ヒロ九クエスト第87話 ファイト九州! 益城の小さな商店、笑顔の大きな買い物――彩芽と大翔が起こした、ちいさな奇跡 売り物は少なくても、人情は山盛り! ヒロ九ラッピングバス、復興の町で見つけた宝物
「もちろんでございます」
まるで高級ホテルの受付係のような美しい声だった。
しかし、その顔には明らかに笑いをこらえている気配があった。
香澄は苦笑しながら案内を続けた。
「益城町は、2016年の熊本地震で二度の震度7を観測した町としても知られております。住宅や商店などが甚大な被害を受けましたが、町の皆さまが力を合わせ、少しずつ復興を進めてこられました」
声の調子が少しだけ変わった。
「そして、ようやく取り戻した日常が、今回の大地震で再び傷ついてしまいました。今も大変な思いばされとる方が、たくさんおられます」
車内が静かになった。
「本日は、営業を再開されたお店などにお邪魔いたしまして、地域の皆さまのお話ば聞かせていただきたいと思っとります。大きな催しはございませんばってん、どうぞ皆さま、よろしくお願いいたします」
静かな拍手が起こった。
菜々子は香澄の横顔を見つめた。
熊本城を訪れる前の香澄なら、きっと「皆さんを元気にしましょう」と言っただろう。
今は違う。
「皆さんのお話を聞かせていただきたい」
ほんの少しの言葉の違いだったが、そこには大切な変化があった。
もっとも、そんな感慨に浸っていられる時間は短かった。
「支配人!」
ひなたが叫んだ。
「今度は何ね!?」
「ヒロ九号、今日は黒煙ば吐いとらんど!」
菜々子が慌てて後方を振り返る。
「……本当ね?」
「絶好調じゃっど!」
「普通に走るだけで絶好調扱いされるバスも、かわいそうたい……」
菜々子は大きくため息をついた。
何しろ、このラッピングバスは熊本市郊外の営業所を出発する際、エンジンから盛大に黒煙を噴き上げ、一時は運行を見合わせる騒ぎとなった。
さらに、車両後部から聞こえてきた怪しい金属音の正体が、荷物室に積まれていた金ダライだったのである。
その金ダライを持ち込んだ張本人こそ、ひなたであった。
「ひなたちゃん。あの金ダライ、もう絶対に出したらいかんばい」
「何でじゃっど?」
「何でって、あんた……!」
「せっかく持ってきたんじゃっど!」
「持ってこんでよかったとよ!」
車内に笑い声が響いた。
やがて、ラッピングバスは益城町の中心部に近づいた。
今回の訪問先は、昔ながらの小さな商店が点在する一角である。
菜々子と香澄は、事前に店舗側の了承を得ていた。バスは通行の邪魔にならない指定の駐車場所に停め、メンバーは少人数に分かれて徒歩で回る。
撮影も配信も、店主が希望する場合に限る。
「今日は、うちらが主役になったらいかんばい」
菜々子が全員に言った。
「お店の方のお話ば聞いて、ちゃんと買い物して、元気にご挨拶して帰る。それで十分たい」
「はい!」
一同が返事した。
ただし、ひなただけは買い物袋を余分に三枚持っていた。
「……ひなたちゃん」
「何ね?」
「その袋は何ね?」
「念のためじゃっど!」
「何の念のためね!?」
「いっぱい買うた時のためじゃっど!」
菜々子は頭を抱えた。
「先が思いやられるばい……」
そんなヒロ九一行が最初に訪れたのは、町の一角にある小さな個人商店だった。
古びた木製の看板には、かすれた文字で「田代商店」と書かれている。
店先には地元産の野菜や果物、菓子、日用品などが並び、少し暗い店内には昔ながらのガラスケースや木製の陳列棚が置かれていた。
華やかさとは無縁の店である。
しかし、どこか懐かしい匂いがした。
子供の頃、近所のお店へ小銭を握りしめて駆け込んだ時のような、温かい空気がそこにはあった。
店を切り盛りしているのは、田代サチヨ、74歳。
小柄で少し腰が曲がっているが、受け答えは実にしっかりしている。
「こんにちは。先日お電話させていただきました、西里香澄です」
香澄が丁寧に挨拶する。
「ああ、あんたが電話のお嬢さんね。よう来なはったねぇ」
サチヨは優しく笑った。
「今日はお忙しいところ、ありがとうございます」
「よかよか。こぎゃん小さか店に来てもろうて、こちらこそありがたかよ」
菜々子も頭を下げた。
「ヒロ九支配人の古賀菜々子です。今日はよろしくお願いします」
「まあ、支配人さんね。若かとに、しっかりしとらすねぇ」
「いえいえ、まだまだですたい」
普段は部下を怒鳴りつけている菜々子が、珍しく照れ笑いを浮かべた。
そんな中、サチヨは少し寂しそうに店内を見回した。
「うちもねぇ、昔はもっと品物があったとよ」
香澄が静かに耳を傾ける。
