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ヒロインズ・リンク 〜戦隊ヒロインプロジェクト〜  作者: スパイク


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ヒロ九クエスト第86話  ファイト九州! 黒煙モクモク、笑顔に急ブレーキ!――金ダライより重かった熊本のひと言  ヒロ九ラッピングバス、熊本城へ出発! 笑いと涙の復興応援珍道中

「ファイト九州ぅぅぅぅ!!」

朝っぱらから、熊本の山間に威勢のいい声が響き渡った。

声の主は、戦隊ヒロインプロジェクト推進室九州支部、通称「ヒロ九」の副支配人、有村ひなた。

鹿児島県鹿屋市出身、25歳。元実業団駅伝選手という立派な経歴を持ちながら、どういうわけか現在は、食欲と酒量ばかりが注目される人物である。

「ひなたちゃん! 朝の七時から大声ば出さんでよか!」

すかさず怒鳴ったのは、佐賀市出身の古賀菜々子支配人だった。

熊本市郊外の山間部。かつて熊本産業交通の営業所だった古い建物は、今やヒロ九の立派な活動拠点となっている。

もっとも、立派になったのは建物だけで、予算のほうは相変わらず貧弱だった。

先日の大地震では、器用な愛知県人・山田真央が以前に大規模修繕を施していたおかげで、建物はほぼ無傷という幸運に恵まれた。

ただし、事務室に置かれていた、熊本県を代表する黒い身体と赤いほっぺの人気キャラクター「くま●ン」の巨大なぬいぐるみだけは災難だった。

地震の揺れで棚から金ダライが落下し、その頭に見事に直撃したのである。

しかも、その一部始終が監視カメラに記録されていた。

金ダライが棚の端へじりじりと動く絶妙な間。

次の瞬間に響く、カッコォォォンという豪快な金属音。

そして、ぬいぐるみが深々とお辞儀をするように前のめりになり、何事もなかったように起き上がる奇跡の映像。

昭和のお茶の間を爆笑の渦に巻き込み、国民的な人気を博した伝説のコント芸を思わせる、あまりにも見事な一撃だった。

菜々子たちはこの映像を繰り返し再生して笑い転げたが、今日は笑ってばかりもいられない。

いよいよ、熊本復興応援企画「ヒロ九クエスト熊本編」の出発日なのである。

企画の発案者は、西里香澄、23歳。

熊本市出身。熊本産業交通の現役観光バスガイドであり、戦隊ヒロインとしても活動する人気者だった。

普段は千葉県船橋市に暮らしながら、故郷の熊本との間を頻繁に往復している。

清楚な容姿、落ち着いた物腰、そして柔らかな熊本弁を交えた上品なMC。その聞き取りやすい案内は老若男女を問わず好評で、全国のヒロインの中でも司会進行の腕前は屈指である。

そんな香澄にとって、今回の大地震は耐え難い出来事だった。

2016年の熊本地震から、ようやく立ち直ろうとしていた故郷。

熊本城の復旧が進み、阿蘇には観光客が戻り、傷ついた商店街にも少しずつ活気が戻っていた。

ところが、再び大地震が熊本を襲った。

さらに県内の大型ショッピングセンターで発生した爆発事故も、多くの人々の心に深い傷を残していた。

幸いにも香澄の家族や親戚、友人たちに大きな人的被害はなかったが、それで安心できるはずもない。

ニュース映像に映る壊れた建物、疲れ切った被災者、再建の見通しが立たない商店主たち。

香澄は故郷のために何かしたいと、菜々子とひなたに相談した。

そして、復興活動の妨げにならない範囲で、ヒロ九のラッピングバスを使って熊本各地を巡り、県民に元気を届けようという企画が生まれたのである。

「皆さま、おはようございます。本日はヒロ九復興応援ラッピングバスの旅にご参加いただきまして、誠にありがとうございます」

香澄がマイクを握ると、騒がしかった営業所前が少し静かになった。

やはり現役観光バスガイドは違う。

「本日は熊本城方面へ向かいまして、復興応援イベントを開催いたします。短い時間ではございますばってん、熊本の皆さまに少しでも元気になっていただけるよう、力を合わせて頑張りましょう。どうぞよろしくお願いいたしますけん」

一同から拍手が起こった。

今日の参加者は実に多彩だった。

佐世保出身の声のスペシャリスト・川原つばさ、大分県佐賀関出身の安全管理の専門家・首藤凪、都城市出身の空前絶後の美人双子・迫田澄香と澪香。

さらに、小倉の肝っ玉母ちゃん・黒崎茉莉花と息子の大翔、那覇出身の正統派ヒロイン・金城伊織、札幌出身の元気娘・高城彩芽、万能修理屋の山田真央、岐阜県大垣市出身のトラックドライバー・伊吹真白。

博多のスタイリスト・浜崎莉央は途中合流の予定で、阿蘇の動物園「もふもふ王国」の坂口透花、大分県宇佐市の看護学生・宇佐美千鶴、長崎市出身の戦隊ヒロイン内定者・片淵栞奈も、日程に合わせてスポット参加することになっていた。

