音叉の街で美月が空ぶかし!?――土屋凜花とヒロ室東海(仮称)、磐田“モビリティ産業フェスタ”大作戦!
磐田の空は、どこか金属の光を帯びていた。
潮風の焼津とも、茶の香りの島田とも違う。遠くに天竜川の流れがあり、広い道路があり、工場の建屋があり、整然と並ぶ物流車両がある。西へ行けば浜松、東へ戻れば中部の町々。東海道の流れに乗って、人と物と技術が行き交う静岡県西部の工業都市。
磐田。
この町を語るなら、ものづくりを外すことはできない。
二輪車。
船外機。
ロボティクス。
電動モビリティ。
精密な部品。
制御技術。
金属加工。
研究開発。
そして、青い音叉を象徴に持つ世界的モビリティメーカー。
名前は出さない。
だが誰もが知っている。
この地から数え切れないほどの機械が生まれ、世界へ走り出していった。人を乗せ、荷物を運び、海を渡り、道を切り開き、時には夢そのものを形にする。
磐田は、ただの工業都市ではない。
「動く」ということを楽しく、強く、美しくする町である。
さらに、もう一つ。
サックスブルー。
この町には、日本代表クラスの名選手たちを数多くそろえ、国内リーグで数々のタイトルを獲得してきた名門クラブがある。スタジアムの熱、街の誇り、子どもたちの憧れ。工場で働く人も、商店街の人も、学校帰りの子どもたちも、どこかであのサックスブルーを胸に抱いている。
ものづくりとサッカー。
鉄と芝生。
エンジン音とチャント。
磐田は、そんな遠州の熱を持った街だった。
その磐田で開かれる大規模産業振興イベント。
『IWATA MOBILITY HEROINE EXPO ~遠州から走り出す未来のものづくり~』。
ヒロ室東海(仮称)にとって、また一つ大きな仕事である。
参加するのは、土屋凜花、山田真央、稲生明日香、伊吹真白、山本あかり、河合美音、杉山ひかり、赤嶺美月。
そして。
もちろん。
いた。
誰も呼んでいない。
しかし、いる。
モビリティ展示車両の横。
説明パネルの前。
スタッフ用パスをぶら下げて。
たつをが立っていた。
美月は会場入りするなり、反射で指さした。
「たつを、今日呼ばれた?」
たつをは無言でフリップを出した。
《よばれてない》
「ほな帰れ!」
《てんりゅうがわ みたい》
「観光気分か!」
たつをは、もう一枚めくった。
《ながされたら》
美月は嫌な予感がした。
たつを。
《えんしゅうなだ から みかわわん へて うちに かえる》
美月は一拍置いて叫んだ。
「帰路が具体的すぎるやろ!」
真央が腕を組んで感心する。
「地理に強いタツノオトシゴだがね」
美月はたつをを睨む。
「腹立ったら天竜川に流すで!」
たつを。
《だいじょうぶ》
「何が大丈夫や!」
《かえれる》
「そこちゃうねん!」
凜花は笑いながら髪を整えた。
「たつを、今日も美月さんをいじる気満々ですね」
たつを。
《しごと》
美月。
「仕事にすな!」
凜花は控室の鏡でメイクを確認する。元アイドル、現役イベントコンパニオン。こういう産業フェスタのステージは、難しい内容をどれだけ柔らかく、華やかに、分かりやすく伝えられるかが勝負である。
「今日は、内容がかなり専門的ですね」
凜花がパンフレットを見ながら言うと、杉山ひかりが穏やかに頷いた。
「そうだら。二輪とかロボットとか、制御とか、ちょっと難しい話が多いけど、静岡西部のものづくりの力を知るにはすごくいいイベントだよぉ」
ひかりは駿河の人間らしく、西部に対して少し距離感がある。それでも、静岡県全体の力を語る時、磐田を避けて通れないことは分かっていた。
「東部、中部、西部で、静岡ってけっこう雰囲気が違うら。でも、どこも面白いんだよねぇ」
その横で、河合美音は静かに展示車両を見ていた。
浜松出身。
遠州の勇者。
彼女にとって、磐田はほとんどフランチャイズに近い。
会場に入った時から、すでに空気が違っていた。
「美音ちゃーん!」
「遠州の勇者!」
「そのバイク、今日も格好いいねえ!」
来場者から声が飛ぶ。
美音は少し困ったように会釈する。