「2016年の地震で店が傷んでしもうてねぇ。一回はもう商売ばやめようかと思うたとたい。ばってん、近所の人らが助けてくれて、何とか店ば開け直したとよ」
「そうでしたか……」
「それが、また地震たい。今度はさすがに堪えたねぇ」
サチヨは小さく息を吐いた。
「商品も減ったし、建物もあちこち傷んどる。年も年だし、もう店ば畳もうかと思うたこともあるとよ」
香澄は無理に励まそうとはしなかった。
「……本当に大変でしたね」
ただ、それだけを言った。
サチヨは静かにうなずいた。
「でもねぇ、ここがなくなると困るっちゅう人もおるけんね。車を持っとらんお年寄りもおるし、ちょっとした買い物に寄ってくれる人もおるとたい」
店の奥から、古い掛け時計の音が聞こえてきた。
「一人で店番しよると寂しかこともあるばってん、近所の人が顔ば見せてくれるけん、何とか続けとるとよ」
香澄は、その言葉を大切に受け止めた。
田代商店は、商品を売るだけの場所ではなかった。
顔なじみの人々が集まり、世間話をし、互いの無事を確かめ合う。
そんな、地域の小さな拠り所だったのである。
ところが、その少ししんみりした空気を、何の遠慮もなく吹き飛ばした二人組がいた。
「わあああ! お菓子がいっぱいある!」
高城彩芽だった。
札幌市出身、18歳。
戦隊ヒロインの中でも抜群の明るさと根性を誇る元気娘である。
そして、その隣には黒崎茉莉花の息子・大翔。
「彩芽お姉ちゃん! これ見て! こっちにもある!」
「ほんとだ! 大翔くん、懐かしいお菓子がいっぱいだよ!」
年齢はずいぶん離れているが、二人の波長は恐ろしいほど一致していた。
何しろ、難しいことを考えるより先に、目の前の面白いものへ飛びつく性格なのである。
「彩芽ちゃん! 大翔! お店の中で騒いだらいかんよ!」
小倉の肝っ玉母ちゃん、黒崎茉莉花が慌てて注意した。
しかし二人は、すでに菓子売り場の前で目を輝かせていた。
「おばあちゃん! これ、おいしい?」
彩芽が小さな菓子を手に取った。
「うまかよ。昔からある菓子たい」
「じゃあ買う!」
実に早い決断だった。
「ぼくも!」
大翔も負けていない。
「大翔! あんた、さっきもお菓子ば食べたやろ!」
「でも、これは別のお菓子だもん!」
「別なら何個でも食べてよかっちゅう話じゃなか!」
茉莉花の怒声に、サチヨが思わず吹き出した。
「ははは! 元気のよか子たちじゃねぇ!」
彩芽は胸を張った。
「はい! 元気だけは自信あります!」
「そぎゃんねぇ。若かってよかねぇ」
すると、大翔が真剣な顔で尋ねた。
「おばあちゃん、このお店、ずっとやってるの?」
「そうたい。もう五十年近うなるかねぇ」
「えええっ! 五十年!?」
彩芽が目を丸くした。
「私、まだ十八年しか生きてないですよ!」
「そりゃ、あんたが若かけんたい!」
サチヨは腹を抱えて笑った。
大翔は、しばらく考え込んだ。
そして、何とも無邪気な質問をした。
「じゃあ、おばあちゃん、このお店を始めた時は、おばあちゃんじゃなかったの?」
「……は?」
サチヨが目を丸くした。
彩芽が吹き出す。
「ぶっ! 大翔くん!」
サチヨも大笑いした。
「あははは! 当たり前たい! あたしにも若か時はあったとよ!」
「えええっ!?」
「そりゃそうたい!」
「じゃあ、おばあちゃんが赤ちゃんだった時もあるの?」
「あるに決まっとろうが!」
サチヨの見事なツッコミが炸裂した。
「大翔ぉぉぉ!」
茉莉花は額を押さえた。
「おばあちゃんにだって若か頃はあるとよ!」
「そうなの?」
「そうなの、じゃなか!」
店内は大爆笑。
香澄と菜々子は顔を見合わせた。
「……菜々子さん」
「何ね?」
「彩芽ちゃんと大翔くん、すごかですねぇ」
「うちらが一生懸命考えた言葉より、あの二人のほうがよっぽど自然に笑わせとるばい」
菜々子は苦笑した。
彩芽も大翔も、復興支援をしているつもりなどなかった。
ただ、目の前のおばあちゃんと話すのが楽しくて笑っている。
そして、その無邪気さが、サチヨの心を少しずつほぐしていたのである。
ところが、そんな店内で一人だけ、別のことに興味を示している女性がいた。
「……あれ?」
山田真央だった。
愛知県春日井市出身、20歳。
喋らせれば止まらず、工具を持たせれば何でも直そうとする、器用な愛知県人である。
ヒロ九の古い営業所が今回の大地震でもほぼ無傷だったのは、以前、真央が大規模修繕に尽力していたおかげだった。
その真央が、田代商店の出入口を見つめていた。
ガラガラ……ガッ。
古いガラス戸が、途中で引っかかる。
もう一度引いてみる。
ガラガラ……ガッ。
「……おばあちゃん、これ、いつからこんな具合なん?」
真央が尋ねた。
サチヨは苦笑した。
