野村ラッパ、日本海を吹き荒れる!?――富山湾の爆乳マーメイドと鳥海の雪月花、“ダブル・ヴィーナス”発進前夜
芸能界というところは、外から見れば華やかである。
照明。
カメラ。
拍手。
スポットライト。
売れっ子タレント。
きらびやかな衣装。
しかし、その裏側には電話をかけ続ける人間がいる。
頭を下げる人間がいる。
数字を見る人間がいる。
企画書を書き直す人間がいる。
そして、ごくまれに。
酒を飲みながら思いついたことを翌朝には会社の大型企画にしてしまう人間がいる。
ブラックキャブプロダクション社長、野村吉彦。
通称、ノムさんは、その最後の種類だった。
ブラックキャブプロダクション。
都内の一角に事務所を構える、中堅規模の芸能プロダクション。
所属タレントの中心は女性。
とりわけ、健康的でグラマラスな体形を持つグラビアタレントの発掘と育成では、業界内で妙に知られた存在だった。
ただし、いわゆる完成品ばかりを集める会社ではない。
むしろ逆だった。
少し田舎くさい。
服装が垢抜けない。
写真の撮られ方を知らない。
話し方もぎこちない。
本人すら自分の魅力に気づいていない。
そんな女性を見つけ出し、
「これ、化けるで」
と言い張る。
そして時間をかけて磨いていく。
姿勢。
歩き方。
表情。
視線。
体調管理。
衣装。
カメラとの距離。
スタッフとの付き合い方。
現場での礼儀。
売れたあとに天狗にならないこと。
ノムさんは、その全部を見る。
創業当初から変わらないブラックキャブ流だった。
芸能プロダクションというより、半分は町工場に近い。
素材を見つけて。
磨いて。
失敗して。
また直す。
そして世に出す。
そのやり方を半世紀近く続けてきた。
もっとも。
社長本人は、そんな美しい言葉で自分の仕事を説明したことなど一度もない。
「売れるもんは売るんじゃ!」
だいたいそれで終わる。
そんなノムさんは、広島県出身。
江波のどかが通った高校の、はるか昔の大先輩でもある。
年齢はもう七十前後。
世代でいえば、戦後のベビーブームの真ん中を歩いてきた年代。
後期高齢者という言葉が視界に入ってきてもおかしくない年齢だが、本人にその自覚は薄い。
白髪は増えた。
しかし顔立ちは今でも整っている。
元役者だけあって姿勢も悪くない。
派手すぎないが妙に目立つジャケット。
少し色味の強いシャツ。
季節によってはサングラス。
携帯電話は二台。
名刺入れは厚い。
知らない人が見ても、
「あの人、絶対ギョーカイや」
と分かる。
高校卒業後、ノムさんは京都の撮影所へ入った。
映画がまだ大衆娯楽の王様だった時代である。
大部屋俳優。
武士。
町人。
浪人。
やくざの子分。
旅人。
通行人。
悪党その一。
悪党その二。
悪党その三。
斬られ役。
殴られ役。
転ぶ役。
倒れる役。
何でもやった。
ただし、スターにはならなかった。
台詞もほとんどなかった。
名前が大きく出ることもなかった。
役者として芽が出たとは、とても言えない。
だが、その時代にノムさんは芸能界の裏側を見た。
監督は誰を信用するのか。
助監督は誰を呼びたがるのか。
現場スタッフは誰を嫌うのか。
売れる役者は、売れる前に何が違うのか。
宣伝がどう作られるのか。
撮影現場と芸能事務所とスポンサーがどうつながっているのか。
やがてノムさんは、自分で結論を出した。
「わし、演じるより売る方が向いとる」
役者を辞めた。
裏方へ回った。
大手芸能事務所へ移り、付き人から始める。
歌手。
俳優。
司会者。
コメディアン。
いろいろな大物タレントの現場を経験した。
地方営業。
テレビ局回り。
出版社への売り込み。
広告代理店との交渉。
クレーム処理。