「ありがとうございます。今日は安全に楽しんでください」
その横に展示されているのは、美音が多くの任務で使用してきた自動二輪。
青い音叉の世界的メーカーが誇る最上位モデル。
任務のたびに美音と走り、追跡し、突破し、時には仲間を救ってきた相棒である。
金属光沢を帯びた車体。
美しいフレーム。
圧倒的な存在感。
その横に立つ美音のバイオレットカラーのショートカットは、サックスブルーの照明と工業展示の冷たい光の中で、いつもより鮮やかに見えた。
凜花が素直に言う。
「美音さん、今日は完全に主役の空気ですね」
美音は少しだけ照れたように目を逸らす。
「そんなことないに。地元に近いだけだら」
美月が腕を組む。
「いや、今日は美音さんのホームや。ウチ、完全にアウェーやわ」
たつを。
《みづき あうぇー》
「お前も三河やろが!」
たつを。
《きょうは しごと》
「都合ええな!」
イベントが始まった。
凜花は特設ステージの中央に立つ。
長身。
長い黒髪。
すらりとした手足。
白と青を基調にしたイベント衣装が、モビリティ展示の未来感とよく合っている。
凜花は明るく、聞き取りやすい声で開会を告げた。
「みなさん、本日は『IWATA MOBILITY HEROINE EXPO』へようこそ♡ 今日は、磐田のものづくり、未来の乗り物、そして静岡西部の産業の力を、私たちヒロ室東海(仮称)と一緒に楽しく学んでいきましょう!」
拍手。
凜花の進行は安定していた。
場を華やかにしつつ、専門家の説明へ自然につなぐ。難しい単語が出る前に、来場者の気持ちをほぐす。写真を撮るタイミングも作る。子どもが飽きそうになると、すぐ視線を向ける。
さすがだった。
だが、この日の本当の解説役は、別にいた。
稲生明日香。
豊川の巫女。
普段は穏やかで、少し神秘的で、所作も落ち着いている。
しかし。
彼女にはもう一つの顔がある。
自動車工学を専攻する、理系ヒロインである。
展示車両の前に立った瞬間、明日香の目が変わった。
「二輪車は、ただエンジンやモーターで走ればいいわけではありません。出力、発熱、振動、重心、タイヤと路面の接地、ブレーキ制御。全部がつながっています」
凜花が少し驚く。
「明日香さん、急に研究室の人みたいになりましたね」
明日香は穏やかに微笑む。
「神事も工学も、見えない力の流れを整えるという意味では似てるじゃんね」
真央が目を丸くする。
「言い方は格好いいけど、たぶん似とらんがね!」
明日香は展示パネルを指しながら続ける。
「たとえば、加速する時に後輪へ力がかかりすぎると、タイヤが滑ることがあります。そこで車両側が出力を調整して、安定して走れるようにする仕組みがあります」
凜花は頷く。
「なるほど。安全に走るために、機械が細かく助けてくれるんですね」
「そうだら。人の操作と機械の制御がうまく合うことで、気持ちよく、しかも安全に走れるんです」
美月は腕を組んで真剣に聞いていた。
真剣。
ただし。
分かっているかは別。
美月は典型的な文系の経済学部の学生である。
しかも普通自動車免許すら持っていない。
自動二輪どころか、四輪の実感も薄い。
明日香が言う。
「トラクション制御は、タイヤが滑り始めた時に駆動力を調整する仕組みです」
美月が頷く。
「つまり、滑ったら根性で耐えるんやな」
明日香は即答した。
「根性ではなく電子制御です」
たつを。
《こんじょう せいぎょ》
「誰が根性制御や!」
明日香は優しく続ける。
「急制動時には、車輪が完全にロックしないようにする仕組みもあります」
美月が顔を上げる。
「ロック? 音楽の街やしな」
凜花が口元を押さえた。
「そのロックではありません」
たつを。
《ぶんけい》
「文系を馬鹿にすな!」
たつを。
《むめんきょ》
「そこを刺すな!」
明日香が苦笑する。
「美月さん、車の制御っていうのは、運転者の気合いを補助するものじゃなくて――」
「ほな、運転者の気合いもゼロではないんやな!」
「ゼロではないですけど、今日の主題ではないじゃん」
「ほら! 気合い大事やん!」
たつを。
