湖上駅に銃声が響く夜――ヒロ室東海(仮称)と奥大井鐡道、笑顔の貸切列車が人質事件に変わるまで
葛城正男室長代理、通称まさにゃんが、珍しく仕事をした。
それだけで、ヒロ室の空気は少しざわついた。
「まさにゃんが仕事をした?」
「珍しいら」
「明日は雨だがね」
「いや、雪かもしれんに」
「皆さん、失礼ではありませんか」
まさにゃんは眼鏡を押し上げ、不満そうに言った。
しかし、その企画書を見た芹沢遥室長は、珍しく黙った。
黙って、最初から最後まで読んだ。
そして、もう一度読み返した。
奥大井鐡道タイアップ特別企画。
『ヒロ室東海(仮称)と行く 奥大井あぷと紀行 一泊二日』。
金谷駅集合。
奥大井鐡道の貸切列車に乗車。
車窓から大井川の流れ、茶畑、渓谷美を楽しむ。
車内ではクイズ大会、ビンゴ大会、ヒロインによる沿線紹介。
昼食は奥大井鐡道特製駅弁、『戦隊ヒロイン 奥大井山の幸弁当』。
千頭からは山岳路線へ入り、国内唯一のアプト式鉄道に乗車。
湖に浮かぶような絶景で知られる奥大井湖上駅で下車し、撮影タイム。
その後は千頭駅から専用バスで寸又峡温泉へ。
宿泊は、駿河の奥座敷と呼びたくなる山あいの温泉宿。
夜はヒロ室東海(仮称)のディナートークショー付き。
二日目は朝の寸又峡散策。
参加費。
手ごろ。
行程。
充実。
鉄道。
温泉。
絶景。
ヒロイン。
食事。
全部入り。
遥室長は企画書を閉じた。
「……普通にええ企画なのら」
まさにゃんは胸を張った。
「奥大井鐡道は、ただ移動するための鉄道ではありません。大井川に沿って走り、山へ分け入り、古い車両に揺られながら旅情を味わう。さらにアプト式、湖上駅、温泉まで絡めれば、鉄道旅行商品としての完成度は非常に高いです」
遥室長はじっと見た。
「こういう仕事だけは、まさにゃん早いのら」
褒めているのか。
呆れているのか。
本人にも分からない声だった。
まさにゃんはさらに続けた。
「募集は、戦隊ヒロイン旅行商品でお馴染みの福鉄旅行静岡支店が担当します。九州の私鉄系旅行会社として、団体旅行とヒロイン企画の実績がありますから」
「そこまで話つけてきたのら?」
「はい」
「本当に仕事してるのら」
遥室長は半分感心し、半分疑った。
「鉄道が絡むと、人は変わるのら」
募集はすぐに始まった。
結果。
募集人員百二十名。
一瞬で完売。
キャンセル待ちもかなりの人数。
福鉄旅行静岡支店の担当者は、電話口で声を弾ませた。
「遥室長、次回は二班催行も検討できます!」
遥室長は困った顔で言った。
「まだ一回目も出発してないのら」
それでも、企画は大成功の予感しかなかった。
そして当日。
金谷駅。
朝から集合場所は賑やかだった。
参加ヒロインは、ヒロ室東海(仮称)の面々。
土屋凜花。
杉山ひかり。
河合美音。
山田真央。
稲生明日香。
伊吹真白。
山本あかり。
赤嶺美月。
さらにゲストとして、館山みのり、柏木理世、水無瀬澪も参加する。
そしてスタッフ陣。
波田顧問。
芹沢遥室長。
隼人補佐官。
葛城正男室長代理、まさにゃん。
太田すみれコーチ。
さらに今回、参加フロントとして小宮山琴音も加わった。
かなり豪華である。
ただし、スタッフ陣はどこか慰安旅行の空気だった。
遥室長は、駅前ですみれコーチの鞄を見た。
見た。
じっと見た。
すみれコーチは視線をそらした。
「すみれ」
「はい」
「麻雀牌、持ってきてないよね?」
「も、持ってきてませんよ」
即答。
その瞬間。
鞄の中で。
ジャラッ。
全員が止まった。
遥室長。
「鳴ったのら」
すみれ。
