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ヒロインズ・リンク 〜戦隊ヒロインプロジェクト〜  作者: スパイク


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1236/1267

昨日の敵は、今日も好敵手――西川彩香、父の知られざる青春と“ミスター社会人”の再会

吹田市千里丘。


よく晴れた休日の朝。


広大な芝生広場には、開場前から家族連れの列ができていた。


大型ステージ。


健康測定コーナー。


AED体験。


親子ストレッチ。


子ども向けダンス。


ボール遊び。


そして広場の奥には、簡単な少年少女野球教室を行えるだけの広い運動スペースまで用意されている。


入口には、ひときわ大きな看板。


「大和生命 presents 戦隊ヒロイン・未来をつなぐフェスタ」


スポンサーは大阪市に本社を置く世界最大級の生命保険会社、大和生命保険相互会社。


全国に巨大な顧客基盤を持ち、スポーツ振興や地域貢献にも積極的な、日本を代表する大企業である。


今回のイベントのテーマは、


「健康、挑戦、そして未来。」


生命保険会社が主催すると聞けば、難しい保険商品の説明会でも始まりそうなものだが、今日は違う。


子どもたちに身体を動かす楽しさを知ってもらう。


家族で健康について考える。


AEDに触れてみる。


そして、スポーツや戦隊ヒロイン活動を通じて、


「誰かを支えること」


を知ってもらう。


そんな一日だった。


そこへ西日本各地から戦隊ヒロインが集まった。


河内の閃光、赤嶺美月。


兵庫代表、西川彩香。


紀州の舞姫、白浜麻衣。


四日市の突貫娘、山本あかり。


安芸の快姫、江波のどか。


因幡の太陽、山根梨乃。


讃岐の迅雷、大西結月。


そして総合MCは、神戸放送のレポーターでもある三好さつき。


ステージ中央。


さつきがマイクを握った。


「皆さま、本日は『大和生命 presents 戦隊ヒロイン・未来をつなぐフェスタ』へお越しいただき、誠にありがとうございます」


上品。


落ち着いている。


発音も明瞭。


美月が彩香へ小声。


「さつき、めちゃくちゃちゃんとしてへん?」


彩香も小声。


「一応プロやからな」


さつきは笑顔を崩さないまま横目で二人を見る。


そして口だけ動かした。


「聞こえとるで」


二人とも黙った。


スポンサー企業の前では、さつきも強い。


さらに。


この日は珍しい人物まで来ていた。


葛城正男。


戦隊ヒロインプロジェクト室長代理。


通称、まさにゃん。


普段、地方イベントにはほとんど姿を見せない。


ところが今日は吹田市。


単身赴任中の自宅が近い。


そのため、


「どうせ家帰るし」


という理由だけで、珍しく現場へ顔を出していた。


美月が聞く。


「まさにゃん、今日は何担当なん?」


まさにゃんは芝生横のベンチへ座り、缶コーヒーを飲んでいる。


「全体を見る」


「何してんの?」


「全体を見とる」


「具体的には?」


「全体や」


三回聞いても同じだった。


イベント開始後。


結月が親子ストレッチを担当。


元女子競輪選手で、現在はスポーツインストラクターとしても活動しているだけあって、説明は本格的だった。


「無理に伸ばさなくていいですよ。痛いところまでやると逆効果です。気持ちいいところで止めましょう」


高齢者にも好評。


親子にも好評。


スタッフが感心するほど手慣れている。


一方。


柔道有段者で、学生時代にはソフトボール経験もある江波のどか。


「ボール怖がらんでええよー。胸の前でこうやって取るんじゃ」


小学生相手にボールの捕り方を指導。


子どもが初めて捕球すると、


「おおっ! 今のええじゃん!」


本人が一番喜ぶ。


白浜麻衣はダンスコーナー。


「ほんなら、マイヤンと一緒にやってみよか~。右、左、くるっと回って~」


小さな子どもたちが一斉に真似する。


麻衣も笑う。