遅刻したタレントの代わりに謝る。
売れない新人を連れて雑誌編集部へ頭を下げる。
売れた新人が天狗になれば叱る。
とにかく何でもやった。
そして独立。
ブラックキャブプロダクションを設立した。
芸能界では、ノムさんのことを昔からこう呼ぶ。
野村ラッパ。
理由は簡単。
話がでかい。
新人を一人連れていけば、
「この子、来年は表紙全部取るけえ!」
写真集の企画会議なら、
「十万部じゃ!」
地方局のプロデューサーには、
「この子は全国区になるで!」
まだ仕事が一本も決まっていないのに、
「来年は忙しゅうなるぞ!」
と先に言う。
スタッフ曰く。
ノムさんの話は、
三割が現実。
三割が予定。
三割が願望。
残り一割が本人にもよく分かっていない。
ただし。
単なるホラ吹きなら、半世紀以上この業界で生き残れるわけがない。
大風呂敷を広げたあと、本当に仕事を取りに行く。
電話する。
会いに行く。
昔の人脈を掘り起こす。
若い担当者にも頭を下げる。
地方局のプロデューサーにも連絡する。
出版社の編集長にも会う。
広告代理店にも顔を出す。
そして、ときどき本当に何かを取ってくる。
だから業界人も、
「またノムさんが言っとる」
と笑いながらも、完全には無視できない。
波田巌蔵顧問とも古い付き合いである。
芸能界と政府関係。
生きてきた畑は違う。
だが、互いに昭和の現場を知っている。
細かい説明がなくても話が通じる。
その縁から、ブラックキャブは戦隊ヒロインプロジェクトのイベントにもたびたび協力していた。
若いヒロインたちからも、ノムさんは単なる芸能事務所社長ではない。
何となく親戚のおじさんのような扱いである。
ただし。
江波のどかと組ませてはいけない。
この二人。
広島県出身。
同じ高校の大先輩と後輩。
妙なところで息が合う。
ヒロ室広島支部、通称「ヒロヒロ」でノムさんとのどかが一緒になると、昭和の深夜番組でも躊躇しそうな企画が始まる。
夜中の広島駅前ですごろく。
午前四時に寝起きイントロクイズ。
路面電車に乗って終点まで行き、降りて五分で折り返す。
商店街で百円だけ渡されて、何時間楽しめるか。
真冬の早朝に突然ラジオ体操大会。
のどか。
「ノムさん、これ誰が見るん?」
ノムさん。
「見るやつがおるからやるんじゃろ!」
「まだ配信前じゃけえ、分からんじゃろ」
「細かいこと言うな!」
そしてなぜか見る人がいる。
配信視聴者は多い。
コメント欄も盛り上がる。
その数時間後。
新橋。
芹沢遥室長から電話。
「誰が午前四時に生配信していいって言ったのらあああ!」
ノムさん。
「遥ちゃん、視聴者数は良かったんよ」
「数字の問題じゃないのら!」
のどか。
「でも、コメント欄めっちゃ盛り上がっとったで」
「のどかまで一緒にならないのら!」
この光景も、もはや恒例だった。
そんなブラックキャブが現在、特に力を入れて売り出している二人のタレントがいる。
一人目。
氷見ゆりえ。
キャッチコピー。
「富山湾の爆乳マーメイド」
富山県出身。
高校時代、高岡市内でノムさんに見いだされた。
当時のゆりえは、芸能界志望ではなかった。
むしろ堅実だった。
卒業後は地元漁協への就職が内定していた。
魚。
港。
富山湾。
それらに囲まれて、そのまま地元で働くつもりだった。
小柄。
色白。
体形は非常にグラマラス。
しかし、それ以外は正直言って垢抜けていなかった。
髪型も普通。
服も普通。
化粧も控えめ。
ポーズも取れない。
カメラを向けられると固まる。
第一印象だけなら、
「本当にグラビア?」
と思われても仕方ない。
ところがノムさんだけは違った。
高岡の街中でゆりえを見かけた瞬間、
「この子、写真にしたら化ける」
と言った。