「いえ、今のは……」
琴音が冷静に言う。
「かなり麻雀牌に近い音でした」
すみれ。
「湯呑みです」
波田顧問。
「まだ金谷だぞ」
隼人補佐官。
「宿にも着いていません」
琴音。
「議事録には、“太田コーチ、硬質な湯呑みを持参”と記録しておきます」
すみれ。
「琴音ちゃん、そこは優しくしよう!」
遥室長。
「優しさで麻雀牌は消えないのら」
その横で、美月が別の問題を発見していた。
駅前の参加者の中に、妙な存在がいる。
タツノオトシゴの着ぐるみ。
たつを。
美月はすぐに近づいた。
「たつを」
たつをはフリップを出す。
《なに》
「呼ばれてないやろ」
《きょうは いっぱんきゃく》
美月は即答した。
「嘘つけ」
たつを。
《さんかしゃ》
「参加証見せてみ」
《なくした》
「早すぎるやろ!」
たつを。
《キャンセルまち くぐった》
「不正参加の言い方や!」
たつを。
《120にんめ》
美月。
「絶対ウソや!」
参加者たちは笑っていた。
旅はまだ始まっていない。
しかし、すでに楽しかった。
やがてホームに、奥大井鐡道の貸切列車が入ってきた。
ヒロ室東海(仮称)号。
車体は古かった。
かなり古かった。
塗装はきれいにされているが、窓枠や扉、座席の雰囲気には、明らかに年季がある。
美月は正直に言った。
「……ボロいな」
凜花が慌てる。
「美月さん!」
まさにゃんが即座に説明を始める。
「これは関西の大手私鉄で優等列車として使用されていた車両です。外観に経年は見られますが、座席設計には余裕があり、地方私鉄への転用車としては乗り心地が――」
遥室長。
「長いのら」
真央が座席に腰かける。
「あ、でも座り心地ええがね」
凜花も座る。
「本当ですね。見た目よりずっと快適です」
たつを。
《ぼろい けど いい》
まさにゃん。
「君まで言わないでください」
美月。
「たつをが一番要約うまいやん」
列車は金谷を出発した。
ゆっくりと町を抜け、大井川沿いへ。
窓の外には、茶畑、川、山、集落。
都会の速さとは違う時間が流れていた。
車内ではすぐにイベントが始まった。
司会は、将来の女子アナを本気で目指している杉山ひかり。
おっとりしているが、聞き取りやすい声だった。
「みなさん、今日は参加してくれてありがとうございます。ここからは、奥大井鐡道の旅をのんびり楽しんでほしいら。まずは、奥大井クイズから始めるよぉ」
まさにゃんが身を乗り出す。
遥室長が肩をつかむ。
「まさにゃんは答えないのら」
「まだ何も言っていません」
「顔がもう答える顔なのら」
第一問。
「奥大井湖上駅は、何に浮かんでいるように見える駅でしょう?」
参加者。
「湖!」
正解。
第二問。
「アプト式鉄道は、急な坂を登るために何と何をかみ合わせる仕組みでしょう?」
まさにゃんが震える。
「ラックレールと――」
遥室長。
「言ったのら!」
まさにゃん。
「我慢できませんでした」
車内、大爆笑。
景品は、麗奈ちゃんクリアファイル。
一等、三枚セット。
二等、二枚セット。
三等、一枚。
美月が叫んだ。
「差を枚数でつけただけやないか!」
琴音が冷静に言う。
「在庫処分としては合理的です」
遥室長。
「琴音、そこは言い方を選ぶのら」
ところが、参加者は喜んでいた。
「麗奈ちゃんだ!」
「欲しかった!」
「三枚セットいいなあ」
美月は少し驚く。
「人気あるんやな」
たつを。
《みづきより》
美月。
「比較すな!」
ビンゴ大会も同じく盛り上がった。
賞品は相変わらず麗奈ちゃんクリアファイル。
だが、旅先の貸切列車でヒロインたちから手渡されると、不思議と立派な記念品に見える。
