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ヒロインズ・リンク 〜戦隊ヒロインプロジェクト〜  作者: スパイク


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ヒロ九クエスト 第88話  ファイト九州! 忘れられないあの日――阿蘇の記憶、涙の向こうに見つけた希望

「……ねえ、あの子、芸能人じゃない?」

「アイドルの撮影かしら?」

「すごく可愛いわねぇ……」

阿蘇くまもと空港近くのホテル。

朝食を終えた宿泊客がチェックアウトの準備を進め、観光客やビジネスマンが行き交うロビーが、この朝ばかりは妙なざわめきに包まれていた。

原因は、ロビーの一角に置かれたソファに、静かに腰掛けている一人の少女だった。

艶やかな黒髪を左右対称のツインテールに結び、清楚なブラウスと落ち着いた色合いのスカートを身につけている。

透き通るような色白の肌。ぱっちりとした瞳に、すっと通った鼻筋。可憐な顔立ちには知性が漂い、その表情には年齢に似合わぬ落ち着きがあった。

しかも、姿勢がいい。

膝をきちんと揃え、背筋を伸ばして座り、手元の資料に目を通している。

とびきりの美少女というだけではない。物腰が上品で、どこか育ちの良さを感じさせる。

まるで人気アイドルグループのセンターが、そのままホテルのロビーに現れたようだった。

「あの子、どこのアイドルグループ?」

「新しいドラマの撮影でもあるんじゃない?」

そんな声が小さく飛び交っていたが、当の本人は周囲の視線など気にする様子もなく、静かに行程表を確認していた。

少女の名は、片淵栞奈。

長崎市在住の高校生で、将来の戦隊ヒロインプロジェクトへの正式加入が内定している期待の新人だった。

実家は、長崎の造船所近くにある人気洋食店「カレー洋食 みなと日和」。

父・片淵義弘が東京で修業を積んだのち、故郷の長崎へ戻って開いた店である。看板メニューの黒い牛すじカレーは、地元客からも観光客からも評判だった。

栞奈はそんな温かな家庭で育った。

学業優秀、品行方正。頭の回転が速く、何事にも冷静に対応できる。

そのうえ、誰に対しても親切で、人の気持ちを思いやることができる。

容姿端麗、頭脳明晰、性格良好。

少々出来すぎのようにも思えるが、事実なのだから仕方がない。

もっとも、本人に自分がどれほど目立っているかという自覚は、あまりないようだった。

栞奈が気にしていたのは、今日から参加する熊本復興応援企画のことだけである。

「……よし」

行程表を閉じると、少女は小さくうなずいた。

その時だった。

「栞奈ちゃーん!」

朝から元気いっぱいの声がロビーに響いた。

戦隊ヒロインプロジェクト推進室九州支部、通称「ヒロ九」の支配人、古賀菜々子である。

佐賀市出身、27歳。九州の戦隊ヒロインたちを束ねる、明るく面倒見のいい女性だった。

その隣には、鹿児島県鹿屋市出身の副支配人、有村ひなたがいる。

元実業団駅伝選手という華々しい経歴を持ちながら、今では食欲と酒量のほうが有名になりつつある、ヒロ九屈指の問題児である。

「古賀支配人、おはようございます!」

栞奈はすぐに立ち上がり、丁寧に頭を下げた。

「このたびはお声をかけていただき、ありがとうございます。本日から、どうぞよろしくお願いいたします」

「何言いよっとね! よう来てくれたばい!」

菜々子は満面の笑みで迎えた。

「長崎から一人で来るの、大変やったろ?」

「いえ。家族も快く送り出してくれましたし、学校の予定も調整できましたので、大丈夫です」

「そぎゃんね。それなら安心たい!」

ひなたも駆け寄ってきた。

「栞奈ちゃーん! 久しぶりじゃっど!」

「有村副支配人、おはようございます!」

「そげん堅苦しか挨拶はよかど! ひなたちゃんでよか!」

「はい、ひなたさん!」

栞奈がにっこり微笑む。

その笑顔を見た菜々子は、思わず感心した。

「……いやぁ。ほんに、どこへ出しても恥ずかしくなかお嬢さんたい」

ひなたも大きくうなずく。

「こいならヒロ九も安泰じゃっど!」

「ひなたちゃん。あんたはもう少し栞奈ちゃんを見習わんね!」

「何でうちが怒られんといかんとね!?」

早くもロビーに笑い声が響いた。

そこへ、前夜から合流していた二人の美女がやってきた。

福岡市出身のスタイリスト、浜崎莉央。

そして、静岡県沼津市出身のイベントコンパニオン、土屋凜花である。

二人とも規格外の美貌を誇り、前夜はホテルのロビーをまるでファッションショーの会場のように華やがせていた。

ところが今朝は、そこへ栞奈まで加わったのである。

ホテルの宿泊客が落ち着かなくなるのも無理はなかった。

「栞奈ちゃーん! 久しぶり!」

莉央が嬉しそうに手を振った。

「莉央さん! おはようございます!」

「相変わらず可愛かねぇ! そのツインテール、ほんとによく似合っとるよ!」

「ありがとうございます!」

莉央はスタイリストらしく、栞奈の髪型や服装をひと目見て、すっかり感心していた。

「飾りすぎとらんのが、またよかねぇ。清楚で上品で、ほんに栞奈ちゃんらしか!」

その隣で、凜花が目を丸くしていた。

「……まあ」

沼津を拠点に活動する凜花は、一流のイベントコンパニオンである。

華やかな世界に身を置き、数多くの美人を見慣れている。

しかも、本人も長身で抜群のスタイルを誇る正統派美女だ。

そんな凜花が、思わず言葉を失った。

「……なんて可愛らしいお嬢さんなの」

栞奈はすぐに向き直り、丁寧に一礼した。

「初めまして。長崎市から参りました、片淵栞奈と申します。どうぞよろしくお願いいたします」

「こちらこそ。沼津から来ました、土屋凜花です」

凜花は優雅に微笑んだ。

「お顔も可愛らしいけれど、言葉遣いまでとても綺麗なのね」

「ありがとうございます。凜花さんも、とてもお綺麗です」

「……まあ、ありがとう」

凜花はすっかり栞奈を気に入ったようだった。

何しろ彼女は、見た目の美しさだけでなく、礼儀や立ち居振る舞いを非常に大切にする女性である。

栞奈は、その理想にぴったりだった。

「莉央さん。この子、本当に素敵ね」

「そうやろ? うちらの期待の新人たい!」

そんな会話の最中だった。

「わあああっ! なまらめんこいっしょ!!」

ロビーに明るい声が響いた。

札幌出身の高城彩芽、18歳。

戦隊ヒロインの中でも若手に属し、抜群の元気と根性を誇る少女である。

彩芽は栞奈を見た瞬間、目を輝かせた。

「ちょっと待って! ほんっとに可愛い! ツインテールもなまら似合ってるしょ!」

「初めまして。片淵栞奈です」

「私、高城彩芽! 札幌から来たんだ!」

栞奈は丁寧に頭を下げた。

「彩芽さんですね。どうぞよろしくお願いいたします」

「うん! よろしくね!」

彩芽は満面の笑みを浮かべた。

そして、ふと気づいた。

「……あれ? 栞奈ちゃんって高校生なんだよね?」

「はい」

「じゃあ、私より年下なんだ!」

「そうですね」

その瞬間、彩芽の顔がぱっと明るくなった。

これまでヒロ九では、年上のヒロインたちに囲まれてきた彩芽である。

何かと「彩芽ちゃん、落ち着いて」と言われ、時には子供扱いされることもあった。

ところが今、目の前には自分より年下の後輩がいる。

ついに、年長者として威厳を示す機会が訪れたのだ。

「よーし! 栞奈ちゃん!」