同行していたスタッフは、
「社長、ほんまですか?」
と半信半疑。
ノムさん。
「お前ら目ぇついとるんか!」
後年、そのスタッフは言った。
「あの時だけは社長が正しかったです」
ノムさん。
「だけは、は余計じゃ!」
ゆりえ本人も努力した。
むしろ、才能より努力で伸びた部分が大きい。
歩き方。
姿勢。
表情。
目線。
ポーズ。
身体の見せ方。
食生活。
肌のケア。
取材での受け答え。
現場での挨拶。
一つずつ覚えた。
ノムさんも徹底的に教えた。
「作り笑いするな」
「背ぇ丸めるな」
「自分の身体を恥ずかしがるな」
「スタッフの名前覚えろ」
「売れた時ほど挨拶せえ」
古い。
うるさい。
しかし、ゆりえは全部やった。
結果。
眠っていた魅力が出た。
都会的すぎない。
素朴。
親しみやすい。
それでいて写真になると、しっかり存在感がある。
写真集は好調。
映像作品も売れた。
雑誌掲載も増えた。
ノムさんのねじ込みもあり、戦隊ヒロインプロジェクトにも参加。
こちらでも真面目に任務をこなし、地元富山のPRでは魚や漁業の知識を生かした。
器用なタイプではない。
しかし、努力する。
失敗したことは次には直す。
それが氷見ゆりえだった。
もう一人。
阿部柚葉。
キャッチコピー。
「鳥海の雪月花」
秋田県にかほ市出身。
大家族の中で育った。
進学を機に首都圏へ。
現在は川崎市北部の親戚宅に居候しながら、都内の有名私立大学へ通っている。
長身。
長い黒髪。
透き通るような色白。
整った顔立ち。
静かな目。
典型的な秋田美人。
しかもグラマラス。
おまけに勉強もできる。
話し方も落ち着いている。
礼儀正しい。
一見すると、完全に大和撫子。
戦隊ヒロインプロジェクトへ参加したきっかけは、月島小春の男友達を通じた縁。
参加してすぐ、その美貌で人気が出た。
ただし。
柚葉には一つ妙な癖があった。
普段は大人しい。
理知的。
声を荒らげない。
無駄に前へ出ない。
ところが時々。
急に尖る。
しかも真顔で。
撮影スタッフ。
「今日の撮影、ここまでで十分じゃない?」
柚葉。
「せっかくなら、もう少し大胆にしてもいいと思います」
スタッフ。
「どのくらい?」
「崖の近くとか」
「駄目です」
別の日。
ノムさん。
「普通の構成でいこうや」
柚葉。
「普通だと埋もれませんか?」
「お前、たまにわしより営業向きじゃのう」
故郷にかほ市には、世界的な電子部品メーカーの巨大な生産拠点がある。
精密。
高性能。
先端技術。
尖った製品。
ノムさんは勝手に、
「にかほの電子部品魂じゃ!」
と呼んでいる。
柚葉本人は、
「多分関係ないです」
と否定している。
その柚葉は、自ら希望してグラビアにも挑戦した。
ブラックキャブ所属。
写真集発売。
こちらも売れ行きは好調。
長身で洗練された美しさ。
静かな知性。
そこへ時々、思い切りのいい大胆さ。
ゆりえとは全く違う魅力で人気が伸びていた。
小柄で素朴なゆりえ。
長身で理知的な柚葉。
富山湾。
鳥海山。
グラビア。
戦隊ヒロイン。
日本海側出身。
地元愛。
ノムさんの頭の中で、この材料が並んだ。
そして。
ある晩。
全てが始まった。
場所は都内の小料理屋。
ブラックキャブの古参スタッフ数人とノムさん。
仕事が一段落していた。
ビール。
日本酒。
刺身。
焼き魚。
ノムさんはかなり機嫌が良かった。
ゆりえの写真集が好調。
柚葉の写真集も好調。
二人の戦隊ヒロイン活動も評判がいい。
ノムさんは日本酒を一口飲んだ。
そして突然言った。
「日本海じゃ」
スタッフ。
「は?」
「日本海じゃ!」
「何がです?」
「ゆりえは富山湾。柚葉は鳥海山。二人とも日本海じゃろ!」
古参スタッフは刺身を食べながら、