凜花は笑顔で渡す。
「おめでとうございます♡」
受け取った参加者は嬉しそうだった。
美月は小声で言う。
「凜花さんが渡すと、ショボさが消えるな」
凜花。
「美月さん、ショボいって言わないでください」
たつを。
《しょうひん しょぼい》
遥室長。
「たつをも言わないのら!」
昼食の時間。
配られたのは、奥大井鐡道特製駅弁。
『戦隊ヒロイン 奥大井山の幸弁当』。
蓋を開けた瞬間、車内のあちこちから声が上がった。
茶飯。
山菜。
椎茸の煮物。
川魚の甘露煮。
地元野菜。
卵焼き。
わさび風味のおかず。
小さな甘味。
派手ではない。
しかし、見るからに旅の弁当だった。
ここで、真央が本領を発揮する。
一口食べた瞬間、目が変わった。
「これ、うまいがね」
凜花が振り向く。
「真央さん、急に本気の顔になりましたね」
真央は箸を置かずに続けた。
「茶飯の香りが強すぎんのがええがね。おかずを邪魔せん。でも、ただの白飯より旅情がある。山菜はちゃんと歯ごたえが残っとるし、椎茸は噛んだ瞬間に出汁が出る。川魚の甘辛さも濃すぎんで、列車の中で食べても重たくならん。これは駅弁としてかなり出来がええがね」
凜花は感心した。
「食レポ、上手すぎませんか」
美月。
「真央、グルメ番組行けるで」
真央。
「食べることには本気だがね」
澪は眠たそうに茶飯を食べた。
「……これ、好き」
美月。
「澪の一言、逆に説得力あるな」
理世は弁当を見ながら言う。
「旅行商品の満足度を上げる重要要素ですね。価格に対する印象がかなり良くなります」
美月。
「弁当食べながら商品分析すな」
やがて、列車は千頭へ。
ここから旅はいよいよ奥へ入る。
アプト式列車に乗り換える。
まさにゃんは、もう抑えられなかった。
「皆さん、ここからが本日の鉄道的核心です。急勾配を登るため、ラックレールと歯車をかみ合わせ――」
遥室長。
「語りすぎなのら」
しかし参加者は喜んでいる。
鉄道ファンはメモを取り、親子連れも「へえ」と聞いている。
琴音が小声で言った。
「まさにゃんさん、今日は本当に仕事をしていますね」
遥室長。
「珍しいのら」
まさにゃん。
「全部聞こえています」
列車は山へ入っていく。
トンネル。
鉄橋。
川。
湖。
そして、奥大井湖上駅。
降りた瞬間、歓声が上がった。
湖に浮かぶような駅。
橋に挟まれた不思議な場所。
山の緑と水面の色。
列車とヒロインと空。
凜花は言葉を失った。
「……すごい」
風が髪を揺らす。
凜花は自然に立つだけで、絵になった。
参加者のカメラが向く。
「凜花さーん!」
凜花は、さすが元アイドル、さすがイベントコンパニオンという笑顔で応える。
「ありがとうございます♡」
しかし、その横でさらに囲まれている者がいた。
たつを。
「たつを、こっち!」
「写真撮らせて!」
「かわいい!」
たつを。
《にんきもの》
美月。
「自分で言うな!」
子どもがたつをに抱きつく。
たつをは小さく手を振る。
美月は腕を組む。
「……ほんま人気あるな」
たつを。
《みづきも がんばれ》
「余計なお世話や!」
少し離れた場所では、みのりとひかりが並んで湖を見ていた。
みのり。
「ひかりさん、この景色、一緒に見られてよかったです」
ひかり。
「私もだよぉ。みのりちゃんと来ると、いつもの静岡がちょっと違って見えるら」
みのり。
「それ、すごく嬉しいです」
ひかり。
「みのりちゃん……」
二人の周囲だけ、空気が柔らかい。
美月は遠くから見ていた。
「尊い」
凜花。