完全に幼稚園のお姉さん状態だった。


そして。


山本あかりと山根梨乃。


二人には、今回あまり専門的に任せられる企画がなかった。


最終的に担当したのが、


「子どもたちと自由に遊ぶ」


という、企画と呼んでいいのか分からない仕事。


梨乃。


「鬼ごっこする人ー!」


子どもたち。


「はーい!」


あかり。


「うちも入るで!」


十五分後。


梨乃。


「ちょ、待って! みんな速いって!」


あかり。


「子どもってなんで疲れへんの!?」


完全に追い回されていた。


その横を通りかかったまさにゃん。


「若いなあ」


美月。


「室長代理も混ざったら?」


「腰いわすわ」


参加する気ゼロ。


やっぱりただいるだけだった。


そんな賑やかな会場全体を、少し離れたところから穏やかな表情で見ている男がいた。


杉原正人。


五十代後半。


大和生命保険相互会社・法人営業本部部長兼スポーツ振興担当。


がっしりした体格。


肩幅も広い。


だが威圧感はない。


話し方は柔らかく、部下へも横柄に接しない。


社員が慌てて資料を落とせば、


「大丈夫ですよ。まだ時間ありますから」


と自分も拾う。


ヒロインたちへも、


「皆さん、今日は暑くなりますので水分だけはしっかり取ってくださいね」


と普通に声を掛ける。


美月は、


「大企業の部長さんってもっと怖いんかと思ってたわ」


と彩香に言った。


彩香も、


「優しい人やな」


と頷く。


二人とも知らない。


いや。


ヒロイン全員が知らない。


この柔和な大企業の部長こそ。


かつて日本の社会人野球界で、


「ミスター社会人」


と呼ばれた男であることを。


現役時代。


大和生命野球部の絶対的エース。


大投手としては決して上背に恵まれていたわけではない。


豪速球だけでねじ伏せるタイプでもなかった。


最大の武器は。


恐ろしいほどの制球力。


そして打者の手元で鋭く滑るスライダー。


右打者の外角。


左打者の膝元。


打者が、


「ボールだ」


と思った瞬間にストライクゾーンへ入ってくる。


あるいは、


「打てる」


と思った瞬間、バットの芯から消える。


都市対抗。


日本選手権。


国際大会。


大舞台になればなるほど強かった。


全日本では絶対的エース。


オリンピックには三大会出場。


一つの銀メダル。


一つの銅メダル。


日の丸を背負って世界最強国と投げ合った。


当時はドラフト1位候補。


プロ球団だけではない。


海の向こうからもスカウトがやってきた。


それでも杉原はプロへ行かなかった。


理由は一つ。


五輪で金メダルを取りたかった。


そして当時、世界最強と恐れられていたキューバを倒したかった。


プロ入りしていれば二百勝した。


今でもそう語る野球人がいる。


本人へ言えば、


「いやいや。プロはそんな甘くないですよ」


と笑って否定する。


伝説を一番軽く扱っているのが本人だった。


現役引退後も、大和生命を辞めなかった。


営業。


法人顧客。


取引先回り。


提案書。


会議。


契約。


野球とはまるで違う世界。


そこでも長く経験を積み、現在は部長職。


だからこそ物腰が柔らかい。


自分が話すより、まず相手の話を聞く。


若手社員にも、


「君はどう思う?」


と尋ねる。


選手時代も、会社員になってからも、


人を自分の型にはめるより、その人自身に考えさせる。


そんな男だった。


ところが本人。


美月から、


「杉原さん、昔スポーツとかしてはったんですか?」


と聞かれると、


「ええ。野球を少し」


と答える。


近くにいた大和生命の古参社員が振り返った。


「少し……?」


美月。


「草野球?」


古参社員。


「違います」


杉原。


「昔の話ですから」


それで終わらせてしまう。


午後。


広場の奥に設けられた野球スペース。


「大和生命×戦隊ヒロイン 未来の球児・少年少女野球教室」


