ヒロ九クエスト 第90話 ファイト九州! よみがえった阿蘇の楼門――そして新たな試練 ――何度壊れても、私たちは立ち上がる! 阿蘇の門前町に咲いた笑顔と、ちいさな看板が起こした奇跡
「……菜々子しゃぁん」
「……何ね、ひなたちゃん」
「うちはぁ……阿蘇が大好きじゃっどぉ……」
「分かった、分かった! もう十分伝わっとるばい!」
阿蘇五岳を望む道の駅に、古賀菜々子支配人の声が響き渡った。
午後の日差しが柔らかく傾き始めた阿蘇市内。
戦隊ヒロインプロジェクト九州支部、通称「ヒロ九」の一行は、地元の農産物や名物料理を紹介する復興応援生配信を終えたところだった。
今回の配信は大成功だった。
あか牛、高菜飯、だご汁、地元の乳製品。阿蘇の豊かな自然が育んだ食の魅力を、全国の視聴者へ存分に届けることができた。
しかし、それ以上に大きな成果があった。
地震によって観光客が減少し、厳しい状況に置かれている地元の人々の声を、直接届けられたことである。
なかでも、阿蘇市の人気動物園「もふもふ王国」の飼育員・坂口透花が語った言葉は、多くの視聴者の心を動かした。
大地震に驚き、落ち着きを失った動物たち。
昼夜を問わず世話を続けた飼育員たち。
そして、安全を確認して営業を再開しても、なかなか戻ってこない来園者。
透花は、動物園の置かれた苦しい状況を包み隠さず語った。
そのうえで、こう訴えたのである。
「私たちは、これからも動物たちが安心して暮らせる場所を守っていきたいんです。どうか、私たちのことを忘れないでください」
その願いは、確かに全国へ届いた。
温かな応援コメントが次々と寄せられ、動物園の営業状況を知りたいという問い合わせも増え始めていた。
だが、今。
その感動的な配信を終えた会場には、別の意味で深刻な問題が残されていた。
副支配人の有村ひなたである。
鹿児島県鹿屋市出身、元実業団駅伝選手。
持久力と行動力に優れ、菜々子からの信頼も厚い、ヒロ九の実務を支える優秀な副支配人だ。
ただし、欠点がある。
食べ物と酒を目の前にすると、少々自制心が怪しくなるのだ。
今回、ひなたは阿蘇の名物料理を次々に平らげたうえ、金城伊織と地元の米焼酎を飲み比べ、見事に酔いつぶれてしまった。
しかも、相手が悪かった。
伊織は沖縄県那覇市出身、琉球空手の達人。
常に冷静沈着、立ち居振る舞いは端正で、少々のことでは表情を崩さない正統派ヒロインである。
焼酎の試飲を終えた今も、背筋を伸ばし、いつもと変わらぬ涼しい顔で片づけを手伝っている。
それに対して、ひなたは。
「……伊織ちゃぁん。あんた、ほんに強か女じゃっどぉ……」
休憩用の椅子にもたれ、真っ赤な顔でへらへら笑っていた。
伊織は優雅に微笑んだ。
「ありがとうございます。ひなたさんも、今日は大変お疲れさまでございました」
「……おいは、まだまだやれるどぉ……」
「いえ。今日はもう、お休みになったほうがよろしいかと思います」
「……はぁい」
ひなたは妙に素直だった。
その様子を見て、菜々子は大きなため息をついた。
「……まったく。仕事ではほんに頼りになる女なんやけどねぇ」
ひなたは今回の企画でも、宿泊や移動の調整、関係先との連絡、必要物資の手配など、面倒な仕事を率先してこなしていた。
いざとなれば誰よりも早く動き、力仕事もいとわない。
副支配人としての能力は、菜々子も高く評価している。
だからこそ、今の姿を見ると、どうにも複雑な気分になるのだった。
「……酒が入ると、何でこうなるとね」
山田真央が腹を抱えて笑った。
「支配人! 今日のひなたちゃんは完全に故障しとるがね!」
「真央ちゃん! あんた、何でも修理に結びつけんでよか!」
「うちにも直せんもんはあるでね!」
またしても周囲は大爆笑。
首藤凪は冷静にひなたの状態を確認し、以後の飲酒を中止させて、椅子で休ませていた。
「副支配人、無理に動かないでください。お水を飲んで、しばらく休みましょう」
「……はぁい……」
その横で伊織は、相変わらず凛としていた。
菜々子は二人を見比べた。
「……ほんに、何でこぎゃん違うとねぇ」
「ふふっ。体質も体調も、人それぞれですから」
伊織は何とも上品に答えた。
その完璧な受け答えが、かえって菜々子の脱力感を増大させたのだった。
そんな騒がしい一行のもとへ、一人の女性が近づいてきた。
「あの……古賀支配人」
振り向いた菜々子の顔が明るくなった。
「透花ちゃん!」
坂口透花だった。
阿蘇市の人気動物園「もふもふ王国」で飼育員として働く、穏やかで心優しい女性である。
今日は忙しい仕事の合間を縫って、ヒロ九の復興応援配信に駆けつけてくれた。
「本日は、本当にありがとうございました」
透花は丁寧に頭を下げた。
「私、そろそろ動物園に戻らなければなりませんので……」
菜々子は笑顔でうなずいた。
「そうね。動物たちが待っとるもんね!」
「はい」
透花は優しく微笑んだ。
しかし、その目元には少し疲れが残っていた。
地震の直後から、飼育員たちは懸命に動物たちを守ってきた。
今もなお、仕事は山積みである。
それでも、今日の配信が少しでも動物園の力になったと思うと、透花の表情はどこか晴れやかだった。
「香澄さん、つばささんも、本当にありがとうございました」
西里香澄が微笑んだ。
「こちらこそ、透花さんのお話を聞かせていただけて嬉しかったです」
川原つばさも丁寧に頭を下げた。
「透花さんの思いは、視聴者の皆さまにも伝わったと思います。また、ぜひお話を聞かせてください」
「……ありがとうございます」
透花は、少しだけ目を潤ませた。
「正直、今も不安はあります。でも、今日いただいた応援の言葉を思い出して、また頑張ろうと思います」
その時だった。
「透花お姉ちゃーん!」