「ああ、その戸ね。今度の地震のあとから、調子が悪うなってしもうてねぇ」
「どこか引っかかっとるみたいだがね」
「そうたい。力ば入れんと開かんけん、毎朝大変でねぇ。近所の人に手伝ってもらうこともあるとよ」
真央の目が輝いた。
「ちょっと見てもええ?」
「ええけど……直せるとね?」
「原因ば見てみんと分からんけど、調べることはできるでね!」
真央は早速、戸の状態を調べ始めた。
近くにいた伊吹真白も手伝う。
「真央さん、ここ、少しずれていませんか?」
「そうだがね。戸車が傷んどるみたいだわ」
確認すると、ガラス戸の戸車の一つが傷み、レールにも細かな砂や破片が入り込んでいた。
真央は建物の大きな変形や危険がないことを確認し、サチヨの了承を得て、修理に取りかかった。
「ちょっとした部品交換で直ると思うでね!」
そう言うと、必要な部品の寸法を測り、近くの金物店で適合する戸車を調達した。
「真白ちゃん、そっちをちょっと押さえてちょう!」
「はい!」
二人の作業は実に手際よかった。
ガラス戸を慎重に取り外し、傷んだ戸車を交換する。レールに詰まった汚れをきれいに取り除き、建て付けを調整してから元に戻した。
最後に、真央が戸をゆっくりと引いた。
スルスルスル……。
驚くほど滑らかに動いた。
「よし! これでどうだがね!」
真央は満足そうに笑った。
サチヨがおそるおそる戸に手をかける。
そして、軽く引いてみた。
スルスルスル……。
「あら……?」
もう一度。
スルスルスル……。
「……開く!」
サチヨは目を丸くした。
「こぎゃん軽う開くごつなったとね!?」
「そうだがね! まだまだ使える戸だで!」
真央が胸を張る。
サチヨは何度も戸を開けたり閉めたりした。
その顔が、次第にくしゃくしゃになっていった。
「……ありがとうねぇ」
真央が振り向いた。
「え?」
「この戸が重たくなってからね、毎朝、店ば開けるのが本当に大変だったとよ」
サチヨはガラス戸を優しく撫でた。
「年を取ると、こぎゃんちょっとしたことでも苦労するけんねぇ。近所の人に何度も手伝ってもらうのも申し訳なかったし……」
その目に涙が浮かんでいた。
「これで、また自分一人で店ば開けられるたい」
真央は一瞬、言葉を失った。
彼女にとっては、それほど難しい修理ではなかった。
原因を調べ、傷んだ部品を交換し、建て付けを調整しただけ。
しかし、サチヨにとっては毎日の暮らしを左右する、大きな問題だったのである。
「……ほんのこて、ありがとうねぇ。あんた、よか仕事ばしてくれた」
サチヨは深々と頭を下げた。
真央は慌てて両手を振った。
「ちょ、ちょっと! おばあちゃん、そんなに頭下げんでもええがね!」
「ばってん、本当に助かったとよ」
「ええって! 直ってよかったがね!」
いつもは口から先に生まれてきたような真央が、この時ばかりは少し照れくさそうだった。
香澄は胸が熱くなった。
「真央ちゃん、ありがとう。本当に助かりましたねぇ」
「いやいや、うちは直せるもんを直しただけだで!」
菜々子も笑った。
「真央ちゃん、やっぱりあんたはヒロ九の救世主たい!」
すると、ひなたが余計な一言を放った。
「真央ちゃん! ついでにヒロ九号の黒煙も直してほしかど!」
「黒煙は整備の人に見てもろうたがね!」
「じゃあ、金ダライの落下装置ば作ってほしか!」
「そっちは絶対作らんわ!」
またしても店内に笑い声が響いた。
修理が終わると、今度は彩芽が古い店の看板を指さした。
「ねえ、おばあちゃん! お店の看板、私たちでかわいくしてもいい?」
サチヨが首をかしげた。
「看板ば?」
「うん! もっと目立つようにしたい!」
「そぎゃんことできるとね?」
「できるかどうか分かんないけど、頑張る!」
何とも頼りない返事である。
しかし、サチヨは楽しそうに笑った。
「よかよ。やってみなっせ」
彩芽は真央から画用紙と色ペンを借り、大翔と一緒に案内板を作り始めた。
「大翔くん! 何描く?」
「スイカ!」
「いいね! じゃあ、大きなスイカを描こう!」
「うん!」
二人は夢中になって絵を描いた。
彩芽は赤や黄色のペンを使い、大きな文字で店名を書く。
大翔はその横に、巨大なスイカと太陽、そしてにっこり笑った顔を描き始めた。
十分ほどして完成した案内板には、こう書かれていた。
『田代商店! おいしいものいっぱい! おばあちゃんも元気!』
その下には、色鮮やかな太陽と笑顔の絵。
さらに、大翔が一生懸命に書いた、少し曲がった文字が添えられていた。
『またきてね』
「できたー!」
彩芽が歓声を上げる。
大翔も両手を突き上げた。
「できたー!」
サチヨは、その案内板をじっと見つめた。
「……あらぁ」
しばらく何も言わなかった。