が始まった。


野球経験は問わない。


男の子も女の子も参加できる。


まずはボールを握る。


投げる。


捕る。


打つ。


それだけ。


「上手になる」より「楽しい」を重視する教室だった。


杉原が子どもへボールを見せる。


「野球ってね、最初から速い球投げなくてもいいんですよ」


少年が聞く。


「三振取れなくても?」


「取れなくてもいい」


「え?」


杉原は笑う。


「打たせても、後ろに仲間がいるでしょう?」


外野を見る。


「仲間が捕ってくれたらアウトです」


少年は少し考える。


杉原。


「一人で全部やろうとしなくていいんですよ」


その言葉を、彩香が何となく聞いていた。


彩香は外野守備担当。


父・西川剛史から子どもの頃に教わったことを、そのまま子どもたちへ伝える。


「ボールだけ見て追いかけんでええよ。最初の一歩が大事やから」


ゴロを転がす。


子どもが捕る。


「そうそう。上手やん」


その様子を杉原が見る。


少し離れたところから。


一回。


二回。


彩香の動きを見る。


そして何かに気づいた。


ゴロ。


彩香が一歩前へ入る。


捕球。


身体を流さず、素早く送球。


杉原の表情が変わる。


ゆっくり彩香へ近づく。


「西川さん」


「はい?」


「ちょっと聞いてもいいですか」


「何です?」


「その捕り方」


杉原が身振りで再現する。


「誰に教わりました?」


彩香は少し不思議そう。


「父ですけど」


「お父さん?」


「はい」


杉原は笑う。


「野球されてたんですか?」


「昔、社会人野球を」


「へえ。どちらで?」


「大日本製鉄広畑です」


杉原の笑顔が止まった。


ほんの一瞬。


彩香は気づかない。


「お名前は?」


「西川剛史です」


その名前。


杉原の目が大きくなる。


何十年も前。


近畿地区。


夏。


都市対抗への一枚の切符。


マウンドから見た左打席。


ファウル。


ファウル。


またファウル。


外角ぎりぎり。


見逃し。


ボール。


簡単には三振しない。


簡単には打ち取れない。


何度投げても嫌な打者。


そして別の日。


日の丸。


同じベンチ。


同じ全日本。


マウンドから外野を見る。


そこにいる男。


記憶が一瞬で戻る。


杉原がゆっくり聞いた。


「……今日、来てます?」


「父ですか?」


「はい」


彩香は観客席を指差す。


「あそこに」


杉原が振り向く。


広場の端。


腕を組みながら、娘の様子を見ている男。


髪に白いものが増えた。


体形も現役時代とは違う。


だが。


立ち方。


目。


間違えない。


杉原は数秒、何も言わなかった。


剛史も気づく。


遠くから杉原を見る。


目が合った。


剛史の表情が変わる。


鉄仮面のような男の口元が、ほんの少し上がる。


杉原が呟く。


「……西川」


剛史。


「杉原か」


時間が止まる。


二十代へ戻る。


杉原が歩き出す。


途中から少し早足になる。


「西川!」


剛史も観客席から下りる。


二人が近づく。


握手。


強く握る。


そして同時に肩を叩く。


「久しぶりやな!」


「お前、変わったな」


「お前もや!」


杉原が笑う。


剛史も笑う。


彩香が目を丸くする。


父が。


あの無口な父が。


こんな顔で笑うのを、ほとんど見たことがない。


杉原。


「何年ぶりや?」


剛史。


「数年やろ」


「数年でも連絡せえよ」


「お前もや」


「相変わらずやなあ!」


彩香が近づく。


「父ちゃん」


「何や」


「杉原さんと知り合いなん?」


剛史。


「昔、同じ地区でちょっとやっただけや」


杉原が即座に否定。


「ちょっとちゃう!」


周囲が笑う。


「何回こいつに粘られたと思ってんねん」


剛史。


「こっちもあのスライダー、ほんま嫌やったわ」


杉原。