「はい?」

「今日は私が先輩として、ヒロ九のことをいろいろ教えてあげるからね!」

彩芽は胸を張った。

「こう見えても、私のほうが活動歴は長いんだから!」

栞奈は素直にうなずいた。

「はい! どうぞよろしくお願いいたします、彩芽先輩!」

「……せ、先輩!」

彩芽は感激した。

「聞いた!? 今、先輩って言ったっしょ!」

菜々子が苦笑する。

「彩芽ちゃん、そぎゃん嬉しかとね?」

「だって、初めてちゃんとした後輩ができたんですもん!」

すると、栞奈が穏やかに尋ねた。

「彩芽先輩。本日の出発は九時でよろしいでしょうか?」

「うん! そうだったと思うよ!」

「集合は八時四十五分と伺っておりますが、変更はありませんか?」

「……えっ?」

彩芽が固まった。

「集合、八時四十五分だったっけ?」

「はい。昨日いただいた行程表には、そのように書かれております」

「……あれ? 私の行程表、どこやったかな?」

彩芽は慌ててポケットを探り始めた。

右ポケット。

左ポケット。

上着の内側。

「あれぇ? ない! なまら困ったっしょ!」

すると栞奈が、きれいに整理された資料を取り出した。

「こちらに予備がございます。よろしければ、お使いください」

「……ありがとう」

彩芽の先輩としての威厳が、早くも少し揺らいだ。

しかし、まだ負けるわけにはいかない。

「じゃあ栞奈ちゃん! 私がバスの集合場所を教えるね!」

「はい!」

「ホテルの正面玄関に集合だよ!」

「ありがとうございます。ただ、バスの駐車場所は、こちらの裏手の専用駐車場だと伺っております」

栞奈がスマートフォンの案内図を見せた。

「……あっ」

彩芽は再び固まった。

「そ、そうだったしょ……」

さらに、その直後。

「あれ!? 朝食券がない!」

彩芽が悲鳴を上げた。

すると栞奈が、落ち着いた声で言った。

「彩芽先輩。先ほどフロントの横の台に置かれていませんでしたか?」

「あっ!」

慌てて確認に行くと、案の定、朝食券がそこにあった。

「……あったぁ!」

彩芽は嬉しそうに戻ってきた。

「栞奈ちゃん、ありがとう!」

「いえいえ。見つかってよかったです」

この一部始終を見ていた菜々子は、ひなたの肩を叩いた。

「……ひなたちゃん」

「何じゃっど?」

「どっちが先輩か分からんばい」

「ぎゃははははは!」

ひなたは腹を抱えて笑い出した。

「彩芽ちゃん、後輩に世話ば焼いてもろうとるど!」

「ち、違いますって!」

彩芽は真っ赤になって反論した。

「私が先輩として教えてあげる予定だったんです!」

「予定だけは立派たい!」

菜々子の追い打ちに、周囲は大爆笑。

しかし、栞奈は決して彩芽を笑いものにはしなかった。

むしろ、少し申し訳なさそうに微笑んだ。

「でも、私はまだ戦隊ヒロインとしての活動経験がございませんので、彩芽先輩からいろいろ教えていただきたいです」

彩芽が振り向いた。

「……栞奈ちゃん?」

「イベントでの振る舞いや、皆さんとの連携など、分からないことがたくさんございます。ぜひ、ご指導をお願いいたします」

栞奈は丁寧に頭を下げた。

彩芽の顔が、ぱっと明るくなる。

「……栞奈ちゃぁぁん!」

思わず栞奈に抱きついた。

「なんていい子なの! なまらめんこいし、優しいっしょ!」

「ふふっ。ありがとうございます」

栞奈は少し驚きながらも、嬉しそうに笑っていた。

凜花も感心する。

「素敵ね。自分のほうがしっかりしていても、先輩をきちんと立てられるなんて」

莉央もうなずいた。

「栞奈ちゃんは、そういうところが本当によか子たい」

一方の菜々子は、心の中で思っていた。

……彩芽ちゃん、完全に後輩に負けとるばい。

もっとも、そんなことをわざわざ口にするほど、菜々子も意地悪ではない。

少なくとも、この時は。

そこへ、黒崎茉莉花に手を引かれた大翔がやってきた。

「あれ? ママ、あのお姉ちゃん誰?」

「ああ、長崎から来た栞奈お姉ちゃんたい」

大翔は栞奈を見つめた。

じーっ。

じーっ。

そして、何とも素直な一言。

「……かわいい」

栞奈はしゃがんで、大翔と目線を合わせた。

「初めまして、大翔くん。片淵栞奈です。よろしくね」

「ぼく、大翔!」

「お名前を教えてくれてありがとう」

「栞奈お姉ちゃん、長崎から来たの?」

「そうですよ」

「長崎って、おいしいものある?」

「ふふっ。カステラやちゃんぽん、それにおいしいお魚もありますよ」

「お菓子いっぱいある?」

「ありますよ。私の家は洋食屋さんなんです」

「じゃあ行きたい!」

「機会があったら、ぜひ遊びに来てね」

大翔は満面の笑みを浮かべた。

すると茉莉花が、何かを思い出したように言った。

「大翔。あんた、前は杉山ひかりちゃんが一番タイプっち言いよったやろ?」

「うん!」

「ほんなら、今はどっちが好きなん?」

大翔は一瞬考えた。

そして、妙に大人びた顔で胸を張った。

「小倉ん男は、惚れっぽいっちゃ!」

「…………」

茉莉花が固まった。

次の瞬間。

「あんた、誰にそげな言葉ば教えてもろうたんね!?」

ホテルのロビーに、母親の大きな声が響き渡った。

「ぎゃははははは!」

ひなたが腹を抱えて笑い出す。

菜々子も涙を流して笑っている。

「大翔くん! あんた将来が心配たい!」

彩芽は大喜び。

「大翔くん、なまら面白いっしょ!」

栞奈は口元に手を添えて、上品に笑った。

「ふふっ。大翔くん、本当に楽しいですね」

茉莉花は息子の頭を撫でながら、呆れたように言った。

「もう、あんたは……どこでそげな言葉ば覚えてくるんかねぇ」

大翔は、まったく悪びれない。

「だって、みんな可愛いんだもん!」

「はいはい。分かった、分かった!」

その光景を見ていた凜花が、莉央にそっと囁いた。

「……本当に、賑やかな皆さんね」

「そやろ? これがヒロ九たい!」

こうして、長崎からやってきた超絶美少女・片淵栞奈は、合流早々、すっかりヒロ九の仲間たちに溶け込んでしまった。

朝食を終えた一行は、ホテルをチェックアウトした。

そして、いよいよ南阿蘇への出発である。

今日から莉央、凜花、栞奈の三人が加わり、ラッピングバスの車内は一段と華やかになった。

首藤凪は、いつものように乗車名簿とシートベルト、荷物の収納状況を確認していた。

「皆さん、出発前の安全確認をお願いします」

「はーい!」

彩芽が元気よく返事する。

栞奈もきちんとシートベルトを締めた。

そして、隣の大翔に優しく声をかける。

「大翔くん、シートベルトはできましたか?」

「うん!」

「よくできました」

「えへへ!」

茉莉花は嬉しそうに微笑んだ。

「栞奈ちゃん、ほんに子供の扱いも上手かねぇ」

「ありがとうございます。大翔くんが素直に聞いてくれるからですよ」

彩芽が得意げに言った。

「栞奈ちゃん、分かんないことがあったら何でも私に聞いてね!」

「はい、彩芽先輩!」

その様子を見ていた菜々子は、ひなたに小声で言った。

「……彩芽ちゃん、まだ先輩風ば吹かせよるばい」

「栞奈ちゃんのほうが、よっぽどしっかりしとるど!」

「本人が楽しそうやけん、もう放っとくばい」

やがて、運転手がエンジンを始動した。

ブロロロロロロ……。

古いディーゼルエンジンが、野太い音を響かせる。

その直後だった。

ボフッ!!

モワモワモワァァァ……!