「今日は何回目ですか」
理世。
「湖上駅だけで三回目です」
美月。
「数えるな!」
奥大井湖上駅での撮影タイムは大盛況だった。
凜花は絶景に映え、たつをは大人気、みのりとひかりは尊く、まさにゃんは鉄道ファンに囲まれてなぜか先生のように解説している。
遥室長は呟いた。
「今日のまさにゃん、普段と別人なのら」
琴音。
「鉄道時限定で能力が解放されるのかもしれません」
遥。
「通常業務でも解放してほしいのら」
その後、一行は千頭へ戻り、専用バスで寸又峡温泉へ向かった。
山道を進むにつれ、車内は少し静かになった。
さっきまで騒いでいた美月も、窓の外を見ていた。
「ええとこやな」
ひかりが頷く。
「寸又峡は奥大井の山深い温泉地だら。静かで、お湯もやわらかくて、美女の湯って言われることもあるんだよぉ」
凜花が反応する。
「美女の湯」
美月。
「凜花さん、今ちょっと食いついたな」
凜花。
「確認しただけです」
「絶対RINKA MODEで言うやろ」
「事実を美しく伝えるだけです」
「それを盛る言うねん」
寸又峡温泉の宿に到着すると、全員まず温泉へ向かった。
山の夜に包まれた温泉。
湯はやわらかく、肌にすっとなじむ。
鉄道旅で少し疲れた身体を、じんわりほどいてくれる。
湯上がりのヒロ室東海(仮称)の面々は、確かにどこか一段美人になっていた。
凜花は頬をほんのり赤くして言った。
「お湯、すごく良かったです。肌がつるっとした気がします」
美月。
「凜花さん、美女の湯に説得力ありすぎや」
ひかり。
「みんな、きれいになったら」
真央。
「温泉効果だがね」
美音。
「美月も肌つやええに」
美月は鏡を見る。
「ほんま?」
その背後。
いつの間にかたつを。
《かわらない》
美月。
「お前どこ入っとってん!」
夜はディナートークショー。
宿の宴会場。
距離が近い。
料理が並ぶ。
参加者もヒロインたちも、どこかリラックスしている。
仕事なのか。
慰安旅行なのか。
誰にも分からなくなってきた。
ひかりが穏やかに司会する。
「みなさん、今日は一日ありがとうございましたぁ。列車も、湖上駅も、温泉も、楽しんでもらえてたら嬉しいら」
凜花は旅の感想を華やかに話し、美月は参加者と軽快にやり取りし、真央は駅弁を再び絶賛し、美音は静かに車窓の良さを語る。
みのりとひかりは、沿線紹介の裏話を話すたびに、なぜか会場を甘い空気にする。
理世は旅行商品の完成度を冷静に褒め、澪は眠そうにしながらも「温泉、よかった」と言って拍手を浴びる。
たつをはフリップで参加者を笑わせる。
《たび さいこう》
《おんせん さいこう》
《けいひ せつやく》
遥室長が後ろで叫ぶ。
「最後のは出さないのら!」
参加者は大笑い。
ディナートークショーは、アットホームな空気のまま終了した。
その後。
スタッフ会議。
隼人補佐官が資料を開く。
波田顧問。
遥室長。
まさにゃん。
すみれコーチ。
琴音。
全員が座る。
隼人は簡潔に報告した。
「本日の行程、事故・トラブルなし。参加者百二十名全員の宿入り確認済み。ディナートークショーも予定通り終了。明朝の寸又峡散策は予定通り実施見込み。以上です」
遥室長。
「ほかに確認事項は?」
まさにゃん。
「ありません」
すみれ。
「ありません」
波田顧問。
「ない」
琴音は議事録を打った。
数行で終わった。
「議事録、完了しました」
遥室長は時計を見る。
「五分なのら」
波田顧問が低く言った。
「始めるぞ」
すみれコーチが待ってましたとばかりに鞄を開ける。
麻雀牌。
ジャラジャラジャラ。
遥室長。