「お前はファウルで粘るし、クサいところは見逃すし」


剛史。


「ボール球振ってどないすんねん」


「それや。それが嫌やった」


杉原は彩香へ向かう。


「彩香ちゃん」


「はい」


「お父さんな」


剛史。


「余計なこと言うな」


「キューバの四番より厄介やったで」


彩香。


「ええっ?」


剛史。


「言い過ぎや」


杉原。


「キューバの四番は振ってくれるもん。こいつ振らへんねん」


「ストライク投げたらええやん」


「投げたらファウルやろ!」


二人とも笑う。


そこだけ。


まるで昨日まで現役だったようだった。


杉原が剛史へボールを渡す。


「せっかくや。手伝え」


「俺、今日は客や」


「外野守備教えられるやろ」


「何年前の話や」


彩香。


「父ちゃん、やったらええやん」


剛史が娘を見る。


「お前まで言うんか」


結局。


ジャケットを脱ぐ。


グラウンドへ入る。


子どもたちの前。


杉原が軽く打球を上げる。


剛史が動く。


全盛期ほど速くない。


だが。


一歩目に無駄がない。


落下地点へ入る。


両手で捕る。


すぐ返球。


杉原。


「変わってへんな」


剛史。


「お前が打つん下手なだけや」


「投手やぞ!」


子どもたち爆笑。


今度は杉原。


投球を見せる。


全力ではない。


まず真っ直ぐ。


外角低め。


もう一球。


ほぼ同じ場所。


のどか。


「え、何で同じとこ行くん?」


続いてスライダー。


捕手役のスタッフが一瞬ミットをずらす。


「うわっ!」


美月。


「めっちゃ曲がった!」


彩香。


「父ちゃん、あれ打ってたん?」


剛史。


「嫌やった言うとるやろ」


美月がようやく杉原の正体に興味を持つ。


「杉原さん、都市対抗とかも出てはったん?」


杉原。


「はい」


「ウチも出てんで!」


杉原が目を丸くする。


「選手で?」


「ちゃうちゃう!」


美月は笑う。


「大阪のガス会社のチアリーダー」


杉原。


「ああ!」


突然、手拍子。


「オ・オ・サ・カ、Go! Go! Go!」


美月。


「知ってるん!?」


「知ってますよ」


杉原は楽しそう。


「近畿予選でマウンド立って集中しとるのに、耳に入ってくるんですよ」


もう一度。


「オ・オ・サ・カ、Go! Go! Go!」


美月、大爆笑。


「ノリノリやん!」


杉原。


「あれ嫌やったわあ」


「なんで!」


「盛り上がるから」


「応援やから当たり前やん!」


「ブラスバンドも上手やったし。こっち一球一球集中しようとしてるのに、球場全部そっちの空気になるんですよ」


美月は妙に誇らしげ。


「ほな、応援団としては成功やな」


「完全に成功」


社会人野球。


会社の名前を背負う選手。


会社の応援団。


社員。


家族。


全部が一緒になって戦う。


杉原は、その世界が本当に好きだった。


野球教室が終わる。


子どもたちが帰り始める。


杉原はスポーツドリンクを手に取ろうとして、白浜麻衣の名札へ目を留めた。


「白浜さん」


「はい?」


「和歌山の方ですよね?」


麻衣が驚く。


「なんで知ってはるんです?」


「出演者プロフィールに書いてありました」


「ああ」


納得。


杉原が笑う。


「僕も和歌山なんです」


麻衣。


「ええっ!?」


声が大きくなる。


美月まで振り返る。


「杉原さん大阪ちゃうん?」


「会社が大阪なだけですよ」


麻衣が一気に親近感を持つ。


「ほんなら同郷やん!」


緩い紀州弁が少し濃くなる。


「杉原さんも紀州人なんや」


「そうですよ」


「野球よう分からんけど、すごい人なんやろ?」


美月。


「そこ本人に聞く?」


杉原は大笑い。


「昔ちょっと頑張っただけです」


近くの大和生命社員。


「また“ちょっと”言うてる……」


麻衣は笑う。


杉原は少し真面目な顔になる。


「白浜さん」


「はい」