これだけ人材が揃えば、怖いものなどない。

少なくとも、出発前の菜々子はそう信じていた。

「支配人! いきなり団子ば買うてきたど!」

ひなたが大きな紙袋を掲げた。

「……何個買うてきたと?」

「三十個じゃっど!」

「そんなに誰が食べるとね!?」

「みんなで食べればよか!」

「その袋、一人で抱えて離さんあんたが言うても説得力なか!」

一方、首藤凪は乗車名簿を確認しながら、車内の安全点検を進めていた。

「シートベルト、非常口、消火器、救急用品、緊急連絡先……確認しました。荷物は通路を塞がないように収納してください」

「はい!」

全員が元気よく返事する。

ただし、ひなただけはなぜか目をそらしていた。

「有村副支配人」

「は、はい!」

「そちらの大きな紙袋は?」

「いきなり団子じゃっど!」

「食べ物であっても、走行中に通路へ置くことはできません」

「分かったど!」

「それから、酒類は持ち込んでいませんね?」

「も、持っとらんど!」

「……なぜ今、動揺されたのですか?」

「動揺なんかしとらんど!」

菜々子が横から割って入った。

「ひなたちゃん! あんた、本当に何も持っとらんやろうね!?」

「持っとらん! 焼酎は帰りに買う予定じゃっど!」

「最初から帰りの酒の心配ばしよっとか!」

またしても笑い声が響いた。

その横では、茉莉花の息子・大翔が彩芽の手を引いていた。

「彩芽お姉ちゃん! バスの隣、座っていい?」

「もちろん! でも、ちゃんとシートベルトをするんだよ!」

「うん!」

茉莉花が腰に手を当てた。

「大翔! 彩芽ちゃんの言うこと、ちゃんと聞くとよ!」

「はーい!」

迫田ツインズは朝から寸分違わぬ姿勢で並んでいた。

「澄香ちゃん、荷物は積んだとね?」

菜々子が尋ねる。

「はい、支配人」

「澪香ちゃんも?」

「はい、支配人」

「……ところで、今返事したんはどっちね?」

二人は顔を見合わせ、同時に微笑んだ。

「澄香です」

「澪香です」

「いや、最初に返事したほうを聞いとるとよ!」

「私です」

「私です」

「もうよか!」

出発前から支配人の血圧は上がる一方だった。

やがて、一行はヒロ九ラッピングバスに乗り込んだ。

車体いっぱいに描かれた戦隊ヒロインたちの笑顔。

大きく躍る「ファイト九州!」の文字。

これまで九州各地のイベントを支えてきた、ヒロ九自慢の相棒である。

もっとも、車齢はそれなりに重ねており、最新型の観光バスとは言い難い。

それでも、熊本産業交通の協力で整備を受けたばかりだという。

運転席には、同社の経験豊富なベテランドライバーが座っていた。

「西里さん、準備はよかな?」

「はい。皆さま、ご乗車いただきました」

「じゃあ、出発しましょうかね」

運転手がエンジンを始動した。

ブロロロロロロ……。

古いディーゼルエンジンが、いかにも働き者らしい野太い音を響かせる。

「それでは皆さま、お待たせいたしました。ヒロ九復興応援バス、出発いたします!」

「ファイト九州ぅぅぅ!!」

ひなたが叫んだ。

その瞬間だった。

ボフッ!

モワモワモワモワァァァ……!

