白波小町、二曲目はまだありません!?――富山湾の深海から届ける「日本海、ふたり旅」
白波小町のデビュー曲『日本海、ふたり旅』は、発売初週こそ全国週間シングルチャート初登場四位という、ブラックキャブプロダクション始まって以来の快挙を成し遂げた。
問題は、その翌週である。
百八十六位。
ブラックキャブプロダクション社長・野村吉彦、通称ノムさんは、ランキング表を両手で持ったまま、しばらく微動だにしなかった。
そしてようやく、
「……ナイアガラじゃ」
と呟いた。
その後も『日本海、ふたり旅』の順位は、派手に浮上することなく、低いところを静かに行ったり来たりした。
氷見ゆりえ曰く、
「低空飛行いうより、もう富山湾の海底を潜航しとるちゃ」
阿部柚葉も、
「深海魚の方が近いかもしれないね」
と妙に冷静。
ノムさんだけが、
「縁起でもないこと言うな! 潜水艦は浮上するために潜っとるんじゃ!」
と力説していたが、帝都レコードの担当者は、
「まあ新人演歌なんて、こんなものですよ」
と相変わらず涼しい顔でコーヒーを飲んでいた。
「もっと危機感持たんか!」
「一枚目ですよ?」
「一枚目じゃからこそじゃ!」
「一定数は毎週売れてます」
「一定数いう便利な言葉使うな!」
だが、世間から完全に忘れられたわけではない。
むしろ。
妙なところで、白波小町の知名度は高かった。
その代表が、
ラジオ経済。
株式市況。
為替情報。
企業ニュース。
商品市況。
そして週末は競馬中継。
朝から晩まで数字と馬が飛び交う、いかにも硬派なラジオ局だった。
ブラックキャブがここへ広告を出し続けている理由について、ノムさんは堂々と答えている。
「安いんじゃ!」
身も蓋もない。
平日の午前。
男性アナウンサーの落ち着いた声。
「続いて東京株式市場です。平均株価は前日比百二十三円高。銀行株が堅調に推移する一方――」
極めて真面目。
続いて企業決算。
債券。
外国為替。
その合間に。
突然。
琴とストリングスの柔らかなイントロ。
柚葉の澄んだ声。
「日本海に、二つの故郷――」
続いてゆりえ。
「白波小町の『日本海、ふたり旅』、好評発売中やちゃ!」
男性ナレーション。
「白波小町デビューシングル『日本海、ふたり旅』。帝都レコードより好評発売中」
短くサビ。
そして。
何事もなかったかのように。
「続いて外国為替市場です」
ゆりえが初めて聞いた時は、しばらく黙っていた。
「……ものすごいところに挟まっとるちゃ」
柚葉。
「株価と為替の間だからね」
ノムさん。
「耳に入れば勝ちじゃ!」
競馬中継でも同様だった。
「各馬、まもなく本馬場へ入場します。現在の一番人気は――」
そこで突然。
「白波小町『日本海、ふたり旅』、好評発売中!」
CM終了。
「それでは返し馬をご覧ください」
柚葉。
「レース直前に私たち出てくるんですね」
ノムさん。
「馬券握っとる人間は集中しとるけえ、耳にも入りやすい!」
ゆりえ。
「そんな理屈あるが?」
「ある!」
「根拠は?」
「わし!」
「根拠になっとらんちゃ」
ところが。
本当に効果はあった。
キャンペーン会場。
五十代の男性。
「ラジオ経済で毎日聞いてるよ」
柚葉。
「ありがとうございます」
別の男性。
「競馬中継の前で流れるやつだよね?」
ゆりえ。
「それですちゃ!」
さらに。
「この前馬券当たったから一枚買うよ」
ノムさんがすぐ割り込む。
「ほら見い!」
柚葉。
「外れた日は買ってもらえない理屈になりますよ」
「細かいこと言うな!」
それでも。
一枚は一枚。
一人は一人。
大作曲家・浪花川龍太郎。
浪速のシューベルト。
その言葉は、今も二人の胸に残っていた。
誰もが羨むほど豊かな胸の奥に。
しっかりと。
「歌はこころや」
一週間だけ順位が高い歌より。
十年後。
二十年後。
誰かが口ずさんでくれる歌。
そっちの方がいい。
客が五人なら、その五人へ。
一枚しか売れなければ、その一枚を買ってくれた人へ。
それでいい。
だから二人は、ドブ板営業のようなドサ回りを続けた。
地方のレコード店。
スーパー。
商店街。
小さなホール。
ショッピングモール。
今日は新潟市。
中堅規模のショッピングモールの一階。
吹き抜けの中央イベントスペース。
簡易ステージ。
パイプ椅子。
会場スタッフが客数を数える。
「四十人前後ですね」
マネージャーが二人へ伝える。
ゆりえ。
「四十人も来てくれたちゃ」
柚葉。
「うん。ありがたいね」
以前なら。