《きょうの しゅだい じゃない》
「お前、そこだけ明日香側につくな!」
会場は爆笑していた。
凜花は笑いをこらえながらフォローする。
「でも美月さんの質問で、逆に分かりやすくなっていますね。難しい言葉だけだと、子どもたちには少し遠いですから」
美月は胸を張る。
「せやろ!」
明日香も頷く。
「分からないところを聞いてくれる人がいると、説明しやすいだら」
美月は満足げに頷いた。
たつを。
《わからない だいひょう》
「言い方!」
次は美音の自動二輪実演だった。
ステージ前に設けられた安全な実演エリア。
もちろん派手な危険走行ではない。
低速での安定した取り回し。
正確な停止位置。
滑らかな発進。
視線の配り方。
安全確認。
ブレーキング。
美音はヘルメットを手に持ち、来場者へ向かって言った。
「自動二輪は自由な乗り物だに。でも、その自由は安全の上にあるだら」
拍手が起きる。
エンジン音。
低く。
美しい。
美音が乗ると、車体がただの展示物ではなくなる。
生き物のように見える。
凜花は小さく息を呑む。
「美音さん、今日すごく格好いいです」
ひかりも穏やかに笑う。
「西部だと美音ちゃん、やっぱり映えるら」
美月が頷く。
「遠州の勇者、今日はほんまに勇者やな」
たつを。
《みづきは けいざいがくぶ》
「今日は関係ないやろ!」
たつを。
《むめんきょ》
「二回目!」
イベントは盛況だった。
明日香の専門解説。
美音の実演。
凜花の華やかな進行。
ひかりの柔らかなフォロー。
真央の場を巻き込む尾張弁トーク。
真白の機械好きらしい観察眼。
あかりの安定したスタッフ支援。
美月の頓珍漢な質問。
たつをの毒舌。
難しい産業振興イベントなのに、会場は笑いながら最後までついてきた。
子どもたちも、最初は「トラクション制御って何?」という顔をしていたが、最後には「根性じゃなくて電子制御!」と笑って言えるようになっていた。
凜花はそれを見て思った。
これなら成功だ。
技術を全部理解できなくてもいい。
でも、「磐田のものづくりって面白い」と思って帰ってもらえれば、それで十分なのだ。
イベントが終わり、撤収作業が始まった。
展示パネルが片づけられ、試乗体験用の区画が閉じられ、関係者が機材を運び出す。
凜花は一息ついた。
「難しかったですけど、楽しかったですね」
明日香が微笑む。
「専門的な内容でしたけど、皆さんが興味を持ってくれてよかったじゃんね」
美月は肩を回した。
「ウチもだいたい分かったで」
たつを。
《うそ》
「早い!」
その時だった。
明日香の表情が変わった。
彼女は撤収中の体験端末の一台を見つめていた。
「……これ、触らないでください」
凜花が振り返る。
「どうしました?」
明日香は端末のログ画面を確認する。
「この体験端末、通常のデモでは出ない通信をしています」
美月が眉を寄せる。
「日本語で頼む」
明日香は低い声で言った。
「産業スパイの可能性があります」
空気が一瞬で変わった。
犯人は、技術コンサルタントを装った産業スパイ集団だった。
狙いは、次世代電動モビリティの試作制御データと、工場用ロボットアームの学習ログ。イベント来場者向けの体験端末に偽装通信機器を忍ばせ、撤収時の混乱に紛れて診断ネットワークへ侵入しようとしていた。
単なる盗撮や資料持ち出しではない。
展示用端末。
アンケート用タブレット。
デモ機の診断ポート。
搬出車両。
すべてを使い、短時間でデータを吸い上げ、外部へ流し、証拠となる端末は搬出車両ごと処分する計画だった。
悪質。
かなり悪質。
だが。
ここには、明日香がいた。
巫女でありながら、自動車工学を専攻する女。
「まだ重要データは外へ出ていません。通信を隔離します」
明日香の指が端末上を走る。
凜花は驚く。
「明日香さん、完全に専門家ですね」
「今は神頼みよりログ解析だら」
真央が思わず言う。
「名言出たがね!」
美音が周囲を見る。
「搬出車両が動きます」
真白も機材搬入口を見た。
「逃げるつもりですね」
美月の目が変わる。
