消えた弁当と、百円の約束――商店街の少年を追わなかった越後の情花
新潟市の中心部から少し外れたところに、昔ながらの商店街があった。
大型ショッピングモールができ、郊外店が増え、かつてほどの人通りはない。
それでも。
八百屋のおばちゃんが通りすがりの客に声をかけ。
魚屋の親父が夕方になると値引き札を貼り。
米屋の主人が暇そうに店先で新聞を読み。
惣菜屋からは夕飯時になると唐揚げの匂いが漂う。
古い。
けれど。
人の顔が見える商店街だった。
そこへ、その日、一人の戦隊ヒロインがやってきた。
本間菜帆。
新潟市在住。
地元国立大学で農業を学びながら、実家の大規模スマートファームを手伝う農ガール。
異名は、
「越後の情花」
である。
ただし。
本人はその呼び名をあまり気に入っていない。
「情花って、ちょっと大げさじゃない?」
と本人は言う。
周囲は、
「菜帆には合ってるよ」
と言う。
そう言われると、
「そうかなあ〜」
と困ったように笑う。
それが菜帆だった。
この日は商店街で行われる地産地消イベントの手伝い。
新潟産の野菜。
米。
郷土料理。
子ども向け食育教室。
菜帆は朝からエプロン姿で、新米のおにぎりを配っていた。
子ども。
「菜帆ちゃん、これタダ?」
「一個だけね〜」
「二個は?」
「百円」
「ヒロインなのにケチ!」
「農家は原価に厳しいんだよ〜」
周囲が笑う。
別の子。
「山口唯奈ちゃんだったらトラクター乗せてくれるのに」
「唯奈ちゃんは派手だからね」
「菜帆ちゃんは?」
「おにぎり配る」
「地味!」
「知ってる〜」
そんな菜帆が、昼過ぎ。
商店街の惣菜屋から声をかけられた。
店主は六十代。
昔気質。
口が悪い。
でも面倒見はいい。
「おい、本間」
「はい?」
「ちょっと来い」
「怒られるようなことしました?」
「してねえよ」
「よかった〜」
「いいから来い」
菜帆が店へ入る。
主人は腕を組む。
「最近な」
「はい」
「弁当が消える」
菜帆。
「売れて?」
「だったら嬉しいわ!」
「ですよね〜」
主人は眉間に皺。
一日一個。
多くても二個。
唐揚げ弁当。
焼き魚弁当。
おにぎり。
気がつくとなくなっている。
「万引きですか?」
「多分な」
「防犯カメラは?」
「あるけど、角度が悪い」
「なるほど」
「警察呼ぶほどの額じゃねえんだよ」
「でも困る」
「そうだ」
商店会でも話題になっているらしい。
八百屋。
「学校の子じゃないの?」
魚屋。
「最近のガキはなあ」
米屋。
「昔だっていたよ、そういうの」
惣菜屋主人。
「お前ら好き勝手言うな!」
菜帆は一通り話を聞いた。
そして。
「何時頃なくなるんです?」
「夕方前」
「曜日は?」
「バラバラ」
「いつも弁当?」
「だいたいな」
主人が睨む。
「で?」
「はい?」
「どうする」
菜帆。
「何を?」
「犯人捕まえるんだろ!」
「なんで私が?」
「ヒロインだろ!」
「ヒロインって万引きGメンじゃないですよ〜」
主人。
「じゃあ何のためにいるんだ!」
菜帆。
「それ、私もたまに分かんなくなります」
主人。
「頼りねえな!」
そんな会話から三日後。
菜帆は大学からの帰り。
商店街の裏手を歩いていた。
夕方。
人通りの少ない細い路地。
その先。
制服姿の少年。
中学生くらい。
手には見覚えのある惣菜屋の袋。
少年は何度も後ろを見る。
落ち着かない。
すぐ分かった。
菜帆は追わなかった。
大声も出さない。
ただ。
少し距離を開けて歩く。
少年は古い建物の裏階段へ座った。
袋を開ける。
唐揚げ弁当。
蓋を開ける。
そこへ。
菜帆も少し離れたところに座った。
少年が驚く。
「……何?」
「唐揚げ?」
「は?」
「そこのお店の唐揚げ、おいしいよね〜」
少年は固まる。
「警察呼ぶの?」
「今は呼ばない」
「ヒロインなんだろ?」
「うん」
「じゃあ捕まえれば?」
菜帆は少年の顔を見る。
痩せている。
目の下。
少し疲れている。
「今は」
少し間。
「お腹いっぱいにした方が先かなって」
少年は何も言わない。
菜帆も。
何も言わない。
少年が唐揚げを一個食べる。
ご飯。
また唐揚げ。
菜帆は隣で空を見ている。
五分。
十分。