初登場四位という数字を見た直後なら。
「四十人しか」
と思ったかもしれない。
今は違う。
四十人。
四十人もいる。
ノムさんが腕を組む。
「よし」
嫌な予感。
「四十人全員ファンにして帰るぞ!」
柚葉。
「先生の話から少し離れてます」
「四十人全員のこころに届ける!」
「言い換えましたね」
「意味は同じじゃ!」
ステージ開始。
柚葉。
「皆さん、こんにちは。白波小町です」
ゆりえ。
「新潟の皆さん、今日はありがとうございますちゃ!」
拍手。
二人は簡単に自己紹介する。
富山湾。
鳥海山。
二つの故郷。
そこから生まれた『日本海、ふたり旅』。
そしてイントロ。
柚葉が歌い始める。
デビュー当初とは違う。
無理に演歌らしく声を作らない。
自分の持っている透明感を残しながら。
言葉を一つずつ丁寧に置く。
海。
雪。
風。
故郷。
その景色を聞き手に見せる。
間奏。
ゆりえ。
以前は浪花川から、
「メロディーとゆりえちゃんが別々の目的地へ行っとる」
と言われた。
今は。
語りのタイミング。
呼吸。
間。
柚葉へ戻す瞬間。
きちんと曲の中にいる。
歌い終わる。
拍手。
大歓声ではない。
地鳴りもしない。
四十人ほどの拍手。
でも。
温かい。
柚葉は客席を見渡した。
少し息を整えてからマイクを持つ。
「今日、白波小町を見に来てくださった皆さんに」
少し間。
「私たちの歌が届いているなら嬉しいです」
ゆりえも頷く。
「一人でも今日のこと覚えて帰ってもらえたら、うれしいちゃ」
再び拍手。
ステージ終了。
物販。
サイン。
握手。
「ラジオで聞いてます」
「富山出身なんです」
「秋田行ったことあります」
「戦隊ヒロインも見てます」
一人一人。
二人は頭を下げる。
ようやく控室へ戻る。
ゆりえが椅子へ座る。
「ふう」
柚葉。
「お疲れさま」
そこへ。
控室の扉。
コンコン。
「はーい」
扉が開く。
「お疲れさま〜」
明るくて、柔らかい声。
二人が振り向く。
ゆりえ。
「あっ!」
柚葉。
「菜帆ちゃん!」
新潟市在住。
農業を学びながら、地元の農と暮らしに深く関わる戦隊ヒロイン。
本間菜帆。
仲間内でも、とりわけ人情に厚いことで知られる優しいヒロインだった。
手には小さな紙袋。
「差し入れ持ってきたよ〜」
ゆりえ。
「来てくれとったが?」
「うん。後ろの方にいた」
柚葉。
「言ってくれればよかったのに」
「普通のお客さんとして見たかったから」
菜帆は笑う。
「すごく良かったよ」
柚葉は少し照れる。
「本当に?」
「本当」
ゆりえ。
「うちの語り、大丈夫やった?」
「大丈夫。ちゃんと曲の中にいたよ」
ゆりえ。
「それ最高の褒め言葉やちゃ!」
三人で笑う。
少しして。
菜帆が柚葉を見る。
「さっき」
「うん?」
「ステージで言ってたでしょ」
柚葉が首を傾げる。
「何だっけ?」
菜帆。
「“私たちの歌が届いているなら嬉しいです”って」
柚葉。
「ああ」
菜帆は、いつもの柔らかな笑顔のまま言った。
「届いたよ〜」
柚葉が一瞬、言葉を失う。
ゆりえも黙る。
菜帆は続ける。
「ちゃんと届いた」
「日本海の景色も」
「二人が大事に歌ってることも」
「何ていうか」
少し考える。
「売るためだけに歌ってないっていうのが分かった」
柚葉はゆっくり笑う。
「ありがとう」
菜帆。
「新潟も日本海の町だからさ」
「海見ながら聞くと、なんか他人事じゃないんだよね」
ゆりえ。
「富山と秋田の歌やけど」
「うん」
「でも日本海って、つながってるじゃん」
その言葉に。
ゆりえと柚葉は顔を見合わせる。
富山湾。
鳥海山。
そして新潟。
『日本海、ふたり旅』。
二人だけの歌だと思っていた。
けれど。
聞いた人それぞれが、自分の海や、自分の故郷を重ねてくれる。
浪花川先生が言っていた。
何十年たっても。
誰かの人生の中に残る歌。
もしかすると。
こういうことなのかもしれない。
柚葉。
「菜帆ちゃん」
「ん?」
「ありがとう。本当に」
菜帆。
「どういたしまして〜」
ゆりえ。
「なんか泣きそうやちゃ」
菜帆。
「泣いてもいいよ」
「でもメイク崩れるちゃ」
「じゃあ我慢しよ」
そこへ。
ノムさんが入ってくる。
「おお、菜帆ちゃん!」
「ノムさん、お疲れさまです」
「CD持っとる?」
柚葉。
「社長!」
「何じゃ?」
「今すごくいい話してたんです!」
「いい話の後こそ物販じゃ!」
菜帆が笑う。
「ちゃんと持ってますよ」
ノムさん。
「さすがじゃ!」