小さな声が響いた。
黒崎茉莉花の息子、大翔だった。
「大翔くん!」
透花が笑顔でしゃがみ込む。
大翔は、嬉しそうに近づいてきた。
「ぼくね、前にも、もふもふ王国に行ったでしょ?」
「うん。もちろん覚えているよ」
以前のヒロ九クエストで、大翔は母親の茉莉花たちと一緒に、もふもふ王国を訪れていた。
その時、大翔は動物たちに夢中になり、帰る時間になっても名残惜しそうにしていた。
透花も、そんな大翔の姿をよく覚えている。
「ぼく、あそこ大好きなんだ!」
「……ありがとう」
「だからね!」
大翔は、透花の顔をまっすぐに見つめた。
そして、少しだけ胸を張って言った。
「ぼく、もふもふ王国、また絶対行くからね!」
透花は、一瞬言葉を失った。
その小さな約束が、胸の奥にしみ込んでいくようだった。
そして、にっこり笑った。
「絶対来てね。ヤギも、ペンギンも、クマも、ウサギも……みんな大翔くんのことを待ってるよ!」
大翔の顔がぱっと明るくなった。
「ほんと!?」
「ほんとよ。みんなで待ってるからね」
「じゃあ、約束!」
大翔は小さな手を差し出した。
透花も、その手を優しく握った。
「うん。約束!」
そして、大翔の頭をそっと撫でる。
「お姉ちゃんも、みんなのお世話を頑張るからね」
「うん!」
透花は笑っていた。
しかし、目元からは小さな涙がこぼれていた。
今の動物園にとって、「また来る」と言ってくれる人がいることは、何よりの励ましだった。
一人の男の子が交わした、何気ない約束。
しかし、それは透花にとって、明日も動物たちの世話を続けるための大切な力になったのである。
茉莉花は、そんな二人を見つめていた。
「……大翔、あんた今日はよかこと言うたねぇ」
「えっ? 何が?」
「……ふふっ。何でもなかよ」
茉莉花は優しく笑い、息子の頭を撫でた。
その横では、高城彩芽も少し目を潤ませていた。
「……なんか、なまらいい話だね」
長崎から合流したばかりの片淵栞奈も、静かにうなずく。
「そうですね。素敵な約束ですね」
透花は、最後にもう一度、全員へ深々と頭を下げた。
「皆さん、本当にありがとうございました。また、ぜひ阿蘇へいらしてください」
菜々子が大きく手を振った。
「透花ちゃん! また会おうね!」
「はい!」
やがて「ファイト九州!」の文字を掲げたラッピングバスが、ゆっくりと走り出した。
透花は、その姿が見えなくなるまで手を振り続けていた。
大翔も窓越しに手を振る。
「透花お姉ちゃーん! またねー!」
その声に、透花は最後まで笑顔で応えた。
そして、バスが見えなくなったあと。
透花は、そっと空を見上げた。
「……みんな、もう少し頑張ろうね」
それは、遠くの動物園で待っている仲間や動物たちに向けた言葉だった。
今日も動物たちのお世話が待っている。
明日もまた、同じように仕事が始まる。
それでも、透花の足取りは、来た時より少しだけ軽くなっていた。
一方、ラッピングバスの車内。
西里香澄は、いつものようにガイド用のマイクを握った。
「皆さま、本日は阿蘇の食文化と、地元で頑張っておられる皆さまをご紹介させていただきました」
柔らかな熊本弁が車内に響いた。
「これより、阿蘇市一の宮町にございます、阿蘇神社へ向かってまいります」
香澄は少しだけ声の調子を変えた。
「こちらは、阿蘇の歴史と文化を象徴する、大変由緒あるお社でございます」
窓の外には、阿蘇市の穏やかな街並みが広がっていた。
「そして、皆さまにぜひご覧いただきたいのが、壮麗な楼門でございます」
香澄は、ゆっくりと言葉を続けた。
「2016年の熊本地震で倒壊いたしましたが、多くの方々の努力によって、再びその姿を取り戻したとです」
菜々子は、静かに顔を上げた。
前話では、南阿蘇の震災伝承施設を訪れ、地震の記憶と向き合った。
今回は、その地震から立ち上がった人々の努力を、実際の建物を通じて見ることになる。
「皆さま。阿蘇の皆さんにとって、こちらの楼門は、単なる建物ではございません」
香澄は、少しだけ間を置いた。
「故郷の歴史と、人々の思いが詰まった、大切な宝物なのでございます」
その言葉に、車内が静かになった。
やがて、ラッピングバスは阿蘇神社へ到着した。
そして、一行の目の前に、堂々たる楼門が姿を現した。
「……うわぁ!」
最初に歓声を上げたのは、やはり彩芽だった。
「なまら立派だねぇ! すっごい迫力だわ!」
その横で、栞奈も目を丸くしていた。
「……本当に、素晴らしい建物ですね」
巨大な屋根。
堂々たる柱。
重厚でありながら、優美な曲線を描く木造建築。
阿蘇神社の楼門は、日本三大楼門の一つに数えられ、国の重要文化財に指定されている。
江戸時代末期の1850年に造営された楼門は、阿蘇に暮らす人々の信仰と歴史を象徴する建造物だった。
しかし、2016年4月の熊本地震で全倒壊。
その姿は、一夜にして失われてしまった。
それから約7年8か月。
文化財修復の専門家や宮大工、工事関係者たちが力を尽くし、回収された多くの部材を一つひとつ調査した。
使える木材は可能な限り再利用し、伝統的な姿を守りながら耐震補強も施す。
そして2023年12月、楼門はついに復旧を果たしたのである。
「皆さま、こちらをご覧ください」
香澄が丁寧に説明する。
「この楼門は、ただ新しく建て直されたわけではございません。長い歴史を持つ木材を大切に生かし、伝統の技術と現代の技術を組み合わせて復旧されたとです」
その言葉に、真央が大きくうなずいた。
「……すごいがね」
春日井市出身の真央は、機械修理や大工仕事を得意とする、ヒロ九きっての器用な女性である。
前日の益城町では、古い田代商店のガラス戸を修理し、店主のサチヨから心から感謝されたばかりだった。
