白波小町、初登場4位から186位へ!?――全国ドサ回りと野村ラッパ、天国からナイアガラ
芸能界には、華やかな仕事がある。
テレビ。
雑誌。
写真集。
映画。
大きなステージ。
そして。
段ボール箱いっぱいのCDをワゴン車へ積み込み、地方のショッピングセンターへ向かう仕事もある。
歌手デビューという言葉から、多くの人が想像するのは前者だろう。
だが、白波小町こと氷見ゆりえと阿部柚葉が最初に経験したのは、圧倒的に後者だった。
日曜午後の人気生放送バラエティー『ハイパージョッキー』では、名物「熱湯PRタイム」に挑戦。
富山湾の爆乳マーメイド・氷見ゆりえ。
鳥海の雪月花・阿部柚葉。
そしてなぜか、ブラックキャブプロダクション社長の野村吉彦――ノムさんまで水着になり、三人そろって熱湯へ放り込まれた。
身体を張って獲得したPR時間、三十秒。
そこまでして宣伝した、
白波小町『日本海、ふたり旅』。
ついに発売日がやってきた。
酔っぱらったノムさんが、
「ブラックキャブプロダクション創立記念企画じゃ!」
と叫んだことから始まった、何を記念しているのか誰にも分からない謎企画。
それが大作詞家・阿久津悠策。
浪速のシューベルトこと大作曲家・浪花川龍太郎。
音大生の歌姫・藤原詩織。
そして大手レコード会社・帝都レコードまで巻き込み、本当に全国発売されるCDになったのである。
ブラックキャブも帝都レコードも、宣伝にはかなり力を入れた。
テレビ。
雑誌。
レコード店。
地方ラジオ。
イベント。
そして、その中でも妙に異彩を放っていたのが、
ラジオ経済
だった。
株式市況。
為替。
企業ニュース。
商品先物。
そして週末は競馬中継。
音楽番組を目当てに若者が集まるタイプの局ではない。
朝から真面目な男性アナウンサーが、
「続いて東京株式市場です。本日の平均株価は前日比――」
と淡々と数字を読み上げる。
「銀行株が堅調。一方、半導体関連の一角には利益確定売りが――」
非常に硬い。
非常に真面目。
そこへ。
CM。
突然、明るい琴の音。
そして柚葉の澄んだ声。
『日本海に、二つの故郷――』
続いてゆりえ。
『富山湾から鳥海山へ。うちら二人の歌、聴いてくださいちゃ!』
男性ナレーション。
『白波小町、デビューシングル「日本海、ふたり旅」。帝都レコードより好評発売中』
軽く曲のサビ。
そしてCMが終わる。
次の瞬間。
「続いて外国為替市場です。東京市場の円相場は――」
落差が激しすぎた。
初めて聴いたゆりえ本人も固まった。
「……ものすごい場所に挟まっとるちゃ」
柚葉。
「株価と為替の間ですね」
ノムさんは得意そうだった。
「ええじゃろ!」
ブラックキャブの若手社員が尋ねる。
「社長、そもそも何でラジオ経済なんです?」
ノムさん。
「出稿料が安いんじゃ!」
あまりにも潔い。
「それだけですか?」
「それだけなわけないじゃろ!」
「他にも?」
ノムさんは胸を張った。
「投資家と競馬ファンにはアイドル好きが多い!」
「根拠は?」
「この小説の作者もそうじゃ!」
会議室が静まり返った。
柚葉。
「……誰ですか?」
ゆりえ。
「急に知らん人出てきたちゃ」
スタッフ。
「社長、たまに壁の向こう見ますよね」
競馬中継でも容赦なく流れた。
土曜午後。
実況アナウンサー。
「まもなく第十一競走です。各馬、順調にゲートへ向かっています」
解説者。
「今日は逃げ馬が複数いますから、前半のペースが鍵ですね」
そしてCM。
『日本海に、二つの故郷――』
白波小町である。
『日本海、ふたり旅――好評発売中!』
CM終了。
実況。
「それでは各馬、ゲートインです」
柚葉がラジオを聞きながら言った。
「この曲を聞いた直後に馬券を握りしめるんですね」
ゆりえ。
「縁起ええ曲になったらええけど」
ノムさん。
「馬券当たったらその金でCD買うてくれる!」
スタッフ。
「全部都合よく考えますね」
だが。
これが意外にも効いた。
地方キャンペーン会場。
五十代の男性がCDを手にして、
「ラジオ経済で聞いたよ」
柚葉。