車両後部から、真っ黒な煙が盛大に噴き出した。

「…………」

駐車場に立っていた菜々子が固まった。

「……何ね、あれ?」

ひなたが目を丸くする。

「すごか煙じゃっど!」

「見れば分かるばい!」

黒煙は朝の空気の中をゆっくりと流れていく。

「ファイト九州!」という勇ましい文字を車体に掲げながら、まるで自分自身が火事場から逃げ出してきたような有様だった。

「……ひなたちゃん」

「何ね?」

「これは復興応援のバスたい」

「そうじゃっど!」

「自分が救援ば呼ぶような状態になってどうするとね!!」

その時、運転手が香澄に告げた。

「西里さん、ちょっと待ってはいよ。何かおかしかです」

「えっ?」

「車両の後ろから、カンカンいう音も聞こえるとですよ」

「カンカン、ですか?」

香澄は不安そうに耳を澄ませた。

確かに、エンジン音に交じって、かすかな金属音が聞こえる。

「私も何年も観光バスに乗務しとりますばってん、こぎゃん音は初めてです……」

香澄の表情が曇った。

熊本産業交通からは整備済みとの報告を受けていた。勤務先の整備技術も信頼している。

それだけに、今回の異変は予想外だった。

すぐさま首藤凪が立ち上がった。

「運行を中止してください。原因が分かるまでは出発できません」

「……はい」

菜々子も即座に決断した。

「全員、一度降りるばい! 安全第一たい!」

乗客が車両から離れた安全な場所へ移動すると、現役トラックドライバーの伊吹真白が運転手に声をかけた。

「後ろのほうから音がしていたんですね。荷物室も確認したほうがよさそうです」

そこへ真央が飛んできた。

「車のことなら、うちもちょっと見たるがね!」

「真央ちゃん、頼むばい!」

「任せときゃあ!」

運転手の立ち会いのもと、二人は荷物室を点検した。

真白が耳を澄ませる。

「エンジンからの異音とは少し違うような……」

真央が荷物室の扉を開けた。

そして、二人は同時に固まった。

そこには、巨大なくまモ●のぬいぐるみが寝かされていた。

その隣に、見覚えのある銀色の物体。

金ダライである。

「…………」

真央がゆっくりと金ダライを持ち上げた。

「……誰だて、こんなもん積んだのは?」

真白は荷物室内を確認し、小さくため息をついた。

どうやら金ダライの固定が甘く、車体の振動によって周囲の金属部品に当たっていたらしい。

カン、カンという音の正体は、エンジンではなく金ダライだったのである。

「……ひなたちゃん」

菜々子の声が低くなった。

「はい!」

「これ、何ね?」

「金ダライじゃっど!」

「そぎゃんこつ聞いとらん! 何で積んだとね!」

「イベントで使えると思うたど!」

「何に使うとね!?」

「くま●ンの頭に落とすとよ!」

「まだそれば言いよっとかぁぁぁ!!」

一同、大爆笑。

大翔まで手を叩いて喜んでいた。

「やって! 金ダライ、もう一回やって!」

茉莉花が慌てて息子を抱き寄せる。

「大翔! あれは遊び道具じゃなかとよ!」

真央は金ダライを見つめ、呆れ果てた。

「せっかく営業所ば直したのに、金ダライまで連れてくるとは思わんかったがね!」

真白も苦笑する。

「いくら何でも、荷物としては扱いに困りますね……」

しかし、話はこれで終わらなかった。

金ダライが異音の原因だったとしても、黒煙の原因まで説明できたわけではない。

凪はきっぱりと言った。

「黒煙は別の問題です。安全が確認できるまでは、運行を認められません」

「……ごもっともたい」

菜々子も素直にうなずいた。

熊本産業交通へ連絡すると、事情を聞いた整備担当者が駆けつけてきた。

香澄の直属の上司からも電話が入った。

「香澄! バスが黒煙ば吐いたて聞いたぞ! どぎゃんしとっとか!」

「申し訳ありません。今、整備の方に確認していただいとります」

「無理して走らすなよ! 熊本ば元気にするつもりが、途中で立ち往生したら洒落にならんけん!」

「はい。もちろんです」

「整備には協力する! 必要なら車両も相談せえ!」

「ありがとうございます!」

「ばってん、余計な金は出らんぞ!」

「……はい。存じております」

菜々子が横で小さくつぶやいた。

「……相変わらず財布の口だけは堅か会社たい」

整備担当者による排気系統とエンジンの確認が行われた。

点検の結果、始動直後に一時的な黒煙が発生したものの、その後は再現せず、各部の状態にも走行を妨げる異常は確認されなかった。

運転手も運行前の確認を改めて行い、凪が整備結果と緊急時の対応を確認する。

ようやく、安全に出発できると判断された。

「よかったばい……」

菜々子が大きく息を吐いた。

「こんなところで旅が終わったら、経理のけちのんに何て説明すればよかとね……」

ひなたが得意げに言った。

「支配人! バスが壊れんで済んだから経費削減じゃっど!」

「そもそも壊れんのが普通たい!」

真央は金ダライを固定し直しながら首を振った。

「次からこんな変なもん、黙って積んだらいかんでね!」

「はーい!」

ひなたの返事だけは実に元気だった。

そして、予定より遅れることしばし。

今度こそヒロ九ラッピングバスは、熊本市街地へ向けて出発した。

「皆さま、大変お待たせいたしました。先ほどは安全確認のため、出発が遅れまして申し訳ございませんでした」

香澄の落ち着いた声が車内に流れた。

「これより熊本市中心部へ向かってまいります。どうぞ、車窓の風景をお楽しみくださいませ」

先ほどの大騒ぎが嘘のような、流麗な車内案内である。

やがて山間部の景色が後方に遠ざかり、熊本市街地が近づいてきた。

香澄は車窓に合わせて、故郷の歴史や文化を丁寧に語り始めた。

豊かな地下水、肥後細川家の歴史、熊本城を築いた加藤清正、阿蘇の大自然。

「そして皆さま、前方に見えてまいりますのが、熊本の誇り、熊本城でございます」

窓際に座っていた大翔が歓声を上げた。

「わあ! お城だ!」

「そうですね、大翔くん。立派なお城でしょう?」

「うん! 大きい!」

香澄は優しく微笑んだ。

「熊本城は、2016年の熊本地震で大きな被害ば受けました。天守閣は復旧いたしましたばってん、石垣や櫓など、お城全体の復旧は今も続いております」

車内が静かになった。

「全面復旧の目標は2050年。まだ長い年月が必要でございますが、たくさんの方々が歴史ある熊本城を未来へ残すため、一生懸命に作業を続けておられます」

香澄は窓の外に目を向けた。

「大きな地震で傷ついた熊本城が、少しずつ元の姿を取り戻していく。その様子を見るたびに、私も勇気ばもらっとります」

言葉の端に、故郷への深い愛情がにじんでいた。

「熊本城は、私たち熊本県民の誇りですたい」

車内から、静かな拍手が起こった。

菜々子は窓の外を眺めながら、ひなたに小声で話しかけた。

「……香澄ちゃん、本当に熊本が好きなんやね」

「そうじゃっど。今日の主役は香澄ちゃんじゃっど」

いつも騒がしいひなたも、その時ばかりは真面目だった。

やがてバスは熊本城周辺の指定された駐車場所へ到着した。

今日の復興応援イベントは、ここからが本番である。

熊本城公園の一角には、すでに小さなステージが用意されていた。

ステージといっても、立派な屋根もなければ、巨大な音響装置もない。折り畳み式の簡易舞台に小型スピーカー、そして「ファイト九州! 熊本復興応援イベント」と書かれた手作りの横断幕があるだけだった。