車両後部から、またしても黒っぽい煙が噴き上がった。

「…………」

菜々子が固まる。

「……またね?」

ひなたが窓の外を見て、大喜びした。

「支配人! 阿蘇の噴煙に負けん勢いじゃっど!」

「張り合わんでよかぁぁぁ!!」

菜々子の怒声が駐車場に響く。

初めてこの騒ぎを見た凜花は、さすがに目を丸くした。

「……あの、皆さん。バスから黒い煙が出ておりますけれど、大丈夫なのでしょうか?」

莉央が苦笑した。

「凜花ちゃん、これがヒロ九号たい」

「……こういうものなの?」

「いや、普通のバスは違うがね!」

真央が即座に突っ込んだ。

そこへ、トラックドライバーでもある伊吹真白が運転手と確認に向かう。

凪も厳しい表情で言った。

「原因を確認するまでは、出発できません」

菜々子は頭を抱えた。

「また点検たい……。復興応援の旅なのに、うちらのバスが一番応援ば必要としよるばい!」

運転手はすぐにエンジンを停止し、熊本産業交通へ連絡した。

何しろ、昨日も同じような症状が出ている。

一度点検して問題がなかったからといって、繰り返す異常を放置するわけにはいかない。

「今日は、きちんと原因ば調べてもらいましょう」

香澄が真剣な顔で言った。

「会社にも代替車両の準備ばお願いしてみます」

菜々子は渋い顔をした。

「……お金、かかるやろうねぇ」

すると凪が、きっぱりと答えた。

「古賀支配人。安全は予算より優先です」

「……分かっとるばい!」

熊本産業交通の整備担当者が駆けつけ、確認作業が始まった。

調べたところ、排気系統の一部に不具合が見つかった。

整備担当者は即座に運行中止を判断し、代替車両を手配した。

もちろん、整備担当者には冗談を言う余裕などなかった。

しかし、その横でひなたが余計なことを言い始める。

「支配人! これで新しかバスに乗れるじゃっど!」

「何でそぎゃん嬉しそうね!」

「エアコンもよう効くじゃろうし、乗り心地もよかじゃろ!」

「ヒロ九号にも愛着ば持たんね!」

「でも、黒煙は出らんど!」

「そりゃ当たり前たい!!」

そこへ、香澄の直属の上司から電話が入った。

「香澄! バスの件は聞いたぞ!」

「はい。ご迷惑をおかけしております」

「整備担当から報告ば受けた。無理して走らせんでよか! 代わりの車両ば出すけん!」

「ありがとうございます!」

「復興応援しよる人間が、途中で立ち往生したらどうしようもなかけんな!」

「はい!」

「会社としても協力するけん、安心して行ってこい!」

香澄の顔が明るくなった。

「本当にありがとうございます!」

ところが、最後の一言だけは相変わらずだった。

「ばってん、余計な金は出らんぞ!」

「……はい。存じております」

通話が終わると、菜々子がぽつりとつぶやいた。

「……相変わらず財布の口だけは金庫並みに堅か会社たい」

真央が笑った。

「支配人、金庫ならうちにも開けられんがね!」

「開けんでよか!」

こうして、整備のために残されたヒロ九号に代わり、熊本産業交通が用意した別のバスで、一行は南阿蘇へ向かうことになった。

出発前からひと騒動だったが、ようやく旅は再開した。

車窓には、雄大な阿蘇の山々が少しずつ近づいてきた。

西里香澄は、静かにマイクを握った。

「皆さま、大変お待たせいたしました。本日は南阿蘇村へ向かってまいります」

その声は、いつものように柔らかく、聞き取りやすかった。

「南阿蘇は、世界有数の規模を誇る阿蘇カルデラの南側に位置いたします。雄大な山々、豊かな湧水、美しい田園風景に恵まれた、熊本県を代表する景勝地の一つでございます」

車窓には、緑の草原と幾重にも連なる山々が広がっていた。

彩芽が歓声を上げる。

「わあ! なまら綺麗っしょ! 北海道の景色とはまた違うね!」

「本当に素敵ですね」

栞奈も窓の外を見つめていた。

凜花も思わず感嘆の声を漏らす。

「……綺麗。こんなに雄大な景色が広がっているのね」

香澄は微笑んで案内を続けた。

「阿蘇には、四季折々の美しさがございます。春の新緑、夏の草原、秋の黄金色の田畑、そして冬の澄んだ空気。どの季節に訪れていただいても、それぞれの魅力を楽しむことができます」