「ありがとうございます」
別の男性。
「競馬中継の前に流れとったやつやろ?」
ゆりえ。
「それですちゃ!」
また別の男性。
「株の番組で毎日聞いとったら覚えた」
ノムさんが後ろから割り込む。
「ほら見い!」
スタッフ。
「本当に効果ありましたね」
ノムさん。
「マーケティングじゃ!」
「最初は広告料が安いからって言ってましたよ」
「入口は何でもええんじゃ!」
こうして、なぜか投資家と競馬ファンに妙に認知度の高い新人演歌ユニットが誕生した。
一方。
白波小町本人たちの仕事は、ひたすら地味だった。
発売翌日。
駅前のレコード店。
翌々日。
郊外型ショッピングセンター。
その次。
地方スーパーの特設ステージ。
さらに商店街。
温泉街。
小さなホール。
時には、
「ここ、本当にステージですか?」
と柚葉が確認するような、スーパーの食品売り場横の空きスペースでも歌った。
客席。
十二人。
ゆりえが小声で言う。
「少ないちゃ」
マネージャー。
「十二人もいます」
柚葉。
「では十二人全員にちゃんと聴いていただきましょう」
根が真面目だった。
イントロ。
柚葉が歌う。
間奏。
ゆりえが語る。
曲が終わる。
十二人から拍手。
そのうち七人がCDを買ってくれた。
ゆりえ。
「半分以上やちゃ!」
マネージャー。
「すごい成約率ですよ」
帝都レコード担当者。
「こういう積み重ねです」
そこへ。
帝都レコード営業部が、新たな販売施策を持ち込んだ。
俗に言う、
複数枚購入特典商法。
同じCDを何枚も買うほど、特典が豪華になる。
一枚。
握手。
二枚。
サイン。
三枚。
好きな方とのツーショットチェキ。
五枚。
ゆりえ、柚葉とのスリーショットチェキ。
柚葉は表をじっと見た。
「同じCDですよね?」
担当者。
「はい」
「中身も?」
「同じです」
ゆりえ。
「五枚買っても全部『日本海、ふたり旅』なが?」
「全部です」
柚葉。
「かなり潔い商法ですね」
世間では、似たような販売方法を特定の女性アイドルグループになぞらえて呼ぶことがある。
同じCDを何枚も積み上げて握手券や写真券を得る。
ファンは笑顔で財布を開く。
そして家には同じCDが増えていく。
この小説の作者も、その昔。
「これはCDを買っているのではない。思い出を買っているのだ」
などと自分へ言い聞かせながら、かなりの額をアイドルへ“お布施”したという。
その後、部屋に積まれた同じCDを見て、
「思い出、場所取るなあ……」
と思ったらしい。
しかし。
人類は歴史から学ばない。
ブラックキャブも学ばない。
ノムさんは特典表を見る。
「十枚がないじゃろ」
帝都レコード担当。
「普通そこまで設定しません」
「十枚特典作るぞ!」
柚葉。
「何をするんです?」
ノムさん。
「ゆりえ、柚葉、わしとの三人チェキじゃ!」
沈黙。
スタッフ。
「誰が欲しいんです?」
「おるじゃろ!」
ゆりえ。
「社長、自分を高く見積もりすぎやちゃ」
ところが。
いた。
発売記念イベント。
男性ファン。
「CD十枚ください」
スタッフ。
「え?」
「十枚」
ノムさんが飛んでくる。
「三人チェキじゃな!」
男性。
「はい!」
撮影。
ノムさん、中央。
ゆりえと柚葉、左右。
パシャ。
次。
また十枚。
さらに次。
十枚。
スタッフがざわつく。
「意外に人気ある……」
そしてついに。
五十代男性が言った。
「あの」
スタッフ。
「はい」
「白波小町のお二人ももちろん好きなんですけど」
「はい」
「ノムさんと二人で撮れません?」
ノムさん。
「え?」
ゆりえ。
「え?」
柚葉。
「え?」
男性。
「『ハイパージョッキー』見ました。昔の芸能界の話も好きなんですよ」
ノムさんの顔が輝く。
「ほら見い!」
スタッフ。
「変な成功体験を与えてしまった」
二人チェキ。
ノムさん、妙に格好をつける。
撮影後。
「わし、まだタレントとしていけるんちゃうか?」
マネージャー。
「いけません」
「早い!」
「白波小町の販促です」
「分かっとるわ!」
こうした泥臭い活動。