何しろ、企画が決まってから日が浅い。

しかも、復旧作業や観光客の通行を妨げないという大前提がある。使用する場所も時間も、関係者との調整によって必要最小限に抑えていた。

予算も乏しい。

もっとも、最後の問題に関しては地震の有無にかかわらず、ヒロ九の宿命であった。

「支配人! この横断幕、もっと大きいほうがよかじゃっど!」

ひなたが声を上げる。

「ひなたちゃん! 予算ば考えんね!」

「でも、小さかと見えんど!」

「なら、あんたが大きな声で読んでやらんね!」

「ファイト九州ぅぅぅ!!」

「今ここで叫ばんでよか!」

菜々子が怒鳴ると、近くで設営を手伝っていた真央が笑い出した。

「支配人、看板ならうちがちょっと直したるがね!」

真央は持参した工具を取り出し、横断幕の取り付け位置を調整する。

真白も手際よく機材を運び、凪は観客の動線や非常時の退避場所を確認していた。

「ステージ脇の通路は塞がないでください。車椅子やベビーカーの方も通れるようにしておきましょう」

「了解!」

伊織が力強く返事をする。

「それから、子供たちがステージ前に集まることを想定して、柵の位置も確認しておきたいです」

「さすが凪ちゃん! 安全管理は任せたばい!」

菜々子は頼もしそうにうなずいた。

一方、香澄とつばさは、ステージの片隅で進行表を確認していた。

「香澄さん、開会のご挨拶は私から始めましょうか?」

「そうですね。私が熊本のことば少しご紹介して、それからつばささんに引き継ぎますけん」

「承知しました。では、出演者の紹介は私が担当します」

「ありがとうございます。つばささんがおってくださると、ほんのこて心強かです」

二人は顔を見合わせ、上品に微笑んだ。

その様子を見ていた菜々子が、ひなたの肩を叩いた。

「見てみらんね。香澄ちゃんとつばさちゃん、さすが声のプロたい。打ち合わせまで品があるばい」

「うちらも品よくできるど!」

「本当ね?」

ひなたは背筋を伸ばし、両手を身体の前で重ねた。

そして、いかにも上品そうな微笑みを浮かべた。

「皆さま、本日はまことにご乗車……いや、ご来場いただきまして、ありがとじゃっど!」

「最後で全部台無したい!」

菜々子は頭を抱えた。

やがて開演時間が近づいてきた。

最初に集まったのは、散歩の途中らしい高齢者や、観光客と思われる数組の家族連れだった。

戦隊ヒロインたちの姿を見つけた子供たちが、興味津々で近づいてくる。

「ねえ、お母さん! あのお姉ちゃんたち、テレビに出てる人?」

「そうみたいね。何かイベントをするんだって」

大翔も客席側で彩芽の手を引っ張っていた。

「彩芽お姉ちゃん! 早く出て!」

「もうちょっと待ってね! お姉ちゃん、準備があるから!」

「ぼくも出たい!」

「大翔! あんたは今日はお客さんたい!」

茉莉花が息子を捕まえる。

そんな微笑ましい光景が、熊本城を背景に広がっていた。

しかし、香澄の胸には少しばかり緊張があった。

全国各地のイベントで司会を務めてきた彼女である。数百人、時にはそれ以上の観客を前にしても、物怖じすることはない。

それでも今日は違った。

生まれ育った故郷が、再び大地震に襲われた。

その熊本で、人々を励ますためのイベントを開く。

自分たちのやろうとしていることは、本当に喜んでもらえるのだろうか。

そんな不安が、心の片隅にあった。

「香澄さん」

つばさが静かに声をかけた。

「はい?」

「いつもどおりで大丈夫ですよ。香澄さんの言葉で、熊本の皆さんにお話ししてください」

香澄はつばさを見つめた。

「……ありがとうございます」

そして、深く息を吸った。

マイクのスイッチが入る。

「皆さま、大変お待たせいたしました」

透き通るような、よく通る声が広場に響いた。

「本日は、戦隊ヒロインプロジェクト推進室九州支部、ヒロ九によります復興応援イベントにお越しいただきまして、誠にありがとうございます」

香澄が丁寧に一礼する。

「司会を務めさせていただきます、熊本市出身の西里香澄でございます」

続いて、つばさがマイクを握った。

「皆さま、こんにちは。長崎県佐世保市出身の川原つばさでございます。本日は香澄さんとご一緒に、熊本の皆さまへ楽しいひとときをお届けしたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします」