「和歌山、盛り上げてくださいね」


麻衣。


「私が?」


「僕らの頃は、全国へ名前を出すっていうたら野球くらいでした」


少し周囲を見る。


「今はいろんな方法があるでしょう」


戦隊ヒロイン。


配信。


イベント。


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「白浜さんには白浜さんのやり方がある」


杉原は柔らかく笑う。


「同郷として期待してます」


麻衣は少し背筋を伸ばす。


野球は分からない。


オリンピックでどんな投球をしたのかも知らない。


でも。


同じ和歌山から出て。


世界を相手に戦った人から、


「頼む」


と言われた。


「はい」


麻衣も笑う。


「任せといてください。紀州の舞姫ですから」


美月。


「急にめっちゃ頼もしいやん」


麻衣。


「同郷の大先輩に言われたんやもん。頑張らな」


「杉原さんの現役時代、ほんまに分かってる?」


麻衣。


「全然分からん!」


全員ずっこけた。


夕方。


イベント終了。


来場者もほとんど帰り、控室には出演者と関係者だけが残っていた。


いつの間にか。


杉原と剛史は隅のテーブルで並んで座っていた。


話が止まらない。


ヒロインたちも少し離れたところで休憩しながら、何となく耳を傾けている。


杉原。


「覚えとるか。都市対抗予選の延長戦」


剛史。


「何年の?」


「俺が最後まで投げた年」


剛史。


「お前だいたい最後まで投げてたやろ」


「ああ、それもそうやな」


笑う。


別の年。


代表決定戦。


杉原が投げる。


剛史が打つ。


「お前、十二球粘ったことあったやろ」


「覚えてへん」


「俺は覚えとる。しんどかったから」


「最後どうなった?」


「四球」


「俺の勝ちや」


「打ってへんやろ!」


また笑う。


そして。


日の丸。


全日本。


昨日まで敵だった二人が、同じユニフォームを着る。


杉原。


「全日本は楽やった」


剛史。


「何が」


「西川に投げんでええ」


剛史。


「俺もや」


「何が?」


「お前打たんでええ」


二人とも笑う。


普段は所属企業が違う。


都市対抗では東京への切符を奪い合う。


だが日の丸を着れば仲間。


海外の強豪へ立ち向かう。


そして話は。


大日本製鉄広畑が都市対抗予選で敗れ。


剛史が大和生命の補強選手へ選ばれた年へ移る。


杉原。


「お前、最初感じ悪かったなあ」


剛史。


「当たり前やろ」


「何でや」


「一週間前までお前ら倒す気でおったんやぞ」


「それが急に同じユニフォーム」


「居場所あるかい」


剛史は当時。


誰とも積極的に話さなかった。


ロッカーでも端。


練習でも必要な会話だけ。


広畑の選手である自分が、大和生命の輪へ入り込んでいいのか分からなかった。


しかも自分が補強で入ったことで、若い外野手がベンチへ押し出された。


余計に居心地が悪い。


そんな剛史へ。


真っ先に声を掛け続けたのが杉原だった。


「西川、飯行くぞ」


「西川、こっち来い」


「西川、お前これどう思う?」


投手と野手。


練習内容まで違うのに、杉原はわざわざ剛史を輪へ入れた。


剛史がある日、


「俺は広畑の人間やで」


と言った。


杉原は即答した。


「当たり前やろ」


剛史が驚く。


杉原。


「広畑の西川が、大和生命に力貸してくれるんや」


そして笑った。


「昨日までは敵や。でも今日から味方や」


今。


五十代後半になった剛史が言う。


「あれは助かった」


杉原が目を丸くする。


「えっ?」


「何や」


「お前が俺に礼言うた」


「今さら騒ぐな」


「珍しいやろ!」


杉原は大笑い。


剛史も苦笑する。


彩香は黙って聞いていた。


父にも。


居場所が分からなかった時があった。


そんな父を誰かが輪へ入れてくれた。


そしてその父が。


同じ大和生命で、出番を失った若い外野手を放っておけなかった。