何十回ものミニライブ。
特典会。
ラジオ。
テレビ。
熱湯。
そして複数枚購入。
それらが全部積み重なった発売初週。
ブラックキャブ事務所へ速報が入った。
スタッフがパソコン画面を見つめる。
「……社長」
「何じゃ?」
「週間シングルランキング出ました」
ノムさんが立ち上がる。
「何位?」
スタッフは数秒黙った。
「四位です」
ノムさん。
「…………」
ゆりえ。
「四位?」
柚葉。
「本当に?」
次の瞬間。
「うおおおおおおおおおっ!」
ノムさん絶叫。
社員全員が驚く。
「四位じゃ!」
「全国四位!」
「見たか!」
「紅白じゃ!」
古参スタッフ。
「始まった」
「レコ大じゃ!」
「始まりましたね」
「有線大賞じゃ!」
「はいはい」
「ミリオンじゃ!」
「そこまで売れてません」
そして。
「全米一位じゃ!」
全員。
「何で!?」
柚葉。
「国内四位から、どうして急にアメリカへ?」
ノムさん。
「次は世界じゃ!」
ゆりえ。
「昨日、地方スーパーでCD手売りしとったちゃ」
「世界への第一歩じゃ!」
数分後。
ホワイトボード。
『白波小町・全米進出計画』
古参スタッフが無言で消した。
ノムさん。
「何するんじゃ!」
「邪魔です」
「夢を消すな!」
高岡の漁港でも話題になった。
「ゆりえちゃん四位や!」
漁師仲間が大騒ぎ。
ゆりえの父だけは、
「ふーん」
と興味なさそう。
しかし新聞のランキング記事は丁寧に切り抜いていた。
秋田のにかほでも、
「柚葉ちゃん四位!」
と親戚一同大騒ぎ。
小野寺家の彩音など、
「ゆず姉、次は世界だよ!」
とノムさんと同じことを言い始めた。
柚葉。
「お願いだから社長に影響されないで」
発売初週。
夢のようだった。
そして。
翌週。
ブラックキャブ事務所。
スタッフが新しいランキング表を持ってきた。
ノムさんは余裕の表情。
「今週は?」
「…………」
「三位か?」
「違います」
「二位?」
「違います」
「ほう、一位か!」
「百八十六位です」
空気が止まった。
ノムさん。
「…………何が?」
「『日本海、ふたり旅』です」
「百……?」
「八十六位」
ゆりえ。
「見事に落ちたちゃ」
柚葉。
「四位から百八十六位……」
ノムさんは紙を見る。
四位を探す。
ない。
十位。
ない。
五十位。
ない。
百位。
ない。
さらに下。
あった。
186位 白波小町『日本海、ふたり旅』
ノムさんはしばらく黙っていた。
そして。
小さな声。
「……ナイアガラじゃ」
誰かが吹き出した。
ノムさん。
「笑うな!」
古参スタッフ。
「いや、見事な落ち方で」
「四位じゃったんぞ!」
「初週特典効果ですね」
「百八十六位じゃぞ!」
「はい」
帝都レコード担当者だけはコーヒーを飲んでいる。
ノムさん。
「あんた何でそんな平然としとる!」
担当者。
「まあ、こんなモンですよ」
「こんなモン!?」
「初週は予約分とイベント分、購入特典があります」
「四位は?」
「初動型ですね」
「百八十六位は?」
「通常運転です」
「言い方!」
翌週。
少し上がる。
その次。
また下がる。
そこから『日本海、ふたり旅』はチャートの下の方を、潜水艦のように静かに航行し始めた。
ノムさんだけが焦る。
「特典増やすぞ!」
スタッフ。
「もういいです」
「十五枚購入で――」
「駄目です」
「二十枚でわしの私物――」
「もっと駄目です」
「三十枚で一日社長同行――」
柚葉。
「罰ゲームですか?」
ノムさん。
「何でじゃ!」
だが。
ゆりえと柚葉は変わらなかった。
客が百人でも歌う。
十人でも歌う。
五人でも。
地方の小さなラジオ局。
商店街。
スーパー。
レコード店。
どこへでも行った。
歌う。
頭を下げる。
サインする。
握手する。
ゆりえ。
「今日は八枚売れたちゃ」
柚葉。
「昨日より二枚多いですね」
嬉しそうだった。
ランキング四位だった時も。
百八十六位になった時も。
二人がやることは同じだった。
そんなある日。
ブラックキャブ事務所へ、浪花川龍太郎がやってきた。
浪速のシューベルト。