二人が並んで頭を下げると、客席から温かい拍手が起こった。

香澄の柔らかな熊本弁。

つばさの明瞭で美しい発声。

その組み合わせは実に心地よかった。

小さな会場ではある。

しかし、進行の質は全国規模のイベントと比べても遜色なかった。

菜々子は舞台袖で感心していた。

「……いやぁ、ほんのこて上手かねぇ」

隣のひなたもうなずく。

「声だけで金取れるんじゃなかけ?」

「今日は無料イベントたい!」

「じゃあ、もったいなかど!」

「そういう問題じゃなか!」

幕開けを飾ったのは、金城伊織による琉球空手の演武だった。

「清く、正しく、美しく」を信条とする伊織は、背筋を伸ばして静かに礼をする。

次の瞬間、鋭い気合とともに繰り出された突きと蹴りが、観客の視線を釘付けにした。

「エイッ!」

空気を切り裂くような鋭い一撃。

姿勢は美しく、動作は無駄がない。

子供たちが歓声を上げた。

「すごーい!」

「かっこいい!」

伊織は最後に丁寧な礼をし、会場から大きな拍手を受けた。

香澄が紹介する。

「皆さま、いかがでしたでしょうか。沖縄県那覇市出身、琉球空手の達人、金城伊織さんでございました」

つばさも微笑んだ。

「華麗な動きの中に、凛とした強さがございましたね。伊織さん、ありがとうございました」

続いて登場したのは、高城彩芽と黒崎茉莉花だった。

彩芽は札幌出身の18歳。明るさとガッツでは誰にも負けない若手ヒロインである。

茉莉花は小倉出身の姉御肌。元中洲の人気キャバ嬢という異色の経歴を持つが、今は一児の母として、子供たちへの接し方も実に慣れていた。

二人が中心となって、子供向けの簡単な体操と交流企画を始めた。

「みんなー! 元気に手を振ってー!」

彩芽の呼びかけに、子供たちが一斉に手を振る。

「元気のよかねぇ! ほら、大翔も一緒にやってみらんね!」

茉莉花が息子を呼ぶ。

大翔は張り切って両手を上げた。

ところが、勢い余って母親の足を踏んづけた。

「痛っ! 大翔ぉぉ!」

「ごめんなさーい!」

「もう、あんたは元気が余っとるっちゃ!」

会場が笑いに包まれた。

続いて登場したのは、宮崎県都城市が生んだ空前絶後の美人双子、迫田澄香と迫田澪香である。

二人が並んだ瞬間、客席から驚きの声が上がった。

「うわぁ、そっくり!」

「ほんとに同じ顔!」

長身で細身、すらりと伸びた手足、整った顔立ち。

まるで一枚の写真を左右に並べたような美しい姉妹だった。

香澄が紹介する。

「こちらは宮崎県都城市出身、迫田澄香さんと澪香さんの双子姉妹でございます」

つばさが続ける。

「それでは皆さま、ここで簡単なクイズでございます。お二人のうち、どちらがお姉さんの澄香さんでしょうか?」

客席がざわめいた。

二人は微笑んだまま、まったく同じポーズを取る。

子供たちが一斉に指をさした。

「右!」

「左!」

「分かんなーい!」

そして、二人は一度背中合わせになり、くるりと向きを変えた。

たったそれだけの動作なのに、どちらがどちらか完全に分からなくなった。

つばさが香澄に尋ねる。

「香澄さん、いかがでしょう?」

「そうですねぇ……向かって右側が澄香さんではないでしょうか」

「澪香です」

「……あら?」

今度は左側を指さす。

「では、こちらが澄香さんですね?」

「澪香です」

「……えっ?」

客席から大爆笑が起こった。

二人がまたしても立ち位置を入れ替えていたのである。

香澄はさすがに困った顔をした。

「皆さま、申し訳ございません。どうやら私も、すっかり騙されてしまいました」

つばさが優雅にフォローする。

「お二人とも、あまりにも美しく、そしてよく似ていらっしゃいますので、司会者泣かせでございますね」

舞台袖では菜々子が大声で怒鳴っていた。

「澄香ちゃん! 澪香ちゃん! 香澄ちゃんば困らせんでよか!」

ところが二人は、悪びれた様子もなく同時に微笑む。

「すみませーん!」

声まで完全に揃っていた。

ひなたが腹を抱えて笑う。

「ぎゃははは! どっちがどっちか分からんど!」

「ひなたちゃん、あんたも最初から分かっとらんやろ!」

やがて、首藤凪による防災用品の紹介が始まった。

工場の保安業務に従事してきた凪の説明は、実用的で分かりやすかった。

非常持ち出し袋に入れておきたいもの、家族で決めておく避難先、連絡方法の確認。

難しい専門用語は使わず、子供にも理解できるよう丁寧に説明する。

「大切なのは、災害が起きてから考えるのではなく、普段から備えておくことです。無理のない範囲で、ご家族と話し合ってみてください」

観客の高齢女性が、何度もうなずいていた。

山田真央と伊吹真白も、仕事で培った技術を紹介した。

真央は簡単な工作を披露し、壊れた日用品を長く使うための工夫を説明した。

真白は大型トラックによる物流の仕事を紹介し、災害時に物資を運ぶ人々の役割について語った。

「荷物を必要な場所へ安全に届けることも、復旧や復興を支える大切な仕事です」

真白の落ち着いた説明に、子供たちも熱心に耳を傾けた。

一方、ひなたは元実業団駅伝選手として、無理なく身体を動かすための簡単な体操を担当した。

「みんな、元気に身体ば動かすっど!」

ところが、ひなたが張り切って準備運動を始めると、動きがどんどん速くなっていく。

「いち、に、さん、し! もっと元気よく!」

子供たちは大喜びだったが、年配の参加者は苦笑い。

菜々子が慌てて止めに入った。

「ひなたちゃん! あんた元実業団選手の基準でやったらいかんばい!」

「あっ、そうじゃった!」

「お年寄りまで駅伝選手にする気ね!?」

笑い声が広場に響いた。

急ごしらえの小さなステージ。

大がかりな設備も、豪華な演出もない。

しかし、そこに立つヒロインたちは、それぞれの分野で確かな技術と経験を持っていた。

そして、何よりも一生懸命だった。

客席には少しずつ人が集まり、いつしか広場には温かな雰囲気が生まれていた。

最後に香澄とつばさが再びステージ中央に立った。

「皆さま、本日は最後までご覧いただきまして、誠にありがとうございました」

香澄は熊本城の方向へ目を向けた。

「熊本は、今も大変な状況が続いております。復旧作業や生活の立て直しに、日々ご苦労されている方々もたくさんおられます」

客席が静かになる。

「私たちにできることは、決して大きなことではございません。ばってん、少しでも皆さまのお力になれれば、これほど嬉しかことはなかとです」

つばさが言葉を引き継いだ。

「私たちは、これからも熊本の皆さまを応援してまいります。どうか、お身体を大切になさってください」

そして、菜々子がステージに上がった。

「それでは最後に、皆さんで声ば合わせるばい!」

ひなたが両手を突き上げる。

「ファイト九州ぅぅぅ!!」

ヒロインたちが声を揃えた。

「熊本、がまだすばい!!」

大きな拍手が起こった。

子供たちは笑顔で手を振り、若い家族連れも楽しそうに拍手している。

高齢者の中にも、久しぶりに心から楽しめたという人がいた。

「いやぁ、若か人たちは元気のよかねぇ」

「わたしゃ久しぶりに笑わせてもろうたばい」

「ありがとなぁ。また来てはいよ」

年配の女性が香澄の手を握った。

「お嬢さん、あんた熊本の人ね?」

「はい。熊本市で生まれ育ちました」

「そぎゃんねぇ。熊本ん娘が、こぎゃん立派になって帰ってきてくれて、嬉しかばい」

香澄は胸が熱くなった。

「ありがとうございます。熊本は、私の大好きな故郷ですけん」

「そうね。これからも熊本ばよろしく頼むよ」

「はい。もちろんです」

別の男性も菜々子に声をかけた。

「わしゃ、あんまりこういう催しは見らんばってん、今日は元気ばもろうた。ありがとうな」

菜々子は満面の笑みで頭を下げた。

「ありがとうございます! また機会がありましたら、ぜひ遊びに来てください!」

どうやらイベントは成功したようだった。

子供たちの笑顔。

若い家族連れの楽しそうな会話。

高齢者からの温かい感謝の言葉。

短い時間ではあったが、確かに熊本の人々に楽しいひとときを届けることができた。

香澄もようやく安堵した。

「……よかった。皆さん、喜んでくださったとですね」

しかし、その安堵は長く続かなかった。

イベント終了後、香澄たちが観客と交流していた時だった。

「おい。あんたたち」

低く、よく通る声が聞こえた。

振り向くと、一人の高齢男性が立っていた。

七十代半ばほどだろうか。

日に焼けた顔、深く刻まれたしわ、くたびれた作業着。手には古い帽子を握っている。

男性の表情は険しかった。

香澄は丁寧に頭を下げた。

「はい。何でございましょうか?」

男性はしばらく香澄を見つめていた。

そして、吐き出すように言った。

「……こぎゃん時に、なぁんば浮かれとっとか」

香澄の表情が変わった。

「……はい?」

「熊本じゃ、まだ家ん片づけも終わっとらん者がおっとぞ。店ば閉めたまんま、明日からどぎゃんして暮らしていくかも分からん者がおるとたい」

男性の声が強くなった。

「そぎゃん時に、こぎゃんとこで歌うたり踊ったりして、何が復興応援な!」

周囲の空気が一変した。

男性は続けた。

「わしゃな、家も店も傷んでしもうた。毎日毎日、朝から晩まで片づけばしよっとたい。知り合いにゃ、まだ避難生活ば送っとる者もおる!」

香澄は黙って聞いていた。

「そん人たちがどぎゃん気持ちで暮らしよるか、あんたたちには分かっとか!」

男性は古びた帽子を握りしめた。

「今はこぎゃんこつばしよる場合じゃなかろうが! 笑え笑えちゅうて、簡単に笑えるもんじゃなかとぞ!」

ひなたが何か言い返そうと口を開いた。

「でも、うちらは……」

その腕を、菜々子がそっと押さえた。

「ひなたちゃん。待たんね」

ひなたは唇を噛み、黙った。

香澄は男性の前へ一歩進み出た。

そして、深々と頭を下げた。

「……ご意見はごもっともです」

男性は少し意外そうな顔をした。

香澄は顔を上げ、静かに続けた。

「私は熊本市で生まれ育ちました。今回の地震で、大好きな故郷が再び大きな被害ば受けたことが、本当に悲しかったとです」

声は落ち着いていた。

しかし、その表情は真剣そのものだった。

「2016年の地震から、ようやくここまで復興してきたとに、またこぎゃんことになって……。熊本の皆さんがどれほどつらか思いばされとるか、考えるたびに胸が痛みました」