その真央が、楼門を見上げて感心しきりだった。
「これだけ大きか木造建築を、古い材料ば使ってまた組み上げるなんて、ほんとに大仕事だがね」
隣にいた伊吹真白が微笑んだ。
「真央さん、また職人さんの顔になっていますね」
「だって、すごいがね! こういう仕事ができる人は、ほんとに尊敬するわ!」
真央は、しばらく楼門を見上げていた。
「昨日うちが直した戸なんて、ほんの小さな仕事だがね……」
そして、少しだけ笑った。
「もっと勉強せんといかんがね!」
真白も静かにうなずいた。
「古いものを大切にしながら、安全に使えるようにする。簡単なことではありませんからね」
凪も建物を見上げていた。
「文化財としての価値を守ることと、安全性を高めること。その両方を実現されたんですね」
菜々子は、感心したように息を吐いた。
「……ほんに、すごか仕事たい」
その時だった。
香澄が、静かに立ち止まった。
目の前の楼門を、じっと見つめる。
十年前の記憶が、胸の奥からよみがえってきた。
2016年4月。
当時、香澄はまだ中学生だった。
突然の大地震。
家族と身を寄せ合い、余震におびえながら過ごした夜。
そして、テレビに映し出された阿蘇神社の倒壊した楼門。
あの大きな門が、なくなってしまった。
その衝撃は、今でも忘れていない。
しかし、今。
目の前には、再び堂々たる姿の楼門が立っている。
香澄の胸に、熱いものが込み上げてきた。
……帰ってきたとですね。
本当に、帰ってきたとですね……。
思わず目頭が熱くなった。
菜々子は、その横顔を見つめていた。
「……香澄ちゃん」
「はい」
「大丈夫ね?」
香澄は、静かにうなずいた。
「……はい。大丈夫です」
そして、少しだけ照れくさそうに微笑んだ。
「すみません。私、ちょっと感動してしまいました」
「謝らんでよかたい」
菜々子も、楼門を見上げた。
「香澄ちゃんにとっては、故郷の大切な思い出やもんね」
「……はい」
香澄は、そっと目元を拭った。
そんな二人のもとへ、一人の高齢女性が近づいてきた。
「あんたたち、遠くから来なはったとね?」
声をかけてきたのは、井手トシエ、72歳。
阿蘇市一の宮町で長年暮らし、門前町商店街で家族とともに小さな商いを続けてきた女性だった。
背筋は少し曲がっている。
しかし、目はしっかりとしており、表情には長年の人生経験を感じさせる穏やかな強さがあった。
香澄は、すぐに丁寧な挨拶をした。
「こんにちは。熊本市出身の西里香澄と申します。今日は復興応援の企画で、全国から仲間たちと参りました」
「そぎゃんねぇ。よう来なはったねぇ」
トシエは、優しく微笑んだ。
「この門、立派じゃろ?」
「はい。本当に素晴らしかです」
「そうねぇ……」
トシエは、楼門を見上げた。
「あたしたちにとっては、昔からここにあるのが当たり前だったとよ」
少しだけ間を置いた。
「子供の頃も、嫁に来た時も、孫が生まれた時も……ずっとこの門があったとたい」
そして、声が低くなった。
「ばってん、2016年の地震で崩れてしもうた」
香澄は、黙って聞いていた。
「あん時はねぇ……本当に、言葉も出らんかったとよ」
トシエは、小さく息を吐いた。
「この門がなくなった時は、阿蘇の歴史まで壊れてしもうたような気がしたとたい」
しかし、そこで表情を和らげた。
「ばってん、たくさんの人が頑張ってくれた。宮大工さんも、工事の人も、神社の人も、みんな力ば合わせてねぇ」
そして、目の前の楼門を見つめた。
「もう一回、この門ばくぐることができるとは思わんかった」
その言葉には、深い感慨がこもっていた。
やがて、話は今回の大地震へと移った。
「また大きか地震が来た時はねぇ……正直、怖かったとよ」
香澄は静かにうなずいた。
「……そうですよね」
「もう勘弁してほしかって、本気で思うた。年を取ってから、また一からやり直すのは大変だけんね」
トシエは、しばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと顔を上げた。
「ばってんねぇ」
その目は、まっすぐだった。
「もう一度壊れたとしても、私らはまた立ち上がるとよ」
香澄が、顔を上げた。
「……え?」
「何回壊れたって、ここはあたしたちの故郷たい。逃げ出したくなる時もあるばってん、やっぱりここで暮らしていきたかとよ」
トシエは、力強く続けた。
「自分たちだけじゃできんことも、みんなで力ば合わせればできる。あたしたちは、一回それば見てきたけんね」
そして、香澄に微笑みかけた。
「だから、あんたたちも覚えとってはいよ。阿蘇は、そう簡単には負けんとよ」
香澄の目から、涙がこぼれた。
「……はい」
声が震えた。
「……はい。忘れません」
深々と頭を下げる。
「ありがとうございます。本当に、ありがとうございます……」
トシエは笑った。
「あらあら、泣かんでよかよ」
そして、少しだけ声を柔らかくした。
「別に、あたしたちだって強か人間ばっかりじゃなかとよ。怖か時は怖かし、泣きたか時は泣く。どうにもならん時は、人に助けてもらうこともある」
香澄は、静かに聞いていた。
「ばってん、また朝になったら、できることから始めるだけたい」
その言葉は、香澄の胸に深く刻まれた。
十年前の自分は、ただ不安に震えていた。
しかし、今は違う。
故郷の人々の声を聞き、その思いを全国へ届けることができる。
……私も、もっと故郷のために働きたかです。
香澄は、再び楼門を見上げた。
その時だった。
「井手さーん!」
門前町商店街のほうから、一人の男性が慌てて駆けてきた。
「井手さん! ちょっと来てはいよ!」
「何ね? そぎゃん慌てて」
男性は、息を切らしていた。
「写真展の展示板が壊れてしもうたとよ!」