『日本海、ふたり旅』の作曲家。
事務所の机にはランキング表。
販促資料。
ノムさんが考えた謎の巻き返し企画。
浪花川はそれを見た。
「四位やったんやって?」
ノムさん。
「一週だけな」
「立派やん」
「次、百八十六位じゃ」
「順位ついとるだけええやろ」
「先生までそんなこと言う!」
浪花川は笑った。
そして。
ゆりえと柚葉を呼んだ。
三人で座る。
浪花川は、いつもの柔らかな表情だった。
「二人とも、よう頑張っとるな」
柚葉。
「ありがとうございます」
ゆりえ。
「でもあんまり売れとらんちゃ」
浪花川は首を振った。
「売れることは大事や」
ノムさんが頷く。
「そうじゃろ!」
「野村はちょっと黙っとれ」
「はい」
浪花川は続けた。
「レコード会社も商売や。事務所も商売。売れんかったら、次の曲を作る機会も減る」
二人は真剣に聞く。
「せやけどな」
少し間を置く。
「歌は、順位表だけのもんちゃう」
事務所が静かになる。
「一週間だけ一位におる歌がある」
「十年たっても、誰かが風呂場で口ずさんどる歌もある」
「二十年たって、ラジオから流れてきた時に『懐かしいなあ』言うてもらえる歌もある」
浪花川は穏やかに笑った。
「わしな、昔作ったCMソングで、作った本人が忘れかけとるような曲あるねん」
「でも、街歩いとったら知らん人が口ずさんどる」
「子どもの頃に聞いた」
「親父が好きやった」
「旅行先で聞いた」
「そんな理由で覚えてくれとる」
浪花川は二人を見た。
「それが、作った人間には一番嬉しい」
誰も冗談を言わなかった。
「歌はな」
「売れた枚数も大事や」
「賞も大事」
「順位も大事」
「でも最後に残るんは、人の心や」
そして。
浪花川龍太郎が、何十年も言い続けてきた言葉。
「歌はこころや」
ゆりえが静かに聞く。
浪花川。
「客が五人しかおらんかったら、その五人に歌えばええ」
「一枚しか売れんかったら、その一枚買うてくれた人にありがとう言うたらええ」
「その人が十年後も覚えてくれとったら、お前らの歌は十年生きたいうことや」
柚葉が小さく頷く。
「一週間の順位より、長く残る方が大切なんですね」
「そういうことや」
ゆりえ。
「じゃあ、うちらまだ始まったばっかりながね」
浪花川は笑った。
「そうや」
「四位から百八十六位になったくらいで、終わった顔すんな」
ノムさん。
「わしが一番終わった顔しとった……」
浪花川。
「お前は浮き沈み激しすぎんねん」
少しだけ笑いが戻る。
浪花川は最後に言った。
「二人とも」
「はい」
「長う歌い」
「上手い歌手より、長く歌える歌手になったらええ」
「いつか、この歌聞いて故郷思い出す人がおるかもしれん」
「その時まで歌が生きとったら、それでええ」
柚葉。
「はい」
ゆりえ。
「歌うちゃ」
その日の帰り。
二人の表情は、少しだけ変わっていた。
四位でも。
百八十六位でも。
歌は変わらない。
『日本海、ふたり旅』は同じ歌だった。
浪花川が帰ったあと。
古参スタッフがノムさんへ聞いた。
「社長」
「何じゃ」
「先生の話、響きました?」
ノムさんは珍しく真顔だった。
「響いた」
「そうですか」
「売上だけ追うたらいかんのう」
スタッフが感心する。
「社長も成長しましたね」
五分後。
ホワイトボード。
『白波小町 目標・ロングセラー百週!』
スタッフ。
「戻った!」
柚葉。
「五分でした」
ゆりえ。
「野村ラッパ復活早すぎるちゃ!」
ノムさん。
「長う売るんじゃろ!」
スタッフ。
「そういう話ではありません!」
ブラックキャブ事務所に、いつもの笑い声が戻った。
白波小町。
初登場四位。
翌週百八十六位。
天国からナイアガラ。
そこから始まった、本当の歌手生活。
彼女たちはまだ知らない。
一週間の順位より。
一枚のCDより。
もっと大切なものを、自分たちの故郷で受け取ることになるのを。
ただ今は。
今日も次の会場へ向かう。
着物。
CD。
サインペン。
そして『日本海、ふたり旅』を持って。
白波小町の旅は、まだ始まったばかりだった。