少年。
「……説教しないの?」
「今する?」
「しなくていい」
「じゃあしない」
「変なの」
「よく言われる」
少年は少しだけ笑った。
名前は悠斗。
中学二年。
母子家庭。
母は昼も夜も働いている。
最近、職場が変わった。
帰宅が遅い。
家に夕飯がない日が増えた。
最初は我慢した。
水を飲んで寝た。
次にパンを盗った。
その次がおにぎり。
そして。
弁当。
「母ちゃんに言えばいいじゃん」
菜帆はそう言わなかった。
悠斗の方から口にする。
「母ちゃんに言ったら困るから」
「うん」
「もう働きすぎなの知ってるし」
「うん」
「学校には言えない」
「うん」
「友達にも」
「うん」
悠斗が苛立つ。
「うんしか言わないじゃん」
菜帆。
「ちゃんと聞いてるよ〜」
「じゃあ何か言えよ」
「何て言えばいい?」
「知らない」
「私も分かんない」
悠斗。
「ヒロインなのに?」
「ヒロインでも分かんないことあるよ」
悠斗はまた少し笑う。
菜帆が聞く。
「お母さんのこと、嫌い?」
「嫌いじゃない」
即答だった。
菜帆。
「そっか」
それだけ。
悠斗。
「それだけ?」
「うん」
「“盗んじゃだめ”とか言わないの?」
菜帆。
「盗んじゃだめだよ」
悠斗。
「……言うんじゃん」
「聞かれたから」
「じゃあどうすればよかったんだよ」
菜帆はすぐ答えない。
少し考えてから。
「一人で全部抱えない方がよかったと思う」
「誰に言うんだよ」
「それを一緒に考えようか」
悠斗は黙る。
翌日。
惣菜屋。
主人。
「で」
菜帆。
「分かりました」
「誰だ!」
「言えません」
「何で!」
「今は」
「またそれか!」
「悪いことしたのは間違いないです」
「だろ!」
「でも」
菜帆は続ける。
「悪いことした人と、悪い人は同じじゃないですよ」
主人は少し黙る。
「屁理屈だ」
「かもしれません」
「子どもか?」
菜帆。
「はい」
「学校は?」
「行ってます」
「親は?」
「います」
「なら飯くらい」
菜帆は静かに止める。
「それぞれ事情あるんです」
主人が顔を見る。
菜帆はそれ以上、話さない。
そして。
「夕方、売れ残るお弁当ありますよね」
「ある」
「一個、預からせてもらえません?」
「ただで?」
「とりあえず」
主人。
「甘やかしじゃねえか」
菜帆。
「そうかもしれません」
「だったら」
「でも」
菜帆は穏やかに言う。
「お腹空いてる子に“盗むな”って言うだけじゃ、その日の夕飯は出てこないので」
主人は黙る。
「まず食べてもらって」
「その後、返す方法考えればいいと思います」
主人。
「面倒くせえな」
菜帆。
「人って大体面倒くさいですよ〜」
主人。
「お前も含めてな」
「はい」
結局。
主人は一個。
弁当を包んだ。
「持ってけ」
「ありがとうございます」
「タダじゃねえぞ」
「はい」
「いつか返せ」
「分かりました」
「お前じゃねえ!」
「あ、悠斗君ですね」
主人。
「名前聞いたじゃねえか」
菜帆。
「内緒ですよ」
「分かってるよ!」
夕方。
悠斗。
「いらない」
菜帆。
「そっか」
弁当を開ける。
「じゃあ私食べよ」
悠斗。
「……それ俺の?」
「いらないんでしょ?」
「……食べる」
菜帆。
「どうぞ」
悠斗。
「何なんだよ」
「何が?」
「やり方ずるい」
「大人だからね〜」
そこから。
菜帆は少しずつ動いた。
学校。
地域の相談窓口。
食支援。
必要な人。
必要な場所。
つなぐ。
でも。
商店街中には広めない。
悠斗を、
「かわいそうな子」
にしない。
母親とも会う。
母は事情を聞いて泣いた。
「私が悪いんです」
「私がちゃんとしてなかったから」
菜帆は首を振る。
「一人で全部やろうとしたら、誰だって無理な時ありますよ」
「でも子どもに盗みを」
「それは良くないです」
菜帆はそこは曖昧にしない。
「でも」
「そこから先は別です」
「次にどうするか」
「そっちを考えましょう」
母は泣く。
悠斗は黙って母の隣に座る。
菜帆は何も言わない。
親子で話す時間を取る。
数週間後。
惣菜屋。
主人が店頭に立っている。
悠斗が入ってくる。
財布。
「唐揚げ弁当ください」
主人。
「一個?」
「一個」
