ヒロ九クエスト 第91話 ファイト九州! 星降る南阿蘇の夜――酔いどれ副支配人、らぶりんか女王の勅令と美少女ツインテール大騒動! ――お星さまのお城で勅令発動! りんか民VS河内の閃光
「……皆さま、車窓の右手をご覧くださいませ」
夕闇に包まれた南阿蘇の森に、西里香澄の澄んだ声が響いた。
「間もなく、本日のお宿へ到着いたします。今夜は阿蘇の豊かな自然と、おいしかお料理、そして満天の星空を、どうぞ心ゆくまでお楽しみくださいませ」
戦隊ヒロインプロジェクト九州支部、通称「ヒロ九」の一行を乗せたラッピングバスは、阿蘇神社から南へと走り、南阿蘇村の森へ入っていた。
車体には、大きく「ファイト九州!」の文字。
熊本の復興を応援するために始まった今回の旅も、随分と賑やかなものになっていた。
熊本城では、復興応援の難しさを知った。
益城町では、小さな商店を守る老婦人の温かな人情に触れた。
南阿蘇の震災伝承施設では、2016年の熊本地震が残した記憶と向き合った。
そして今日、阿蘇神社では、見事によみがえった壮麗な楼門を見上げ、門前町商店街の人々と一緒に、小さな写真展示会を成功させたのである。
香澄の胸には、阿蘇市一の宮町で出会った井手トシエの言葉が残っていた。
――もう一度壊れたとしても、私らはまた立ち上がるとよ。
あの力強い言葉を、香澄はきっと忘れないだろう。
もっとも、そんな感慨に浸っているのは、香澄だけだったかもしれない。
「……菜々子しゃぁん」
車内後方から、妙に甘えた声が響いた。
「……何ね?」
古賀菜々子支配人が振り向いた。
「……今日の晩ご飯……何じゃっどぉ……?」
「ひなたちゃん! あんた、まだ食べることば考えよっとね!?」
副支配人・有村ひなた。
鹿児島県鹿屋市出身の元実業団駅伝選手にして、ヒロ九随一の大食漢である。
昼間の道の駅では、あか牛丼、高菜飯、だご汁、ソフトクリームと阿蘇の名物料理を次々に平らげ、最後は金城伊織と米焼酎の試飲を楽しんだ。
しかし、同じ酒を味わったはずの二人には、恐ろしいほどの差が生じていた。
ひなたはすっかり酔いが回り、菜々子を「菜々子しゃん」と呼びながら上機嫌。
一方の伊織は、顔色一つ変えず、普段どおりの凛とした姿を保っていたのである。
今も伊織は、背筋を伸ばして静かに座っている。
ひなたは、座席にもたれて半分眠っていた。
「……菜々子しゃぁん……」
「……今度は何ね!」
「……阿蘇は……うまかもんがいっぱいじゃっどぉ……」
「分かったけん、もう少し静かにしときんしゃい!」
そのやり取りに、近くに座っていた山田真央が吹き出した。
「支配人! ひなたちゃん、まだ酔いが抜けとらんがね!」
「分かっとるばい!」
真央は腹を抱えて笑った。
「伊織ちゃんと同じもん飲んだとは思えんでね!」
伊織は、優雅に微笑んだ。
「ふふっ。ひなたさんも、今日は随分とお疲れだったのでしょうね」
「伊織ちゃん! あんたはほんに何ともなかとね!?」
「はい。私は大丈夫です」
菜々子は大きなため息をついた。
「……まったく。副支配人としての仕事は、ほんに頼りになる女なんやけどねぇ」
今回の熊本復興応援企画でも、ひなたは誰よりもよく働いていた。
熊本産業交通との連絡調整、宿泊や移動の手配、現地関係者との打ち合わせ。
細かな実務を確実にこなし、何か問題が起これば真っ先に動く。
菜々子がひなたを副支配人に据えているのも、決して付き合いの長さだけではない。
その行動力と仕事ぶりを高く評価しているからだった。
――ただし、酒と食べ物への情熱だけは、どうにも制御しきれない。
「……ほんに、惜しか女たい」
菜々子がつぶやいた。
すると、ひなたが薄目を開けた。
「……菜々子しゃん……」
「何ね?」
「……おいは……副支配人じゃっどぉ……」
「分かっとるばい!」
車内は大爆笑となった。
そんな騒ぎの中、ラッピングバスは森の奥へと進んでいった。
やがて、木々の間から温かな灯りが見えてきた。
「あっ!」
窓際に座っていた大翔が声を上げた。
「ママ! 見て!」
黒崎茉莉花が顔を上げる。
「何ね、大翔?」
「お星さまのお城だ!」
そこには、英国の田舎町を思わせるクラシカルな洋館が佇んでいた。
木々に囲まれた広い庭。
温かな照明が漏れる大きな窓。
落ち着いた色合いの屋根。
そして、洋館の隣には、夜空に向かって大きく開く天文台のドームがあった。
南阿蘇の森に佇む、天文台付きのオーベルジュ。
本格的な天体観測施設とプラネタリウムを備え、地元の食材を生かした料理や、森の中で過ごす静かな時間を楽しめる、特別な宿である。
「……わあ!」
彩芽が歓声を上げた。
「なまら可愛いペンションだね! こういうところ、一回泊まってみたかったんだわ!」
大翔はすでに大興奮だった。
「ママ! ここ、前にも来たよね!」
茉莉花は嬉しそうに微笑んだ。
「そうっちゃ。大翔、よう覚えとるねぇ」
以前のヒロ九クエストでも、一行はこの宿を訪れていた。
その時、大翔は天文台で見た星空にすっかり感動し、帰る時まで「お星さまのお城」と呼んでいたのである。
「また来られた!」
大翔が両手を上げた。
「やったー!」
すると、真央も嬉しそうに笑った。
「いやぁ、またここに泊まれるなんて、でらうれしいがね!」
春日井市出身の真央にとっても、思い出深い宿だった。
「前に来た時も、星がほんとに綺麗だったんだわ。うち、また泊まりたいと思っとったんだがね!」
その横で、佐世保出身の川原つばさも、懐かしそうに洋館を眺めていた。
「私も、またこちらに宿泊できるなんて嬉しいです。前に伺った時の星空の案内、本当に素敵でしたから」
「そうだがね! つばさちゃんも覚えとるんだね!」
「もちろんです。あんなに美しい星空は、なかなか忘れられませんよ」
一方、今回が初訪問となるメンバーたちは、目の前の光景に感激していた。
伊吹真白は、洋館を見上げて小さく息を漏らした。
「……素敵ですね。まるで外国の小さなホテルみたいです」
迫田澄香と澪香の双子姉妹は、さっそく大騒ぎ。
「可愛すぎる!」
「ここで写真撮りたーい!」
二人は玄関前で左右対称のポーズを取り始めた。