「……何ですって!?」
事情を聞くと、商店街の有志が小さな写真展示会を準備していたという。
題して、「阿蘇の歩み――あの日から、そしてこれから」。
2016年の震災前の楼門。
地震によって倒壊した楼門。
長い復旧工事の様子。
そして、再び姿を取り戻した楼門。
その写真を並べ、地元の人々や観光客に、阿蘇の復興の歩みを見てもらおうという企画だった。
ところが、展示開始を目前にして、持ち運び式の展示板の脚部が破損してしまったのである。
「もうすぐ見学に来らす人たちもおるとに、これじゃ展示ができんたい!」
トシエは、困り果てた。
「せっかく、みんなで準備したとにねぇ……」
その時だった。
「……ちょっと待ってちょう!」
山田真央が、声を上げた。
目が輝いている。
「壊れたのは展示板の脚なん?」
「そうたい」
「ちょっと見せてもらってええ?」
菜々子が振り向いた。
「真央ちゃん! また修理するとね!?」
「直せるもんなら直したいがね!」
前日の田代商店に続く、真央の腕の見せどころだった。
こうしてヒロ九一行は、商店街の人々に頼まれ、急きょ写真展示会の準備を手伝うことになった。
もっとも、今回は真央一人では終わらない。
ヒロ九全員の力を合わせた、小さな復興応援クエストが始まったのである。
展示場所は、神社境内ではなく、門前町商店街の一角に設けられた屋根付きの交流スペース。
商店街の人々が持ち寄った写真や資料が、机の上に並べられていた。
しかし、肝心の展示板が使えない。
しかも、説明用の看板まで未完成だった。
「……こりゃ、時間がなかがね」
真央が腕時計を見た。
展示開始まで、あと一時間足らず。
菜々子が、全員に声をかけた。
「よし! みんなで手分けしてやるばい!」
すると、ひなたが休憩用の椅子から手を上げた。
「……うちもやるどぉ……」
菜々子が振り向いた。
「ひなたちゃん! あんたは休んどきんしゃい!」
「……副支配人じゃっどぉ……」
「分かっとるばい! だからこそ、今は無理せんでよか!」
ひなたは、まだ酒が抜けきっていない。
危険な作業を任せるわけにはいかなかった。
伊織が穏やかに言った。
「ひなたさん。どうぞ、こちらで皆さんを応援してください」
「……はぁい……」
何とも素直だった。
一方、真央と真白は、展示板の修理を始めた。
「真白ちゃん、こっち押さえてちょう!」
「はい!」
二人は、破損した部品を確認した。
壊れた脚部を無理に使わず、商店街側で保管していた予備の展示用スタンドを組み合わせ、安全に設置できる方法を考える。
凪は設置場所を確認し、通行人の動線や転倒の危険がないか、細かく点検した。
「この位置だと人の通行を妨げますね。少し壁側に寄せたほうが安全です」
「そうだがね!」
「展示板の重心も確認しましょう」
「任せてちょう!」
真央と凪の組み合わせは、実に頼もしかった。
片や器用な修理屋。
片や安全管理の専門家。
さらに真白が力仕事を手伝い、展示板は少しずつ形を取り戻していった。
その一方、莉央と凜花は写真の配置を担当した。
「昔の楼門から、地震の時、それから復旧工事、最後に現在の姿という順番がよかですね」
莉央が提案する。
凜花も大きくうなずいた。
「そうね。順番に見ていくだけで、復興の歩みが自然に伝わるようにしたいわ」
さすが、博多のスタイリストと沼津の一流イベントコンパニオン。
写真を並べる位置、文字の大きさ、照明の当たり方まで考えている。
「……凜花ちゃん、仕事になるとほんに厳しかねぇ」
莉央が笑った。
凜花は涼しい顔で答えた。
「せっかく皆さんが大切に残してこられた写真ですもの。きちんと見ていただきたいでしょう?」
「……そやね!」
二人は、顔を見合わせて微笑んだ。
迫田澄香と澪香の双子姉妹は、写真の年代や説明文を整理していた。
「これが地震前の写真ね」
「こっちは復旧工事中の写真!」
「じゃあ、こっちから並べましょう!」
二人の連携は、さすがに息が合っていた。
ところが、途中でまたしても立ち位置が入れ替わった。
「……あれ?」
菜々子が首をかしげる。
「澄香ちゃん、そっちやったっけ?」
「澪香でーす!」
「じゃあ、こっちが澄香ちゃんね?」
「澪香でーす!」
「……あんたたち、仕事中に入れ替わらんでよか!」
周囲は大爆笑。
澄香と澪香は、同時に笑った。
「すみませーん!」
そして、今回のクエストでもう一人、大きな活躍を見せた人物がいた。
片淵栞奈だった。
「……あの、井手さん」
栞奈が控えめに声をかけた。
「もしよろしければ、こちらの案内看板、私に描かせていただけませんか?」
トシエが振り向いた。
「あんた、絵ば描けるとね?」
「はい。実家が長崎で洋食店を営んでおりますので、普段からお店のメニューやイラストを描いているんです」
栞奈は、少し照れくさそうに笑った。
「看板メニューの黒い牛すじカレーのイラストも、私が描かせてもらっています」
トシエが目を丸くした。
「そぎゃんねぇ! そりゃ頼もしか!」
「ありがとうございます。精いっぱい描かせていただきます」
栞奈は、商店街の人から画用紙と色ペンを借りた。
そして、すぐに下書きを始めた。
その手つきは、驚くほど滑らかだった。
さらさらと線を引き、まず楼門の大きな屋根を描く。
次に、力強い柱。
さらに、その奥に広がる阿蘇の山々。
歴史ある楼門の重厚な姿を、栞奈らしい柔らかなタッチで描いていった。
そして、そこへ可愛らしい表情を持った小さなキャラクターを添える。
楼門の前で手を振る子供たち。
にっこり笑った太陽。
阿蘇の山々を思わせる、緑色の小さな山のキャラクター。
どれも丸みを帯びた、親しみやすいデザインだった。
可愛らしい。
しかし、決して子供っぽすぎない。