そして、少しだけ声の調子を落とした。

「ばってん、この美しい南阿蘇も、2016年の熊本地震では甚大な被害ば受けました」

車内が静かになった。

「道路や橋が損壊し、土砂崩れも起こりました。多くの方々が住み慣れた家や、大切な日常を失われました」

香澄は窓の外へ目を向けた。

「……私も、あの日のことは忘れられません」

その言葉に、菜々子が静かに顔を上げた。

「2016年4月。私はまだ中学生でした」

マイクを握る香澄の手に、少しだけ力が入った。

「突然の大きな揺れ。家の中で物が倒れる音。家族みんなで身を寄せ合いながら、不安な夜を過ごしたことを、今でも覚えとります」

車内は水を打ったように静まり返った。

「ようやく揺れが収まったと思ったあと、さらに大きな地震が起きました。もう、何が起きるか分からんくて……本当に怖かったとです」

香澄は少し間を置いた。

「夜が明けたら、いつもの熊本に戻っとると思いたかった。ばってん、朝になっても、いつもの熊本じゃなかったとです」

誰も口を挟まなかった。

「学校も普段どおりにはいかんくなって、テレビには壊れた建物や道路が映って……。あの頃の私は、何もできん中学生でした」

声が少し震えた。

それでも、香澄は話し続けた。

「でも、その時に、たくさんの方々が熊本ば助けてくださいました」

家族や近所の人々。

消防や警察、自衛隊、医療関係者。

道路や水道を復旧させるために働いた人々。

物資を運び、炊き出しをし、避難所で人々を支えた人々。

県内からも、九州各地からも、そして全国からも、多くの支援が寄せられた。

「そうして、熊本は少しずつ立ち上がってきました。長い時間がかかりましたばってん、皆さんが力ば合わせて、暮らしば取り戻してこられたとです」

香澄は静かに微笑んだ。

「だから私は、今度こそ故郷のために何かしたかと思いました。あの時に助けていただいた恩返しば、少しでもしたかとです」

菜々子は黙ってうなずいた。

ひなたも、珍しく静かにしていた。

その隣で、栞奈は真剣な表情で耳を傾けていた。

2016年当時、栞奈はまだ幼い小学生だった。

長崎でニュースを見ていた彼女にとって、熊本の地震は恐ろしい出来事として記憶に残っている。

しかし、今は違う。

自分の足で熊本の地を訪れ、当時を経験した人の話を直接聞いている。

そのことが、栞奈の心にも深く響いていた。

やがて、バスは南阿蘇村の一角に到着した。

そこは、2016年の熊本地震の記憶を未来へ伝えるために整備された、特別な場所だった。

そこは、かつて多くの若者たちが学び、研究に励んでいた大学のキャンパスだった。

阿蘇の雄大な自然に囲まれた広い敷地。

その一角に、現代的な建築の震災伝承施設が整備されている。

2016年の熊本地震で何が起きたのか。

なぜ大きな揺れが発生したのか。

人々はどのように避難し、助け合い、失われた暮らしを取り戻そうとしてきたのか。

館内では、被災当時の写真や映像、震災遺物、証言などを通じて、その記録を学ぶことができる。

また、敷地内には地震で大きく損傷した旧大学校舎と、地表に現れた断層が震災遺構として保存されていた。

かつて学生たちの笑い声が響いていた場所。

授業があり、研究があり、若者たちの日常があった場所。

そこに残された傷跡は、あの日、大地がどれほど激しく動いたかを物語っていた。

ここは、過去の悲しみを展示するだけの場所ではない。震災の記憶を未来へ伝え、次の災害から一人でも多くの命を守るために学ぶ場所なのである。

香澄は施設の前で立ち止まった。

「皆さま、本日は2016年の熊本地震について学んでいただきます」

いつもの柔らかな声だった。

「私自身、あの地震を経験した一人でございます。今日は皆さまと一緒に、当時の出来事を改めて振り返りたいと思っとります」

一行は見学の受付を済ませ、施設の案内に従って館内へ入った。

普段なら、ひなたの大声と菜々子の怒鳴り声が響き渡るヒロ九である。

しかし、今日ばかりは違った。

誰も騒がない。

展示の前で足を止め、一つひとつの資料に目を通していた。

地震によって倒壊した建物。

寸断された道路。

被害を受けた橋。

避難生活を送る人々。

そして、災害の中で助け合った人々の姿。

写真や映像が伝えているのは、単なる被害の大きさだけではなかった。

その場所で、つい昨日まで当たり前の日常を送っていた人々の暮らしだった。

「……こんなに大変だったんだね」

彩芽が、小さな声でつぶやいた。

いつもは明るく、何を見ても大騒ぎする彼女だったが、今は真剣な表情で展示を見つめていた。

その隣には栞奈がいる。

「そうですね。ニュースで見たことはありましたけれど、こうして実際の記録を拝見すると、改めて被害の大きさが分かります」

「……うん」

彩芽はうなずいた。

「私、北海道でも大きな地震があったの覚えてるんだわ。停電とか、なまら大変だったって話も聞いたし……」

「そうだったんですね」

「でも、こういう場所でちゃんと勉強するのって、本当に大事だね」

栞奈は優しく微笑んだ。

「はい。彩芽先輩と一緒に学べてよかったです」

彩芽は少し照れくさそうに笑った。

普段なら、ここで何か先輩らしいことを言おうとしただろう。

しかし、今日は違った。

分からないことは、分からないままでいい。

知らなかったことは、これから学べばいい。

二人はそのまま並んで展示を見続けた。

一方、山田真央は、損傷した建物の写真をじっと見つめていた。