「澄香ちゃん! 澪香ちゃん! まだ荷物も降ろしとらんばい!」
菜々子のツッコミが飛ぶ。
しかし、二人にはまったく効いていなかった。
沼津市出身の土屋凜花は、洋館の美しい外観を静かに眺めていた。
元アイドルにして、現在はイベントコンパニオンとして活動する正統派美女。
美しいものには人一倍敏感な彼女は、建物のデザインから庭の造りに至るまで、じっくり観察していた。
「……まあ、素敵」
上品な笑みが浮かぶ。
「建物もお庭も、とても趣味がいいのね。雰囲気が統一されていて、本当に落ち着くわ」
博多のスタイリスト・浜崎莉央も感心していた。
「凜花ちゃん、ここはほんにおしゃれたい! 写真撮ったら、どこも絵になりそうやね!」
そして、長崎から参加した片淵栞奈。
清楚な黒髪のツインテールと、可憐で理知的な顔立ちが印象的な高校生である。
その栞奈も、洋館を見上げて目を輝かせていた。
「……本当に綺麗ですね。まるで絵本の世界に迷い込んだようです」
莉央が、思わず声を上げた。
「栞奈ちゃん! この建物ば背景に写真撮ったら、ほんに絵になるばい!」
凜花も微笑む。
「そうね。とっても可愛らしいわ」
栞奈は、少し照れくさそうに頭を下げた。
「ありがとうございます」
すると、彩芽が元気よく手を挙げた。
「栞奈ちゃん! 先輩の私が写真撮ってあげるっしょ!」
「ありがとうございます、彩芽先輩!」
彩芽は、得意げにスマートフォンを構えた。
ところが。
「……あれ?」
画面には、自分の顔が大写しになっていた。
「何で私が映ってるの?」
栞奈が優しく声をかけた。
「彩芽先輩。カメラが内側に切り替わっているようですよ」
「……あっ!」
菜々子が吹き出した。
「彩芽ちゃん! 撮る人が教えてもろうてどぎゃんするとね!」
「ちょ、ちょっと間違えただけだってば!」
彩芽は真っ赤になった。
栞奈は、決して笑いものにはしなかった。
「でも、ありがとうございます。とても嬉しいです」
「……栞奈ちゃぁぁん!」
彩芽は感激してしまった。
「ほんっと、なまらめんこい後輩だわ!」
菜々子は、その光景を眺めながら、ひなたに囁いた。
「……ひなたちゃん。どっちが先輩か分からんばい」
ところが、返事はなかった。
ひなたはすでに、洋館の玄関前に置かれた椅子に座って、うとうとしていた。
「……すぅ……」
「……まったく」
菜々子は苦笑した。
こうして賑やかな一行は、宿のスタッフに迎えられ、チェックインを済ませた。
以前のヒロ九の訪問を覚えていたスタッフもおり、久しぶりの再会を喜ぶ。
「また皆さまにお越しいただけて嬉しいです」
菜々子は丁寧に頭を下げた。
「こちらこそ、今回もお世話になります!」
森の中の洋館には、優しい灯りがともっていた。
廊下には木の香りが漂い、窓の外には静かな庭が広がっている。
忙しい復興応援の旅を続けてきたヒロインたちにとって、この宿は、ひと晩だけ日常の喧騒を忘れられる特別な場所になりそうだった。
もっとも、ヒロ九の面々が揃っている限り、本当に静かな時間が訪れるかどうかは、かなり疑わしかったのだが。
やがて、夕食の時間となった。
一行が案内されたのは、木の温もりに包まれたレストラン。
柔らかな照明がともり、落ち着いた音楽が流れている。
白いテーブルクロス。
美しく並べられたカトラリー。
窓の向こうには、ゆっくりと夜に沈んでいく南阿蘇の森。
まるでヨーロッパの小さなオーベルジュに招かれたような、優雅な雰囲気だった。
「……わあ!」
彩芽が目を輝かせた。
「なまらおしゃれっしょ!」
栞奈も、嬉しそうに微笑んだ。
「本当に素敵ですね。お料理が楽しみです」
今夜の夕食は、阿蘇の豊かな食材をふんだんに使用した創作フレンチのコース料理である。
地元で育てられた色鮮やかな野菜。
香り豊かなスープ。
阿蘇のあか牛を使った肉料理。
地元の牛乳や果物の魅力を生かしたデザート。
どの料理も丁寧に盛り付けられ、阿蘇の自然の恵みを存分に感じられるものだった。
最初に運ばれてきたのは、彩り豊かな野菜の前菜。
「……まあ!」
凜花が思わず声を漏らした。
「まるで一枚の絵のようね」
莉央も感心した。
「盛り付けがほんに素敵たい! 見とるだけでも楽しかねぇ!」
しかし、誰よりも熱心に料理を眺めていたのは、栞奈だった。
長崎市の人気洋食店「カレー洋食 みなと日和」の娘。
父・片淵義弘は、東京で料理修業を積んだ本格派の洋食料理人である。
栞奈はそんな父の仕事を幼い頃から身近に見て育ち、店のメニュー表や可愛らしい料理のイラストも手掛けてきた。
料理の味だけでなく、盛り付けや食材の組み合わせにも自然と目が向く。
「……素晴らしいですね」
栞奈は、少しだけ身を乗り出した。
「お野菜の色を生かした盛り付けで、見た目にも季節感があります。食材そのものの魅力を大切にされているんですね」
料理を運んできたスタッフが感心した。
「ありがとうございます。お料理にお詳しいんですね」
栞奈は控えめに微笑んだ。
「いえ。実家が洋食店ですので、普段から父の仕事を見ているだけなんです」
そして、一口。
ゆっくりと味わう。
「……おいしいです」
その表情が、ふわりと柔らかくなった。
「お野菜の甘みがしっかり感じられますね。味付けも上品で、素材のおいしさがよく分かります」
菜々子は、すっかり感心していた。
「……栞奈ちゃん、食レポまで上手かねぇ!」
栞奈は少し照れた。
「ありがとうございます」
その横で、彩芽が胸を張った。
「栞奈ちゃん! 私も感想言うよ!」
「はい、彩芽先輩!」
彩芽はフォークを手に取り、料理を一口食べた。
もぐもぐ。
もぐもぐ。
そして、満面の笑み。
「なまらおいしいっしょ!!」
以上。
栞奈は思わず吹き出した。
「ふふっ。彩芽先輩、本当においしそうですね」
「うん! だって、すっごくおいしいんだもん!」
菜々子が腹を抱えて笑った。
「栞奈ちゃんは料理の魅力ば丁寧に説明して、彩芽ちゃんは一言で終わりたい!」
彩芽は頬を膨らませた。
「ええっ! でも、おいしいものはおいしいって言うのが一番っしょ!」
すると、料理を運んできたスタッフが微笑んだ。