「ようやく分かりやすい展開や。悪い奴を捕まえるんやな」
たつを。
《やっと りかい》
「言い方!」
犯人の一人が資料ケースを持って走る。
もう一人が搬出車両へ向かう。
美音は迷わずヘルメットをかぶった。
「私が追うだに」
エンジンが唸る。
遠州の勇者。
始動。
展示会場の外、工業団地へ続く広い道へ、美音の自動二輪が飛び出す。
無謀ではない。
速いが、荒くない。
相手の逃走車両がどこへ向かうかを読み、距離を保ちながら逃げ道を消していく。
一方、真白は搬出エリアに停まっていたカンガルーマークのトラックへ向かった。
美月が叫ぶ。
「真白、またトラックか!」
「搬出車両を追うなら、こちらが適しています」
「もっと熱く言えへんの?」
「安全運転です」
「産業スパイやぞ!」
「だからこそ事故は起こせません」
凜花が頷く。
「真白さん、ぶれませんね」
真白は静かにハンドルを握る。
「大切な荷物を守るのが仕事ですから」
そこへ、たつをが助手席と荷台の間から顔を出した。
美月が振り返る。
「お前、いつ乗った!」
たつを。
《きくな》
「聞くわ!」
真白のトラックは、美音とは別ルートで逃走車両の先を読む。
伊吹おろしに鍛えられた強靭な足腰だけではない。真白はトラックドライバーとしての経験がある。車両の大きさ、曲がれる道、停められる場所、無理をすれば危険になる箇所を冷静に見極める。
「ここで無理に詰めると危ないです。次の交差点で進路を限定します」
美月は助手席で叫ぶ。
「差せ! まくれ!」
「競輪ではありません」
「ほな何や!」
「追跡です」
「冷静すぎるわ!」
たつを。
《にもつ だいいち》
真白。
「その通りです」
美月。
「たつをと意気投合すな!」
会場側では、明日香が不正通信を止め、ひかりが一般客や関係者を安全な場所へ誘導していた。
ひかりは落ち着いた駿河弁で、慌てるスタッフに声をかける。
「大丈夫だら。お客さんには“安全確認のため少し移動してください”って言えばいいよぉ。詳しいことを言いすぎると不安になるら」
明日香は端末を隔離しながら言う。
「こっちは止めたじゃんね。ただ、外へ持ち出した端末があると危ないです」
真央は会場スタッフから情報を集める。
「偽装スタッフの服装は? 名札は? 搬出車両の色は? 白いワンボックスだがね? 分かった、すぐ回すわ!」
あかりは人の流れと警備の穴を見て、犯人が徒歩で逃げる可能性を潰す。
凜花はその間に、展示ブースの脇を逃げようとした男の前へ立ちはだかった。
「関係者証を確認させてください」
男は舌打ちする。
「急いでいるんだ」
凜花はにこっと笑った。
イベントコンパニオン。
不審な客対応も、現場トラブルも、嫌というほど経験している。
「急いでいる方ほど、確認が必要なんです♡」
男が横を抜けようとする。
凜花の長い腕が伸びる。
資料ケースのストラップを掴む。
「これはお預かりします」
男が振り払おうとする。
凜花は長い脚で一歩引き、バランスを崩さない。
「凜花さん!」
美月が遠くから叫ぶ。
凜花は歯を食いしばる。
「イベントコンパニオンって、こんな仕事もあるんですか!?」
真央が叫ぶ。
「ないがね!」
その横を、たつをが走った。
いや。
走ったというより、すり抜けた。
タツノオトシゴの着ぐるみとは思えない身のこなしで、展示台の陰、タイヤの間、パネルの裏を抜け、逃げる男の前に出る。
フリップ。
《こっち》
男がそちらへ視線を向ける。
たつを、次の瞬間、反対側へ移動。
《うそ》
男が足を滑らせる。
美月が叫ぶ。
「戦闘中に煽るな!」
たつを。
《5さいだから》
「5歳は万能の免罪符ちゃう!」
その間に凜花が資料ケースを確保し、あかりが警備員を呼ぶ。
明日香が端末から声を上げた。
「外部送信、遮断しました!」
美音から無線が入る。
「逃走車両を確認。こちらで前を押さえるだに」
真白も返す。
「こちらは後方から安全に詰めます」
美月が助手席で拳を握る。
「よっしゃ、ここからや!」
逃走車両は工業エリアを抜け、郊外の道へ出ようとしていた。