男性は黙って聞いていた。

「それで、私にも何かできることはなかろうかと思いまして、仲間たちに相談して、このイベントを始めました」

香澄は一度言葉を切った。

「ばってん、私たちが楽しい時間ばお届けしたいと思っても、皆さま全員が同じ気持ちでおられるわけではなかですよね」

ゆっくりと、言葉を選ぶ。

「今は楽しい催しを見る気持ちになれん方もおらす。生活のことで精いっぱいの方もおらす。私たちの活動が、そういう方々には軽々しく見えてしまうこともあると思います」

男性は何も言わなかった。

「私たちが、皆さまの苦しみば全部理解できるとは思っとりません。今日いただいたご意見は、きちんと受け止めさせていただきます」

香澄は再び頭を下げた。

菜々子も隣へ進み出た。

「今回の企画の責任者、古賀菜々子と申します」

そして、男性の目をまっすぐ見た。

「ご指摘、ありがとうございます。私たちは熊本の皆さんに元気になってもらいたかと思って来ました。ばってん、元気になれと押しつけるつもりはなかとです」

菜々子も深く頭を下げた。

「これからの活動では、もっと地元の皆さんの声ば聞かせてもらいます」

男性は二人をしばらく見つめていた。

その表情には、まだ怒りが残っていた。

やがて、小さく言った。

「……そうかい」

少しだけ肩の力が抜けたように見えた。

しかし、笑顔にはならなかった。

「……あんたたちが悪か人間じゃなかこつは分かった。ばってん、今はそぎゃん気持ちになれん者もおることだけは、忘れんでくれ」

それだけ言うと、男性は静かに背を向けた。

香澄は、その背中を見送った。

引き止めることはしなかった。

まして、もう一度イベントに参加してほしいなどと言うつもりもなかった。

男性は振り返ることなく、広場の向こうへ歩いていった。

しばらくの間、誰も口を開かなかった。

華やかなステージの余韻が残る広場で、その男性の言葉だけが重たく響いていた。

やがて、一人の年配女性が香澄に声をかけた。

「お嬢さん」

「……はい」

「さっきのおじいさんの言うことも、分からんではなかとよ」

香澄は黙ってうなずいた。

女性は続けた。

「あの地震で、みんなそれぞれ大変な思いばしとる。家が壊れた人もおるし、仕事ば失くした人もおる。先が見えん人もたくさんおるとたい」

「……はい」

「ばってんね、わたしゃ今日、久しぶりに楽しかったばい」

女性は優しく笑った。

「家におっても、暗かニュースばっかり見てしまうけんね。今日は久しぶりに大きな声で笑わせてもろうた」

香澄の目が潤んだ。

「……ありがとうございます」

「お嬢さんたちも、無理せんで頑張りなっせ」

その時だった。

「香澄お姉ちゃん!」

小さな女の子が駆け寄ってきた。

手には、イベントでもらった小さな記念品を握っている。

「今日、すっごく楽しかった!」

香澄はしゃがんで、女の子と目線を合わせた。

「そうですか。よかったですねぇ」

「また来てね!」

「……はい。またお会いできたら嬉しかです」

女の子は満面の笑みを浮かべ、母親のもとへ駆け戻っていった。

香澄は、その後ろ姿をしばらく見つめていた。

あの高齢男性の怒りも本物だった。

今の女の子の笑顔も本物だった。

どちらか一方だけが正しいという話ではない。

それが、ひどく難しいことのように思えた。

イベントの撤収作業が始まった。

真央と真白が機材を片づけ、凪が会場に忘れ物や危険物がないか確認する。

迫田ツインズは二人で横断幕を畳み、彩芽は最後まで残っていた子供たちに手を振っていた。

茉莉花は大翔の手を引きながら、菜々子に声をかけた。

「菜々子さん。今日のイベント、私はよかったと思うよ」

「……ありがとう、茉莉花ちゃん」

「ばってん、さっきのおじいさんの気持ちも分かるっちゃ。苦しか時は、誰かが楽しそうにしとるだけでも、つらくなることがあるけんね」

菜々子は静かにうなずいた。

茉莉花はシングルマザーとして、決して平坦ではない人生を歩んできた。

だからこそ、その言葉には重みがあった。

大翔が母親の手を引っ張る。

「ママ、今日楽しかったね!」

「そうやね」

茉莉花は息子の頭を撫でた。

「大翔が楽しそうにしとったけん、ママも嬉しかったよ」

その何気ない親子の姿を、菜々子は静かに見つめていた。

やがて撤収作業が終わり、一行は熊本城公園の片隅で短い休憩を取ることになった。

遠くには、復旧作業が続く熊本城の姿が見えていた。

天守閣は再び美しい姿を取り戻しているが、城全体の全面復旧にはまだ長い時間が必要だった。

2050年という遠い目標に向かって、一つひとつ石垣を積み直し、傷ついた建物を修復していく。

気の遠くなるような仕事である。

けれど、その仕事に携わる人々は、今日も黙々と汗を流している。

香澄は、その姿を見つめていた。

「……菜々子さん」

「何ね、香澄ちゃん」

「私、ちょっと考えてしまいました」

菜々子は隣に腰を下ろした。

「今日のイベント、たくさんの方に喜んでもらえました。子供たちも楽しそうでしたし、お年寄りの方からも温かい言葉ばいただきました」

「そうやね」

「ばってん、さっきのおじいさんの言葉も、本当のことですよね」

菜々子はしばらく黙っていた。

そして、静かに答えた。

「……そうたい」

香澄は続けた。

「笑顔ば届けたかと思って始めた企画ですばってん、笑いたくても笑えん人もおらす。笑う気持ちになれん人もおらす。そんな時に、私たちが楽しそうにしとる姿ば見せることが、本当に応援になるんでしょうか」