「ありがとうございます。そのように言っていただけるのが、一番嬉しいですよ」
彩芽の顔が、ぱっと明るくなった。
「ほらぁ! 私の感想も正解だったっしょ!」
周囲は大爆笑。
栞奈も、嬉しそうにうなずいた。
「はい。彩芽先輩の感想は、とても分かりやすいと思います」
「……栞奈ちゃぁぁん!」
またしても感激する彩芽。
菜々子は思わずつぶやいた。
「……ほんに、どっちが先輩か分からんばい」
やがて、メインディッシュのあか牛料理が運ばれてきた。
美しい焼き色がついた肉に、上品なソースが添えられている。
真白が感心した。
「……おいしそうですね。お肉の香りもいいです」
迫田ツインズも声を揃えた。
「いただきまーす!」
そして、一口。
二人は同時に目を丸くした。
「おいしい!」
「すっごくおいしい!」
あまりにも反応が揃ったため、莉央が吹き出した。
「澄香ちゃんと澪香ちゃん、食べた時の顔まで一緒たい!」
凜花も満足そうに微笑んでいた。
「本当に素晴らしいわ。阿蘇の食材には、こんなに魅力があるのね」
栞奈も、あか牛の料理をじっくり味わった。
「赤身のうま味が豊かですね。お肉の風味とソースの組み合わせも、とても勉強になります」
そして、少しだけ微笑んだ。
「父にも一度、こちらのお料理を味わってもらいたいです」
菜々子は目を細めた。
「……栞奈ちゃんは、ほんにお父さん思いたいねぇ」
「はい。父は料理のことになると、とても熱心ですので」
その声には、家族への愛情が自然とにじんでいた。
大翔も、子供向けに用意された料理を夢中で食べていた。
「ママ! これ、おいしい!」
茉莉花が微笑んだ。
「そうっちゃ。よかったねぇ」
「ぼく、明日もここに泊まりたい!」
「まだ今日来たばっかりやろ!」
一同、大笑い。
そんな温かな食卓の一角で、またしても事件が起ころうとしていた。
「……ひなたちゃん、伊織ちゃん」
菜々子が二人の席へ近づいた。
「今日は昼間にあぎゃんことがあったけんね。もう、お酒は……」
そこまで言いかけて、動きが止まった。
二人の前には、すでにワイングラスが並んでいた。
「…………」
菜々子は固まった。
「……何ね、これ?」
ひなたが、にっこり笑った。
「ワインじゃっど!」
「見れば分かるばい!!」
伊織は涼しい顔で微笑んだ。
「阿蘇のお料理に合わせて、ワインをお願いしたところでございます」
「伊織ちゃんまで!?」
「はい。お料理との組み合わせを楽しんでみたくなりまして」
あまりにも上品な説明だった。
その横で、ひなたも得意げに胸を張った。
「うちも伊織ちゃんと一緒に注文したど!」
菜々子は深いため息をついた。
「……あんた、昼間あぎゃん酔っぱらっとったのに、もう酒の話ね?」
「もう落ち着いちょるど!」
「……ほんに?」
菜々子は伊織を見た。
伊織は相変わらず凛としていた。
姿勢も表情も、まったく乱れていない。
しかし、ひなたのほうは昼間の酔いがようやく落ち着いてきたところである。
「……注文するのが早かねぇ、あんたたちは」
菜々子は諦めたように笑った。
そして、少しだけ声を引き締めた。
「伊織ちゃんはともかく、ひなたちゃんは今日はお酒をおしまいにしようや」
「……ええっ!?」
「ええっ、じゃなか! 昼間のあんた、誰が世話ばしたと思っとるとね!」
ひなたは、少しだけ肩を落とした。
そこへ、伊織が優しく言った。
「ひなたさん。阿蘇のおいしいブドウジュースもございますよ」
「……ブドウジュース?」
「ええ。こちらもお料理によく合いそうです」
ひなたは少し考えた。
そして、にっこり笑った。
「……そいなら、よかど!」
菜々子は思わず拍子抜けした。
「……あんた、意外と素直たいね」
やがて、ひなたの前には美しい色合いのブドウジュースが運ばれた。
一口飲んだ瞬間。
「……うまかぁぁぁ!!」
菜々子が額を押さえた。
「……あんた、酒でもジュースでも同じ反応たい!」
伊織は、自分のワインをゆっくり味わいながら微笑んだ。
「ふふっ。ひなたさんらしいですね」
その二人のあまりにも対照的な姿に、テーブルは大爆笑となった。
菜々子は苦笑しながらも、心の中ではひなたを高く評価していた。
実務能力も行動力も抜群。
ただし、食欲と酒への情熱だけは、どうにも制御が難しい。
……ほんに、惜しか女たいねぇ。
そんなことを考えながら、菜々子も阿蘇の料理を楽しんだ。
やがて、デザートが運ばれてきた。
阿蘇の牛乳を使った、上品な甘さのデザートである。
彩芽が歓声を上げた。
「わあ! なまら可愛い!」
栞奈も微笑んだ。
「本当に素敵ですね」
ひなたは目を輝かせた。
「……こいも、うまそうじゃっど!」
菜々子が即座に突っ込んだ。
「ひなたちゃん! あんた、今日いったい何回うまかって言うたとね!?」
「数えとらんど!」
「数えきれんくらい食べたとね!?」
またしても大爆笑。
阿蘇の恵みをふんだんに使用した創作フレンチは、こうしてヒロインたちを大満足させたのだった。
しかし、この宿の本当の魅力は、まだこれからだった。
夕食を終えると、スタッフから案内があった。
「皆さま、今夜の星空体験の準備が整いました」
彩芽が勢いよく立ち上がった。
「やったぁ! いよいよお星さまだね!」
栞奈も目を輝かせた。
「楽しみですね、彩芽先輩」
大翔はもう待ちきれない様子だった。
「ママ! お星さまのお城に行こう!」
茉莉花が慌てて声をかける。
「大翔! 走ったらいけんよ!」
一行を出迎えたのは、宿のオーナーと、星空の案内を担当する専門スタッフだった。
最初に案内されたのは、プラネタリウム。
落ち着いた照明の室内。
ゆったりとした座席。
壁面には、星空を思わせる柔らかな光が浮かんでいる。
全員が席に着くと、ゆっくりと照明が落とされた。
室内が暗くなる。
静かな音楽が流れ始めた。
そして。
頭上いっぱいに、無数の星々が現れた。
「……わあ」
彩芽が小さくつぶやいた。
「なまら綺麗……」
天井を埋め尽くす星々。
夜空を横切る天の川。
季節ごとに姿を変える星座。
果てしなく広がる宇宙。
それは、まるで本物の夜空の中へ吸い込まれていくような、不思議な感覚だった。