剛史は若手へ内角球のさばき方を教えた。


身体を早く開かない。


肘を畳む。


ボールを身体の近くまで引きつける。


「俺、都市対抗終わったら広畑帰る。お前は来年もここでやるんやろ」


そう言って。


翌年。


日本選手権予選。


大和生命対大日本製鉄広畑。


その若手が打席へ。


勝負球は内角。


剛史が教えた通り。


肘を畳む。


強烈な打球。


決勝適時打。


広畑敗退。


美月。


「ちょっと待って」


全員が美月を見る。


「自分が教えた選手に打たれて負けたん?」


剛史。


「そうや」


のどか。


「それ、めちゃくちゃ損しとるじゃん!」


剛史。


「負けた日は俺もそう思たわ」


控室爆笑。


杉原。


「しかもその選手、そのあとプロ行ったからな」


梨乃。


「プロ?」


「ドラフト1位」


「あら」


「メジャーも行った」


「ええっ!」


「日米で二千本打った」


全員。


「えええええっ!?」


麻衣。


「剛史さん、めっちゃ先生やん!」


彩香。


「うちの父ちゃんやで」


剛史は照れくさそうに飲み物を飲む。


「本人が頑張っただけや。俺は一個教えただけ」


杉原が静かに言う。


「そこやねん」


笑い声が少し収まる。


杉原は若いヒロインたちを見る。


「僕らも若い頃は、勝つことしか考えてなかったですよ」


当然。


試合なら勝ちたい。


代表になりたい。


世界一になりたい。


でも長くやっていると。


「自分が知ってることを誰かに渡すことも、同じくらい大事やって分かってくる」


杉原は続ける。


「誰かに教えたら、自分の価値が減るわけちゃうんです」


美月も。


彩香も。


麻衣も。


あかりも。


のどかも。


梨乃も。


結月も。


黙って聞く。


「むしろ、その人が自分を超えたら」


杉原は笑う。


「そっちの方がうれしい」


剛史。


「ただし敵チームで決勝打は打つな」


また笑い。


杉原。


「それは確かにな」


そして今度は。


代表チームの話。


杉原。


「全日本ってね、最初は寄せ集めなんですよ」


所属企業も違う。


ライバルもいる。


初招集の選手は遠慮する。


有名選手には話しかけにくい。


「強い選手を集めただけでは、強いチームにならん」


彩香が尋ねる。


「じゃあ、どうするんです?」


杉原は少し考える。


「相手を知ることやと思います」


何が得意か。


何が苦手か。


何を考えているか。


どういう人間なのか。


「自分と違うからって、すぐ否定せんことです」


そして杉原は剛史を見る。


「この人と僕なんか、全然違いましたから」


剛史。


「今もや」


「そうやな」


杉原。


「でも違うから助かることもあるんですよ」


投手から見えること。


野手から見えること。


エースの考え。


二番打者の考え。


それぞれ違う。


だからチームになる。


剛史も言う。


「自分一人で全部やろうとせんことや」


杉原が野球教室で子どもへ話した言葉と同じだった。


「困ったら周り使え。得意な奴に任せたらええ」


美月。


「ヒロインでも一緒やな」


結月も頷く。


自分には体力指導ができる。


のどかには人を盛り上げる力がある。


麻衣には子どもと一緒に身体を動かす力がある。


美月には人前へ出て空気を変える力がある。


あかりには勢いがある。


梨乃には――。


全員が梨乃を見る。


梨乃。


「何その間!」


全員爆笑。


剛史が言う。


「明るいんも立派な武器やろ」


梨乃の顔が一気に明るくなる。


「ほら!」


彩香が笑う。


「父ちゃん優しいな」


「事実言うただけや」


杉原も笑う。


「チームには必要ですよ。空気を明るくする人」


梨乃。


「杉原さん好き!」


美月。


「単純やなあ」


笑いがまた広がる。


彩香は父を見る。


今日は知らない父をたくさん見た。


都市対抗の打者。