そして、ぽつりとつぶやいた。
「……よか看板じゃねぇ」
彩芽が嬉しそうに笑う。
「ほんと!?」
「ほんとたい。あたしの店が、こぎゃん賑やかな店に見えるなんてねぇ」
大翔が得意げに言った。
「おばあちゃん! ぼく、スイカ描いたよ!」
「そぎゃんねぇ。ずいぶん大きかスイカじゃねぇ」
「ぼく、スイカいっぱい食べたいもん!」
「ははは! そりゃよか!」
真央は案内板を丈夫な台紙に取り付け、濡れにくいよう透明なカバーで保護した。
そしてサチヨの希望する場所に、倒れないようしっかり固定した。
「これならしばらく使えると思うでね!」
「ありがとうねぇ。何から何まで……」
店先には、古い看板と、彩芽と大翔が作った新しい案内板が並んだ。
少し不格好ではある。
しかし、不思議なほど温かい。
道行く人が思わず足を止めるような、そんな看板だった。
その頃、店内ではもう一つの事件が発生していた。
「支配人! これも買うど!」
ひなただった。
買い物かごには、菓子、地元産の野菜、農産加工品、サツマイモ、果物などが山盛りになっている。
「ひなたちゃん! あんた、何ばそんなに買いよっとね!」
「食べて応援じゃっど!」
「何でも食べて応援で済ませたらいかんばい!」
「でも、地元でお金ば使うのが復興支援じゃっど!」
菜々子は一瞬黙った。
確かに、その理屈自体は間違っていない。
しかし、ひなたの買い物かごは完全に容量を超えていた。
「ひなたちゃん。これ全部、自分で食べるとね?」
「もちろんじゃっど!」
「……いつ食べるとね?」
「今日から明日にかけてじゃっど!」
「どぎゃん胃袋しとるとね!」
香澄が苦笑しながら近づいた。
「ひなたさん。益城町にはほかにもおいしかものがたくさんございますけん、ここで全部買うてしまうと、あとが大変ですよ」
ひなたは少し考えた。
「……じゃあ、半分にしとくど!」
「そういう問題じゃなか!」
菜々子の頭痛は、ますますひどくなる一方だった。
すると、ひなたが財布を取り出した。
「でも今日はちゃんと自腹じゃっど!」
「……本当ね?」
「もちろんじゃっど!」
「だったらよか!」
菜々子は安心した。
ところが、ひなたはレジでサチヨに尋ねた。
「おばあちゃん、領収書もらえるけ?」
「もちろんよかよ。宛名は何にするとね?」
ひなたは元気よく答えた。
「戦隊ヒロインプロジェクト推進室九州支部じゃっど!」
「ひなたちゃぁぁぁん!!」
菜々子の絶叫が店内に響いた。
「自腹って言うたやろうが!」
「一応、領収書ばもろうとけば何かに使えるかもしれんじゃっど!」
「使えん! 絶対使えん! けちのんに見つかったら、うちらが怒られるばい!」
「何もせんうちから怒らんでよかじゃっど!」
「何かする前に止めとるんたい!」
サチヨは腹を抱えて笑っていた。
「はははは! あんたたち、ほんに賑やかじゃねぇ!」
店内は、まるで祭りのようだった。
いつもは静かな小さな商店。
地震以来、客足も減り、サチヨが一人で店番をする時間が増えていた。
しかし今日は違った。
元気いっぱいの若い女性たちがやって来て、子供が笑い、賑やかな会話が飛び交っている。
近所の人々も、その騒ぎを聞きつけて顔を出し始めた。
「サチヨさん、今日は何事ね?」
「あらぁ、戦隊ヒロインの皆さんが来てくださったとよ!」
「へぇ! そりゃすごかねぇ!」
「しかも、このお嬢さんが戸ば直してくれたとたい!」
サチヨは真央を指さした。
「ほんのこて器用なお嬢さんでねぇ。あぎゃん重たかった戸が、今じゃスルスル開くとよ!」
真央は照れくさそうに頭をかいた。
「いやぁ、たいしたことないがね!」
「何ば言いよっとね! あたしにとっちゃ大ごとたい!」
サチヨは本気で感謝していた。
その姿を見て、近所の女性が真央に話しかけた。
「うちの家の戸も、ちょっと調子悪かとばってん……」
真央の目が輝く。
「どんな具合なん?」
菜々子が慌てて割って入った。
「真央ちゃん! 今日は修理業者として来たんじゃなかばい!」
「分かっとるがね! ちょっと話ば聞くだけだで!」
「その『ちょっと』が、いつも三時間になるとよ!」
一同が笑った。
一方、香澄はサチヨの了承を得て、店の様子を短い動画に収めることにした。
つばさが撮影と音声を担当する。
香澄は店先に立ち、いつもの上品な口調でマイクを握った。
「皆さま、こんにちは。熊本市出身の西里香澄でございます。本日は益城町にございます、昔ながらの温かい商店をご紹介いたします」
その声は、いつもの観光案内と同じように柔らかかった。
しかし、今日は少し違った。
商品や観光地の紹介だけではなく、そこに暮らす人々の思いを丁寧に伝えようとしていたのである。