オーナーの穏やかな声が響いた。
「皆さま、ようこそ星空の世界へ」
柔らかな音楽が、静かに流れている。
「私たちが暮らす地球も、広い宇宙の中では小さな星の一つです」
頭上には、青く輝く地球の映像が浮かび上がった。
そして、ゆっくりと遠ざかっていく。
太陽系。
無数の恒星。
銀河。
宇宙の広大さを感じさせる映像が、次々と広がっていった。
「古くから人々は星空を眺め、季節を知り、旅の道しるべとし、時には願いを託してきました」
静かな語りが続く。
普段は賑やかなヒロインたちも、この時ばかりは誰一人として大きな声を出さなかった。
彩芽は、口を少し開けたまま星空を見上げている。
栞奈は、真剣な表情で説明に耳を傾けていた。
凜花は、美しい星々の演出にすっかり魅了されている様子だった。
莉央も、うっとりした表情で天井を眺めていた。
「……ほんに、綺麗かねぇ」
迫田ツインズも、珍しく静かだった。
「……すごいね」
「……うん」
二人は小さな声で感想を交わした。
その横で、大翔は母親の手を握っていた。
「ママ」
「何ね?」
「お星さま、いっぱいあるね」
「そうやねぇ」
「ぼく、全部数えられるかな?」
茉莉花は小さく笑った。
「ははっ。そりゃ、ちょっと難しかねぇ」
大翔は、しばらく真剣に星を数え始めた。
「いーち、にー、さーん……」
ところが、すぐに諦めた。
「……多すぎる!」
茉莉花は吹き出した。
「そりゃそうっちゃ!」
その小さな笑い声さえも、星空の演出を邪魔することはなかった。
やがてプラネタリウムの上映が終わると、一行は天文台へ案内された。
丸いドームの内部。
中央には、巨大な天体望遠鏡が据え付けられている。
静かな機械音とともに、望遠鏡がゆっくりと動き始めた。
「……すごいがね!」
真央の目が輝いた。
「やっぱり何回来ても立派な機械だがね!」
伊吹真白も感心していた。
「こんなに大きな望遠鏡を使うんですね」
「そうだがね! 星の動きに合わせて正確に向きを変えるんだわ!」
真央は、機械の構造にも興味津々だった。
凪は、設備の管理について熱心に質問していた。
「大型の設備ですから、日々の点検や安全確認も大切なんでしょうね」
案内スタッフがうなずいた。
「はい。皆さまに安心して楽しんでいただけるよう、毎日確認しています」
凪は満足そうに微笑んだ。
「素晴らしいですね」
そして、いよいよ天体観測が始まった。
この夜は、幸いにも空の条件に恵まれていた。
まずは星団や土星などを観察し、夜が深まって木星も観測できる時間になると、案内人が望遠鏡の向きを調整した。
「それでは皆さま、順番にこちらをご覧ください」
最初に望遠鏡をのぞいた彩芽が、思わず声を上げた。
「……わあっ!」
そして、もう一度のぞき込む。
「ほんとに見える! なまらすごいっしょ!」
遥か彼方にある木星。
望遠鏡の中には、小さな円盤のような惑星の姿が浮かんでいた。
「……これ、本物なんだよね?」
「もちろんです」
スタッフが笑った。
「今、見えているのは、実際の木星の姿ですよ」
「……すごい!」
彩芽は、しばらく言葉を失っていた。
次は栞奈の番だった。
「失礼いたします」
丁寧に一礼してから、望遠鏡へ目を近づける。
そして、思わず息をのんだ。
「……あっ」
そこには、小さな円盤のように見える木星。
条件に恵まれ、表面の縞模様や、周囲に並ぶ衛星の一部まで観察できた。
栞奈は、ゆっくりと顔を上げた。
「……これが、木星なんですね」
その瞳が、きらきらと輝いていた。
「理科の教科書で学んだことはありますけれど、自分の目で実際に見ると、まったく違いますね」
そして、少しだけ微笑んだ。
「……本当に感動しました」
彩芽が嬉しそうに言った。
「栞奈ちゃん! すごかったっしょ!」
「はい、彩芽先輩!」
二人は、顔を見合わせて笑った。
大翔も、スタッフに手伝ってもらいながら望遠鏡をのぞいた。
「……わあ!」
小さな顔が、ぱっと明るくなった。
「ママ! お星さま、まん丸だよ!」
茉莉花が微笑んだ。
「そうっちゃ。すごかねぇ」
「ぼく、あそこ行ってみたい!」
「ははっ。大翔、そりゃ遠かよ!」
「じゃあ、ロケットに乗る!」
「……あんた、今度は宇宙飛行士になるとね?」
その無邪気な発言に、一同が微笑んだ。
迫田ツインズも望遠鏡をのぞき、大興奮していた。
「ほんとに見える!」
「すっごく綺麗!」
莉央は静かに感動していた。
「……こういう体験、なかなかできんねぇ」
凜花も満足そうに夜空を見上げた。
「ここに来られて、本当によかったわ」
その横で、伊織が穏やかな声でつぶやいた。
「……人間の存在は、宇宙の大きさから見れば、本当に小さなものなのですね」
香澄も静かにうなずいた。
「……そうですねぇ」
やがて、天体ショーを終えた一行は、天文台の外へ出た。
夜の森は静まり返っていた。
空気は澄み、頭上には美しい星空が広がっている。
遠くには、阿蘇の山々の黒い稜線。
昼間の喧騒が嘘のような、穏やかな時間だった。
香澄は、しばらく夜空を見上げていた。
「……菜々子さん」
「何ね?」
「2016年の地震の夜も、きっと同じ星が輝いとったんでしょうねぇ」
菜々子は、静かに空を見上げた。
「……そうたいね」
「でも、あの頃の私は、星ば眺める余裕なんてなかったとです」
香澄は、少しだけ微笑んだ。
「ばってん、今はこうして皆さんと一緒に、綺麗か星空ば楽しめるようになりました」
菜々子はうなずいた。
「……よかったねぇ、香澄ちゃん」
香澄の目に、うっすらと涙が浮かんだ。
「熊本の皆さんが、これからも安心して空ば見上げられるようになったら、嬉しかですね」
その言葉に、菜々子の胸も少し熱くなった。
「……そうたいね。うちらも、できることば続けていこうや」
香澄は静かにうなずいた。
そして、満天の星を見上げながら小さくつぶやいた。
「……ファイト九州」
その言葉は、南阿蘇の静かな夜空へ溶けていった。
天体ショーのあと、一行は送迎車で近隣の温泉施設へ向かった。
大きな浴槽にゆったりと湯が張られた、開放感のある大浴場である。