「まあ、そうですね」
程度の反応。
ノムさんはさらに飲む。
「二人並べたらええじゃろ!」
スタッフ。
「そうですかね」
「日本海ダブル・ヴィーナスじゃ!」
スタッフ。
「はあ」
全然驚かない。
ノムさん。
「もっと反応せえ!」
古参マネージャー。
「社長、今まで酔っぱらって『瀬戸内美女艦隊』とか『東北雪女軍団』とか言うてたじゃないですか」
「そんなこと言うたか?」
「言いました」
「覚えとらん」
「でしょうね」
そこへノムさんが箸袋の裏に何か書き始める。
『ブラックキャブプロダクション創立記念企画』
その下。
『日本海ダブル・ヴィーナス計画』
スタッフの一人が聞く。
「社長」
「何じゃ」
「今年、創立何周年でしたっけ?」
ノムさん。
「知らん」
「え?」
「別にキリのええ年ちゃう」
「じゃあ何の創立記念ですか?」
ノムさんは日本酒を飲んだ。
「創立した会社なんじゃけえ、毎年創立記念じゃろ」
一同、沈黙。
古参マネージャー。
「また始まった」
別のスタッフ。
「はいはい」
さらに若手社員だけが真面目に確認する。
「え、本当に創立記念企画じゃないんですか?」
先輩社員が小声で言う。
「気にしたら負け」
「でも資料には……」
「明日には変わっとるかもしれん」
翌朝。
変わっていなかった。
むしろパワーアップしていた。
ブラックキャブ会議室。
ホワイトボード。
ノムさん。
サングラス。
腕組み。
その前にスタッフ。
ゆりえ。
柚葉。
ノムさんが赤いペンで大きく書く。
『ブラックキャブプロダクション創立記念企画
日本海ダブル・ヴィーナス計画』
ゆりえは数秒黙った。
「……社長」
「何じゃ?」
「創立記念って何周年なが?」
ノムさん。
「そこは重要じゃない」
柚葉。
「記念企画なのに周年が重要ではないんですか?」
「重要なのは企画じゃ!」
古参スタッフは誰も突っ込まない。
「あぁ、またか」
という顔。
若手社員だけが混乱している。
「昨日決まったんですか?」
古参スタッフ。
「昨日というか、酔っぱらって思いついたみたい」
「それを今日会議に?」
「いつものこと」
「止めないんですか?」
「止めて止まるなら、とっくに止めてる」
ノムさん。
「そこ! 私語せん!」
スタッフ。
「はいはい」
全く緊張感がない。
ノムさんはホワイトボードを叩いた。
「ええか!」
誰も驚かない。
「富山湾の爆乳マーメイド!」
ゆりえを指す。
「鳥海の雪月花!」
柚葉を指す。
「日本海が生んだ二大美女!」
両手を広げる。
「この二人で、日本海を取る!」
ゆりえ。
「また大きいこと言い始めたちゃ」
柚葉。
「日本海は複数の国に面していますが」
「国際問題にするな!」
スタッフは普通にメモしている。
若手社員だけ目を丸くしている。
「皆さん、驚かないんですか?」
先輩社員。
「社長が『世界を取る』って言わんかっただけ今日は控えめ」
「これでですか?」
ノムさんは構わず続ける。
ホワイトボードに三本柱。
一、二人合同の大型写真集。
二、地域密着ドキュメント。
三、戦隊ヒロインPR。
ゆりえ。
「欲張りすぎじゃない?」
柚葉。
「どうやって一つの企画にまとめるんですか?」
ノムさん。
「そこを今から考える!」
古参スタッフ。
「はい、いつものパターン」
若手。
「何も決まってないじゃないですか!」
古参。
「大丈夫。そのうち誰かが決める」
「誰が?」
古参スタッフ全員。
「我々」
ノムさんの野村ラッパは、さらに吹き荒れた。
「写真集は売れる!」
スタッフ。
「部数は?」
「十万!」
古参スタッフが手元のメモに、
《社長予想10万→現実目標別途設定》
と書く。
「地方局も全部乗せる!」
《地方局数局へ打診》