「やっぱり持ってきてたのら!」
すみれ。
「戦隊ヒロインプロジェクト最高戦略会議用です!」
隼人補佐官は無言で机の資料を片づけ始める。
湯呑み。
ペットボトル。
パンフレット。
全部端へ寄せる。
まさにゃんは牌を確認する。
波田顧問は席に着く。
琴音はその様子を見て、静かにパソコンを閉じた。
遥室長。
「琴音、行くのら」
琴音。
「はい。これは議事録に残さない方がよさそうです」
こうして、麻雀嫌いの遥室長と琴音は部屋を出た。
背後では、すでに牌の音が鳴り始めている。
戦隊ヒロインプロジェクト最高戦略会議。
ただの麻雀である。
遥と琴音が向かった先は、ヒロ室東海(仮称)の女子会部屋だった。
そこでは、美月、真央、凜花、ひかり、美音、明日香、真白、あかり、みのり、理世、澪が、温泉上がりの relaxed な空気でくつろいでいた。
最初はお菓子とお茶と旅の感想。
しかし、話題は自然とヒロ室東海(仮称)の今後へ移っていく。
美月が珍しく真面目な顔をした。
「今日見て思ったんやけどな」
全員が見る。
「たつを人気、もっとちゃんと使った方がええと思う」
凜花が驚く。
「美月さんが、たつをさんを評価している……?」
美月。
「腹立つで。めっちゃ腹立つ。でも人気はある。そこは認める。子ども向け企画、撮影会、地域ごとの限定フリップ、グッズ展開。やり方次第でかなり強い」
真央も頷く。
「たつをのご当地フリップは使えるがね。今日なら《あぷと》《こじょうえき》《けいひせつやく》みたいなやつ」
遥。
「最後はいらないのら」
理世が冷静に言う。
「マスコットの反復接触効果と地域文脈の結合ですね。観光PRとして有効だと思います」
琴音が思わずメモを取り始める。
遥室長はそれを見て苦笑した。
「こっちの方が、よっぽど戦隊ヒロインプロジェクト最高戦略会議なのら」
凜花も意見を出す。
「私、ヒロ室東海(仮称)って名前、最初は変だと思っていたんです」
美月。
「今も変やで」
凜花。
「でも、その変さがいいんです。“仮称まで含めて正式名称”って、すごくツッコミやすい。ファンも参加しやすいし、未完成な感じが逆に応援したくなると思います」
遥室長は目を細めた。
「凜花、馴染んできたのら」
凜花は少し照れた。
「まだまだですけど」
美音。
「イベントごとに得意な子を前に出すのもいいと思うに。浜松なら私、島田ならひかり、鉄道なら……まさにゃんは裏で」
美月。
「表に出すと解説が長いからな」
澪は眠そうに、
「……眠い人向けの静かな旅もほしい」
と言った。
あかりが頷く。
「それ、需要あるに」
みのりとひかりは、隣同士で寄り添うように座っていた。
みのり。
「私は、ひかりさんと沿線紹介できて楽しかったです」
ひかり。
「私もだよぉ。みのりちゃんと一緒だと安心するら」
美月。
「はい尊い」
琴音。
「本日六回目です」
美月。
「琴音まで数えとったんか!」
女子会は、笑いながらも建設的だった。
本物の会議は五分で終わり、麻雀になった。
偽物の会議である女子会の方が、よほど未来の話をしていた。
夜も深まり、女子会は解散した。
凜花は部屋に戻ると、スマホとライトを用意した。
RINKA MODE。
旅先特別配信。
開始。
「りんか民のみんなぁ、ごきげんよう♡」
コメントが流れる。
《陛下、温泉?》
《奥大井?》
《今日参加したかった》
凜花は笑顔で頷く。
「今日は奥大井鐡道の貸切列車に乗ってきたよ」
「車窓、すごく素敵だった。大井川が見えて、茶畑が見えて、だんだん山の中へ入っていって……本当に旅をしている感じがしたの」