歴史ある楼門への敬意を保ちながら、誰もが思わず微笑んでしまう、温かなイラストに仕上がっていく。
そこへ、彩芽が顔をのぞかせた。
「……うわぁ!」
思わず歓声を上げる。
「栞奈ちゃん! なまら絵がうまいっしょ!」
「ありがとうございます、彩芽先輩」
「ええっ! これ、本当に手描きなの!?」
「はい。まだ途中ですけれど……」
彩芽は、すっかり感心していた。
「私、こんなの描けないわ!」
栞奈は、優しく微笑んだ。
「でも彩芽先輩は、いつも皆さんを明るくしてくださいますよね。私には、まだそんなことはできませんから」
「……栞奈ちゃん!」
彩芽は感激してしまった。
「ほんっと、めんこい後輩だわ!」
栞奈は笑った。
その横から、大翔が顔をのぞかせた。
「栞奈お姉ちゃん!」
「はい?」
「ぼくも描きたい!」
栞奈はしゃがんで微笑んだ。
「もちろんいいですよ。大翔くんは何を描きますか?」
大翔は、少し考えた。
そして、元気よく答えた。
「おかえり!」
「……おかえり?」
「うん! この大きな門、壊れたあとに帰ってきたんでしょ?」
栞奈は、一瞬驚いた。
そして、優しく微笑んだ。
「……そうですね」
大翔は、画用紙の隅に一生懸命文字を書き始めた。
『おかえり あそのもん!』
その横には、太陽の絵。
にっこり笑った人々。
そして、少し不格好ながらも、立派な屋根を持つ楼門の絵。
栞奈は、その文字と絵をじっと見つめた。
「……大翔くん、素敵ですね」
「ほんと!?」
「はい。とっても素敵です」
そこで栞奈は、自分が描いた楼門のイラストと、大翔が書いた文字を組み合わせることにした。
彩芽も色塗りを手伝う。
「じゃあ、私は太陽をなまら明るくするっしょ!」
「ありがとうございます、彩芽先輩!」
三人は、夢中になって看板を仕上げていった。
やがて完成した作品には、こう書かれていた。
『おかえり、阿蘇の楼門!』
『阿蘇の歩み――あの日から、そしてこれから』
そして、一番下に、大翔が書いた少し曲がった文字。
『またあえるね』
柔らかな色合いで描かれた楼門。
その後ろには、雄大な阿蘇の山々。
青い空と、太陽。
そして、笑顔の人々。
子供らしい温かさと、栞奈の洗練されたイラスト技術が、見事に調和していた。
しかも、栞奈の描いた小さなキャラクターたちは、表情が実に豊かだった。
にっこり笑う太陽。
両手を広げて来場者を迎える子供。
そして、楼門を見上げて嬉しそうにしている小さな動物。
どこか絵本の表紙を思わせるような、優しい世界だった。
「……まあ!」
トシエが目を丸くした。
「こりゃ、立派じゃねぇ!」
商店街の人々も集まってくる。
「おおっ! よか看板たい!」
「これは良い!」
「この絵、ほんに可愛かねぇ!」
「高校生が描いたとね!?」
「こぎゃん上手に描けるとは、たいしたもんたい!」
栞奈は、少し照れくさそうに頭を下げた。
「ありがとうございます。皆さんに喜んでいただけて嬉しいです」
莉央も目を輝かせていた。
「栞奈ちゃん、これ、ほんに可愛か! お店のポスターにしてもよかくらいたい!」
凜花も、すっかり感心している。
「素晴らしいわ。色使いも優しいし、遠くから見ても何の案内か分かるもの」
真央が笑った。
「こりゃ、栞奈ちゃんの絵の腕前も本物だがね!」
迫田ツインズまで声を揃えた。
「かわいーい!」
「栞奈ちゃん、すごーい!」
菜々子は、看板をじっと見つめた。
そして、嬉しそうに笑った。
「……いやぁ。栞奈ちゃん、あんたにはほんに驚かされるばい」
長崎の洋食店で、父親の仕事を手伝いながら磨いてきたイラストの腕前。
それが、遠く離れた阿蘇の門前町で、こんなにも人々を喜ばせている。
菜々子は、そのことが何より嬉しかった。
「栞奈ちゃん」
「はい?」
「これから戦隊ヒロインとして活動する時も、その絵の才能はきっと役に立つばい」
栞奈は、少しだけ頬を赤らめた。
「……ありがとうございます。私にできることでしたら、これからも精いっぱい頑張ります」
菜々子は、満足そうにうなずいた。
……ほんに、よか子ば見つけたたい。
その横で彩芽が、またしても先輩風を吹かせていた。
「栞奈ちゃん! 私が先輩として、これからもいろいろ教えてあげるからね!」
「はい! ありがとうございます、彩芽先輩!」
「うんうん!」
彩芽は大満足だった。
しかし、菜々子は心の中でつぶやいた。
……どう考えても、栞奈ちゃんのほうがしっかりしとるばい。
そんな和やかな空気の中、背後から凛とした声が響いた。
「彩芽さん!」
「はいっ!」
彩芽が、思わず背筋を伸ばした。
声の主は金城伊織だった。
「そちらの台紙、少し傾いておりますよ」
「あっ!」
「右手を少し上げてください」
「はいっ!」
「そのまま、半歩右へ」
「はいっ!」
「急いで動かず、足元を確認してください」
「押忍っ!」
伊織が微笑んだ。
「……彩芽さん。空手のお稽古ではありませんよ」
周囲は大爆笑。
彩芽は真っ赤になった。
「伊織さん! なまら迫力あるっしょ!」
「ふふっ。安全第一ですから」
伊織は、いつもどおりだった。
先ほどまでひなたと同じ焼酎を味わっていたことなど、すっかり忘れそうなほど落ち着いている。
菜々子は、改めて感心した。
「……伊織ちゃん、ほんにすごかねぇ」
その横で、ひなたが椅子から手を振った。
「……伊織ちゃぁん……」
「はい?」
「……何であんたは、そぎゃん元気なんねぇ……?」
「ふふっ。私は普段どおりですよ」
「……ずるかぁ……」
菜々子が頭を抱えた。
「……ひなたちゃん。あんたも、普段どおりに戻ってほしかばい」
その言葉に、一同はまたしても笑い出した。
もっとも、ひなたもただ休んでいるだけではなかった。