「こちらの田代商店さんは、長年にわたり地域の皆さまの暮らしを支えてこられました。大きな地震を幾度も乗り越え、今もこうして営業を続けておられます」
香澄はサチヨを紹介した。
「田代さん、本日はお忙しいなか、ありがとうございます」
「いえいえ。こちらこそ、よう来てくださいました」
「長い間、お店を続けてこられて、何が一番嬉しかったですか?」
サチヨは少し考えた。
「……そうねぇ」
そして、ゆっくりと答えた。
「やっぱり、お客さんがまた来てくれることかねぇ」
香澄はうなずいた。
「そうですか」
「大きか店には、品物の数も値段もかなわんばってんね。うちに来てくれる人は、みんな顔なじみたい」
サチヨは笑った。
「今日は元気ね? とか、最近どうしよるね? とか、そぎゃん話ばしながら商売できるのが、あたしゃ好きだったとよ」
香澄は、その言葉を大切に受け止めた。
「素敵ですねぇ」
撮影を終えると、サチヨは小さく頭を下げた。
「……ありがとうねぇ。こぎゃん小さか店ば紹介してもろうて」
香澄は微笑んだ。
「こちらこそ、ありがとうございます。私も、今日お話ば聞かせていただけて、本当に嬉しかったです」
やがて、一行が店を後にする時間が近づいてきた。
商品を購入したメンバーたちは、買い物袋を手に店先へ集まる。
サチヨは一人ひとりにお礼を言っていた。
「ありがとうねぇ」
「また来てはいよ」
「気をつけて帰りなっせ」
すると、彩芽が元気よく手を振った。
「おばあちゃん! 今日は楽しかったよ!」
大翔も負けじと叫ぶ。
「おばあちゃん! またお買い物に来るね!」
サチヨは、二人を見つめた。
そして、ふと目を伏せた。
「……あたしね」
香澄たちが振り向く。
サチヨは、店先に取り付けられた新しい案内板を見つめていた。
「今度の地震で、もう店ば閉めようと思うとったとよ」
その声は、少し震えていた。
「2016年の地震ん時も、店が壊れてしもうてねぇ。近所の人や家族に助けてもろうて、やっと再開できたとたい」
サチヨは、古いガラス戸に目を向けた。
「ばってん、また地震が来てしもうた。戸も開かんごつなって、商品も減って、もう無理かもしれんって思うたとよ」
誰も口を挟まなかった。
「でもねぇ、店ば開けたら、また近所の人が来てくれた。いつも買い物に来よった人が、また顔ば見せてくれた」
サチヨは小さく微笑んだ。
「そぎゃん人たちがおるけん、もう少しだけ頑張ってみようかと思うたとたい」
そして、彩芽と大翔を見た。
「今日は、あんたたちまで来てくれた」
彩芽は元気よく答えた。
「うん! お菓子、すっごくおいしかった!」
大翔も笑顔で言った。
「ぼく、また来るよ!」
サチヨは言葉を詰まらせた。
小さな男の子の、何気ない一言。
しかし、長年商売を続けてきたサチヨにとって、それは何より嬉しい言葉だった。
「……そうねぇ」
目尻に涙が浮かぶ。
「また来てはいよ」
大翔は無邪気に手を振った。
「うん! 約束!」
彩芽も笑った。
「私もまた来るからね! おばあちゃん、元気でいてね!」
サチヨは何度もうなずいた。
「ありがとうねぇ。ほんのこて、ありがとう……」
その目から、一筋の涙がこぼれた。
「……店ば開けとって、よかった」
香澄は思わず目頭を押さえた。
菜々子も、黙ってその様子を見つめていた。
そして茉莉花は、息子の肩をそっと抱き寄せた。
「大翔……あんた、今日はほんとによかことしたねぇ」
大翔はきょとんとした。
「ママ、ぼく何かした?」
茉莉花は優しく笑った。
「……ううん。何でもなかよ」
「ぼく、お菓子買っただけだよ?」
「そうやね」
茉莉花は息子の頭を撫でた。
「それでよかとよ」
そこへ彩芽が、何とも間の抜けた声を上げた。
「あっ! 茉莉花さん!」
「何ね?」
「大翔くん、買ったお菓子、もう全部食べちゃった!」
「大翔ぉぉぉ!!」
再び怒声が響いた。
大翔は慌てて彩芽の後ろに隠れる。
「彩芽お姉ちゃんも食べたもん!」
「ええっ!? 私も共犯なの!?」
「彩芽ちゃんまで何しよっとね!!」
茉莉花の怒声に、サチヨが腹を抱えて笑い出した。
「あはははは! ほんに、あんたたちは面白かねぇ!」
さっきまで涙を流していたサチヨが、今は心から笑っている。
香澄は、その光景を見つめながら思った。
何か特別なことをしたわけではない。
ただ店で買い物をし、話を聞き、壊れた戸を直し、子供たちが無邪気に笑っただけ。
それだけで、一人の女性の心が少し明るくなった。
復興という大きな言葉の意味を、香澄はようやく少しだけ理解できた気がした。
店を後にする際、サチヨは真央の手を握った。
「あんたにも、本当に感謝しとるとよ」