「奥大井湖上駅も感動したよ。湖の上に駅が浮かんでいるみたいで、写真を撮るだけで絵になる場所だった」
コメント。
《行きたい》
《陛下と湖上駅似合いそう》
《たつをいた?》
凜花。
「たつをもいました。呼ばれてないのに」
コメント。
《通常運転》
《一般客たつを》
《参加費払った?》
凜花。
「そこは分かりません」
そして凜花は、少しだけもったいぶった。
「今日は素敵なゲストに登場していただきます。私の戦隊ヒロインの先輩、赤嶺美月さんです♡」
横から美月が顔を出した。
「どうも。先輩です」
コメント欄。
《うわっ出た!》
美月は即座に反応した。
「出た!ってなんや? ウチはお化けか?」
《本人出た》
《レスバの人》
《河内の閃光》
《ひかり号乗り過ごし芸人》
美月。
「最後の肩書き消せ!」
凜花は笑う。
「美月さん、今日は同じ部屋だからすぐ反論できますね」
美月。
「今日こそ決着つけたる」
コメント。
《開戦》
《奥大井の陣》
《関ヶ原の続き》
《りんか民東軍》
《美月西軍》
凜花。
「また戦争になってる……」
りんか民と美月のやり取りは、すぐに加速した。
《景品しょぼかった?》
美月。
「麗奈ちゃんクリアファイル三枚で一等賞やぞ!」
《三枚もある》
「食いつくとこそこちゃう!」
《駅弁おいしかった?》
「それはめっちゃうまかった」
《たつを人気だった?》
「調子乗っとった」
《たつを>美月》
「不等号使うな!」
《みのりとひかり尊かった?》
美月は一瞬止まった。
「……それは尊かった」
《認めた》
「認めるもんは認める!」
凜花は途中で入ろうとした。
「えっと、今日は奥大井の魅力を――」
《美月、温泉で騒いだ?》
「騒いでへん!」
《澪ちゃん寝てた?》
「ずっと眠そうやった!」
《まさにゃん仕事した?》
「今日だけはした!」
凜花。
「ちょっと……私の配信なんだけど」
しかし、あまりにもテンポがいい。
りんか民も美月も容赦ない。
会話が漫才のように成立している。
凜花はしばらく眺めた。
飲み物を一口。
椅子にもたれる。
「……面白いから、ちょっと放っておこ♡」
チャンネル主。
戦況を見守る側へ移行。
その頃、別室。
戦隊ヒロインプロジェクト最高戦略会議。
つまり麻雀。
ここで、異常事態が起きていた。
まさにゃんが強い。
珍しく強い。
異様に強い。
「リーチです」
すみれ。
「またまさにゃん!?」
「ツモです」
隼人補佐官。
「今日、どうしたんですか」
まさにゃんは眼鏡を押し上げた。
「流れが見えます。鉄道ダイヤと同じです」
波田顧問。
「麻雀をダイヤにするな」
すみれ。
「鉄道旅行まで成功させて麻雀まで勝つとか、今日のまさにゃんおかしい!」
まさにゃん。
「普段からおかしくはありません」
隼人。
「普段からこの集中力を発揮してくれれば」
まさにゃん。
「通常業務には旅情がありません」
波田顧問。
「黙って牌を切れ」
麻雀部屋は盛り上がっていた。
声も大きい。
牌の音も大きい。
女子会部屋から戻ってきた遥室長は、廊下で眉をひそめた。
「もう、うるさいのら」
琴音も隣で頷く。
「まさにゃんさんが勝っているようです」
遥。
「それは珍しいのら」
部屋の中から、すみれコーチの悲鳴。
「また裏ドラ!?」
遥。
「……でも、うるさいものはうるさいのら。怒鳴り込むのら」
遥室長が一歩踏み出す。
その時だった。
山の夜は静かだった。
温泉宿の廊下。
遠くの川の音。
虫の声。
木々が風に揺れる音。
さっきまで、笑い声と麻雀牌の音とRINKA MODEのコメント読み上げで賑やかだった夜。