菜々子は熊本城を見上げた。

「……難しかねぇ」

普段の菜々子なら、どんな問題にもすぐ答えを出す。

予算が足りなければ知恵を絞り、人が足りなければ自分が働く。会場がなければ借り、備品が壊れれば真央を呼ぶ。

その行動力こそ、ヒロ九を支えてきた最大の武器だった。

しかし、今日の問題は違った。

「うちらが何かしてあげたいと思うことと、相手がそれを望んどるかどうかは、別の話たい」

菜々子はぽつりと言った。

「今日、笑ってくれた人がおったのも本当。あのおじいさんが怒っとったのも本当。どっちの気持ちも、なかったことにはできんばい」

香澄は静かにうなずいた。

「……はい」

「それに、うちらは復興の専門家じゃなか。壊れた家ばすぐ建て直すことも、傷んだ道路ば直すこともできん」

菜々子は小さく息を吐いた。

「ばってん、うちらにもできることはあると思うとよ。今日みたいなステージも、その一つかもしれん。ただ、それだけで全部解決するとは思わんことたい」

香澄は顔を上げた。

「……そうですね」

「香澄ちゃんが熊本ば元気にしたかと思うた気持ちは、間違っとらんと思う。でも、これからは、うちらが何ばしたかかより、地元の人が何ば望んどるかを大事にせんとね」

その言葉に、香澄は深くうなずいた。

「……はい。私も、もっと熊本の皆さんのお話ば聞きたかです」

菜々子は微笑んだ。

「うん。それがよかと思うばい」

そこへ、ひなたが近づいてきた。

いつものような騒がしさはない。

「支配人、香澄ちゃん」

「何ね?」

「うち、今日はちょっと勉強になったど」

菜々子が目を丸くした。

「ひなたちゃんが?」

「何でそぎゃん驚くとね!」

ひなたは少し不満そうな顔をしたが、すぐに真面目な表情に戻った。

「元気ば届ければ、みんな元気になると思うちょった。ばってん、そう簡単なもんじゃなかとじゃな」

香澄はひなたを見つめた。

「……そうですね」

「うちらがどんだけ大きな声でファイト九州って叫んでも、つらか人はすぐには元気になれん。そういうこともあるんじゃな」

菜々子が静かにうなずいた。

「ひなたちゃん、たまにはよかこと言うたい」

「たまには余計じゃっど!」

ようやく三人の顔に笑みが戻った。

すると、首藤凪もやってきた。

「支配人。今後の訪問先について、少しご相談があります」

「何ね、凪ちゃん」

「今日のようなイベントだけでなく、営業を再開された商店や飲食店を訪ねて、地元の方々のお話を聞く時間を増やしてはいかがでしょうか」

香澄が顔を上げた。

「……それは、よかですね」

凪は続けた。

「事前に受け入れ可能か確認したうえで、営業の妨げにならない人数で訪問します。商品を購入したり、お店の魅力を紹介したりすることもできます」

菜々子も考え込んだ。

「なるほどねぇ。派手なイベントばせんでも、できることはあるわけたい」

金城伊織が静かに言葉を添えた。

「相手のお話を聞くことも、立派な応援になると思います。私たちが一方的に元気を届けるだけではなく、相手の気持ちを知ることも大切ですね」

つばさもうなずいた。

「実際に働いていらっしゃる方々の声を、私たちの配信で全国へ届けることもできます。香澄さんの観光案内と組み合わせれば、きっと良い企画になると思います」

香澄の表情が少し明るくなった。

「そうですね。熊本には、頑張っておられる商店主さんや、生産者さんがたくさんおらすとです。そういう方々のお話ば、私ももっと聞いてみたかです」

菜々子は力強くうなずいた。

「よし。次からは、もう少し違う形でも熊本ば応援してみるばい!」

その時だった。

「支配人!」

ひなたが勢いよく手を挙げた。

「何ね?」

「商店や飲食店ば回るなら、いっぱい買い物できるじゃっど!」

「……ひなたちゃん」

「馬刺しに、からし蓮根に、いきなり団子! あか牛も食べたか!」

「結局、あんたは食べ物のことしか考えとらんね!」

「地元で金ば使うのも復興支援じゃっど!」

「そりゃそうばってん、あんたの場合は単なる食欲たい!」

その場に笑いが戻った。

すると、ひなたが得意げに財布を取り出した。

「今回はちゃんと自腹で買うど!」

「……本当ね?」

「もちろんじゃっど!」

「領収書は?」

「要らんど! 自腹じゃっど!」

菜々子は思わず笑ってしまった。

「ははは! それならけちのんも文句は言わんばい!」

しかし、その直後。

「……ところで支配人」

「何ね?」

「お土産ば買いすぎた時は、経費にできるんじゃなかけ?」

「できるかぁぁぁ!!」

熊本城公園に、再びヒロ九支配人の絶叫が響き渡った。

香澄もつばさも、思わず笑ってしまった。

笑いというものは、不思議だった。

あんなに重たい気持ちになっていたのに、ひなたのくだらない一言で、ほんの少し心が軽くなる。

もちろん、それで問題が解決するわけではない。

さっきの高齢男性の苦しみが消えるわけでもない。

それでも、笑える時には笑ってもいい。

無理に笑わなくてもいい。

人によって、元気になるために必要な時間は違うのだ。

香澄は、そのことを少しだけ理解できたような気がした。

やがて一行はラッピングバスへ戻った。

再び車内に賑やかな声が響き始める。

大翔は彩芽と今日のイベントの話で盛り上がり、迫田ツインズは二人並んでスマートフォンの写真を確認していた。

真央は工具箱を整理し、真白は運転手と車両の状態について最後の確認をしている。

凪は全員の乗車を確認し、菜々子は経費の計算を始めた。

ひなたは、いつの間にか最後のいきなり団子を口に運んでいた。

「ひなたちゃん! あんた、まだ食べよっとね!」

「これで最後じゃっど!」

「さっきもそう言うとったばい!」

香澄は、そのやり取りを聞きながら微笑んだ。

そして、ガイド用のマイクを手に取った。

「皆さま、本日はお疲れさまでございました」

車内が少し静かになる。

「熊本城公園での復興応援イベントは、皆さまのおかげで無事に終了いたしました。ご協力いただきまして、誠にありがとうございました」

一同から拍手が起こった。

香澄は続けた。

「今日は、熊本の皆さまからたくさんの笑顔と、温かいお言葉ばいただきました。そして、私たちがこれから考えていかんといけん、大切なご意見もいただきました」

声は、いつもと変わらず柔らかかった。

「熊本の復興は、まだまだ長い道のりでございます。ばってん、私たちは、これからも熊本の皆さまのお気持ちに寄り添いながら、できることを一つずつ続けてまいりたいと思っとります」