展示会の準備を眺めながら、ふと、ぽつりとつぶやいた。
「……阿蘇の皆しゃんは……すごかねぇ……」
トシエが振り向く。
「何ね?」
ひなたは、少し眠そうな顔で笑った。
「……昔の写真も……今の写真も……みんな阿蘇の宝もんじゃっどぉ……」
トシエは、思わず目を細めた。
「……そうねぇ」
「……こんだけ宝もんがあれば……阿蘇はまだまだ大丈夫じゃっどぉ……」
言葉は少々怪しかった。
しかし、その気持ちは真剣だった。
トシエは、腹を抱えて笑った。
「ははは! あんた、酔うとるばってん、よかこと言うねぇ!」
菜々子も、思わず苦笑した。
「……ひなたちゃん、あんたはほんに不思議な女たい」
そうしているうちに、展示会の準備が整った。
真央と真白が組み直した展示板は安定し、凪が最終確認を行う。
莉央と凜花が配置した写真は、年代順に見やすく並べられた。
迫田ツインズが整理した説明文も、きちんと添えられている。
そして中央には、栞奈が描いた可愛らしい案内看板。
その隅には、大翔の温かな文字。
彩芽が色を塗った太陽も、誇らしげに輝いていた。
香澄とつばさは、展示会を訪れた人々を丁寧に案内した。
「こちらは、震災前の楼門の様子でございます」
香澄が穏やかに説明する。
「そして、こちらが復旧工事の記録でございます。多くの方々が、長い年月をかけて作業を進めてこられました」
つばさも落ち着いた声で続けた。
「昔のお写真をご覧になって、思い出されることがございましたら、どうぞお聞かせくださいませ」
地元の人々が、次々と写真の前に集まってくる。
「ああ、懐かしかねぇ」
「この頃は、まだ孫が小さかったとよ」
「楼門の工事、長かったねぇ」
「ばってん、また立派になって帰ってきたたい」
展示を眺めながら、自然と会話が生まれていった。
大きなステージも、派手な演出もない。
ただ、地域の人々が集まり、自分たちの思い出を語り合っている。
そして、その中心には、長い歳月をかけてよみがえった楼門の写真があった。
とりわけ大人気だったのが、栞奈の描いた案内看板である。
「まあ、何て可愛か絵じゃろう!」
「これ、誰が描いたとね?」
「長崎から来た高校生のお嬢さんたい!」
「へぇ! たいしたもんじゃねぇ!」
お年寄りから子供まで、看板の前で足を止める人が続出した。
「この太陽、笑っとるね!」
「こっちの小さか動物も可愛か!」
「あたし、こういう絵が好きたい!」
中には、スマートフォンで写真を撮る人もいた。
もちろん、展示の主役は楼門の復興記録である。
しかし、栞奈の可愛らしいイラストが入口を明るく彩ったことで、普段なら写真展示にあまり関心を示さない子供たちまで、自然と足を止めるようになっていた。
「お母さん、この門、どうして壊れたの?」
「昔、大きな地震があったとよ」
「じゃあ、どうして今はあるの?」
「たくさんの人が頑張って、また建て直したとたい」
そんな会話が、あちらこちらから聞こえてきた。
香澄は、その光景を見つめながら、胸が熱くなるのを感じた。
……栞奈ちゃんの絵が、子供たちに阿蘇の歴史を知ってもらうきっかけになっとるとですねぇ。
単に上手な絵を描いたのではない。
人々が立ち止まり、話を始めるきっかけを作ったのだ。
そのことが、何より素晴らしかった。
トシエも、しばらく看板を見つめていた。
そして、栞奈のもとへ歩み寄った。
「……栞奈ちゃん」
「はい?」
トシエは、優しく微笑んだ。
「あんた、ほんによか看板ば描いてくれたねぇ」
「ありがとうございます」
「この絵のおかげで、子供たちまで展示ば見てくれとるとよ」
栞奈は、嬉しそうに目を細めた。
「……それなら、本当によかったです」
トシエは、しばらく黙っていた。
そして、小さくつぶやいた。
「……ありがとうねぇ」
その目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「この門のことを、これからの子供たちにも覚えていてほしかとよ」
栞奈は、静かにうなずいた。
「……はい」
そして、丁寧に頭を下げた。
「私も、今日ここで学んだことを、長崎に帰ってから家族や学校の友達に伝えたいと思います」
トシエは、何度もうなずいた。
「……よかねぇ。ほんに、よかお嬢さんたい」
その横では、大翔が自分の描いた文字を指さしていた。
「おばあちゃん! ぼく、これ描いたんだよ!」
「そぎゃんねぇ。上手に描けたねぇ」
「門が帰ってきたから、おかえりって書いたの!」
トシエは、目を細めた。
「……そうねぇ」
そして、ゆっくりと言った。
「おかえり、か……」
その言葉を噛みしめるように、もう一度つぶやいた。
「……ほんに、よか言葉たい」
茉莉花は、そんな息子の姿を見つめていた。
前日の益城町で、大翔は田代商店のサチヨに「また来るね」と約束した。
今日は、阿蘇の楼門に「おかえり」と言った。
どちらも、大翔にとっては何気ない言葉だった。
しかし、その無邪気な一言が、大人たちの心を温かくしている。
茉莉花は、思わず微笑んだ。
……うちの大翔も、ちょっとは人の役に立てるんやねぇ。
その時、大翔が振り向いた。
「ママ!」
「何ね?」
「お腹すいた!」
「……大翔ぉぉぉ!!」
茉莉花の怒声が響き渡った。
「さっき道の駅で、あぎゃん食べたやろうが!」
「でも、もうお腹すいたもん!」
「ひなたお姉ちゃんと同じこと言わんでよか!」
周囲は大爆笑。
彩芽まで笑いながら叫んだ。
「大翔くん! なまら元気だねぇ!」
すると、菜々子が即座に突っ込んだ。
「彩芽ちゃん! あんたも人のこと言えんばい!」
「ええっ!?」
またしても笑い声が広がった。
こうして、阿蘇の門前町で始まった小さな写真展示会は、予想を上回る賑わいを見せた。
地震前の姿。