昼間の活動で疲れた身体を、温かな湯が優しく包み込んでくれる。
「あああ……!」
彩芽が思わず声を上げた。
「なまら気持ちいいっしょ!」
真白も、ほっと息をついた。
「今日は一日、いろいろありましたね」
凪がうなずいた。
「ええ。皆さんが無事に一日を過ごせてよかったです」
栞奈も、穏やかに微笑んだ。
「私は、今回の熊本の旅に参加できて本当によかったです」
凜花が優しく答えた。
「まだ合流して間もないのに、もうすっかり仲間ね」
「はい。皆さん、とても親切にしてくださいますので」
莉央が笑った。
「栞奈ちゃんがよか子やけんたい!」
迫田ツインズも元気いっぱいだった。
「栞奈ちゃん、これからもよろしくね!」
「一緒にいろんなところ行こうね!」
栞奈は、嬉しそうに頭を下げた。
「はい。どうぞよろしくお願いいたします!」
その一方、菜々子はひなたを宿で休ませていた。
昼間に泥酔したばかりの彼女に、無理な入浴をさせるわけにはいかない。
「ひなたちゃん。今日は部屋でゆっくり休んどきんしゃい」
「……分かったど」
「明日も仕事があるとよ!」
「……はぁい……」
珍しく素直な返事だった。
伊織も夕食時にワインを味わっていたため、今夜は温泉を見送り、宿で静かに過ごすことにした。
菜々子は、相変わらず平然としている伊織を見て、またしてもため息をついた。
「……伊織ちゃん、ほんに変わらんねぇ」
「ふふっ。ありがとうございます」
まったく、恐るべき沖縄の武道家である。
やがて、温泉から戻った一行は、それぞれの客室へと向かった。
南阿蘇の森は、すっかり静かになっていた。
しかし、一つの客室だけは、これからが本番だった。
部屋の中では、土屋凜花がスマートフォンと照明を丁寧にセットしていた。
落ち着いた色合いのカーディガンを羽織り、髪を美しく整える。
元アイドルであり、現在はイベントコンパニオンとして活躍する凜花には、熱心なファンが大勢いる。
そのファンたちは、自分たちを「りんか民」と呼ぶ。
そして、凜花は彼らにとって絶対的な存在。
通称「らぶりんか王国の女王」である。
凜花が運営する動画配信チャンネルの名は、「RINKA MODE」。
ファッション、美容、イベント出演情報、日々の出来事などを発信する人気チャンネルだった。
今夜は、その特別生配信である。
「……よし」
凜花は、スマートフォンの画面を確認した。
そして、美しい笑顔でカメラへ向かった。
「皆さま、こんばんは。土屋凜花です」
配信が始まった。
たちまちコメント欄が動き始める。
「女王陛下! お待ちしておりました!」
「今夜もお美しい!」
「陛下、熊本はいかがでしたか?」
「りんか民、全員集合!」
凜花は、優雅に微笑んだ。
「皆さま、ありがとうございます。私は今、熊本県の南阿蘇に来ております」
そして、少しだけ真面目な表情になった。
「今回は、戦隊ヒロインの仲間たちと一緒に、熊本の復興を応援する活動に参加しています」
凜花は、熊本城や益城町、阿蘇の人々との交流を簡潔に紹介した。
「地震によって、今も大変な思いをされている方々がいらっしゃいます。私たちにできることは小さいかもしれませんが、これからも応援していきたいと思っております」
そして、女王らしい口調に変わった。
「そこで、りんか民の皆さまに、今夜は一つ、勅令を出したいと思います」
コメント欄が騒然となる。
「勅令キターーー!」
「陛下! 何なりと!」
「王国民、全員整列!」
凜花は、少しだけ微笑んだ。
そして、凛とした声で言った。
「らぶりんか王国の民に命じます。熊本の復興を、できる範囲で応援しなさい!」
少し間を置く。
「熊本の物産品を購入することでも、現地を訪れることでも、復興の情報を周囲の方へ伝えることでも構いません」
そして、優しく微笑んだ。
「もちろん、ご自身の生活を大切にしたうえで、無理のない範囲でお願いしますね」
コメント欄が盛り上がった。
「勅令、承りました!」
「熊本の物産品を買ってきます!」
「阿蘇に旅行したくなった!」
「女王陛下、今日は真面目なお話ですね」
凜花は、満足そうにうなずいた。
「ありがとうございます。皆さまの温かいお気持ちが、きっと熊本の皆さんの力になると思います」
そして、突然表情を明るくした。
「さて、今夜はスペシャルゲストをお迎えしております」
コメント欄がざわつく。
「えっ、誰?」
「ヒロ九の人?」
「まさか、ひなた副支配人!?」
凜花は笑った。
「ふふっ。違いますよ」
そして、隣へ声をかけた。
「栞奈ちゃん、どうぞ」
「はい」
画面の横から、一人の少女が現れた。
清楚な黒髪のツインテール。
色白で透明感のある肌。
上品で理知的な顔立ち。
そして、何とも可愛らしい笑顔。
片淵栞奈である。
「皆さま、初めまして」
栞奈は、丁寧に頭を下げた。
「長崎市から参りました、片淵栞奈と申します。現在は高校生で、戦隊ヒロインプロジェクトへの加入が内定しております。どうぞよろしくお願いいたします」
その瞬間だった。
コメント欄が爆発した。
「かわいいいいいい!!」
「誰この美少女!?」
「アイドルじゃないの!?」
「凜花様に匹敵する美少女が現れた!」
「ツインテールが似合いすぎ!」
「しかも言葉遣いがめちゃくちゃ丁寧!」
凜花は、嬉しそうに微笑んだ。
「皆さま、とても可愛らしいでしょう?」
栞奈は、少し照れくさそうに笑った。
「ありがとうございます。でも、まだ分からないことばかりですので、先輩の皆さまからたくさん勉強させていただきたいと思っています」
その控えめな言葉が、さらに視聴者の心をつかんだ。
「なんていい子なの!」
「育ちの良さがにじみ出てる!」
「今すぐファンクラブを作りたい!」
「女王陛下、最高のゲストをありがとうございます!」
凜花も大満足だった。
そして、二人は今回の熊本での出来事について話し始めた。
「栞奈ちゃんは、今回初めて本格的にヒロ九の活動へ参加したのよね?」
「はい」
栞奈は、落ち着いた声で答えた。
「私は、今回の熊本での活動を通じて、テレビやニュースで知ることと、実際に現地の方々のお話を伺うことは、やはり違うのだと感じました」