「富山から秋田まで全部巻き込む!」
《関連地域を精査》
「観光協会も!」
《候補地選定》
「自治体も!」
《先方確認必須》
「戦隊ヒロインも全面協力じゃ!」
スタッフ。
「そこ、ヒロ室にまだ話してません」
ノムさん。
「波田さんに電話する!」
スタッフ。
「今じゃなくていいです」
「何でじゃ!」
「朝九時です」
「起きとるじゃろ!」
「起きてても迷惑です」
ゆりえは頭を抱えた。
「ほんまに始めるつもりなが?」
ノムさん。
「もちろんじゃ!」
柚葉。
「私は面白いと思います」
ゆりえが振り向く。
「柚葉ちゃん?」
柚葉は静かな笑顔。
「富山と秋田で全く違う景色が撮れそうですし」
ノムさん。
「ほら見い!」
柚葉。
「冬の鳥海山でも撮れますね」
ノムさん。
「そうじゃ!」
「吹雪の中で」
ノムさん。
「……そこまでせんでええ」
「日本海の冬らしさは出ます」
「寒いじゃろ」
「画になります」
ゆりえ。
「柚葉ちゃん、また尖っとるよ」
スタッフ。
「社長より企画攻めてきた」
ノムさんは少し嬉しそう。
「やっぱり柚葉ちゃんはええのう!」
ゆりえ。
「煽らんで!」
そしてノムさんは、二人をライバルに仕立てる案まで言い出した。
「富山湾対鳥海山!」
ゆりえ。
「別に戦いたくない」
「日本海美女頂上決戦!」
柚葉。
「勝敗基準は何ですか?」
ノムさん。
「……人気?」
「曖昧ですね」
「写真集売上!」
ゆりえ。
「同じ本出すんじゃないの?」
ノムさんが止まった。
スタッフ。
「社長、企画破綻してます」
「細かい!」
「大きいです」
「ほんならライバル設定だけ残す!」
ゆりえ。
「柚葉ちゃん、普通にええ子やし」
柚葉。
「私もゆりえさんと争う理由はありません」
ノムさん。
「お前ら、もうちょいバチバチせえ!」
二人。
「嫌です」
古参スタッフ。
「ここも予想通り」
若手社員。
「何が予想通りなんですか?」
「社長がライバル売りしたがって本人同士が仲良くなるパターン」
「過去にも?」
「何回も」
ゆりえは呆れながらホワイトボードを見た。
高校時代。
漁協へ就職する予定だった。
それが今ではグラビアタレント。
写真集。
戦隊ヒロイン。
そして目の前には、
日本海ダブル・ヴィーナス計画
である。
人生には本当に何があるか分からない。
柚葉も同じだった。
にかほ市の大家族から首都圏へ。
大学。
戦隊ヒロイン。
グラビア。
そして今度は日本海。
普通に大学生活だけを送っていれば、まず参加することのない企画名である。
ゆりえが聞いた。
「社長」
「何じゃ?」
「ほんまに、どこまで決まっとるん?」
ノムさんは胸を張った。
「タイトル」
「それだけ?」
「あと二人を使う!」
柚葉。
「それは最初から分かっています」
「合同写真集!」
スタッフ。
「出版社未定」
「ドキュメント!」
「媒体未定」
「地域PR!」
「自治体未調整」
「戦隊ヒロイン!」
「ヒロ室未承認」
ノムさん。
「……これからじゃ!」
古参スタッフ。
「あぁ、いつものやつですね」
「お前ら、もうちょい夢持て!」
マネージャーが淡々と言う。
「夢はあります。工程表も必要です」
別のスタッフ。
「予算もです」
「許可もです」
「撮影地も」
「出版社も」
「契約も」
ノムさん。
「急に現実ばっかり言うな!」
「我々の仕事ですから」
これがブラックキャブだった。
社長がラッパを吹く。
スタッフが音量を現実的な大きさまで下げる。
社長が風呂敷を広げる。
スタッフが端から畳み直す。
社長が「十万部」と叫ぶ。
営業担当が実売予測を出す。
社長が「日本海全部」と言う。
制作担当が富山と秋田から始める。
それで何十年もやってきた。
若手社員が、ようやく理解し始める。