倒壊した楼門。
修復に取り組む人々。
そして、再び姿を取り戻した楼門。
その写真を前に、人々は思い出を語り合った。
涙を浮かべる人もいた。
懐かしそうに笑う人もいた。
そして、未来を担う子供たちが、その歴史を知ろうとしていた。
トシエは、しばらくその光景を見つめていた。
そして、静かにつぶやいた。
「……よかった」
香澄が振り向く。
「井手さん?」
「また、みんなでこぎゃん話ができるとはねぇ……」
トシエは、少しだけ目を潤ませていた。
「地震のあと、もう昔みたいには戻れんかもしれんって思うたこともあったとよ」
香澄は、黙って聞いていた。
「ばってん、今日はこうして、みんなが集まってくれた」
そして、栞奈が描いた看板を見つめた。
「……よか一日になったねぇ」
香澄も、胸が熱くなった。
「……はい。本当によかったです」
その時、トシエが提案した。
「せっかくだけん、みんなで記念写真ば撮ろうかねぇ」
商店街の人々も、大賛成だった。
そこで、楼門を背景にした小さな記念撮影が行われることになった。
神社への参拝や通行の邪魔にならない、許可された場所である。
年配の女性たち。
商店街の店主。
子供連れの家族。
そして、全国から集まった戦隊ヒロインたち。
それぞれが、自然な笑顔で並んだ。
香澄が声をかける。
「皆さま、準備はよろしいでしょうか?」
つばさが、カメラを確認した。
「はい。それでは、皆さま、こちらをご覧くださいませ」
その時だった。
少し離れた休憩場所から、ひなたの声が響いた。
「阿蘇の笑顔は、特盛じゃっどぉぉぉ!!」
「…………」
一瞬の沈黙。
そして。
「ぶははははは!」
トシエが吹き出した。
「特盛て! あんた、まだ食べ物の話ばしよっとね!」
菜々子も腹を抱えた。
「ひなたちゃぁぁん! 写真の時くらい静かにしときんしゃい!」
彩芽が笑う。
大翔が笑う。
栞奈も、口元に手を添えて微笑む。
伊織まで、小さく吹き出してしまった。
そして、シャッターが切られた。
そこに写っていたのは、誰もが自然な笑顔を浮かべている、実に温かい一枚だった。
トシエは、写真を見つめた。
「……よか写真じゃねぇ」
そして、香澄の手を握った。
「本当にありがとうねぇ。あんたたちのおかげで、みんなの笑顔ば残すことができたとよ」
香澄は、首を振った。
「いえ。こちらこそ、ありがとうございました」
トシエは、再び楼門を見上げた。
「この門も、あたしたちも、まだまだこれからたい」
香澄の目に、再び涙が浮かんだ。
「……はい」
そして、微笑んだ。
「私も、そう思います」
誰か一人が奇跡を起こしたわけではない。
真央の器用さ。
真白の確かな作業。
凪の安全管理。
莉央と凜花の美的感覚。
迫田ツインズの連携。
栞奈の素晴らしいイラスト。
彩芽の明るさ。
伊織の冷静な指示。
茉莉花の母親らしい気配り。
大翔の無邪気な発想。
香澄とつばさの見事な進行。
菜々子の統率力。
そして、泥酔しながらも阿蘇の人々を笑顔にしてしまった、ひなたの底抜けの明るさ。
そのすべてが、小さな写真展示会の成功につながった。
大きな事件を解決したわけではない。
特別な英雄になったわけでもない。
ただ、困っている人たちのために、できることを少しずつ持ち寄っただけ。
しかし、その積み重ねが、確かに誰かの笑顔につながっていた。
それこそが、今回のヒロ九クエストで見つけた、何より大切な答えだった。
やがて、阿蘇の空に夕闇が迫ってきた。
一行は、商店街の人々へ別れを告げた。
「皆さん、本日は本当にありがとうございました!」
菜々子が丁寧に頭を下げる。
トシエは、何度も手を振った。
「こちらこそ、ありがとうねぇ! また阿蘇に来てはいよ!」
「もちろんたい!」
香澄も深々と頭を下げた。
「井手さん、今日は貴重なお話を聞かせていただきまして、ありがとうございました」
「よかよか。また遊びに来なっせ」
「……はい!」
栞奈も、最後に丁寧に一礼した。
「皆さま、今日はありがとうございました。看板も、どうぞ大切にしていただけましたら嬉しいです」
トシエは笑った。
「もちろんたい! こぎゃん可愛か看板、ずっと大事にするけんね!」
栞奈は、嬉しそうに微笑んだ。
大翔も元気よく手を振った。
「おばあちゃん! またね!」
「また来てはいよ!」
彩芽も両手を振る。
「今日はなまら楽しかったっしょ! また来るからねー!」
笑顔の別れだった。
香澄は、最後にもう一度、楼門を見上げた。
夕暮れの柔らかな光を受けて、重厚な木造建築が静かに佇んでいた。
長い年月をかけて、再び姿を取り戻した楼門。
そこには、数えきれない人々の努力と、阿蘇の歴史を守ろうとする強い思いが込められている。
……もう一度壊れたとしても、私らはまた立ち上がるとよ。
トシエの言葉が、香澄の胸に深く残っていた。
それは、無理に強がっている言葉ではない。
怖さも、悲しみも、苦しみも知ったうえで、それでも故郷を大切にしたいと願う人の言葉だった。
香澄は、静かに微笑んだ。
……私も、阿蘇の皆さんの強さを、全国へ伝えていきたかです。
そして、ラッピングバスへ乗り込んだ。
車体には、今日も大きく「ファイト九州!」の文字が輝いている。
運転手がエンジンを始動した。
ブロロロロロ……。
菜々子が、思わず後方を確認する。
「……よし。黒煙は出とらんね」
真央が笑った。
「支配人! もう修理済みだがね!」
「分かっとるばい! ばってん、どうしても気になるとよ!」
「ひなたちゃんにずいぶん鍛えられたがね!」
そのひなたは、すでに座席でぐっすり眠っていた。
「……すぅ……」
伊織が、そっと毛布をかけてやる。
「ひなたさん。今日は本当にお疲れさまでございました」
返事はない。