凜花が静かにうなずく。
「そうね」
「阿蘇神社では、長い年月をかけて楼門を復旧された方々の努力を知ることができました。地元の方が、何度壊れてもまた立ち上がるとおっしゃっていたことが、とても印象に残っています」
栞奈は、少しだけ微笑んだ。
「私も、これから戦隊ヒロインとして活動していくうえで、今日学んだことを忘れないようにしたいと思います」
凜花が優しくうなずいた。
「素晴らしいわね。私も、栞奈ちゃんと同じ気持ちです」
そして、視聴者へ向かって語りかけた。
「戦隊ヒロインというのは、ただ華やかな衣装を着て、人前に立つだけの活動ではないと思っています」
少しだけ声を落とす。
「地域のことを知り、そこに暮らす方々と出会い、何かのお役に立てること。それも、私たちにとって大切な使命なのではないでしょうか」
栞奈も丁寧にうなずいた。
「はい。私も、そう思います」
コメント欄の雰囲気も、少し変わった。
「女王陛下、今日は深い話だ……」
「栞奈ちゃん、考え方までしっかりしてる」
「こういう活動なら応援したい」
「熊本の復興、もっと知りたくなった」
ところが。
その時、一つの書き込みが流れた。
「同じツインテールでも、赤嶺美月とはずいぶん違うなwww」
一瞬の沈黙。
そして。
「それ言ったらあかんwww」
「栞奈ちゃんはお嬢様、美月は浪速の爆弾娘!」
「ツインテールの方向性が違いすぎるwww」
「美月に見られたら怒られるぞ!」
コメント欄が、たちまち大爆笑に包まれた。
栞奈は、少し困ったように首をかしげた。
「あの……赤嶺美月さんのことでしょうか?」
凜花が微笑んだ。
「ええ。大阪で活動していらっしゃる先輩ね」
「はい。実は、以前お会いしたことがございます」
凜花が少し驚いた。
「あら、そうなの?」
「はい。以前、長崎で開催されたヒロ九のイベントで、ご挨拶させていただきました」
栞奈は、懐かしそうに微笑んだ。
「とても明るくて、親切にしてくださったんです」
そして、少しだけ声を落とした。
「それに……」
「それに?」
栞奈は、少し照れくさそうに笑った。
「美月さんから、ちょっと面白いお誘いをいただきまして……」
コメント欄がざわついた。
「えっ?」
「何の誘い?」
「美月、何か企んでたのか?」
凜花は興味深そうに尋ねた。
「どんなお誘いだったの?」
栞奈は、丁寧に答えた。
「『栞奈ちゃん、うちとツインテール連合組もうや!』と……」
「…………」
一瞬の沈黙。
そして、コメント欄が大爆発した。
「ツインテール連合wwwww」
「何だその組織www」
「美月、また変なこと考えてる!」
「河内の閃光、新勢力結成か!?」
「栞奈ちゃんまで巻き込むなwww」
栞奈は、少し困ったように微笑んだ。
「でも、美月さんはとても親切でしたので、私も嬉しかったです」
凜花は、必死に笑いをこらえていた。
「……ふふっ。美月さんらしいわね」
そして、その直後だった。
コメント欄に、新しいハンドルネームが現れた。
赤嶺美月(本人):「こら」
「…………」
コメント欄が、一瞬止まった。
そして。
「うわっ、出た!!」
「本人降臨wwwww」
「美月、見てたのかよ!」
「ツインテール連合の総裁が来た!」
美月から、即座に反撃が来た。
赤嶺美月(本人):「何が出たや! お化けちゃうで!」
コメント欄は大爆笑。
「お化けより騒がしいからwww」
「総裁! お疲れさまです!」
「栞奈ちゃんのツインテールのほうが上品!」
赤嶺美月(本人):「勝手に勝負決めんなや!」
「美月、嫉妬してる?」
赤嶺美月(本人):「嫉妬ちゃうわ! 栞奈ちゃんは可愛いし、礼儀正しいし、ほんまええ子やで!」
「急に褒め始めたwww」
赤嶺美月(本人):「褒めたらあかんのか!」
「でも同じツインテールには見えないwww」
赤嶺美月(本人):「そこまで言うか!」
もはや、コメント欄は完全なお祭り騒ぎだった。
しかも、美月は引く気配がない。
「ツインテール連合って何するんですか、総裁?」
赤嶺美月(本人):「そんなん、これから決めるんや!」
「何も決まってなかったwwwww」
赤嶺美月(本人):「ええねん! まずは結成が大事や!」
「美月、栞奈ちゃんを変な組織に入れるな!」
赤嶺美月(本人):「変な組織ちゃうわ!」
凜花は、とうとう笑いをこらえきれなくなった。
「……ふふっ」
一方、栞奈は明らかに困惑していた。
「あの……凜花さん」
「はい?」
「視聴者の皆さんと美月さんが喧嘩していましたが、どうすれば……?」
凜花は、少しだけ目を細めた。
そして、実に涼しい顔で言った。
「面白いから、ほっときましょう」
「……えっ?」
栞奈は目を丸くした。
凜花は微笑んだ。
「大丈夫よ。皆さん、美月さんとのやり取りを楽しんでいらっしゃるだけだから」
「……そうなんですね」
栞奈は、少し安心したようだった。
「では、配信を続けさせていただきます」
「ええ。そうしましょう」
こうして、画面の下では赤嶺美月とりんか民による激しいレスバトルが続く一方、画面の中央では凜花と栞奈が、何事もなかったかのように上品な会話を続けるという、何とも奇妙な状況が生まれた。
凜花が尋ねた。
「栞奈ちゃん。これから正式に戦隊ヒロインとして活動するようになったら、どんなことをしてみたい?」
栞奈は、少しだけ考えた。
そして、真剣な表情になった。
「私は、まず長崎の魅力を全国の皆さまにお伝えしたいと思っています」
「素敵ね」
「長崎には、美しい街並みや歴史ある建物、おいしい食べ物、そして温かい人々がたくさんいらっしゃいます」
栞奈は、少しだけ微笑んだ。
「実家の洋食店も、地元の皆さまに支えていただいておりますので、地域の方々への感謝の気持ちは、いつも大切にしていきたいです」
凜花がうなずいた。
「そうね。栞奈ちゃんらしいわ」
栞奈は、さらに続けた。
「でも、今回の熊本での活動を通じて、故郷だけでなく、全国のさまざまな地域のことも学んでいきたいと思うようになりました」
少しだけ声を落とす。
「私は、まだ何もできないことが多いです。でも、だからこそ、たくさんのことを学びたいと思っています」