「つまり社長の発言を、そのまま実行するわけじゃないんですね」
古参マネージャー。
「当たり前や」
「じゃあ何なんです?」
「火付け役」
「なるほど」
「たまに山火事になるけど」
「駄目じゃないですか」
その日の午後。
事務所に電話が鳴った。
ノムさんが取る。
「もしもし! おお、久しぶりじゃのう!」
スタッフが顔を上げる。
出版社の編集者。
続いて地方局。
観光関係者。
さらに昔から付き合いのあるカメラマン。
さっきまで酔っぱらいの思いつきだったはずの企画が、少しずつ形を持ち始める。
スタッフの一人が呟いた。
「……ほんまに動かし始めた」
古参マネージャー。
「だから厄介なんよ」
「ラッパだけじゃないんですね」
「ラッパ吹いたあと走るからな」
夕方。
ノムさんはもう出版社へ出かける準備をしていた。
ゆりえが聞く。
「どこ行くが?」
「売り込みじゃ!」
柚葉。
「まだ企画書完成してませんよ」
「口で説明する!」
スタッフ一同。
「やめてください!」
ノムさん。
「何でじゃ!」
「話増えるからです!」
笑いが起きる。
ノムさんは不満そうだったが、それでも嬉しそうだった。
七十歳前後。
芸能界半世紀以上。
何度も流行が変わった。
スターの作り方も変わった。
雑誌も変わった。
テレビも変わった。
インターネットも出てきた。
それでも彼は、人を見つけて。
面白いと思ったものに賭けて。
大きなことを言って。
怒られて。
頭を下げて。
仕事を取ってきた。
今回も同じである。
ホワイトボードには、大きな赤字。
『ブラックキャブプロダクション創立記念企画
日本海ダブル・ヴィーナス計画』
その下。
ノムさんがさらに書き足す。
『日本海、全部いただきます。』
柚葉が静かに見る。
「社長」
「何じゃ?」
「それは対外資料には入れない方がいいと思います」
ゆりえも頷く。
「絶対やめた方がええちゃ」
スタッフ全員も頷いた。
ノムさん。
「ほんなら……」
赤ペンで訂正。
『日本海、だいたいいただきます。』
スタッフ。
「悪化してます」
「何がじゃ!」
若手社員が思わず笑った。
古参スタッフはもう誰も笑っていない。
なぜなら完全に慣れているからである。
一人が資料を閉じる。
「はい。じゃあ社長のラッパ部分を全部削って、明日までに現実的な企画書作ります」
別のスタッフ。
「出版社候補、三社出します」
「富山と秋田の撮影候補も洗います」
「ヒロ室への正式相談、誰がやります?」
一同。
ノムさんを見る。
ノムさん。
「わし?」
スタッフ。
「言い出した人がお願いします」
「そこは社長特権で誰か――」
「ありません」
「冷たいのう!」
ゆりえは笑った。
柚葉も口元を緩めた。
二人とも分かっていた。
この会社は、だいたいこんな感じなのだ。
社長は派手。
スタッフは冷静。
企画は最初、大抵おかしい。
でも不思議と、そこから何かが生まれる。
日本海ダブル・ヴィーナス。
富山湾の爆乳マーメイド。
鳥海の雪月花。
合同大型写真集。
地域密着ドキュメント。
戦隊ヒロインPR。
そして意味のない創立記念。
全部を一つに詰め込んだ、とんでもない企画。
まだ中身はほとんど決まっていない。
それでも。
野村ラッパは、もう鳴ってしまった。
そしてブラックキャブのスタッフにとって、それは合図だった。
「あぁ、また始まった」
そう言いながら。
全員もう、動き始めている。
次回。
『日本海ダブル・ヴィーナス計画、始動――ノムさん、富山と秋田を勝手につなぐ!?』
酔っぱらいの思いつきは、果たして本当に仕事になるのか。
その答えを一番疑っているのは、ゆりえと柚葉だった。
そして一番疑っていないのは、もちろんノムさん本人だった。




