐだった。
「佐賀関を知ってもらいたいんです。関サバと関アジだけではなく、精錬所の町としての歴史も、あの煙突も、働いてきた人たちの誇りも」
凪の祖父も父も精錬所に関わってきた。
凪自身も一度は県外の大学へ進学したが、卒業後には地元へ戻った。
都会の便利さも知った。
別の人生も選べた。
それでも、あの海と煙突のある町へ帰った。
だから、彼女が地元を語る時だけは、いつもの淡々とした声に少し熱が宿る。
「関サバは、ただ有名な魚ではありません。潮の速い海で育ち、漁師さんの技術と町の管理によって守られてきたブランドです」
これを聞いた小春は、最初こそ笑っていた。
「凪さん、魚の話でも安全講習みたいっすね」
だが、五分後には黙って聞いていた。
十分後には、関サバが食べたくなっていた。
十五分後には、物産展の試食コーナーに並んでいた。
凪の話には、地味だが妙な説得力があった。
加入後、凪の存在感はすぐに大きくなった。
最初にその力を見せつけたのが、高田美雪のテレビ特番『戦隊ヒロイン大脱出』だった。
巨大水槽。
鋼鉄檻。
鎖。
クレーン。
爆破。
観客席。
さらにノムさん。
危険要素だけで満漢全席が作れそうな企画である。
ノムさんは目を輝かせた。
「これぞテレビのロマンじゃ! 最後にドカーンといこうや!」
美雪は妖艶に微笑んだ。
「少し危険に見えるくらいが、美しいのよ」
その時、凪は企画書に赤ペンを入れて、静かに言った。
「危険に見えることと、実際に危険であることは違います」
会議室が止まった。
ノムさんが恐る恐る聞く。
「つまり、ドカーンは……」
「管理されたドカーンなら可能です」
「管理されたドカーン!」
ノムさんは喜びかけたが、凪は即座に続けた。
「“もう一発だけ”は禁止です」
「まだ言うとらん」
「顔に書いてあります」
こうして、戦隊ヒロインプロジェクトに新しい概念が生まれた。
管理されたドカーン。
遥室長は胃薬を飲みながら言った。
「言葉は面白いけど、胃には悪いだよ……」
凪は水槽の位置、火薬量、風向き、観客導線、消防車両の進入路、救護班の待機場所、クレーンの旋回範囲、非常停止権限まで徹底的に管理した。
その結果、番組は大成功した。
高田美雪は爆煙の向こうから「お待たせ」と微笑み、ベテランアナは実況席から真っ先に逃げ、三好さつきは冷静に実況を続け、ゲスト席では美月と彩香がスタッフを恫喝し、陽菜が号泣し、グレースフォースが抱き合い、彩芽が走り出そうとしてすみれコーチに羽交い締めにされた。
視聴者は大喜び。
ヒロ室は大混乱。
凪だけは淡々と言った。
「全系統、安全確認済です」
派手な成功の裏には、必ず凪の地味な確認があった。
その後も、凪は現場を静かに支え続けた。
川崎臨海部の倉庫任務では、火災になりかけた倉庫を前に、彩芽の突撃を止めた。
「早く行かないと逃げるべさ!」
「まず帰る道を作ります」
「帰る道?」
「突入は、退路を確保してからです」
彩芽は分かったような顔をした。
「なるほどだべさ!」
すみれコーチは横から言った。
「今の顔、たぶん分かってねえな」
だが、凪の判断は的確だった。
煙の流れ、非常口、消火器、作業員の退避導線。
先にそれを押さえたからこそ、任務は大きな火災にならずに終わった。
戸田の荒川河川敷イベントでは、開演三十秒前に凪が仮設ステージの異変に気づいた。
小春はノリノリだった。
「戸田のみなさーん! 荒川の風に乗って盛り上がっていきましょー!」
その瞬間、凪が言った。
「開演中止です」
小春のマイクが止まる。
「えっ、凪さん、今からなんすけど?」
「このステージ、風を受けた時の揺れ方がおかしいです」
結果、固定具の一部に細工が見つかった。
もしそのまま開演していたら、ステージが崩れていた可能性もあった。
観客の安全が確保された後、麗奈が機転を利かせて規模縮小の安全イベントに切り替えた。
一部には不満も出たが、結果的に保護者からは大好評だった。
小春は後で言った。
「凪さん、盛り上げる前に止める女っすね」
凪は真面目に答えた。
「止めるべき時に止めるのも、イベント運営です」
小春は笑った。
「正論が強すぎる!」
佐野のサービスエリア任務では、トラックドライバーの伊吹真白と抜群の連携を見せた。
偽装トラックを安全な場所へ誘導する任務。
彩芽はまた前に出ようとした。
「私が止めるべさ!」
すみれと凪が同時に言った。
「だめだ」
「だめです」
彩芽は目を丸くする。
「息ぴったりで止められたべさ!」
今回は、カンガルーマークの濃尾運輸で鍛えられた真白が一般トラックに紛れ、凪が導線を読み、対象車両を安全な待避帯へ追い込んだ。
大型車両の内輪差。
給油所との距離。
歩行者導線。
一般客の退避。
凪と真白は、言葉少なにすべてを共有した。
小春はその様子を見て言った。