そして、少しだけ笑った。

「本日は、ほんのこてありがとうございました」

マイクを置いた香澄に、つばさが微笑みかけた。

「香澄さん、素敵なご案内でした」

「……ありがとうございます」

「今日の出来事は、私も忘れないと思います」

香澄は静かにうなずいた。

「私もです」

運転手がエンジンを始動した。

ブロロロロロロ……。

今度は黒煙も出ない。

妙な金属音もしない。

「……よし!」

菜々子が小さくガッツポーズをした。

「ようやく普通に走れるばい!」

ところが、その時だった。

後方の座席から、大翔の声が響いた。

「ねえ、ひなたお姉ちゃん!」

「何じゃっど?」

「金ダライは?」

車内が一瞬静まり返った。

ひなたは満面の笑みで答えた。

「ちゃんと積んじょるど!」

「また見たい!」

「よっしゃ! 次はもっと派手に……」

「やめんねぇぇぇ!!」

菜々子の絶叫。

真央が頭を抱えた。

「もう勘弁してちょうよ!」

真白は苦笑し、凪は安全上の理由から即座に却下。

伊織は真顔で言った。

「人の頭に物を落とすような演出は、感心できません」

迫田ツインズが同時に吹き出し、彩芽も腹を抱えて笑い始めた。

茉莉花は大翔の頭を撫でながら、呆れたように言った。

「大翔、あんたまで変なこと覚えんでよかとよ!」

笑い声が、古いラッピングバスの車内いっぱいに広がった。

香澄とつばさは、顔を見合わせて微笑んだ。

「皆さま、どうぞお静かにお願いいたします」

「車内では、引き続き安全運行にご協力くださいませ」

二人の流れるような上品なアナウンス。

その直後、菜々子の怒声。

「ひなたちゃん! 金ダライはもう封印たい!!」

完璧なダブルMCも、ヒロ九の騒々しさだけは制御できないらしい。

香澄はとうとう声を上げて笑った。

「あはははは! もう、皆さんったら……!」

その笑顔を見て、菜々子は少し安心した。

故郷の被害に心を痛めていた香澄。

何かできることはないかと考え、仲間に相談し、必死に準備を進めてきた香澄。

そんな彼女が、ようやく心から笑っている。

菜々子は窓の外に目を向けた。

遠ざかっていく熊本城。

2050年の全面復旧を目指し、今も修復が続く歴史ある城。

その姿は、傷つきながらも前へ進もうとする熊本そのもののように思えた。

しかし、菜々子の脳裏には、あの高齢男性の険しい顔が浮かんでいた。

「今はこぎゃんこつばしよる場合じゃなかろうが!」

あの言葉を、忘れてはいけない。

楽しいイベントを開くことも大切だ。

でも、それを望まない人もいる。

誰かの心を無理に動かそうとするのではなく、まず、その人が何を必要としているのかを知ること。

そして、できることを探すこと。

菜々子は小さくつぶやいた。

「……笑顔ば届けるっちゅうのも、なかなか難しか仕事たい」

その声が聞こえたのか、香澄が静かに答えた。

「……そうですね」

二人は顔を見合わせた。

「ばってん、菜々子さん」

「何ね?」

「私、やっぱりこの企画ば始めてよかったと思っとります」

菜々子は微笑んだ。

「……うん」

「今日、たくさんの笑顔ば見られました。それに、笑顔になれん人のお気持ちにも、少しだけ触れることができました」

香澄は窓の外へ目を向けた。

「まだまだ勉強せんといかんですね。熊本のことは、よう知っとるつもりでしたばってん……」

菜々子は、その肩を軽く叩いた。

「香澄ちゃん。一緒に勉強していけばよかたい。まだ旅は始まったばかりやけん」

「……はい!」

香澄は、いつもの柔らかな笑顔を浮かべた。

熊本を元気にしたい。

その思いは、何一つ変わっていなかった。

ただ、その方法は一つではないことを、今日の彼女は知った。

明るく歌うことも、楽しく笑うことも、誰かの話を黙って聞くことも。

そして、営業を再開した小さな店で商品を買い、店主に「また来ます」と伝えることも。

どれも、きっと大切な応援なのだ。

香澄は膝の上に広げた観光案内の資料を見つめた。

そこには、これから訪ねる予定の地域や、地元の商店、飲食店などの情報が細かく書き込まれていた。

これまでは、観光客にどんな景色を見せ、どんな名物を紹介するかを中心に考えていた。

しかし、今は少し違う。

そこで暮らしている人たちは、どんな思いで毎日を過ごしているのだろう。

どんな苦労を重ね、何を大切に守っているのだろう。

そして、自分たちに何を望んでいるのだろう。

香澄はペンを取り出し、資料の余白に小さく書き込んだ。

「まず、地元の皆さんのお話を聞くこと。」

それは、今日の熊本城で彼女が学んだ、何より大切な教訓だった。

ふと窓の外を見ると、夕暮れの熊本市街地が広がっていた。

行き交う車。

買い物袋を提げて歩く人々。

店先で立ち話をする年配の女性たち。

普段なら何気なく通り過ぎる景色である。

しかし今の香澄には、それらすべてが大切なものに思えた。

あの地震で失われかけた日常。

人々が必死に守ろうとしている暮らし。

その営みの一つひとつが、熊本の本当の姿なのだろう。

「……ファイト九州」

香澄は小さくつぶやいた。

そして、胸の中でそっと言葉を続けた。

熊本の皆さん。無理して笑わんでもよかとです。つらか時は、つらかと言うてよかとです。私たちは、皆さんと一緒に歩いていきたかと思っとりますけん。

その時、背後から聞き慣れた声が飛んできた。

「香澄ちゃーん!」

「はい?」

「明日は何か美味かもん食べらるっと?」

ひなただった。

香澄は一瞬きょとんとした。

そして、思わず笑い出した。

「ふふっ……ひなたさんったら、また食べ物の話ですか?」

「食べて応援じゃっど!」

菜々子がすかさず怒鳴る。

「ひなたちゃん! あんた、今日いきなり団子を何個食べたとね!?」

「……数えとらんど!」

「数えとらんくらい食べたとね!?」

「ファイト九州じゃっど!」

「何でもファイト九州で済ませんでよかぁぁぁ!!」

再び車内は大爆笑に包まれた。

香澄も、つばさも、茉莉花も、伊織も。

みんな笑っていた。

ただし、その笑い声の中で、菜々子と香澄の胸には、熊本城で出会った高齢男性の言葉が今も残っていた。

金ダライは、落ちれば大きな音がする。

ひなたの冗談も、聞けば思わず笑ってしまう。

けれど、人の心に落ちてくる言葉には、音がしないものもある。

そして、その重さは、時として金ダライなど比べものにならない。

熊本の夕暮れを走るヒロ九ラッピングバス。

車体には、今日も大きく「ファイト九州!」の文字が輝いている。

笑顔を届けることの難しさを知った一行は、これからどんな人々と出会い、何を学んでいくのだろうか。

少なくとも、もう一度黒煙を噴き上げるようなことだけは勘弁してほしい。

菜々子支配人は、心からそう願っていた。

ファイト九州!

笑いたい人は笑えばよか。泣きたい人は泣いてもよか。熊本の明日は、そこからまた始まる。

ヒロ九の復興応援珍道中は、まだ始まったばかりだった。

そして次に彼女たちを待ち受けているのは、華やかなステージとはひと味違う、熊本の人々の暮らしと、小さな商いを守り続ける人たちとの出会いである。

――もっとも、ひなたの胃袋だけは、どこへ行っても相変わらず絶好調なのだが。



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