「いやいや、おばあちゃん、もうよかって!」
「これで明日から、一人で店ば開けられるけんね」
真央は少し照れながら、にっこり笑った。
「そりゃよかったがね! これからも長う使ってちょうよ!」
サチヨは何度もうなずいた。
「ありがとう。ほんのこて、ありがとうねぇ」
真央も、いつになく静かな声で答えた。
「……うん。また何かあったら、無理せんと専門の人にも頼んでちょうよ」
サチヨは最後まで、一行に手を振り続けた。
店先には、彩芽と大翔が作った新しい案内板。
『またきてね』
少し曲がった文字が、夕方の柔らかな日差しに照らされていた。
田代商店を後にした香澄は、菜々子に静かに話しかけた。
「菜々子さん。今日、少し分かった気がします」
「何ね、香澄ちゃん」
「復興応援っちゅうのは、大きなイベントば開くことだけじゃなかとですね」
菜々子はうなずいた。
「そうやねぇ」
「お店に行って、お話ば聞いて、商品ば買うて、また来ますって約束する。それだけでも喜んでもらえることがあるとですね」
菜々子は田代商店のほうを振り返った。
「熊本城では、うちらが一生懸命考えて笑顔ば届けようとした。ばってん今日は、彩芽ちゃんと大翔くんが、何も考えずに笑いよるだけで、おばあちゃんまで笑顔になったばい」
香澄は微笑んだ。
「……本当に、そうですねぇ」
菜々子は続けた。
「それに真央ちゃんたい。あの戸を直したことは、おばあちゃんにとって大きな助けになったと思うばい」
「はい。私もそう思います」
「うちらは戦隊ヒロインやけん、つい派手なことば考えてしまうばってん……」
菜々子は少し笑った。
「地道なことでも、人の役に立てるんやね」
香澄は深くうなずいた。
熊本城で出会った高齢男性の言葉も、今は違った重みを持って胸に残っていた。
あの男性を笑顔にできたわけではない。
今日のサチヨの笑顔が、すべての被災者の苦しみを解決するわけでもない。
それでも、目の前の人の声を聞き、できることを一つずつ積み重ねていく。
それが、自分たちにできる復興応援なのだろう。
「……ファイト九州、ですね」
香澄が小さくつぶやいた。
菜々子は笑った。
「そうたい。ファイト九州!」
ひなたも元気よく叫んだ。
「ファイト九州ぅぅぅ!!」
そして、次の瞬間。
「支配人! 晩ご飯は何じゃっど!」
「……ひなたちゃん」
「何ね?」
「今日、いったい何回食べたとね?」
「数えとらんど!」
「数えとらんくらい食べたとね!?」
ひなたは胸を張った。
「食べて応援じゃっど!」
「もうよかぁぁぁ!!」
益城町の夕暮れに、菜々子の絶叫が響き渡った。
こうして一行は、予定していた町内での活動を終え、阿蘇くまもと空港近くのホテルへ向かうことになった。
ヒロ九ラッピングバスは、今日も無事に走っている。
もっとも、菜々子は相変わらず後部の排気管が気になるらしく、何度も窓から外を確認していた。
「……黒煙、出とらんね」
ひなたが笑う。
「支配人、心配性になったじゃっど!」
「誰のせいで心配せんといかんと思っとるとね!」
「金ダライのせいじゃっど!」
「それば積んだんはあんたたい!」
車内はまたしても爆笑に包まれた。
その一方、香澄はマイクを握り、穏やかな声で案内を続けていた。
「皆さま、本日は大変お疲れさまでございました。これより本日のお宿へ向かってまいります」
そして、少しだけ声を柔らかくした。
「今日は益城町の皆さまから、たくさんの温かいお言葉ばいただきました。私自身も、故郷の人々の優しさと強さを改めて感じることができました」
車内が静かになる。
「皆さま、本当にありがとうございました」
拍手が起こった。
やがて、夕暮れの阿蘇くまもと空港周辺に到着した一行は、予約していたホテルへと入った。
菜々子は疲れ切っていた。
熊本城公園でのイベント。
益城町での交流。
そして、何よりひなたの底なしの食欲と金ダライ騒動。
「はぁ……今日はほんのこて疲れたばい」
ようやくホテルのロビーに足を踏み入れた、その時だった。
「菜々子さん!」
明るい声が響いた。
菜々子が顔を上げる。
すると、ロビーのソファから二人の若い女性が立ち上がった。
一人は、福岡市出身のスタイリスト、浜崎莉央。
もう一人は、静岡県沼津市出身のイベントコンパニオン、土屋凜花だった。
二人とも、思わず二度見してしまうほどの美人である。
莉央は洗練された都会的なファッションに身を包み、明るく華やかな雰囲気を漂わせていた。
一方の凜花は、すらりとした長身に端正な顔立ち。上品で落ち着いた装いながら、モデルのような抜群のスタイルと洗練された立ち居振る舞いで、圧倒的な存在感を放っている。