愛知県春日井市出身の真央は、機械いじりや大工仕事を得意とする、ヒロ九きっての万能選手である。

前日の益城町では、古い田代商店のガラス戸を見事に修理し、店主のサチヨから心から感謝されたばかりだった。

しかし、目の前にある地震被害の記録は、そのような小さな修理とは規模がまるで違っていた。

「……すごいことになっとるがね」

真央が静かにつぶやいた。

隣にいた伊吹真白がうなずく。

「道路も橋も建物も……。これだけのものを直すのは、本当に大変ですよね」

真央はしばらく黙っていた。

そして、ぽつりと言った。

「うちな、壊れたもんは直してやればええと思っとったんだわ」

「はい」

「でも、町がこれだけ傷んでまったら、そんな簡単な話じゃないんだがね」

真央は展示から目を離さなかった。

「一つの建物を直すのにも、たくさんの人が要る。道路も橋も、水道も電気も……。全部、誰かが必死になって直しとるんだわ」

真白は静かに答えた。

「私もトラックの仕事をしているので、道路が使えなくなることの大変さは分かります。物資を運ぶにも、人が移動するにも、道路は必要ですから」

「……そうだがね」

真央は小さくうなずいた。

「昨日のおばあちゃん、戸が直って喜んでくれたがね」

「はい」

「あんな小さなことでも、喜んでもらえた。だから、うちに直せるもんがあったら、また直したいと思うんだわ」

真白は優しく微笑んだ。

「それで十分立派だと思いますよ、真央さん」

真央は少し照れくさそうに笑った。

「……ありがとね」

首藤凪は、地震の仕組みや防災対策を説明する展示に熱心に目を通していた。

大分県佐賀関の精錬所で安全管理に携わってきた彼女にとって、災害への備えは極めて重要な問題である。

「古賀支配人。今日の見学は、私たちの活動にも生かせると思います」

「何ね、凪ちゃん」

「災害への備えは、一度決めたら終わりではありません。過去の事例から学び、繰り返し見直していくことが必要です」

「そうやね」

「想定していなかったことが起きた時、どう対応するか。その準備も大切だと改めて感じました」

菜々子は深くうなずいた。

「……ほんに、そのとおりたい」

「今回のバスの異常もそうですが、慣れているから大丈夫と思い込むことが、一番危険な場合もあります」

「……あっ」

菜々子は思わず苦笑した。

「凪ちゃん、そこへ話がつながるとね?」

「もちろんです。安全管理に例外はありませんので」

「……さすがたい」

凪は少しも冗談を言っていなかった。

しかし、そんな真面目さが、今のヒロ九には何より頼もしかった。

金城伊織も、静かに展示を見つめていた。

琉球空手の達人であり、「清く、正しく、美しく」を信条とする彼女は、身体だけでなく精神も鍛えることを大切にしている。

「強さとは、必ずしも危険に立ち向かうことだけではないのでしょうね」

伊織が口を開いた。

「危険を知り、備え、必要な時には人の助けを求める。それもまた、大切な強さだと思います」

菜々子はうなずいた。

「そうたいね。無理して何でも自分で解決しようとせんことも大事たい」

迫田澄香と澪香の双子姉妹も、今日はいつもの入れ替わり芸を封印していた。

二人は並んで被災者の証言を読み、時折、静かに言葉を交わしている。

「……家族が無事だっただけでも、ありがたいことなんだね」

澄香が言った。

澪香もうなずいた。

「当たり前の毎日が、当たり前じゃないこともあるんだね」

同じ顔をした二人が、同じように真剣な表情を浮かべていた。

その横で、川原つばさは記録映像に耳を傾けていた。

佐世保出身の彼女は、声を使って人に何かを伝えることを仕事にしてきた。

だからこそ、被災した人々が自分の言葉で語る証言に、強く心を動かされていた。

「……香澄さん」

「はい?」

「言葉には、人の心を励ます力があります。でも、その前に、人の言葉をきちんと聞くことも大切なんですね」

香澄は静かにうなずいた。

「……そうですね」

つばさは続けた。

「私も、司会や配信の仕事をする時には、今日のことを忘れないようにしたいです」

「ありがとうございます、つばささん」

香澄は柔らかく微笑んだ。

その少し先では、土屋凜花が一つの展示の前で立ち止まっていた。

普段の凜花は、イベントの現場で誰よりも華やかに振る舞う女性である。

美貌、スタイル、所作、接客。

どれを取っても一切の妥協を許さない、沼津の絶対女王。

しかし、今日はそのような気配を少しも見せなかった。

「……私は、普段は人前で華やかに振る舞う仕事をしています」

凜花は静かに言った。

「お客様を楽しませて、喜んでいただく。それが私の仕事です」

隣にいた浜崎莉央がうなずいた。

「そうやね」

「でも、今日ここに来て思いました。人を楽しませる前に、その人がどんな思いでそこにいるのかを知ることも大切なんですね」

凜花は被災者の証言を紹介する展示を見つめた。

「これから熊本で活動する時には、私もそのことを忘れないようにしたいです」

莉央は微笑んだ。

「凜花ちゃん、よかこと言うね」

そして、自分も静かに続けた。

「うちも博多でセレクトショップばやっとるけん、お店ば続ける大変さは少し分かるとよ。昨日の田代商店のおばあちゃんの話も、本当に胸に響いたけんね」

莉央は写真に目を向けた。

「服でも何でも、品物だけあったら商売ができるわけじゃなか。お客さんがおって、働く人がおって、お店を開けられる場所があって……。そぎゃん当たり前のことが、どれほどありがたかことかと思うたとよ」