ただ、少しだけ寝言が聞こえた。
「……あか牛……特盛……」
菜々子は、額を押さえた。
「……ほんに、最後まであんたは」
しかし、その顔には優しい笑みが浮かんでいた。
西里香澄が、再びマイクを握った。
「皆さま、本日は阿蘇神社をご参拝いただきまして、誠にありがとうございました」
車内が静かになる。
「これより、本日のお宿へ向かってまいります」
香澄は、少しだけ声を明るくした。
「今夜は阿蘇市から南へ進みまして、高森町方面の自然豊かな場所にある、ちょっと素敵なペンションにご宿泊いただきます」
彩芽が、顔を上げた。
「ペンション!? なまら楽しみっしょ!」
栞奈も、興味深そうに尋ねた。
「西里さん。どのようなお宿なのでしょうか?」
香澄は、にっこり微笑んだ。
「ふふっ。実は、こちらのお宿には、とても珍しい施設がございます」
「珍しい施設?」
「はい。森の中に佇む洋風の建物で、夜には美しい星空を楽しむことができるんです」
栞奈の目が輝いた。
「……星空、ですか?」
「はい。大きな天体望遠鏡を備えた観測施設や、星空の魅力を学べるプラネタリウムもございます。お天気がよければ、阿蘇の夜空に輝く星々を楽しんでいただけると思います」
彩芽が歓声を上げた。
「わあ! なまら素敵っしょ!」
大翔も大喜び。
「お星さま、いっぱい見えるの!?」
「ふふっ。見えるといいですね」
栞奈が優しく答えた。
「私も、天体観測には興味があります。楽しみですね、大翔くん」
「うん!」
凜花も微笑んだ。
「静岡ではなかなか出会えない星空に巡り会えるかもしれないわね」
莉央も嬉しそうにうなずいた。
「南阿蘇の星空、楽しみたいねぇ!」
香澄は、穏やかな声で続けた。
「こちらのお宿では、地元の食材を使ったお料理も楽しめます。温かな雰囲気のレストランや、森に囲まれた静かな環境も魅力でございます」
その瞬間だった。
「……ご飯……」
後方の座席から、かすかな声がした。
「……今、何て言うたとね?」
菜々子が振り向いた。
ひなただった。
目は閉じたままである。
「……お宿のご飯……楽しみじゃっどぉ……」
「ひなたちゃん!!」
菜々子が絶叫した。
「あんた、寝とっても食べ物の話だけは聞こえるとね!?」
車内は大爆笑。
伊織が、いつもの凛とした表情で答えた。
「古賀支配人。ひなたさんの食欲は、なかなか衰えないようですね」
「伊織ちゃん! あんたまで何ば冷静に分析しよっとね!」
「ふふっ。申し訳ございません」
栞奈は、口元を押さえて笑った。
彩芽は、腹を抱えている。
大翔は大喜びだった。
「ひなたお姉ちゃん、寝ながらご飯食べてるの?」
茉莉花が呆れた。
「大翔! そげなこと言わんと!」
しかし、菜々子は首を振った。
「……いや、あの子なら夢の中でも食べとるかもしれんばい」
再び大爆笑。
そんな賑やかな車内で、香澄は窓の外を見つめていた。
夕闇が、少しずつ阿蘇の山々を包み込んでいく。
今日も、たくさんの人々と出会った。
動物たちを懸命に守り続ける透花。
歴史ある楼門の復興を喜ぶトシエ。
商店街の小さな写真展示会を準備した人々。
そして、熊本の復興を応援するため、全国から駆けつけた戦隊ヒロインたち。
その一人ひとりの思いが、香澄の胸に残っていた。
……ファイト九州。
それは、ただ元気よく叫ぶための言葉ではない。
傷ついた人々の声を聞き、できることから手を差し伸べ、ともに未来へ歩んでいこうという、仲間たちの約束だった。
遠くの山々の向こうには、少しずつ夜の帳が下り始めている。
やがて、ラッピングバスは高森町方面の静かな森へと入っていった。
木々の間から、温かな灯りが見え始める。
森の奥には、ヨーロッパの田舎町を思わせる可愛らしい洋館。
そして、その隣には、夜空を見上げるように設けられた天文台のドームがあった。
「あっ!」
大翔が、窓の外を指さした。
「ママ! 見て!」
茉莉花が振り向く。
「何ね?」
大翔は、目を輝かせた。
「お星さまのお城だ!」
その言葉に、栞奈がにっこり微笑んだ。
「本当に、お城みたいですね」
彩芽も嬉しそうに叫んだ。
「わあ! なまらロマンチックっしょ!」
菜々子は、ようやく一日の仕事が終わることに安堵していた。
「……はぁ。今日はほんに、いろんなことがあったばい」
香澄が微笑む。
「そうですね。でも、素敵な一日でした」
「……そうたいね」
菜々子は、窓の外を見つめた。
阿蘇の雄大な大地。
そこに暮らす人々の強さ。
そして、夜空に輝く星々。
長い時間をかけてよみがえった楼門のように、人々は傷つきながらも、少しずつ未来へ歩んでいく。
その歩みを、これからも応援していきたい。
菜々子は、静かに微笑んだ。
「……ファイト九州、たいね」
香澄もうなずいた。
「はい。ファイト九州、ですたい」
やがて、ラッピングバスは森の中のペンションへ到着した。
そして、ここから始まるのは、阿蘇の夜空を舞台にした新たな物語。
満天の星々。
大きな天体望遠鏡。
ちょっと不思議なプラネタリウム。
そして、個性豊かな戦隊ヒロインたちによる、予測不能な一夜。
もちろん、副支配人の酔いが完全にさめるかどうかは、また別の問題である。
「……菜々子しゃぁん……」
「……今度は何ね?」
「……お星さま……食べらるっと……?」
「食べられんばぁぁぁい!!」
菜々子の絶叫が、静かな森に響き渡った。
その頭上には、少しずつ星が瞬き始めていた。
何度壊れても、立ち上がる人がいる。
何度悲しみに暮れても、また笑顔を取り戻す人がいる。
そして、その笑顔を未来へつなぐ仲間たちがいる。
阿蘇の楼門は、今日も堂々と立っている。
その姿は、まるで人々に語りかけているようだった。
――これからも、この地で生きていこう、と。