「五百八十円」
悠斗が小銭を出す。
数える。
少し足りない。
主人。
「足りねえな」
悠斗の顔が曇る。
「……また来ます」
帰ろうとする。
主人。
「待て」
「何」
「今日は百円でいい」
「は?」
「百円」
「何で」
主人。
「出世したら利子つけて返せ」
悠斗。
「いくら?」
主人。
「百万」
悠斗。
「高っ!」
そこへ菜帆。
「それ完全に違法金利ですよ〜」
主人。
「うるせえ!」
悠斗。
「警察呼ぶぞ」
主人。
「お前が言うな!」
商店街に笑いが起きる。
悠斗は百円玉を一枚。
カウンターへ置く。
「ちゃんと返すから」
主人。
「忘れていい」
悠斗。
「忘れない」
主人は何も言わない。
袋に唐揚げ弁当を入れる。
少し考えて。
コロッケを一個。
追加。
悠斗。
「これ頼んでない」
主人。
「売れ残りだ」
「まだ夕方じゃん」
「うるせえ」
菜帆。
「優しいですね〜」
主人。
「お前、今日から出入り禁止な」
「ひどい〜」
その後。
悠斗の家も少しずつ落ち着く。
母親の勤務時間。
地域支援。
学校との連携。
急に裕福になるわけではない。
問題が全部消えるわけでもない。
でも。
夕飯がない夜は減った。
そして悠斗は。
時々。
惣菜屋へ手伝いに来る。
店先の掃除。
空箱。
品出し。
主人。
「そこ違う!」
悠斗。
「細かい!」
「商売は細かいんだよ!」
「じゃあもう帰る」
「帰るな! 掃除終わってねえ!」
菜帆。
「どっちなんですか〜」
主人。
「お前は黙ってろ!」
数か月後。
商店街の食育イベント。
菜帆の実家から届いた新米。
おにぎり作り。
悠斗もエプロン姿で手伝っている。
小学生。
「これくらい握る?」
悠斗。
「握りすぎ。硬くなるぞ」
菜帆。
「詳しくなったね〜」
悠斗。
「別に」
「将来、惣菜屋?」
「絶対やらない」
主人。
「誰が継がせるか!」
悠斗。
「頼まれても継がねえ!」
主人。
「頼むわけねえだろ!」
悠斗。
「じゃあいいだろ!」
菜帆。
「仲いいですね〜」
二人。
「良くない!」
見事に揃った。
悠斗の母が。
少し離れた場所から。
笑っている。
イベント終了。
商店街。
夕方。
主人が菜帆へ声をかける。
「本間」
「はい?」
「お前」
「はい」
「結局、何したんだ」
「何が?」
「悠斗のこと」
菜帆は少し考える。
「弁当見てただけですよ〜」
主人。
「嘘つけ」
「本当です」
「他にも色々やったろ」
「色々な人に助けてもらっただけです」
主人。
「お前は?」
「隣にいただけ」
主人は鼻で笑う。
「それが面倒くせえんだよ」
「そうですか?」
「それでいい」
菜帆は少し笑った。
帰り道。
悠斗が惣菜屋から出てくる。
手には唐揚げ弁当。
菜帆。
「また唐揚げ?」
「好きなんだよ」
「今日はちゃんと買った?」
「百円じゃないからな!」
「えらいね〜」
「子ども扱いすんな」
悠斗は自転車を押す。
「母ちゃんと半分ずつ食う」
菜帆。
「そっか」
少し歩いて。
悠斗が振り返る。
「菜帆さん」
「ん?」
「最初の弁当」
「うん」
「いつか全部返すから」
菜帆。
「じゃあ、ゆっくりでいいよ〜」
「何年まで?」
「出世するまで」
悠斗。
「長っ!」
「大企業の社長になったら利子込みでね」
「店の親父と同じこと言ってる!」
「うつったかな〜」
悠斗は笑う。
自転車に乗る。
夕暮れ。
古い商店街。
店じまいの音。
揚げ物の匂い。
人の声。
悠斗が走っていく。
菜帆は。
その背中を見送る。
世界を救ったわけではない。
怪人を倒したわけでもない。
誰か一人の人生を全部変えたわけでもない。
ただ。
お腹を空かせた少年の隣に座った。
話を聞いた。
弁当を一つ。
必要な人へつないだ。
それだけ。
でも。
人の心は。
大声で引っ張らなくても。
隣で待っているだけで。
少しずつ動くことがある。
越後の情花、本間菜帆。
戦隊ヒロインきっての人情派。
その日の任務は。
一人の少年が。
もう盗んだ弁当ではなく。
自分で買った唐揚げ弁当を持って。
「母ちゃんと食べる」
と言って帰れるところまで。
静かに隣を歩くことだった。
そして菜帆にとっては。
それで。
十分な大仕事だった。