凜花は静かにうなずいた。

「……本当にそうね」

その頃、黒崎茉莉花は息子の大翔と一緒に、被災した建物の写真を見つめていた。

「ママ」

「何ね、大翔」

「なんで、壊れた建物をそのまま残してあるの?」

茉莉花は少し考えた。

そして、息子の目線に合わせてしゃがんだ。

「……忘れんためたい」

「忘れないため?」

「そう。昔、ここでこぎゃん大変なことがあったって、これから生まれてくる子供たちにも伝えるために残しとるとよ」

大翔はしばらく考え込んだ。

「……じゃあ、ぼくも覚えておく」

茉莉花は優しく微笑んだ。

「そうやね」

「地震が来たら、ママと一緒に安全なところに行く!」

「うん。それがよかね」

「彩芽お姉ちゃんも、栞奈お姉ちゃんも一緒に!」

「ははっ。そうやね。みんなで助け合おうね」

茉莉花は息子の頭をそっと撫でた。

そして、心の中でつぶやいた。

……この子らには、できるだけ怖か思いばさせたくなかねぇ。

親としての、ごく当たり前の願いだった。

やがて一行は、館外に保存された震災遺構を見学することになった。

かつて学生たちが学んでいた大学の校舎。

地震によって傷ついた建物には、今も当時の揺れの痕跡が残されている。

さらに、その近くには地表に現れた断層が保存されていた。

大地がずれ、盛り上がり、割れた跡。

それは、普段は人の目に見えない地球の巨大な力が、突然地表に現れた証拠だった。

ヒロインたちは、静かにその光景を見つめた。

「……本当に、地面が動いたんだね」

彩芽が小さくつぶやいた。

栞奈もうなずく。

「はい。こうして実物を拝見すると、地震の力がどれほど大きかったのか、よく分かります」

「……怖いね」

「そうですね」

二人はしばらく黙っていた。

いつもなら年上の威厳を示そうとする彩芽だったが、今はそんなことを考える余裕もなかった。

栞奈も、自分の知識を披露しようとはしなかった。

ただ同じ景色を見つめ、同じことを学んでいた。

その少し後ろで、香澄が立ち止まっていた。

十年前の記憶が、再びよみがえってきたのである。

2016年4月。

あの夜、まだ中学生だった香澄は、突然の激しい揺れに恐怖を感じた。

部屋の中で物が落ち、家族が声を掛け合い、余震におびえながら夜を過ごした。

ようやく落ち着いたと思ったところへ、さらに大きな地震が襲った。

いつも当たり前に存在していた熊本の街並みが、たった一晩で変わってしまった。

学校も、道路も、商店も、人々の暮らしも。

そして何より、人の心が深く傷ついた。

香澄は、当時の自分を思い出していた。

何もできず、ただ怖がっていた少女。

ニュースに映る故郷の惨状を見ながら、いつになったら元の生活に戻れるのだろうと、不安を抱えていた少女。

しかし、その後の十年間で、熊本は少しずつ変わっていった。

道路が再びつながった。

店が営業を再開した。

観光客が戻ってきた。

鉄道が走り始めた。

熊本城の天守閣も復旧し、今なお全面復旧に向けて工事が続いている。

それは、決して一人の力で実現したものではなかった。

行政、建設業者、医療関係者、物流関係者、ボランティア、そして何より、そこで暮らす住民たち。

数えきれない人々が、少しずつ力を積み重ねてきた結果だった。

「……香澄ちゃん」

菜々子がそっと声をかけた。

「はい」

「大丈夫ね?」

香澄はゆっくりとうなずいた。

「……はい。大丈夫です」

そして、少しだけ微笑んだ。

「菜々子さん。私、ここに来てよかったと思います」

「そうね」

「2016年の地震のことは、ずっと忘れとりませんでした。ばってん、こうして改めて見ると、あの時にどれほどたくさんの方が苦労されたのか、よう分かりますね」

菜々子は黙って聞いていた。

「そして、どれだけ多くの人たちが、熊本の復興のために働いてこられたのかも……」

香澄の目に、うっすらと涙が浮かんだ。

「私はあの時、何もできん子供でした」

少しだけ声が震えた。

「でも、今は違います。観光バスガイドになって、戦隊ヒロインにもなって、こうして皆さんと一緒に故郷へ来ることができました」

菜々子は静かにうなずいた。

「……そうたい」

香澄は続けた。

「今回の地震で、熊本はまた大きな被害ば受けました。ばってん、今度もたくさんの方が復旧や復興のために頑張っておられます」

そして、遠くの山々を見つめた。

「私も、その方々と一緒に歩いていきたかとです」

菜々子は優しく微笑んだ。

「……香澄ちゃん。あんたがそう思うてくれとることだけでも、きっと嬉しか人はおると思うばい」

香澄は目元を拭った。

「……ありがとうございます」

ただし、菜々子はそこで「熊本は強いから大丈夫」とは言わなかった。

立ち直るには時間がかかる。

家を失った人もいる。

商売を再開できない人もいる。

大切な人を失った悲しみを抱え続けている人もいる。

その現実は、簡単な励ましの言葉だけで変わるものではない。

菜々子は、熊本城で出会った高齢男性の言葉を思い出していた。

「今はこぎゃんこつばしよる場合じゃなかろうが!」

あの男性の怒りも、決して忘れてはいけない。

一方、昨日の益城町で出会ったサチヨの笑顔も、本物だった。

そして今日、目の前にある震災遺構も、紛れもない現実だった。

悲しみを忘れずにいることと、未来へ希望を持つことは、決して矛盾しない。

菜々子は、ようやくそのことを理解し始めていた。

「香澄ちゃん」

「はい」

「うちら、熊本の復興ば全部どうにかできるわけじゃなか」

「……はい」

「ばってん、できることはある。お店で買い物ばすることも、困っとる人の話ば聞くことも、こうして昔のことを学ぶことも」

香澄は静かにうなずいた。

「そうですね」

「そして、ここで学んだことを、ほかの人に伝えることも大切たい」

その言葉に、香澄の表情が少し明るくなった。

「……はい!」

そこへ、栞奈が近づいてきた。

「古賀支配人、西里さん」

「何ね、栞奈ちゃん」

「私も、今日ここに来られて本当によかったです」

栞奈は落ち着いた声で続けた。

「2016年の地震の時、私はまだ幼い小学生でした。ニュースで熊本のことを見ていましたけれど、当時はよく理解できていなかったと思います」