ゆりえ。
「台無しやちゃ!」
控室に笑い声が広がる。
それでいい。
白波小町は、そういうユニットだった。
そして。
東京へ戻れば。
ボイストレーニング。
二人は今も続けている。
柚葉。
発声。
呼吸。
音域。
言葉の表現。
ゆりえ。
基礎発声。
音程。
リズム。
語りから歌への移行。
トレーナーがピアノを弾く。
「ゆりえさん、もう一度」
「はい!」
音。
ゆりえが声を出す。
トレーナー。
「いいですね」
ゆりえ。
「ほんま?」
「前よりずっと安定しました」
ゆりえ大喜び。
「柚葉ちゃん!」
「うん」
「うち歌手になってきた!」
「最初から歌手だよ」
「形式上はね!」
そこへ帝都レコード担当者。
ノムさんも一緒。
ノムさん。
「先生!」
「僕は先生じゃありません」
「二人とも上手くなったぞ!」
担当者。
「いいことですね」
柚葉。
「そろそろ二曲目とか……」
担当者。
「ああ」
二人が少し期待する。
担当者。
「今のところ予定ありません」
沈黙。
ゆりえ。
「……ないが?」
「ないです」
柚葉。
「これだけ練習してるんですけど」
「歌手ですから練習は続けてください」
「はい」
正論だった。
ノムさん。
「何でじゃ!」
「まず『日本海、ふたり旅』を大切にしましょう」
「次は冬の日本海!」
「企画ありません」
「デュエット!」
「企画ありません」
「浪花川先生に新曲を!」
「企画が決まってからです」
「全米進出!」
「もっとありません」
ノムさん。
「夢がないのう!」
担当者。
「現実があります」
年末。
ブラックキャブプロダクション。
ノムさんは一人。
大きなスケジュール表を見ていた。
以前。
白波小町初登場四位。
あの時。
ノムさんは叫んだ。
「紅白じゃ!」
「レコ大じゃ!」
「全米一位じゃ!」
しかし。
現実。
十二月。
地方イベント。
ラジオ。
小さな営業。
そして年末。
空白。
古参スタッフ。
「社長」
「何じゃ」
「どうしました?」
ノムさん。
「年末、空いとる」
「はい」
「紅白は?」
「呼ばれてません」
「レコ大は?」
「呼ばれてません」
「大型音楽特番」
「ありません」
「年越しライブ」
「ありません」
ノムさんは腕を組む。
「…………」
スタッフ。
「何か企画します?」
ノムさん。
「いや」
「はい」
しばらく考える。
そして。
「グアム旅行でも行くかな」
スタッフ。
「切り替え早っ!」
その日の夕方。
ゆりえと柚葉が事務所へ戻る。
ノムさん。
「年末、グアム行かん?」
柚葉。
「誰が払うんです?」
「自費」
「行きません」
ゆりえ。
「会社持ちなら考えるちゃ」
「何でわしが全部出すんじゃ!」
柚葉。
「じゃあ社長一人でどうぞ」
ノムさん。
「寂しいじゃろ!」
ゆりえ。
「紅白見ながらグアムで年越せばええちゃ」
ノムさん。
「傷口に塩塗るな!」
年末。
ラジオ経済。
男性アナウンサー。
「東京市場は本日、大納会を迎え――」
CM。
「白波小町『日本海、ふたり旅』、好評発売中!」
競馬中継。
「各馬、最後の直線――」
その合間にも。
白波小町。
チャートでは。
今日も富山湾の深い海底を静かに航行している。
二曲目。
今のところ。
なし。
紅白。
なし。
レコード大賞。
なし。
グアム。
ノムさんだけ行くかもしれない。
それでも。
歌う場所がある。
聞いてくれる人がいる。
新潟では。
「届いたよ〜」
と言ってくれた仲間がいた。
富山では。
故郷の人たちが聞いてくれた。
秋田では。
大家族が大騒ぎしながら拍手してくれた。
ラジオ経済では。
今日も投資家と競馬ファンの耳へ。
『日本海、ふたり旅』が流れている。
大ヒットとは言えない。
失敗とも言えない。
ただ。
一人ずつ。
一人ずつ。
二人の歌は届いている。
浪花川龍太郎の言葉。
「歌はこころや」
二人は、その言葉を信じて。
今日も歌う。
明日も歌う。
いつか。
何十年後。
誰かがこの曲を聞いて、
「懐かしいな」
と笑ってくれたなら。
それでいい。
空前絶後の巨乳戦隊ヒロインによる演歌ユニット。
白波小町。
富山湾の爆乳マーメイド、氷見ゆりえ。
鳥海の雪月花、阿部柚葉。
二人が歩いた『日本海、ふたり旅』のお話は――。
ここで、一旦おしまい。
もっとも。
ブラックキャブのどこかから。
「次はデュエットで世界進出じゃ!」
という野村ラッパが聞こえてくる以上。
本当にこれで終わりなのかどうかは。
誰にも分からなかった。