前方には美音。
後方には真白のカンガルーマークのトラック。
美音は無理に接近しない。相手を焦らせず、しかし進みたい方向へは進ませない。二輪の軽快さを生かして先回りし、視界に入り、相手の進路を削っていく。
「こっちは塞ぐだに」
美音の声は静かだった。
だが、強い。
遠州の勇者。
磐田に近い場所で、その存在感はいつも以上だった。
真白は広い場所を選んでトラックを停めた。道を完全に塞ぐのではなく、相手が無茶をしない速度まで自然に落とす位置。
「ここで止めます」
「ほんまに止まるんか?」
「止まります」
その言葉通り、逃走車両は速度を落とした。
運転手が焦る。
後部座席から男が飛び出す。
資料端末を持って走る。
美月が扉を開けた。
「やっとウチの番やな」
凜花も反対側から降りる。
「美月さん、無理はしないでください」
美月は笑った。
「凜花さん、ウチな、難しい制御とかモーターとかは分からへん」
「でしょうね」
「そこは即答せんでええ!」
美月の目が鋭くなる。
「でもな、人様が何年もかけて積み上げた技術を、コソ泥みたいに盗んで逃げる奴を止めるんは分かる」
男が振り返る。
「退け!」
美月の声が低くなった。
河内弁が、いつもの明るさを消して、鋭く沈む。
「……誰にモノ言うとんねん」
空気が変わった。
イベントで「ロックって音楽?」と聞いていた美月とは別人だった。
「しぞーかのものづくり、ナメとったら承知せえへんぞ」
一歩。
踏み込む。
「寝言は寝て言えや。ここで全部置いていけ」
凜花は一瞬、背筋が伸びた。
「美月さん……怖い」
美音は冷静に言う。
「あれが本来の美月だに」
真央が感心する。
「イベントでは知識が空ぶかしだったのに、戦闘ではトルク太いがね」
たつを。
《せんとうだけ こうせいのう》
美月。
「“だけ”付けるな!」
そして。
美月が走った。
河内の閃光。
炸裂。
速い。
一直線。
相手が横へ逃げようとする前に進路へ入り、凜花が長い脚で反対側を塞ぐ。美音が後方を押さえ、真白がトラック脇から落ち着いて退路を消す。
たつをは、なぜか相手の足元へフリップを滑らせた。
《すべる》
男は本当に滑った。
美月が飛び込む。
制圧。
資料端末が宙に浮く。
凜花の長い腕が伸びる。
掴む。
明日香が駆け寄り、端末を確認する。
「大丈夫。データは残っています。流出はありません」
犯人は確保された。
産業スパイ行為は未遂。
しぞーかのものづくりは守られた。
美月は息を吐く。
「ふう……」
たつを。
《むめんきょでも つよい》
「そこは褒め言葉なんか?」
《たぶん》
「たぶんかい!」
凜花は端末を抱えながら、明日香を見た。
「明日香さん、今日の主役でしたね」
明日香は少し照れたように言う。
「専門が役に立っただけだら」
美音も頷く。
「明日香が気づかんかったら危なかったに」
ひかりがほっとしたように笑う。
「みんな無事でよかったら」
真白はトラックの横で静かに言った。
「荷物も無事です」
真央が両手を腰に当てる。
「ヒロ室東海(仮称)、今日も仮称のくせに仕事しすぎだがね」
夜。
新幹線ひかり号。
美月は西へ向かう車内で、いつものようにスマホを開いていた。
イヤホン装着。
腕組み。
表情は真剣。
目的は偵察。
本人はそう言い張っている。
RINKA MODE。
開始。
画面の向こうで、凜花が微笑む。
「りんか民のみんなぁ、ごきげんよう♡」
コメント欄が流れる。
《陛下おかえり》
《磐田どうだった?》
《モビリティイベント見たかった》
凜花は少し考えながら話し始めた。
「今日は磐田から帰ってきたよ~」
「私、静岡東部の人間だから、正直あの辺ってそんなに行く機会なかったんだけど……すごかった」
「西部のものづくりの力って、本当に強いんだね。二輪も、ロボットも、制御技術も、難しかったけど、すごく勉強になったよ♡」
美月は車内で小さく頷く。
「今日は凜花さん、割と正直やな」
凜花は少し得意げに胸を張る。
「あとね、詳しくは言えないんだけど……」
コメントが速くなる。