菜々子はうなずいた。

「そうやね」

「でも、今日こうして展示や震災遺構を見学して、初めて知ったことがたくさんありました」

栞奈は少しだけ微笑んだ。

「長崎に帰ったら、家族や学校の友達にも、今日学んだことを伝えたいと思います」

菜々子の顔がほころんだ。

「……栞奈ちゃん、ありがとう」

香澄も嬉しそうに微笑んだ。

「栞奈ちゃんがそう思ってくださるなら、私も本当に嬉しかです」

すると、彩芽も元気よく手を挙げた。

「私も! 札幌に帰ったら、友達にも話したいっしょ!」

「はい、彩芽先輩!」

「それにさ、今日みたいなことって、ちゃんと覚えておかなきゃ駄目だよね」

彩芽は真剣な顔で続けた。

「私、今まで知らなかったことが、なまらいっぱいあったんだわ。だから、ちゃんと勉強してよかったと思う!」

栞奈は嬉しそうに笑った。

「私もです。彩芽先輩と一緒に学べてよかったです」

「……栞奈ちゃぁぁん!」

彩芽はまたしても感激した。

「ほんっと、めんこい後輩だねぇ!」

周囲から小さな笑いが起こった。

しかし、その笑いは、先ほどまでの騒々しいものとは違っていた。

どこか温かく、穏やかなものだった。

そして、ひなたが珍しく真面目な顔で口を開いた。

「支配人」

「何ね?」

「うち、今日は大声でファイト九州って叫ばんほうがよか気がするど」

菜々子は目を丸くした。

「……ひなたちゃんが?」

「何でそぎゃん驚くとね!」

ひなたは少し照れくさそうに笑った。

「いつもは元気よく応援すればよかと思うちょった。ばってん、今日みたいな場所では、静かに考えることも大切なんじゃな」

菜々子は優しく微笑んだ。

「……そうたいね」

ひなたは阿蘇の山々を見つめた。

そして、小さな声でつぶやいた。

「……ファイト九州」

それは、いつもの威勢のいい叫び声ではなかった。

しかし、誰かを応援したいという気持ちは、いつもと何一つ変わらなかった。

見学を終えた一行は、建物の外へ出た。

空には雲が流れ、遠くには雄大な阿蘇の山並みが広がっていた。

阿蘇の大地は、美しく、雄大だった。

しかし、その大自然は時として、人間の想像を超える力を見せる。

人々はその自然の恵みを受けながら、災害とも向き合い、長い年月をかけて暮らしを築いてきたのである。

香澄は静かに深呼吸した。

「……やっぱり、阿蘇は美しかですねぇ」

その横で、菜々子もうなずいた。

「そうやねぇ」

香澄は微笑んだ。

「この景色も、熊本の大切な宝物ですたい」

そして、少しだけ表情を引き締めた。

「今日学んだことば忘れずに、これからも熊本の魅力ば伝えていきたかです」

菜々子は力強くうなずいた。

「もちろんたい!」

その時、大翔が栞奈の手を引いた。

「栞奈お姉ちゃん!」

「はい、大翔くん」

「ぼく、今日のこと覚えておくよ!」

栞奈はしゃがみ込み、優しく微笑んだ。

「ありがとう。大翔くんは偉いですね」

「うん! ママにも教える!」

茉莉花が横から笑った。

「ママも一緒に見よったやろ!」

「じゃあ、札幌のお友達にも教える!」

彩芽が嬉しそうに言った。

「それなら私が教えてあげるっしょ!」

「うん!」

栞奈も微笑んだ。

「大翔くん、私も長崎のお友達にお話ししますね」

大翔は満面の笑みを浮かべた。

「じゃあ、みんなに教えようね!」

その無邪気な一言に、香澄の胸がじんと熱くなった。

……そうですね。大翔くん。みんなに伝えていかんといけんですね。

2016年の地震を知らない世代は、これからも増えていく。

だからこそ、その記憶を伝える人が必要なのだ。

香澄は栞奈と彩芽、大翔の姿を見つめた。

十年前、自分もまだ子供だった。

しかし、今は次の世代へ何かを伝えられる立場になった。

そのことが、少し誇らしかった。

やがて一行は、再びバスへ戻った。

整備のために残されたヒロ九号に代わり、熊本産業交通が用意してくれた車両が、静かに出発を待っていた。

真白が運転手と車両の状態を確認し、凪は全員の乗車とシートベルトを確認する。

菜々子は運転席のほうを見つめた。

「……よし。今度こそ安心して乗れるばい」

その声を聞いた真央が笑った。

「支配人、そんな心配ばっかりしとったら疲れるがね!」

「真央ちゃん! うちは朝から毎日心臓に悪か思いばしよっとよ!」

「そんなら、次は新しかラッピングバスば買ってもらえばええがね!」

「……誰が金ば出すとね?」

真央は一瞬黙った。

そして、あっさり答えた。

「……そりゃ、難しいがね」

「そうたい!」

菜々子は大きくため息をついた。

「うちらのヒロ九は、予算がなかとが最大の問題たい!」

そこへ、ひなたが得意げに割って入った。

「支配人! うちに妙案があるど!」

「……何ね?」

「熊本産業交通に新しいバスば買うてもらえばよかじゃっど!」

「金は出らんって何回言われたと思っとるとね!」

「じゃあ、けちのんに頼むど!」

「余計に無理たい!!」

一同、大爆笑。

さっきまで真剣に震災の記憶と向き合っていたヒロインたちにも、ようやくいつもの笑顔が戻ってきた。

凜花は、少し呆れたように微笑んだ。

「……本当に、皆さんは元気ですね」

莉央が笑う。

「凜花ちゃん、そろそろ慣れてきたやろ?」

「ええ。少しずつですが」

「そのうち、凜花ちゃんも一緒に大騒ぎするようになるかもしれんね!」

凜花は涼しい顔で答えた。

「……それはどうかしら」

しかし、その口元には楽しそうな笑みが浮かんでいた。

そして、香澄がガイド用のマイクを握った。

「皆さま、本日は南阿蘇の震災伝承施設をご見学いただきまして、誠にありがとうございました」

いつもの柔らかな熊本弁。

しかし、今日の声には、ひときわ深い思いが込められていた。

「2016年の熊本地震で、私たちの故郷は大きな被害ば受けました。ばってん、その後、多くの方々が力を合わせて、少しずつ復旧と復興を進めてこられました」

香澄は静かに続けた。

「そして、今回の地震でも、多くの方々が苦労されております。私たちは、その皆さまのお気持ちに寄り添いながら、できることを一つずつ続けてまいりたいと思っとります」

車内は静まり返っていた。