二人が並んで座っていただけで、ホテルのロビーがまるで一流ファッション誌の撮影現場のように華やいでいた。
実際、チェックインを待つ宿泊客の中には、思わず二人を振り返る者もいた。
「……あらぁ!」
菜々子が声を上げた。
「莉央ちゃん! よう来てくれたね!」
莉央はすぐに駆け寄ってきた。
「菜々子さん! 皆さん、お疲れさまです!」
「ほんに、久しぶりたい!」
莉央は少し申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「本当にすみません。セレクトショップの仕事が忙しくて、最初から参加できんかったとです」
菜々子は笑って首を振った。
「何言いよっとね! 本業が優先たい。こうして来てくれただけで十分嬉しかばい!」
香澄も丁寧に頭を下げた。
「莉央さん、お忙しいなかありがとうございます。明日から、どうぞよろしくお願いいたします」
「こちらこそ! 少しでも皆さんのお役に立てたら嬉しかです!」
莉央は実に律儀だった。
自分の仕事が忙しいことを言い訳にすることもなく、最初から参加できなかったことを素直に詫びる。
その優しさと気配りは、ヒロ九のメンバーからも高く評価されていた。
一方、凜花は静かに一歩前へ出た。
そして、姿勢を正して丁寧に頭を下げた。
「皆さん、初めまして。静岡県沼津市から参りました、土屋凜花と申します」
美しい声だった。
「今回、九州支部の皆さんとは初めてお目にかかる方が多いので、少し緊張しております。不慣れなこともあるかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします」
そのあまりに丁寧で、しおらしい挨拶に、菜々子は少々面食らった。
「……あらまぁ」
ひなたも目を丸くする。
「なんちゅう上品なお姉さんじゃっど!」
凜花は少し照れくさそうに微笑んだ。
「ありがとうございます」
普段の凜花をよく知る者なら、思わず耳を疑ったかもしれない。
沼津を拠点とする凜花は、イベントコンパニオンとして極めて高いプロ意識を持つ人物である。
ファンへの応対は親切丁寧だが、仕事の質には一切妥協しない。
その厳格さから、周囲には「らぶりんか王国の女王」と呼ばれるほどの存在だった。
しかし、今日ばかりは違った。
何しろヒロ九には初対面のメンバーが多い。
まずは相手に敬意を示し、礼儀正しく挨拶する。
それが、凜花なりの流儀だった。
「古賀支配人、今回はお招きいただきまして、ありがとうございます。私にも何かお手伝いできることがございましたら、遠慮なくお申しつけください」
「いやぁ、こちらこそ助かるばい!」
菜々子は感心しきりだった。
すると、彩芽が目を輝かせて近づいてきた。
「わあ! すっごくきれいなお姉さん!」
凜花は優しく微笑んだ。
「ありがとう。あなたが高城彩芽さんね?」
「はい! よろしくお願いします!」
「こちらこそ。仲良くしてくださいね」
その時だった。
「きれいなお姉ちゃーん!」
大翔が飛び出してきた。
茉莉花が慌てて追いかける。
「大翔! いきなり飛びついたらいかんよ!」
しかし、大翔はすでに凜花の前に立っていた。
「ぼく、大翔!」
凜花はしゃがみ込み、目線を合わせた。
「初めまして、大翔くん。よろしくね」
大翔は満面の笑みを浮かべた。
「お姉ちゃん、すっごくきれい!」
凜花は思わず笑った。
「ふふっ。ありがとう」
すると大翔が、さらに無邪気な質問をした。
「お姉ちゃん、お姫様なの?」
「えっ?」
凜花がきょとんとする。
莉央が吹き出した。
「あはは! 凜花ちゃん、お姫様に間違えられとるよ!」
凜花は少し困ったように笑った。
「お姫様ではないけれど……そう言ってもらえると嬉しいわ」
大翔は隣の莉央を指さした。
「じゃあ、こっちのお姉ちゃんもお姫様?」
「そうねぇ、どうかしら?」
莉央がいたずらっぽく笑う。
すると大翔は、何とも真面目な顔で言った。
「お姫様が二人もいるホテルって、すごいね!」
一同、大爆笑。
菜々子は腹を抱えた。
「はははは! 大翔くん、あんたほんに面白かねぇ!」
ひなたも笑い転げる。
「お姫様二人じゃっど! 豪華じゃっど!」
ところが、その言葉を聞いた凜花が小さくつぶやいた。
「……お姫様、ですか」
一瞬だけ、口元に意味ありげな微笑みが浮かんだ。
莉央はそれを見逃さなかった。
「……凜花ちゃん?」
「何かしら?」
「今、ちょっと女王様の顔になっとらんかった?」
「……気のせいですわ」
凜花は涼しい顔で答えた。
菜々子はそのやり取りを聞きながら、首をかしげていた。
「……何ね? 女王様?」
莉央は慌てて手を振った。
「いえいえ! 何でもなかです!」
凜花も丁寧に一礼した。
