安全確認済の橋を渡れ ― 荒川河川敷、仮設ステージ崩落阻止ミッション
埼玉県戸田市の荒川河川敷は、首都圏とは思えないほど空が広い。
川幅のある荒川、遠くに見える橋、土手を走る自転車、野球やサッカーを楽しむ子どもたち。都心に近いのに、どこかのびやかで、風が抜ける。戸田はボートの街としても知られ、水辺の開放感と住宅地の暮らしやすさが同居する、実にイベント向きの土地だった。
その日、河川敷には戦隊ヒロインの野外ステージが組まれていた。
出演は、豊後の保安ヒロイン・首藤凪。
江戸っ子ギャルMC・月島小春。
現役イベントコンパニオンの大宮麗奈。
みのり・ひかりのグレースフォース。
南部沙羅、水無瀬澪、高城彩芽、そして太田すみれコーチ。
芝生の上には親子連れが集まり、キッチンカーも並び、空には少し強めの風が吹いていた。
小春は開演前から絶好調だった。
「戸田のみなさーん! 荒川の風、感じてますかー! 今日は河川敷でぶち上げていきますよー!」
子どもたちが歓声を上げる。
麗奈も袖でにこやかに頷く。
「小春ちゃん、屋外でも強いわね」
沙羅は腕を組んで言う。
「まあ、声だけは強いわ」
澪はぼんやり川を眺めていた。
「風、気持ちいいねぇ」
彩芽はステージ前で跳ねる。
「私も早く出たいべさ!」
すみれが即座に首根っこを押さえる。
「お前は出番まで待て」
「まだ何もしてないっしょ!」
「“まだ”って言うな」
その時、凪だけがステージを見ていた。
観客ではない。
照明でもない。
仮設ステージの足元、支柱、ワイヤー、重り、そして風を受けた時の揺れ方を見ていた。
凪の表情が変わる。
「開演中止です」
小春のマイクが止まった。
「……え?」
凪はステージ袖のスタッフへ歩み寄る。
「このステージ、揺れ方がおかしいです。風を受けた時、右後方の支柱に負荷が寄っています」
プロモーターが慌てる。
「いやいや、もうお客さん入っていますし、多少の揺れは屋外なら――」
凪の声が低くなる。
「多少ではありません。今すぐ観客をステージ正面から離してください」
会場の空気が変わった。
小春は小声で言う。
「凪さんが真顔になると、イベントより避難訓練の音がしますね……」
しかし麗奈はすぐに動いた。
「分かりました。小春ちゃん、私がつなぐわ。観客を不安にさせずに距離を取る形にしましょう」
さすがイベント現場を知る女である。
麗奈はマイクを取った。
「皆さま、ただいま安全確認のため、ステージ前方エリアを少し広げさせていただきます。せっかくお集まりいただいた皆さまに、安心して楽しんでいただくための対応です。スタッフの誘導にご協力ください」
その声は柔らかい。
客席に大きな不安は広がらなかった。
一方、彩芽は目を輝かせていた。
「これ、誰かが細工したんだべか!? 私、犯人追うっしょ!」
走り出しかけた瞬間、すみれが肩をつかむ。
「待て」
凪も即座に言う。
「彩芽さん、今は犯人より観客の安全です」
「でも、逃げられるべさ!」
凪はまっすぐ彩芽を見る。
「観客がけがをしたら、任務失敗です」
彩芽は口を閉じた。
すみれも言う。
「そうだ。前に出るのは、安全を確保してからだ」
彩芽は悔しそうに拳を握る。
「分かったっしょ……まずお客さんだべさ」
みのりとひかりは、すぐに観客誘導を手伝った。
グレースフォースの二人が穏やかに案内すると、親子連れも落ち着いて動ける。
沙羅は意外にも役に立った。
「こちら、足元に段差があります。小さなお子さんは手をつないでください」
口調は少し高飛車だが、声がよく通る。
澪は相変わらず存在感が薄いが、気づけば迷子になりかけた子どもの横に立っていた。
「こっちにいると見やすいよ」
子どもは素直についてくる。
澪の薄さは、こういう時に妙に安心感があった。
凪が支柱を確認すると、固定具の一部が意図的に緩められていた。
理世はいないが、凪はその場で判断する。
「人為的な細工です。ですが、まずステージ使用中止。補強するまで上がれません」
小春が目を丸くする。
「マジですか。私、あと三十秒で開演するところでしたよ」