「熊本の美しか景色も、豊かな食文化も、そして温かか人情も、これからも全国の皆さまにお伝えしていきたかです」

少しだけ間を置いた。

「それと同時に、あの日何があったのか、熊本の皆さんがどのように立ち上がってこられたのかも、忘れずに伝えていきたかと思っとります」

そして、穏やかに微笑んだ。

「皆さま、本日はほんのこてありがとうございました」

車内に温かい拍手が響いた。

菜々子は静かにうなずいた。

「……香澄ちゃん、立派たい」

香澄は照れくさそうに笑った。

「ありがとうございます」

窓の外には、雄大な阿蘇の山々が広がっていた。

草原と畑、遠くに見える集落、そして山々の稜線。

十年前、あの日の香澄は、こんな未来が来ることを想像できなかった。

大地震におびえ、家族のそばで不安な夜を過ごしていた少女。

その少女が今は、観光バスガイドとなり、全国から集まった戦隊ヒロインの仲間たちと一緒に、故郷の復興を応援する旅をしている。

しかも、未来の戦隊ヒロインを目指す栞奈まで、自分の意思で熊本へ来てくれた。

香澄は静かに微笑んだ。

……十年前の私に教えてあげたかですね。大きくなったら、こぎゃん素敵な仲間たちと出会えるとですよって。

そう思うと、胸がいっぱいになった。

その時だった。

「香澄ちゃーん!」

車内後方から、聞き覚えのある声が響いた。

「はい?」

香澄が振り向く。

有村ひなただった。

「そろそろ、お腹が空いたど!」

「……ひなたさん?」

「阿蘇には、うまかもんがいっぱいあるんじゃなかけ?」

菜々子が嫌な予感を覚えた。

「……ひなたちゃん」

「何ね?」

「あんた、ホテルで朝ご飯ば食べたやろ?」

「食べたど!」

「何回おかわりしたとね?」

「……三回じゃっど!」

「三回もおかわりして、もう腹が減ったとね!?」

ひなたは胸を張った。

「阿蘇の美味かもんば食べるために、胃袋に余裕ば作っとったんじゃっど!」

「余裕どころか、朝から満タンやったろうが!」

その時、香澄が思わず笑った。

「ふふっ。ひなたさん、阿蘇にはおいしかものが本当にたくさんございますよ」

ひなたの目が輝いた。

「本当ね!?」

「はい。あか牛を使ったお料理もございますし、阿蘇の豊かな自然が育んだ乳製品や農産物なども楽しめます」

「あか牛!」

ひなたが叫んだ。

「ソフトクリーム!」

さらに叫んだ。

「牛乳! チーズ! ヨーグルトぉぉぉ!!」

菜々子が頭を抱えた。

「ひなたちゃん! あんた、さっきまで真面目な顔ばしとったやろうが!」

「腹が減ったら、そいとこいは別じゃっど!」

彩芽も嬉しそうに声を上げた。

「わあ! 阿蘇のソフトクリーム、なまら食べたいっしょ!」

栞奈はにっこり笑った。

「私も楽しみです。地元のおいしいものをいただくことも、地域を知る大切な機会ですものね」

「栞奈ちゃん!」

彩芽が感激した。

「そういうことだよね! さすが私の後輩だわ!」

菜々子が小声でつぶやく。

「……彩芽ちゃん、また先輩ぶっとるばい」

凜花も微笑んだ。

「阿蘇の食材を使ったお料理、私もぜひいただいてみたいです」

莉央も嬉しそうに言った。

「せっかく熊本まで来たんやけん、地元のおいしかもんも楽しまんとね!」

ひなたは両手を高く突き上げた。

「ファイト九州ぅぅぅ!!」

「いや、そこで叫ぶとね!?」

菜々子の怒声が車内に響いた。

ところが、今度は大翔まで便乗した。

「ぼく、ソフトクリーム食べたい!」

茉莉花が苦笑する。

「大翔! あんたもかいな!」

「彩芽お姉ちゃんと栞奈お姉ちゃんと食べる!」

「……あんたはほんに、美人のお姉ちゃんが好きやねぇ」

栞奈は上品に微笑んだ。

「ふふっ。大翔くん、一緒に食べられるといいですね」

彩芽も元気いっぱい。

「よーし! みんなで食べようっしょ!」

車内はすっかり賑やかになった。

そして、ひなたが最後にとんでもない一言を放った。

「支配人! 今日の昼ご飯は、あか牛丼を三杯食べるど!」

「三杯ぃぃぃ!?」

菜々子が絶叫する。

「ひなたちゃん! あんたの胃袋は阿蘇山より大きかとね!?」

「そいは分からんど! まだ限界ば試したことなかけん!」

「試さんでよかぁぁぁ!!」

爆笑が車内を包んだ。

香澄も、つばさも、莉央も、凜花も。

真央も真白も、迫田ツインズも。

みんな、腹を抱えて笑っていた。

そして栞奈も、初めて参加したヒロ九の旅を心から楽しんでいるようだった。

菜々子は額を押さえながら、窓の外を眺めた。

雄大な阿蘇の大地。

その景色は、十年前と変わらず美しかった。

いや、もしかしたら、香澄たちが今日見つめている景色は、十年前とは少し違って見えているのかもしれない。

そこには、震災を乗り越えてきた人々の努力がある。

そして、再び傷ついた故郷を、もう一度立て直そうとする人々の思いがある。

過去を忘れないこと。

今を大切にすること。

そして、未来へ希望をつなぐこと。

その三つを胸に、ヒロ九の旅はこれからも続いていく。

香澄は、最後にもう一度だけ窓の外へ目を向けた。

そして、心の中でそっとつぶやいた。

……ファイト九州。熊本は、これからも前へ進んでいけるとです。

バスは、阿蘇の雄大な景色の中を走り続けていた。

いつかまた、整備を終えた「ファイト九州!」のラッピングバスも、この美しい大地へ戻ってくるだろう。

いつしか香澄の胸に、ひとつの思いが浮かんでいた。

忘れられないあの日があるからこそ、守りたい明日がある。

そして、守りたい明日があるからこそ、人は再び歩き始められる。

――もっとも、その明日を待ちきれず、今すぐ阿蘇のおいしいものを食べ尽くそうとしている副支配人が、一人だけいたのだが。

「支配人! あか牛丼、特盛にしてよかじゃっど!?」

「まだ店にも着いとらんばい!!」

その絶叫が、阿蘇の山々に吸い込まれていった。

ファイト九州!

過去を忘れず、未来を諦めず。熊本の明日は、これからも続いていく。

そして、次なる騒動は、阿蘇の大地の恵みを前に、いよいよ噴火寸前となった副支配人の巨大な胃袋から始まるのであった。

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