《任務?》
《また戦った?》
《陛下活躍した?》
凜花はにっこり笑う。
「今日、しぞーかのものづくりを救ってきたよ♡」
美月は思わず頷いた。
「確かに救ってきたわ」
今日はそこまで盛っていない。
本当に、未遂とはいえ産業スパイを止めた。
凜花も長い手足で活躍した。
明日香も美音も真白も、みんなすごかった。
美月は少し満足そうだった。
しかし。
りんか民は、美月が見ていることを知らない。
知らないから。
言いたい放題。
《美月、モーター理解できた?》
《根性制御》
《ロック=音楽》
《無免許経済学部》
美月の眉が動く。
「来たな」
コメントは止まらない。
《美月ってアホなん?》
美月の表情が、完全に止まった。
一秒。
二秒。
三秒。
「…………誰や今の」
スマホを持つ手に力が入る。
「アホちゃうわ!」
コメント欄を開く。
本人ひかり号で見てるで。
入力。
指が送信ボタンへ向かう。
止まる。
美月は歯を食いしばる。
「……アカン。これ送ったら完全にバレる」
削除。
「これは偵察や。冷戦や。情報戦や」
凜花が画面の向こうでコメントを読んだ。
表情が少し真面目になる。
「ちょっと、りんか民。“アホ”はダメだよ」
美月が身を乗り出す。
「そうや凜花さん、言うたれ」
凜花は続ける。
「美月さん、今日の任務では本当に格好良かったんだから」
美月の顔が少し緩む。
「せやろ」
「すごく頼れる先輩だなって思ったし」
「分かっとるやん」
「戦闘になると、判断も早いし、動きも速いし」
「ええこと言うやん」
凜花はそこで、少しだけ目を細めた。
「まあ、モーター制御の説明はほとんど分かってなかったけど」
美月。
「余計な一言!」
「普通自動車免許も持ってないし」
「そこも要らん!」
凜花は微笑む。
「でも、アホではありません♡」
美月は満足しかけた。
凜花は一拍置いた。
「……たぶん」
美月は座席で跳ねた。
「たぶん付けたぁ!」
コメント欄は爆発した。
《陛下保留》
《たぶん賢い》
《戦闘IQ全振り》
《美月ABS未搭載》
《河内のCPU熱暴走》
《本人見てたらキレそう》
美月は歯を食いしばる。
「見とるわ!」
また入力。
本人ひかり号で見てるで!!
止まる。
削除。
「危ない。二回目や」
さらにコメント。
《天竜川に流すで》
《たつを、遠州灘経由で帰宅》
《タツノオトシゴの方が地理に強い》
《美月はナビ未搭載》
美月。
「ナビくらいあるわ!」
前の席の乗客が少し振り返る。
美月は即座に頭を下げる。
「すんません」
凜花は画面の中で笑っている。
「でも、今日のたつをもすごかったよ。何であそこにいたのかは分からないけど、着ぐるみとは思えない動きで相手を翻弄してて」
コメント。
《たつを有能》
《たつを>美月》
《たつを制御性能高い》
《5さいだから》
美月が低く唸る。
「たつを>美月は絶対ない」
入力。
本人ひかり号で見てるで。たつをよりは上や。
止まる。
消す。
「これ、普通に本人やん」
凜花は今度こそフォローするような顔をした。
「でも美月さん、本当に今日はすごかった。最後の河内弁、私ちょっと震えたもん」
美月は少し照れる。
「まあな」
凜花はにこっと笑う。
「普段あんなに頓珍漢なのに、いざとなると格好いいんだよね♡」
美月。
「フォローと嘲笑の配合がおかしい!」
コメント。
《普段は頓珍漢》
《いざとなると強い》
《戦闘だけ高性能》
《日常は空ぶかし》
《河内の熱暴走》
美月は完全にコメント欄との冷戦に入った。
本人ひかり号で見てるで。
書く。
消す。
根性制御も大事や。
書く。
消す。
無免許でも経済は分かる。
書く。
消す。
アホちゃう、戦闘特化や。
書く。
消す。
その間にも、新幹線は走っていた。
車内放送が流れる。
「まもなく、新大阪です」
美月には聞こえない。
凜花が画面の向こうで言う。
「りんか民、美月さんをいじりすぎないの。美月さん、意外と気にするタイプなんだから」
美月はスマホへ向かって小声で言う。
「意外ちゃう。普通に気にするわ」
コメント欄。