凪は淡々と返す。
「三十秒前に止められたので成功です」
「成功の基準が保安すぎる!」
そこへ、犯人らしき人物が河川敷の奥へ逃げる。
彩芽の足がまた動きかける。
「今度こそ――」
すみれが低く言う。
「彩芽」
凪も言う。
「安全確認中です」
彩芽はぴたりと止まった。
「……私、今、止まれたべさ」
すみれが少しだけ頷く。
「よし。成長だ」
その間に、みのりが一瞬で動いた。
温厚な顔が戦闘モードに切り替わり、逃げ道を読んで回り込む。ひかりが反対側を塞ぎ、沙羅がスタッフに連絡。澪がなぜか逃走経路の先にぼんやり立っていて、犯人が勝手に足を止めた。
「えっと、そっちは人がいるよ」
澪の一言で相手が戸惑ったところを、みのりが確保した。
彩芽は悔しそうにする。
「私も行きたかったべさ」
すみれが言う。
「今日は止まったことが手柄だ」
凪も頷く。
「観客安全確保に貢献しました。良好です」
「良好もらったべさ!」
彩芽はすぐ嬉しそうになった。
単純である。だが、そこが彩芽だった。
ステージは予定通りには使えなくなった。
一部の観客からは不満の声も出た。
「せっかく来たのに」
「ステージショー見たかったな」
しかし麗奈は、そこでも強かった。
「皆さま、申し訳ありません。本日は安全を最優先し、ステージを使わない形で規模を縮小して実施します。その代わり、ヒロインたちが客席側に近い位置でトークと安全確認ミニショーを行います」
小春がすぐに乗った。
「よーし! 予定変更だけど盛り上げますよー! 今日は荒川スペシャル、安全第一バージョンでいきまーす!」
凪が小声で言う。
「安全第一バージョンは、良い名称です」
小春が笑う。
「凪さん、そこ気に入るんすね」
こうして、ステージなしのミニイベントが始まった。
麗奈が進行を整え、小春が客席を盛り上げ、グレースフォースが芝生上で軽い演武を披露。沙羅は高飛車ながらも観客整理をし、澪は子どもたちとゆるく手を振った。
凪は最後に、親子向けの安全講話をした。
「イベントは、最後まで無事に帰って初めて楽しい思い出になります。今日は予定を変更しましたが、それは皆さまを守るためです」
小春が隣で茶化す。
「凪さん、ちょっと校長先生っぽいっす!」
「校長先生ではありません」
「でも親御さんめっちゃ頷いてますよ」
実際、保護者からの反応はよかった。
「ちゃんと止めてくれてよかった」
「無理に開催されるより安心」
「子どもに安全の話を聞かせられてよかった」
一部不満はあったものの、全体として満足度は高かった。
イベント後、凪はステージの固定具に「使用停止」と書いた赤い札を貼った。
その横に、真白が商品化しかけている例のシールを取り出す。
安全確認済
小春が突っ込む。
「いや、今回は安全確認済じゃなくて使用停止ですよ!」
凪は真顔でうなずいた。
「では、“安全確認中”シールも必要ですね」
麗奈が笑う。
「また商品が増えそうね」
後日、ヒロ室では報告会が開かれた。
真帆は資料を見て頷く。
「イベント中断判断は適切です。観客のけがはゼロ。不満は一部ありましたが、対応後の満足度は高いです」
琴音も言った。
「これは凪さんの判断がなかったら危なかったずら」
遥室長はほっと息をつく。
「やっぱり首藤さんがいると安心だよ」
彩芽は胸を張った。
「私も犯人追わずに止まれたべさ!」
すみれが言う。
「そこは本当に成長だ」
小春が笑う。
「戸田で“止まれる妹”になりましたね」
彩芽は嬉しそうに頷く。
「止まれる妹、かっこいいべさ!」
沙羅が呆れる。
「それ、かっこいいの?」
澪がのんびり言う。
「でも、今日はみんな無事だったし、よかったじゃん」
その一言に、凪は静かに頷いた。
「はい。無事に終わったなら、任務成功です」
荒川の風がステージを揺らした日。
首藤凪は、開演直前の華やかな空気を止めた。
だがその判断が、多くの観客を守った。
派手な技も、決め台詞もない。
けれど、崩れる前に気づき、事故になる前に止める。
それが、豊後の保安ヒロイン・首藤凪の戦い方だった。