「この二人、地味だけど最強コンビ感ありますね」
理世も評価した。
「保安管理と物流実務。極めて相性が良いです」
凪は淡々と頷いた。
「次回以降、大型車両絡みの任務では、真白さんとの事前導線確認を推奨します」
真白も静かに答えた。
「安全に止めるなら、凪さんと組むのが一番です」
この二人の連携は、やがて別方向にも広がっていく。
「安全確認済」グッズである。
もともとは、凪と安岡真帆がイベント備品確認用に作った実務用シールだった。
黒文字でただ一言。
安全確認済
戦隊ヒロイングッズとしては、どう考えても地味だった。
陽菜のアクリルスタンド、美月のツインテールキーホルダー、麗奈ちゃんまくらカバー、船橋産朝どれいちごの横に置くと、もはや事務用品だった。
凪自身も困惑した。
「これは販売するものではなく、確認表示です」
しかし、真白は違った。
「安全は需要があります」
真白は近江商人・堀井寿葉に鍛えられ、薄幸の美少女の見た目とは裏腹に、完全に商売人の目をしていた。
そして川崎駅西口のショッピングモールイベントで、真白は美濃弁交じりの啖呵売りを始めた。
「さあさあ、寄ってってちょうだゃあ。首藤凪さん監修、安全確認済シリーズやて。水筒に貼ってよし、自転車に貼ってよし、推し棚に貼ってよし。貼るだけやないで、貼る前にちゃんと見る。それが大事なんやわ」
売れた。
驚くほど売れた。
親子連れが買う。
イベントスタッフが買う。
物流業者が買う。
推し活女子が買う。
町工場の社長が買う。
なぜか水無瀬澪後援会まで買う。
小春は叫んだ。
「安全確認済、完売確認済でーす!」
凪は本気で驚いた。
「本当に売り切れたのですか」
真白は静かに頷いた。
「安全は、広がります」
その後、水無瀬澪後援会の会報『MIO REPORT』には、なぜかこう書かれた。
澪も安全確認済?
澪本人は首をかしげた。
「私、確認されたの?」
凪は真顔で答えた。
「現時点で異常はありません」
小春は笑い崩れた。
「そういう意味じゃないっす!」
安全確認済シリーズは、静かなブームになった。
通常シール、耐水版、反射ステッカー、車両用マグネット。
佐賀関限定の関サバ・関アジ柄まで登場した。
凪は関サバ・関アジ柄だけは特に厳しかった。
「関サバと関アジの魚影が曖昧です。修正してください」
真白は即座にメモを取った。
「魚影監修、凪さん」
小春は呆れた。
「安全確認シールに魚影監修が入るんすか」
凪は当然のように答えた。
「佐賀関を背負う以上、必要です」
凪は堅物だった。
だが、その堅物さは少しずつ愛された。
イベントで非常口を確認する女。
任務で退路を作る女。
ノムさんの「もう一発」を封じる女。
唯奈の爆発回数を減らしてくれる女。
真白と安全確認済グッズを売る女。
そして、地元佐賀関を語りだすと止まらない女。
派手ではない。
だが、必要だった。
ある日、凪は久しぶりに佐賀関へ戻った。
豊予海峡の風は、いつも通り少し強かった。
港には漁船が並び、遠くには精錬所の煙突が見える。
子どもの頃から見てきた景色だった。
凪は、少しだけ立ち止まった。
関サバ。
関アジ。
お化け煙突。
精錬所で働いてきた祖父と父。
そして、自分が今背負っている戦隊ヒロインの識別証。
凪は静かに呟いた。
「もっと多くの人に知ってもらいます。佐賀関のことを」
そこへ、真白からメッセージが入る。
安全確認済シリーズ、追加発注分も好調です。佐賀関版の関サバ・関アジ柄、再監修お願いします。
凪は少しだけ笑った。
「魚影確認、必要ですね」
その後、ヒロ室に戻ると、ノムさんが新しい企画書を持って待っていた。
「凪ちゃん! 次は煙突を背景にドカーンと――」
凪は企画書を受け取り、即座に赤ペンを出した。
「まず、導線確認からです」
ノムさんはうなだれた。
「夢を見る前に導線か……」
「夢を実現するための導線です」
遥室長はそのやり取りを見て、少しだけ安心した。
「首藤さんがいると、胃薬の減りが少しだけ遅くなるだよ」
小春が笑う。
「ゼロにはならないんすね」
遥は真顔で答えた。
「ノムさんがいる限り、ゼロは無理だよ」
凪は、資料を整えながらいつものように言った。
「今日もご安全に」
それは戦隊ヒロインの決め台詞としては、地味すぎる。
だが、凪にはそれが一番似合っていた。
勝つことだけではない。
無事に帰ること。
楽しむだけではない。
安全に終えること。
派手に見せるだけではない。
本当に危なくしないこと。
首藤凪は、今日も現場へ向かう。
佐賀関を背負い、関サバと関アジを語り、お化け煙突を誇り、安全確認済シールを広めながら。
そしてまた、誰かが言う。
「凪さん、これ危なくないですか?」
凪は静かに答える。
「確認します」
その一言が、ヒロ室ではどんな必殺技より頼もしく聞こえるようになっていた。