凜花は、静かに聞いていた。
「被災された方々へ、軽々しく『頑張ってください』と言うだけではなく、その方々がどんな思いで暮らしていらっしゃるのかを知ることが大切なのだと思います」
それは、今回のヒロ九クエストで菜々子たちが学んできたことでもあった。
熊本城で出会った高齢男性の怒り。
益城町の田代商店で出会ったサチヨの笑顔。
南阿蘇の震災伝承施設で学んだ、過去の記憶。
そして、阿蘇神社で出会った井手トシエの力強い言葉。
そのすべてが、栞奈の心に残っていた。
「私は、まだ高校生ですので、できることは限られています」
栞奈は、ゆっくりと言葉を続けた。
「でも、今の自分にできることから、一つずつ始めていきたいと思っています」
そして、まっすぐにカメラを見つめた。
「いつか、誰かの心を少しでも明るくできるような、そんな戦隊ヒロインになりたいです」
凜花は、しばらく黙っていた。
そして、優しく微笑んだ。
「……素晴らしいわね、栞奈ちゃん」
「ありがとうございます」
「私も、今回の熊本での活動を通じて、改めて考えさせられたことがたくさんあったわ」
凜花は、少しだけ真面目な表情になった。
「私はこれまで、イベントの仕事を通じて、お客様に喜んでいただくことを大切にしてきました」
そして、穏やかに続ける。
「でも、戦隊ヒロインとして活動するなら、それだけではいけないのかもしれないわね」
栞奈がうなずく。
「はい」
「人を楽しませることも大切。でも、その人が何に困っているのか、何を必要としているのかを知ることも大切なのだと思う」
凜花は、静かに微笑んだ。
「これからも、みんなで学んでいきたいわね」
「はい。ぜひ、よろしくお願いいたします」
二人は、顔を見合わせて微笑んだ。
そのやり取りに、コメント欄の雰囲気も少し変わった。
「女王陛下、今日は本当にいい話だ……」
「栞奈ちゃん、可愛いだけじゃなくて考え方まで立派」
「こういう戦隊ヒロインなら応援したい」
「熊本の復興、もっと知ろうと思った」
「凜花さんと栞奈ちゃん、最高の組み合わせ!」
もちろん、その横ではまだ美月が戦っていた。
赤嶺美月(本人):「せやから、うちのツインテールも可愛いやろが!」
「美月、まだ言ってるwwwww」
「はいはい、可愛い可愛い」
赤嶺美月(本人):「その言い方が腹立つねん!」
凜花は、またしても笑いをこらえた。
栞奈は、コメント欄を見ながら小さく微笑んだ。
「……美月さんって、本当に楽しい方なんですね」
凜花がうなずく。
「ええ。とても賑やかな方よ」
そして、ふと思いついたように言った。
「栞奈ちゃん。今度、美月さんにもゲスト出演していただきましょうか」
「はい! ぜひ、またお会いしたいです」
その言葉が聞こえたかのように、美月が書き込んだ。
赤嶺美月(本人):「おっ、栞奈ちゃん! 今度また会おうな! 大阪来たら、うちが案内したるで!」
栞奈は嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます、美月さん。ぜひよろしくお願いいたします」
すると、りんか民が一斉に反応した。
「美月が先輩らしいこと言ってるwww」
「珍しい!」
「ツインテール連合、本当に結成するのか!?」
赤嶺美月(本人):「珍しい言うな! うちは元から立派な先輩や!」
「自分で言うなwwwww」
凜花は、楽しそうに笑った。
栞奈も、少しだけ声を上げて笑った。
その笑顔は、今夜の配信で一番自然なものだった。
そして、配信は終わりの時間を迎えた。
凜花が、改めてカメラへ向かった。
「皆さま、今夜もありがとうございました」
その表情は、いつもの女王らしい優雅さに満ちていた。
「どうか、熊本の皆さまのことを忘れないでください。復興への歩みは、まだ続いています」
隣の栞奈も、丁寧に頭を下げた。
「本日は初めての配信で緊張しておりましたが、皆さまが温かく迎えてくださって、とても嬉しかったです」
そして、にっこり微笑んだ。
「これからも勉強を続けて、皆さまのお役に立てる戦隊ヒロインになれるよう努力いたします。どうぞよろしくお願いいたします」
凜花は、満足そうにうなずいた。
「では、りんか民の皆さま。今夜の勅令を、どうかお忘れなく」
コメント欄が一斉に盛り上がる。
「御意!」
「熊本を応援します!」
「栞奈ちゃん、また来て!」
「女王陛下、ありがとうございました!」
そして最後に、一つの書き込み。
赤嶺美月(本人):「凜花ちゃん、栞奈ちゃん、お疲れさん! 熊本の応援、うちもやるで! ツインテール連合も忘れんといてな!」
凜花は微笑んだ。
「美月さんも、ありがとうございます」
栞奈も丁寧に一礼した。
「美月さん、ありがとうございました。またお会いできるのを楽しみにしております」
こうして、華やかで、賑やかで、そして少しだけ未来への希望を感じさせる配信は終了した。
スマートフォンの画面が暗くなる。
凜花は、小さく息を吐いた。
「……ふふっ。楽しかったわね」
栞奈も微笑んだ。
「はい。とても楽しかったです」
そして、少しだけ心配そうに尋ねた。
「でも、凜花さん……」
「はい?」
「美月さん、本当に怒っていらっしゃらなかったでしょうか?」
凜花は、一瞬きょとんとした。
そして、声を上げて笑った。
「大丈夫よ、栞奈ちゃん。あの方は、あれが平常運転なの」
「……そうなんですね」
栞奈は、ほっとしたように微笑んだ。
凜花は、改めて栞奈を見つめた。
「栞奈ちゃん、今日はありがとう。本当に素敵な配信になったわ」
「こちらこそ、ありがとうございました」
「また一緒に配信しましょうね」
「はい。ぜひお願いいたします」
二人は、顔を見合わせて微笑んだ。
凜花は、少しだけ真面目な表情になった。
「……栞奈ちゃん」
「はい?」
「あなた、きっと素敵な戦隊ヒロインになれると思うわ」
栞奈は、驚いたように目を丸くした。
「……ありがとうございます」
そして、少しだけ照れくさそうに笑った。
「でも、まだまだ勉強しなければならないことがたくさんございますので……」