日の丸を背負った外野手。


補強先で居場所をなくした若者。


後輩へ技術を教えた先輩。


そして。


何十年ぶりかに昔の好敵手と会い、少年のように笑う男。


彩香がぽつりと言った。


「父ちゃん」


「何や」


「昔言うてたやん」


「何を」


「違うチームでも、同じ野球やっとる仲間やって」


剛史は黙る。


彩香は美月たちを見る。


「うちらも同じかもしれへんな」


大阪。


兵庫。


和歌山。


三重。


広島。


鳥取。


香川。


みんな別の土地から来た。


性格も違う。


得意なものも違う。


時には衝突もする。


でも。


誰かを守る時は。


同じチーム。


杉原がゆっくり頷く。


「そういうことやと思います」


そして剛史が娘へ言う。


「自分が知っとることは、後輩には全部教えたれ」


「うん」


「その後輩が、お前より上手いヒロインになってもな」


彩香は少し考える。


そして笑った。


「それはええわ」


父が少し驚く。


「ええんか」


「その子がもっと人助けできるようになるんやろ?」


剛史は黙る。


隣で杉原が笑う。


「剛史」


「何や」


「もう娘の方が分かっとるぞ」


「うるさい」


彩香。


「せやけど父ちゃん」


「何や」


「人に教える前に、もうちょい普段から喋った方がええで」


杉原。


「それはほんまや!」


剛史。


「杉原、お前どっちの味方や」


杉原は即答。


「彩香ちゃん」


控室。


大爆笑。


遠くでは。


ベンチに座ったまさにゃんがまだ缶コーヒーを飲んでいる。


美月。


「まさにゃん、何かええ話してや」


まさにゃん。


「もう全部言われたがな」


「今日ほんまに何もしてへんやん!」


「全体見てた」


最後まで昼行燈だった。


夕暮れ。


撤収の始まった会場。


杉原と剛史が並んで出口へ向かう。


少し前には彩香たち。


麻衣が振り返った。


「杉原さーん!」


「はい?」


「和歌山、盛り上げますからねー!」


杉原が手を振る。


「頼みますよ!」


麻衣。


「任せといてー!」


美月。


「麻衣、結局杉原さんがどんだけすごいか分かった?」


麻衣。


「野球のことはよう分からん!」


「まだ分からんのかい!」


最後までそれだった。


杉原と剛史。


二人はまた並んで歩く。


杉原。


「今日はほんま、びっくりしたわ」


「俺もや」


「今度飲もう」


「おう」


「今度は何年も空けんなよ」


「お前から連絡せえ」


「昔からそれやな、お前」


少し沈黙。


杉原が前を見る。


彩香が仲間と笑っている。


「剛史」


「何や」


「ええ娘やな」


剛史も娘を見る。


しばらく何も言わない。


そしてほんの少し笑う。


「……まあな」


杉原。


「似とるわ」


「どこがや」


「人のこと、よう見とるとこ」


剛史は答えなかった。


でも。


否定もしなかった。


この日のイベントの名前は、


「未来をつなぐフェスタ」


大和生命が考えた、企業イベントのタイトル。


けれど。


西川彩香にとっては。


本当に何かが未来へつながった一日だった。


昨日まで敵だった者が。


今日は味方になる。


自分が知ったことを。


次の誰かへ渡す。


教えた相手が自分を超えたなら。


それを喜ぶ。


一人で全部背負わず。


違う人間の力を認める。


そして。


何年離れていても。


本気で競い合った相手とは、一瞬であの頃へ戻れる。


西川剛史。


杉原正人。


かつて同じ近畿地区で東京への切符を奪い合った二人。


日の丸を背負えば、世界へ一緒に挑んだ二人。


昨日の敵は。


何十年たっても。


今日も好敵手。


そして二人が長い時間をかけて学んだものは。


今。


少しずつ。


西川彩香たち、新しい世代へ渡り始めていた。

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