「皆さん、これからどうぞよろしくお願いいたします」
あまりにも上品で、しおらしい挨拶だった。
菜々子はすっかり感心してしまった。
「いやぁ、莉央ちゃんも凜花ちゃんも、ほんに素敵なお嬢さんたいやねぇ!」
その隣で、ひなたがこっそり莉央に尋ねた。
「莉央ちゃん。凜花ちゃんって、いつもあぎゃんしおらしかとね?」
莉央は少し考えた。
そして、小さく笑った。
「……最初は、ですね」
「最初は?」
「ふふっ。まあ、そのうち分かると思いますよ」
「何ね、それ!?」
ひなたが不思議そうに首をかしげる。
凜花は何事もなかったように、優雅に微笑んでいた。
その後、一行はチェックインを済ませ、それぞれの部屋へ向かうことになった。
香澄はロビーの窓から、暮れなずむ空を眺めた。
熊本城での厳しい言葉。
益城町での温かな出会い。
彩芽と大翔の無邪気な笑顔。
そして、真央の修理を心から喜んでくれたサチヨ。
今日一日だけでも、たくさんのことを学んだ。
「……菜々子さん」
香澄が静かに声をかけた。
「何ね?」
「私、今日もこの企画ばやってよかったと思いました」
菜々子は微笑んだ。
「そうやね」
「田代商店のおばあちゃん、最後に笑ってくださいましたね」
「うん。あれは嬉しかったばい」
香澄は、少しだけ目を潤ませた。
「大きなことはできんかもしれません。ばってん、こうして一人でも喜んでくださる方がおられるなら、これからも続けていきたかです」
菜々子は、その肩を軽く叩いた。
「もちろんたい。まだまだ旅は続くけんね」
「……はい!」
香澄はいつもの柔らかな笑顔を浮かべた。
その時、ホテルのロビーに聞き慣れた声が響いた。
「支配人!」
ひなただった。
「何ね?」
「晩ご飯、何時からじゃっど!」
菜々子は思わず頭を抱えた。
「ひなたちゃん! あんた、さっきまであぎゃん買い物しよったやろ!」
「そいはお土産じゃっど!」
「いきなり団子も食べとったやろ!」
「そいはおやつじゃっど!」
「夕食は別腹ね!?」
「もちろんじゃっど!」
菜々子の絶叫が、ホテルのロビーに響き渡った。
莉央は笑い、彩芽は腹を抱え、真央は「相変わらずだがね!」と呆れ、迫田ツインズは同時に吹き出した。
そして凜花も、思わず口元を押さえて笑った。
「……ふふっ。九州支部の皆さんって、本当に賑やかなんですね」
莉央が耳元で囁いた。
「凜花ちゃん、まだまだこんなもんじゃなかとよ」
「……そうなの?」
「うん。覚悟しとったほうがよかよ」
凜花は少し目を丸くした。
しかし、すぐに美しい微笑みを浮かべた。
「……楽しみにしております」
その表情には、まだ誰も気づいていなかった。
このしおらしい美女が、いざ仕事となれば一切の妥協を許さない、沼津の絶対女王として本領を発揮することを。
そして、そんな凜花がヒロ九の自由奔放な面々と一緒に活動することで、またしても新たな騒動が巻き起こることを。
その夜、香澄はホテルの部屋で、今日の活動記録を整理していた。
田代商店で撮影した写真を開く。
そこには、サチヨを囲んで笑う彩芽と大翔、修理したガラス戸の前で少し照れくさそうに笑う真央の姿が写っていた。
そして、最後の一枚。
古びた店先に掲げられた、手作りの案内板。
『またきてね』
香澄はその写真をしばらく見つめた。
そして、静かに微笑んだ。
「……また行きたかですねぇ」
窓の向こうには、熊本の夜景が広がっている。
今日もどこかで、復旧作業に汗を流す人がいる。
明日の暮らしに不安を抱えながら、それでも懸命に生きている人がいる。
自分たちにできることは、ほんのわずかかもしれない。
それでも、今日の田代商店で生まれた笑顔は、本物だった。
香澄はスマートフォンの画面を閉じ、小さくつぶやいた。
「……ファイト九州」
それは、誰かに無理をして頑張れと命じる言葉ではない。
つらい時には支え合い、笑える時には一緒に笑い、また明日へ向かって歩いていこうという、九州の仲間たちへの応援歌だった。
翌朝、ラッピングバスは阿蘇の山々へ向かう予定になっている。
観光バスガイドとして何度も訪れた、香澄にとって親しみ深い土地。
しかし、今度の旅では、これまでとは違う景色が見えるかもしれない。
香澄は机の上に広げた翌日の行程表に目を向けた。
そして、余白に小さく書き込んだ。
「笑顔を届ける前に、まず、その人の声を聞く。」
ファイト九州!
売り物は少なくても、人情は山盛り。
笑顔はお金で買えない。けれど、小さな買い物から生まれることもある。
熊本の人々の温かさに触れたヒロ九の一行は、こうしてまた一つ、大切な宝物を手に入れた。
――もっとも、ひなたの買い物袋だけは、本当の意味で山盛りだったのだが。