その中を。
パン。
乾いた音が、鋭く裂いた。
一発。
静かな夜に、あり得ないほどはっきりと響いた。
全員が止まった。
遥室長の足が止まる。
琴音の表情が消える。
麻雀部屋では、すみれコーチの手から牌が一つ落ちた。
まさにゃんは眼鏡の奥で目を見開く。
隼人補佐官は、すでに仕事の顔になっていた。
波田顧問はゆっくり立ち上がる。
別室では、凜花の配信画面も止まった。
美月はコメントを返そうとしていた指を止めた。
ひかりが顔を上げる。
美音の目つきが一瞬で変わる。
真央の笑いが消える。
明日香が窓の外を見る。
真白が無言で立ち上がる。
あかりは廊下側へ耳を澄ませる。
みのりはひかりの袖をそっと掴む。
理世は冷静に音の方向を考える。
澪の眠そうだった目が、完全に開いた。
RINKA MODEのコメント欄に文字が流れる。
《今の音なに?》
《聞こえた》
《大丈夫?》
《花火?》
《配信止めた方がいい》
美月は低い声で言った。
「凜花さん」
凜花は美月を見た。
「配信、切り」
さっきまで、りんか民とレスバを繰り広げていた美月ではなかった。
河内の閃光の目だった。
凜花は頷き、画面へ向き直った。
笑顔を作ろうとしたが、完全には作れなかった。
「ごめんね、りんか民。今日はここまで」
少し間。
「またね」
配信終了。
部屋は急に静かになった。
廊下では、遥室長が息を呑んでいた。
「今の……何なのら」
隼人補佐官が廊下へ出る。
声は低い。
「花火ではありません」
琴音が手帳を持つ。
「音は外、温泉街の奥側からです」
波田顧問。
「全員、勝手に動くな」
すみれコーチは麻雀牌を見下ろし、すぐに表情を切り替えた。
「了解」
まさにゃんは、今日初めて鉄道でも麻雀でもないことで真剣な顔になった。
「宿の人に確認します」
遥室長はゆっくり頷く。
さっきまで、この旅は楽しかった。
ボロいけれど乗り心地のいい貸切列車。
しょぼいけれど妙に人気の麗奈ちゃんクリアファイル。
真央が絶賛した山の幸弁当。
アプト式鉄道。
奥大井湖上駅。
絶景に映える凜花。
人気者のたつを。
尊すぎるみのりとひかり。
美女の湯。
ディナートークショー。
女子会。
RINKA MODE。
りんか民と美月の戦争。
まさにゃん絶好調の麻雀。
全部、笑いの中にあった。
だが、乾いた銃声のような一発が、その空気を切り裂いた。
ヒロインたちは、誰からともなく立ち上がる。
仕事の顔になる。
遥室長が短く言う。
「隼人、状況確認なのら」
「はい」
美音が窓の外を見る。
「山の方だに」
明日香が頷く。
「音が反響してるじゃんね。近いか遠いか、すぐには分かりません」
真白。
「外へ出るなら、宿の導線を確認してからです」
あかり。
「参加者を不安にさせたらあかんに」
ひかり。
「お客さんには、まだ何も言わない方がいいら」
凜花はスマホを伏せ、深く息を吸った。
さっきまで配信の中にいた自分を、ゆっくり現場へ戻す。
美月が周囲を見た。
「……そういや」
全員が、同じことを考えていた。
たつを。
いない。
誰も見ていない。
温泉にもいた。
ディナーにもいた。
女子会の前にも、たぶんいた。
しかし今、どこにもいない。
静かな廊下に、誰かの足音が遠くから近づいてくる。
宿の人間か。
参加者か。
それとも。
まだ分からない。
遥室長は唇を結んだ。
山深い寸又峡の夜。
笑顔の貸切列車の旅は、ここで終わった。
ここから先は、任務になる。
ヒロ室東海(仮称)の長い夜が、始まろうとしていた。
次回へ続く。