《本人見てそう》
《ひかり号説》
《そろそろ新大阪?》
《降りろ美月》
美月は笑った。
「誰が今ひかり号乗ってる言うた」
乗っている。
入力。
本人ひかり号で見てるで。新大阪で降りるわ。
指が止まる。
「だから書いたらバレるねん!」
削除。
その時、新大阪に着いた。
扉が開いた。
乗客が降りる。
美月はまだ画面を見ている。
りんか民は知らない。
知らないのに、なぜかコメントは続く。
《美月、降りた?》
《まだ車内にいそう》
《本人いたら乗り過ごしてそう》
《新神戸まで行け》
美月はムッとする。
「行くか!」
凜花は笑いながら話している。
「今日は、磐田のものづくりのすごさも知れたし、明日香さんの意外な一面も見られたし、美音さんはやっぱり遠州の勇者だったし」
美月は頷く。
「それはそう」
「美月さんも、今日は……うん、頑張ってたよ」
「間が気になるな」
「たつをも、まあ、謎に有能でした♡」
美月。
「謎は合っとる」
扉が閉まった。
新幹線が動き出した。
美月はまだ気づかない。
しばらくして、車内放送が流れた。
「次は、新神戸です」
美月は固まった。
「…………え?」
スマホから目を離す。
窓の外は、もう新大阪ではない。
美月はゆっくり、天井を見上げた。
「新大阪は?」
当然。
過ぎた。
コメント欄。
《美月、新大阪で降りた?》
《まさか》
《新神戸まで行ってたりして》
《美月便、西へ延伸》
《無免許なのに乗り過ごし運転》
《河内の閃光、新大阪を通過》
美月は座席で両手を顔に当てた。
「とうとう新神戸まで行ってもうた……」
画面の中の凜花は、何も知らずに笑っている。
「美月さん、きっと今ごろちゃんと新大阪で降りてるよね?」
美月は低い声で呟く。
「降りてへんわ」
言ってから、はっとする。
前の席の乗客がまた少し振り返る。
美月は小さく頭を下げる。
「すんません……」
コメント欄。
《陛下、それフラグ》
《美月は絶対見てる》
《本人ひかり号で見てるでって書きそう》
美月はもう、スマホを握ったまま震えるしかなかった。
「なんで分かんねん……」
入力。
本人ひかり号で見てるで!! そして新神戸や!!
止まる。
長い沈黙。
削除。
「……書いたら負けや」
配信の最後、凜花は少し真面目な顔になった。
「今日は、しぞーかのものづくりを守るために、みんなで頑張りました」
「詳しいことは言えないけど、私も少しずつ、戦隊ヒロインらしくなれている気がします」
「磐田、また行きたいな。西部のこと、もっと知りたいです♡」
コメントが温かく流れる。
《陛下成長してる》
《凜花ヒロイン化》
《磐田回よかった》
《美音回でもあった》
《明日香回でもあった》
そして最後に。
《美月は新神戸回》
美月は座席で静かに拳を握った。
「……りんか民」
一拍。
「お前らとの冷戦は、今日ついに兵庫県まで拡大したからな」
ただし、当のりんか民は。
美月が本当に新神戸へ向かっていることを。
まだ。
知らない。
いや。
たぶん。
半分くらい。
察している。
こうして、**『IWATA MOBILITY HEROINE EXPO ~遠州から走り出す未来のものづくり~』**は大成功に終わった。
磐田のものづくりの力。
サックスブルーの誇り。
青い音叉の街に息づく技術。
地元に近い場所で輝いた遠州の勇者・美音。
巫女でありながら自動車工学を操り、産業スパイの不正を見抜いた明日香。
カンガルーマークのトラックを安全に操る真白。
穏やかな駿河弁で場を整えたひかり。
尾張弁で情報を集めた真央。
長い手足で現場を駆けた凜花。
着ぐるみの常識を壊したたつを。
そして、イベント中は頓珍漢で、文系で、無免許で、根性制御を提唱し、ロックを音楽だと思い、りんか民に「アホなん?」とまで言われた赤嶺美月。
だが、任務の瞬間。
恐ろしい河内弁と圧倒的な火力で産業スパイを黙らせた。
河内の閃光。
本領発揮。
しぞーかのものづくりは救われた。
しかし。
美月自身の新幹線下車だけは。
最後まで。
制御不能だったのである。