凜花は、優しく微笑んだ。
「ふふっ。そういうところが、あなたの素敵なところなのよ」
二人の窓の向こうには、満天の星が広がっていた。
静かな南阿蘇の森。
温かな洋館の灯り。
そして、果てしなく広がる宇宙。
その美しい夜空の下で、新しい戦隊ヒロインの未来が、少しずつ形になろうとしていた。
栞奈は、窓の外を見つめながらつぶやいた。
「……今日、本当に素敵な一日でした」
凜花もうなずいた。
「ええ。私もよ」
それから栞奈は、ふと思い出したように言った。
「そういえば、凜花さん」
「何かしら?」
「今日の配信で、戦隊ヒロインとしての目標をお話しできてよかったです。皆さまがあんなに温かく聞いてくださるとは思っておりませんでした」
凜花は、静かにうなずいた。
「ファンの皆さんは、私たちが思っている以上に、いろいろなことを見てくださっているのよ」
そして、少しだけ遠くを見るような表情になった。
「私も昔、アイドルとして活動していた頃は、綺麗に見せることや、失敗しないことばかり考えていた時期があったわ」
栞奈は、黙って耳を傾けた。
「でもね。今は、うまくできないことがあっても、その中で自分が何を大切にしているのかを、きちんと伝えられる人でありたいと思っているの」
「……素敵ですね」
「ふふっ。まだまだ勉強中だけれどね」
凜花は優しく微笑んだ。
「栞奈ちゃんも、焦らずに自分らしく進んでいけばいいと思うわ」
「……はい」
栞奈は深くうなずいた。
「ありがとうございます。今日のお話、忘れないようにいたします」
二人は、再び窓の外へ目を向けた。
森の向こうでは、天文台のドームが静かに夜空を見上げていた。
その姿は、まるで遠い宇宙から届く光を、いつまでも待ち続けているようだった。
やがて栞奈は、丁寧に頭を下げて自分の部屋へ戻っていった。
凜花は照明を落とし、スマートフォンを机に置いた。
先ほどまで、画面の中では何百ものコメントが飛び交っていた。
女王陛下への歓声。
栞奈の可愛らしさへの驚き。
赤嶺美月との愉快な応酬。
そして、熊本を応援したいという温かな言葉。
そのすべてが、今は静かな余韻として胸に残っていた。
凜花は、小さく微笑んだ。
「……本当に、素敵な夜だったわね」
一方、隣の客室では、大翔がようやく眠りにつこうとしていた。
「……ママ」
「何ね?」
「今日のお星さま、すごかったね」
茉莉花は、布団を整えながら微笑んだ。
「そうっちゃ。本当に綺麗やったねぇ」
「ぼく、またここに来たい」
「うん。また来ようね」
「栞奈お姉ちゃんも、彩芽お姉ちゃんも一緒に?」
「ははっ。そうやね。みんなで来られたらよかねぇ」
大翔は満足そうに目を閉じた。
「……おやすみ、ママ」
「おやすみ、大翔」
茉莉花は、息子の寝顔を見つめた。
今日も、この子はたくさん笑った。
動物園の透花と再会を約束し、阿蘇神社では可愛らしい看板を描き、夜には本物の木星を見た。
地震や復興の意味を、まだすべて理解できているわけではないだろう。
それでも、この子なりに感じたことがきっとある。
茉莉花は、そっと息子の髪を撫でた。
「……よか夢ば見んしゃい」
そして、静かに灯りを消した。
別の部屋では、彩芽が栞奈から送られてきた写真を眺めていた。
洋館の前で撮った二人の記念写真。
栞奈は上品に微笑み、彩芽は満面の笑みでピースサインをしている。
「……栞奈ちゃん、ほんっとめんこいっしょ」
彩芽は一人で笑った。
「でも、私も先輩として頑張らなきゃね!」
そうつぶやいて、スマートフォンを枕元へ置いた。
その頃、菜々子の部屋では。
「……菜々子しゃぁん……」
ひなたが、布団の中から小さな声を出していた。
「……何ね?」
菜々子は、もう怒鳴らなかった。
ひなたは目を閉じたまま、幸せそうにつぶやいた。
「……今日の阿蘇……楽しかったじゃっどぉ……」
菜々子は、少しだけ微笑んだ。
「……そうたいねぇ」
「……みんな……喜んでくれたじゃろうか……」
その言葉に、菜々子は静かにひなたを見つめた。
酔っぱらって大騒ぎをしたり、食べ物の話ばかりしていたり。
まったく困った副支配人である。
しかし、仕事に対する責任感も、仲間を思う気持ちも、決して失ってはいない。
菜々子は、そっと毛布を掛け直してやった。
「……大丈夫たい。今日も、みんな喜んでくれたばい」
ひなたは、小さく笑った。
「……よかったじゃっどぉ……」
そして、再び静かな寝息を立て始めた。
菜々子は、窓の外を見つめた。
阿蘇の夜空には、今も星が輝いている。
昼間に出会った人々。
その笑顔と涙。
そして、復興へ向けて歩き続ける人々の思い。
今日もまた、忘れられない一日になった。
……ファイト九州。
菜々子は、心の中で小さくつぶやいた。
窓の外では、森の木々が微かな夜風に揺れていた。
遠くの山々は深い闇に溶け込み、天文台のドームは静かに星空を見上げている。
やがて洋館の窓から、一つ、また一つと灯りが消えていった。
昼間は笑い声に包まれていた彩芽も、透花との約束を胸に刻んだ大翔も、初めての配信で新しい決意を語った栞奈も。
そして、誰よりも働き、誰よりも食べて、誰よりも菜々子を困らせたひなたも。
みんな、それぞれの思い出を胸に、穏やかな眠りへと落ちていった。
阿蘇の人々が守り続けてきた暮らし。
傷つきながらも、再び立ち上がろうとする故郷。
そして、そんな人々を応援するために集まった、個性豊かな戦隊ヒロインたち。
一人ひとりの力は、決して大きくない。
けれど、小さな光が集まれば、やがて美しい星空になる。
今夜、南阿蘇の森で生まれた友情も、誰かを思いやる気持ちも、いつか新しい未来を照らす光になるのかもしれない。
夜空には、無数の星々が瞬いていた。
その光は、遠い宇宙から長い時間をかけて、この阿蘇の大地へ届いている。
過去から未来へ。
人から人へ。
思い出も、願いも、希望も、そうして受け継がれていくのだろう。
森の奥に佇む小さな洋館を、柔らかな星明かりが静かに包んでいた。
もう、誰の笑い声も聞こえない。
聞こえるのは、木々を渡る風の音だけ。
こうして、南阿蘇の夜は、静かに更けていった。




